連載は続く~ SF 掌編『(SFドラマタイトル的に)何が待ち受けているのか』編


工学的歴史視点を提供してくれた竹村公太郎氏を参考にできるなら、問題は電気を極端なほど大量に一定量を保って使い続けるしかない世の中の営みが前提になっていることだったりする。
発電の為の原材料をどうこうするの話にして盛り上がり勝ちな昨今、そこらをちらっと振り返っておくこともこの先、自らの足を確かめるためにも参考にできそうだ。
規模がでかい出来事ゆえ、たった一人で同好動かせる事態ではないことは自明。
けれども、要所を徹底的に避けて、新たな工事現場それも相当な規模になりそうなことを前提の新たななにがし、ということで脱なんとかとかテーマを持ち出している。
だから素人は理念的過ぎるのでは?とか持ち出したりしたけれど、どうやらプロパガンダの線の方が濃そうだ。
で、有機由来原油説になびかせる高圧化での石油生成知見まで登場したり、色々大変そうだけど、素人的には、無茶に脱石油・石炭の線で推進の熱意を持つ勢力も巻き込んで、こっそりオルタナティヴの方で行ってもらいたいと思っている。
小コミュニティでの田舎暮らし実験の営みなら、ある程度の閉じた域での検証を経た修正なりがいくらでも可能で安全も保ち易い。
けれども中枢での巨大電力依存の機関が相当な力を提供しているようなグローバルな展開を成してしまっている今どきだと、供給安定性を欠くシステムへの依存は危険極まりないのだし、技術の熟成度合いという経験知のところも相当に関わってしまう。
激変可能な領野もあれば、遅々と進まないけれどいつの間にか変化完了の領野も息づいているのは人の営みの不思議だ。
ただ、こんなことは素人が持ち出すまでも無くより知見をお持ちの諸氏には当たり前のことと察する。つまりことばが氾濫しているような変化というよりは、新たな事業探しの安直な答えというのが実情ではないか、と素人ゆえ推測している。

丸山氏の長期視野からするヒント発信は、人口変化の傾向が巨大規模になりつつ、やがて減じていくということで、ヒトの集団の営みにとっては不得手な対応を的確に求められてしまう、ということになる。
巨大人口にあわせたシステムが速やかに減じる方でのシステム変更を迫られる。
両局面の変化に応じながら人、物と膨大な費用が必要になる。
でも、大局を把握するための技術的試行錯誤が精度を磨きながら試されてきたわけで、知らん振りはできない。今の持ち物でちょっと将来の持ち物でなんとか対応するしかない。
資本主義の純粋版をイメージできる諸氏がいるみたいで、金融系にはそういう発想の持ち主がはびこっているようだ。
純粋版に近づけることができれば、自ずから自壊するシステムということで、待ってましたの次の望ましい"世界"を期待しやすい条件が整のうといったところだろうか?
煎じ詰めに煎じ詰める論にするなら、全能の何かしらに委ねるようななにがしを持ち出すことになってしまうのがオチだ。
多分、忙しすぎて、純粋の資本の論理形態があるかのように信じ込めているのだろうとドラマのりから推理したくなる。
ところが、考える、なんらかひねり出すこと、それが儲けとか利益とかを巡ってもなのだけど、落ち着くところは全能の持ち主に委ねることにしかなりえない。
そういう絵空事の究極を心得ている実際的な膨大な大人たち、子供たちは、むしろ実際的に制約とか可能性の手ごたえを挑みの機会を重ねることで得て、実際手に試行錯誤できることで日々を費やすことになる。
でもそれだけだと構想のヒト性を応用し損ねるから、ちょっと引いて、練る、資料漁りしつつ、他人の貴重な知見とぶつかり合いながら、研鑽しまくって、これぞ、というのを試す。大小の場で様々に生じる。
そんなところだ。
自由貿易状態にしておけば、足りない地域に食料は貿易取引のルールにおいて確実さを保てるとか思い込めている諸氏においては色々民間に力をより持たせて自由な貿易場を用意しておけばいざという時の最善を追及できるとか言うつもりで昨今の議論がなされているのだろうかと素人推測。
先の様な利益追求の競り合いに委ねておけば資本の論理が働いて落ち着くところに落ち着くとかで走りまくるだろうことは想像しやすい。
調整型の発想で、自由貿易下、実情を説明して折れてもらってなど苦心惨憺してなんとかできるかも、と思っている諸氏もきっと沢山いらっしゃることだろう。
素人である当方の発想では、もう少しサヴァイヴァルノリの発想を使いたくさせる。
つまり、折角規模ということでは国民国家の地域性を使いこなせるのが今時のグローバル環境だ。
だから、貿易ルールの状態が解決してくれるとかとは一歩くらいは離れて、まずは地域圏での自給の自力を保つことを試行したくさせる。
なんでもかでもそうするというのは、(手持ちのツールの豊富さとかから)裕福な時代において馬鹿げた決め付けになるけれど、飽きない程度の食のバラエティについての自給率向上くらいなら放っておかないほうがいいように思える。
それが可能になるグローバルな常時の交流が欠かせない。
なぜ、その土地に沢山人々が住んでいるにもかかわらず、飢えとか食糧難とか水不足とか衣食住の基礎部分すら持続的にならないのか?といった土地柄へのオルタナティヴな知恵の提供もありうる。
気象条件の長期的変化ゆえにこれからも長期にわたって不作としがちにするというシミュレーションを提供できる裕福な土地柄は限られているから、そのデータ提供は貴重だし、それだけで終わらない、対処方法の提供までがワンセットになりうる。
政治のあり方で、自給体制、食糧危機対応などできることもできていないんじゃないの?ということも一応相手を見た上で、可能なら率直に発信しておくことも近い将来での円満な集団の営みを招来させられる。
しかもそういう対処ができたとして、そのできた構造のままだと無駄が生じて、集団の営みの相当な負荷となってしまう。変化させ、費用をかけながら、しかもそれを壊してか修理して新たな条件に合わせていく必要がある過程を構想できないと対応にならない。


さて、テレビドラマでは、昭和の30年代に育った役者世代たちは(困った方のストレスに感じて)大変そうにしながらも執念とか内発的エネルギーをほとばしらせる演技をなんとかこなしている。でも昭和40年代に育った世代となると、もう肌が荒れるくらいのストレス全開で、内的ほとばしりどころかやつれた感じになってしまう。つまりそういう演技を演出が求めることがそもそも間違っている、ということだろう、と素人は見た。
お手軽に悪さも良いこともやってのける世代に移ってしまった。
その感受性はお互い様で、同世代の分厚さが相互にけん制し合える(はずだ)。
そこらにドラマが生まれる。そういう時代の予兆だ。
旧世代ならしごかれても大事にさせるだれかたち以外は本当にしごきを我慢して耐えて、その場をなんとかすり抜けて大人の落ち着きを取り戻せてきたに違いないと素人老人は想う。
ほとんどの人々にとって、その重たい内面を演じられる世代は、一方で荷が重いだれかたちでもありえた。
そういうこととは相当に距離ができてきた時代だ。
でも、物事に対しては、冷静な集中を欠くことはできない。
手っ取り早くは、介護施設でお年寄りの生活全般の面倒を見ることで自分の今の状態を自覚させられる。結果、判(わか)るといった感じか。
大工仕事も昔のような手仕事ではない質が多そうで判断にはつかえなくなっていそうだけど、手仕事系大工仕事をするだけでも、自らの対他的粗雑さの度合いを計(はか)れる。
それは即我が身へと跳ね返ってくるから、大いに役に立つわけだ。


廃物が悪さをする場合が多いし、それに対処できれば、社会的な負荷を相当に減じられるという場合ならば、回収して再利用というこれまでの慣れた発想のその先ということで対応できる。
最近の黒点数変化はそこそこに上下動している。こうなる前ほどの変化ではないけれど、最近に関しては多少動いている。
そうであっても、ずっと同じ繰り返しではなく、地球史において似た、4、5回の繰り返しが起こるようになっているその傾向について、原因を探らないと答えにならない。
その前提ならば、他の多くの時期についても繰り返されていなければならないのに、そうはなってこなかった、という地球史データをいつも頭の片隅に置けるなら、趨勢についてもっともな規則性提示について素人でも検証しやすい。
その上で、食料対応して後まもなく人口減だし、急激な寒冷化と極端な(数世代期間程度起こりうる)気温の上下動する巷を予想できた工学的備えをしながらの楽しい生活を構想できないと、それと比べて短期でも繰り返す地震や火山噴火とか激動にもつながるような自然災害も待ってはくれない列島生活の諸氏においては、特に、やることが色々ありすぎるのが実情だ。


「父(とお)ちゃん、ほらこれ見て・・人が沢山いて、大きな町まで。それにぃ・・」
「なんだい?」
「大きな建物がいっぱいだよぉ。」
「どこにあったのその本・・、昔はそうだった、ということだよ。ばあさんたちが話してたな」
「へぇーっ、そうだったんだぁ。この建物、見てよ、やけに高いよ、なぜ?」
「うむ?なんだろうねぇ、そうだ、母(かあ)ちゃんに、物知りの母ちゃんに聞いてごらん、きっとわかるから」
「母ちゃん!教えてよ」
(隣りの部屋から)「大声出さないで、赤ちゃん寝かせてるの」
「はーい」
と云った具合で、この時代にはおよそ二百年ほど前だったら辺鄙なところでの暮らしが占めていた。
それはとにかく急激だった。
遺伝子をいじくることが流行った。
(遺伝子を)編集できるようになったということでだれもが喜んだ。
巷は百年前頃流行った美男美女で溢れるようになった。数世代でそうなってしまった。
そういう流行には乗り切れない人々がごくわずかいるだけだった。
恐らく、限られた形質の遺伝子が蔓延していたのだろう。
やがて変化が訪(おとず)れる。
自然環境が激変する。
火山の噴火だった。その時期に至るまで、とにかく前兆だらけだった。
各地で中規模の地震が起こっていたし、火山の活動も起こるべきところで継続していた。
その中で規模の大きなのが吹いた。といっても、地球史上での大噴火規模ではなかったけれど、噴煙が太陽光の照射を遮り、噴火地域の被害とはまた違った被害を生んでいた。
数年間食糧の不作が続いた。
各地、といっても格差があり、食糧不足ながらなんとか乗り越えた地域もあったけれど、悲惨な地域の方が目立った。
そういう世界的な栄養状態に、得体のしれないと当時は勘違いしていたらしいのだけど、風邪が流行って、体力不足ゆえの大量の被害が出た。
ただ体力不足では説明しきれない数だった。そこには、どうやら画一的遺伝子の蔓延があったらしいということが後々推測されるようになる。
ばたばたと全滅タイプの激変にさらされた地域が各地で生じたのだ。
地球の人口は激減してしまった。
当時先進国として栄えた土地ほど、編集遺伝子生まれが大勢を占めていたので、それはもう目も当てられない事態をもたらしていたのだ。
ヒトはもともと心細く生きているものだけど、それゆえについ流行りに乗ってしまう。でも、それが個々のばらばらな思惑で散らかっているだけなら、こういうことにはならなかったのではないか・・と数少ない豊かな社会の生き残りの人々、もちろん、何人か、という数なもので、追々、いなくなってしまうだろうが、こぼしていたと昔話にはなっている。
当時は差別につながるとかそういった観点から遺伝子の編集について世界中の心ある人々によって議論が盛り上がったそうだ。先天性の病気へは相当に役に立つし、どうしようという議論も活発に行われたらしい。
ただ大局的に行われたのが、実は、同じ系統のを選択しがちにして・・ということだったらしい。
それはもう、バタバタと倒れていったというから・・・・。
人が少ないということを比較できるわけではないけれど、いざ人口の少ない世界に棲んで、もしもう少し人がいてくれたら、もっと多くの仕事をこなせるのに・・なんてことをやり手たちはぼやいている。
今の規模だと、日々の食を得るので精いっぱいの土地がほとんどだ。
子供たちもほかの生き物同様に大人になるまで何人生き残れるか。
世の中、使い方がまったくわからない残骸で一杯だし、人は少ないし、食の生産で日々忙しいし。
"困った困った"、が挨拶(あいさつ)がわりのようだ。

連載は続く~SF掌編『若い世代たちがどんどん年老いていくけど、先も相当に長いぞ』編


怒りが相手に伝わるような表現型となるためにはそれなりの条件が要る、ということを故安保氏は言及された。
その為には血圧の上昇が要る、ということだった。
およそ200は超えないと、迫力が出てこないのだそうだ。
だから一面、怒る本人にとっても相当に危険な行いであることに気付かされる。
流行りを介して生き様のなんらかを決定しがちな生活を営む多くのタイプ諸氏においては、マスメディア経由の内実がなんらか生活の多くを彩(いろど)りがちにしてしまう。
そうではないタイプ諸氏もそれなりに同時代にはおられることを一応押さえておける。
テレビのドラマにて原作横山秀夫の2作を比較するように見ることができている。
『沈黙のアリバイ』と『モノクロームの反転』。
それを段田安則伊武雅刀石橋凌/渡辺謙世代が演じたTBSもの(2005年作)と2021年作のテレ東もの(岸谷五朗/仲村トオル世代が演じた)で見た。
ちょっとした指標を示すなら1964(昭和39)年東京オリンピックを境にして、それ以前にある程度心身世界を育んでいた世代と、それ以後にそうできた世代と見なせそうだ。
そしてどう違うかというと、一種執念めいた沈潜させた心身の勢いをエネルギーとかバネにできてしまう、ないし栄養にできてしまう世代と、それを困ったストレスにしてしまう世代というように指摘してみたい。
一見執念深さとか、陰湿さとか、しつこさとか、暴虐性とかを後の若い世代たちが示せるとしても、異性間の交わりのあり方、お茶する場を含むあり方、食事の内容を含むあり方などがしっかり心身に食い込んでの表向きの表現型であるということになる。そこには先に指摘したマスメディア浸透が相当に絡んでいると見ている。
しかも、その個性たちが”選択的”関係用に携帯ツールを駆使しているというのが昨今だそうだ(テレビ番組で知った)。
番組を見て、その役作りを比較してもらえれば恐らく素人指摘だとしてもそれなりにうなづいていただけそうに思う。
そして素人は更に思うわけだ。
既にそういう時代なのだ、ということ。
その気になれば世代を継ぐ必須の生き物ゆえのヒトの行為の群れとして、交際はなんともごく気軽に、酔いの勢いで数を重ねることがしやすくなって何十年間もたっている。
ちょっとお菓子付きでお茶するくらいなら街場ではだれもが簡単にそれなりのデザインされた場でできてしまう。食事も豊富な場が用意されている。それが心身に響き浸透し、その背景をマスメディアが支える構造だ。
世論工作もそれなりに人の配置は緻密そうだ。過程の繕いも充分に試験されている。
しかも、"不易"な何かに気付ける程度にもよるけれど、その圧は必ず日々、時々刻々として自らになんらか意識される。
ここで無意識とかなんとか安直なかつて概念とされていたような用語を使うのは避けたい。
素人観測的には、型知見がその反証となりうると見る。
意識していても身に着けた、心身化を一応なした状態の心身はその通りに反応してくれる。けれども、ふっと意識が抜けたような状態にできた時ほどの自動化を呼び込みずらい。
でもこういうのを多用されてきた無意識が発するなんらかとは言いづらそうだ。
でもそれこそ意識することを離れて無意識下での心身状態の動作と見なせる。
が無意識という言い方では模糊模糊だ。
よりサイエンス知見としては、虫とか微細な生体内生き物たちが、なんらかの経脈を取って宿主の行動を左右してしまうという、一見恐ろしい指摘だ。
無意識概念として束ねてしまうと実際のあり様を限りなく不鮮明にさせかねない。
だから昨今なら、その"無意識"という言葉で実際には何を指摘しようとしているの?と質問しておいた方が無難だ。
若い世代たちも、かつての世代のようにドラマの中で演じ分ける。
その際、役作りの世代に応じた作法に自信を持って、活用してもらいたい。そうすれば、一見相当に違った作風で、一種の軽さが際立ってしまうかもしれないけれど、ヒトのあり様が相当に違ってしまっているのだから、その違っている心身たちがどう世の中を動かしているのかということを旧世代は学べるし、若い世代諸氏においては入り口として違和感なく入れるし、しかも、様々な効果を逆にその素材を前提に持ち込める。
すると舞台設定に無理か無理じゃないかを検証させやすくして、同じ原作に新たな光が射すかも、ということも考えられる。
更に敷衍するなら、本当に警察とか、正義をどこかしらに控えさせたような圧が工作する現場で若い世代がどうしてもそこを担うことになるのだから、表現型に流されがちな若い世代の制約に振り回されず、かといって、心身化した身の軽さはいかんともしがたいはずだから、そこらを世代間調整しながら、職場の本格的な活性に活かせる方策のなんらかヒントにもできそうに思える。


マスメディア問題は古くて新しいままいつでも進行形のようだ。
コロナ騒動では、免疫についてわけのわからないまま基礎研究者でもない専門家諸氏にそのノリで質問して、わけのわからない免疫論議の場を盛り上げ続けている。
北里柴三郎氏の名が沢山出てくるようになった。
抗体とかワクチンとか感染とかもことばも氾濫している。
しかしバーネット氏の名は出てきていないようだ。
クローン選択説。そして利根川進氏の名も多分出てきていない。
インフルエンザ知見は人々において経験的に熟知されているし、関心のある諸氏においては免疫知見も絡めて習得されていることと察する。
感染3日目くらいから免疫系が反応しだして1週間から2週間くらいかけて回復させてしまう。そのことを熟知した上で、インフルエンザ流行の時期に備え続けてきた。
更に突っ込んで、距離を置いて、身を引いて、なぜ新種のインフルエンザにもそれほどの短期間に身体は対応できてしまえるのか?そう自問して謎を感染症刑事になって探求する。
すると岩波文庫の『近代医学の建設者』の著者メチニコフ氏や北里柴三郎氏、そしてF.M.バーネット氏と大雑把にたどれることを知る。
早さの仕掛けはそんなところか・・・と素人なりに納得してしまう。
が準備している、できていることのしくみは?となるとまたわかりにくい。
そこへなんと利根川進氏がノーベル賞!だ。免疫研究だ。
どの著作だったか記憶が不鮮明なのだけど、利根川氏によるしくみ発見のその先にクローン選択説が働いていて、完璧とはいかないけれど、相当の確度で対応可能にしているヒトの生き物たちの不思議を素人なりにわかった気にさせる。
もう少し細かく言うと、マクロファージとかも相当に活躍していて、果敢に鋳型提示の役をこなしている。
それぬきに物事は始まらない。
だからワクチンの効果が簡単に衰えるとかの指摘は、そのワクチン、鋳型として欠陥商品?と素直に質問できるマスメディアの"強靭な"スタッフを育ててもらえれば、など素人期待になる。
巷知見からすれば、ワクチン期待依存はインフルエンザに効果なし、が常識のはずだったので、今時のコロナ・ワクチン騒動もみょうちくりんなことに伺える。重症化を避けるはだれかにとっては真実でだれかにとっては嘘っぱち程度の風説の類だ。
北里知見も説得力を発揮しているだろうし、バーネット知見もそうだ。
利根川知見もそうだ。
だから欧米医学が得意とする対症療法が欠陥を引きずっているとしたら、その欠陥が顔を出しにくいステージを活用する応用力だろうと素人は見る。
継続使用を確実に避けることを前提に、症状緩和のお手軽薬を開拓しておく。
なんらかの強力そうな感染症には、そういう欧米医療研究系の関与は可能と察する。
でもしつこくなるけれど、継続使用を避けることがその先の危険回避につながる。
欧米系はそこらは弱点のようだ。
基礎研究についての集中を北里氏のように得意とするのが東アジア系と見なすことはできない。どこにでもきっと大勢いらっしゃると思える。
その成果が、緊急の重症系感染症の早速感染して事態に応じる実働部隊のための策を開拓使うる。ここらは奥義の類かもしれないが、多くの諸氏が共有しても良さそうだ。
コロナ騒動でもそうだけど、衣食住の背景をしっかり保持し続ける発想を欠いて、平気で日々の経済活動を封じるようなことを成す政治家を初めから選ぶようなことをしないで清むフィルターとして使える質問が要る。ヒトがある程度自在に活動できて、物の移動とか提供とかをオークション系発想ではなく、行き届かせる発想で成せるタイプたちが表立って発信しやすくする環境をいつでも用意できるようにすることも大事だ。
感染症のタイプ分け術もしっかり整理できることが要る。
すぐに重症化して死ぬタイプかそうでないか。
すぐに死ぬようなタイプの場合に限って、狭い範囲に隔離できるだけで相当な効力を発揮する。
数日潜伏してしまうタイプとして、それが簡単にだれに対しても死に至らしめるタイプかそうでないかで、分けることができる。
今回のコロナの全体像を症状変化として早期に整理できなかったから混乱の巷を提供してしまったと見ることもできそうだ。
罹って治るタイプならば、症状次第で、まず罹って免疫を付けて、現場の実働部隊を担うということを集団の営みとして実現しうる。ここらが歴史的免疫知見から推測できる。
からだの具合を親が心配するし、実際に日々微細な心身のくせについて我が子たちのデータを蓄積し続けている。そしてインフルエンザが流行ってるそうよ・・なんていう風評が流れ出すと、体調とかちらっと観察して、家の中にばかりいないで外であそんできなさい!とか言って、心身を鍛錬させる。でもちょっと心身が弱い感じになっていて、そこを強くなる方に誘うか、大事を取るか迷う場合、実際的には一か八か、日頃の親としての経験を自ら試さざるを得なくする。
でも経験を積んでいるからそこはヒト性を発揮して、より確実な選択が可能になったりする。
見誤って、風邪をもらってくる、ということも起こる。その時には熱でうんうん言う我が子に寄り添って、それが薬ともなって免疫系が活躍しまくって、子供たちは健やかに大人へと近づいていく。親の行いはちゃんと心身に記憶される。

以下のネット経由資料が免疫系の歴史的知見に近づきやすそうだ。
TERUMO
https://www.terumo.co.jp/challengers/challengers/19.html
国立科学博物館
https://www.kahaku.go.jp/exhibitions/tour/nobel/tonegawa/p3.html
国立国会図書館(以下表示後、下段(▼全て表示)をクリックする)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I000734143-00
免疫学100年史 - Juntendo Medical Journal で検索すると
28_545.pdf で読める。

連載は続く~ SF 掌編『"おほみたから"をめぐって』編


度々になるけれど、ヒントを得て、対外意識の下、編集なった日本書紀ということをしっかり踏まえるならば、一面の性質として今で言う、選挙前のマニフェストのニュアンスを感じ取れそうだ。
だから後世のそれも事実関係についてまったく詳(つまび)らかにしない専門家諸氏が理解に当たって困難至極、ということになりかねない。
フィクションの所は何処?事実に照らせる記述や何処?和習と正格漢文の切り分けがある程度精密にできたとして、それがそのことについての明確な仕分けにどのように使えるか。
急ごしらえ出向かわざるを得なかった時期の産物であることを、その時期の各種の書物について類推させる山口氏のヒント発信を踏まえて、日本書紀でも相当の引用や借用のありそうなことが専門的読み込みによって一般に紹介されるようになっていることも、その線から、素人にとっては、読み方のヒントに使えそうに受け止めた。
馬子-蝦夷-入鹿の三代が記述されている時期の日本書紀のページにざっと目を通していただきたい。
教科書で得た先入観よりとりあえず原典の読み下し分の方の読後感を大事にしてみよう。
すると、まず上宮("かみつみや"と読む)一族と物部一族と蘇我一族が相当に濃密に血を通わせている記述になっていることくらいは直ぐに気づけそうだ。
その一群の活性状態において、たとえば入鹿氏のような乱暴物が出てきて事態を動かしてしまう。なにげにそんなパタンを記紀から得ていたような・・・。
そして聖徳太子を筆頭に、上宮一家は仏を重んじる系統ということでか、乱暴者とは対極のような描かれ方が特に山背大兄王には採用されている。
(岩波文庫版『日本書紀(四)』より)
(ここから引用二箇所)
(一番目の引用 p210 から)
「いましがいふところのごとくならば、そのかたむことかならずしからむ。ただしわがこころにねがわくは、ととせおほみたからをつかはじ。ひとりのみのゆゑをもて、あにおおみたからをわづらはしめむや。またのちのよに、おほみたからのわがゆゑによりて、おのがかぞいろはをほろぼせりといはむことをほりせじ。あにそれたたかひかちてのちに、まさにますらをといはむや。それみをすててくにをかためば、またますらをにあらずや」
(二番目の引用 p212 から)
「われ、いくさをおこしているかをうたば、そのかたむことうつむなし。しかるにひとつのみのゆゑによりて、おほみたからをやぶりそこなはむことをほりせじ。これをもって、わがひとつのみをば、いるかにたまふ」
(ここまで引用二箇所)
聖徳太子に関してはそれなりにヤバイ事件への加担が描かれている。四天王寺建立と関わる。
とは言え、仏の線で、平和とか平穏を主張できそうな発想をたっぷり含ませている。
更にさかのぼって、九州時代の呪術的性格たっぷりのリーダーが自らの生命活動と関わらせて自然現象変化と集団の営みの平穏持続を関わらせた責任問題を引き受けていた記述など思い起こせれば、上宮一族の性格をなんらか想像させたくする。
ぐっと後に列島では聖徳太子信仰という狂信に近い現象を生じさせていた辺りをネット発信からは得られるのだけど、事件に加担した聖徳太子像が過剰に膨らんで、玉砕とかも生じさせるような下地を用意したのかなんなのか?ここまで"おほみたから"に危害の及ぶことを避けに避ける発想(←聖徳太子の息子である山背大兄王のセリフ)と関わることばを記述されていることを思うと別の脈絡におけるプロパガンダが潜行していたのではと素人は推測したくなる。
とにかく、大兄が3人(山背大兄王、古人大兄皇子、中大兄)登場して、"中大兄"が仕切ることになっていく。
セリフとして見るなら、これはもうフィクションと言うしかないように素人からは受け取れてしまう。
なんらか上宮一族の脈々は事実上居たとしても、エピソードというか語りの中味はフィクションに満ちているように思える。
しかも入鹿氏の問題。
昔話というか朝廷をとりまく芸能人脈の作り物にはとかく怨念的な方向性を持つ物語が目立つのではないか。
そういう作りが人々の関心を誘い、持続化させやすくする。なんとなく話の作りを覚えてしまうとか。ないし、そう思念して、作られてきたとか。
蘇我氏は仏に篤い。けれども父親が「あ、いるか、はなはだおろかにして、たくめあしきわざす。」と言い放つくらい怒って事態を受け止めるような所業を息子の一人は成してしまう。
上宮一族・物部一族・蘇我一族の中にたった一人、明らかに、突出した悪さをしでかす輩が出てしまった。
そして三者が表舞台から消え去る。
そのことによって後を支えることになる二人が際立って登場する。
ただし、そのうちの一人の扱いは、当時生々しい時点では難しいことになっていたと想像できる。
もちろん、残党組みであった中大兄氏のことだ。
代わって"天武"が担い、大勢を数世代引き継がせ、後の"桓武"の時期にかなりの書き換えを経て、脈々の位置を得た記述に成った、と素人的に勝手な想像もしたくさせる。
660年の画期をつい列島の専門家筋は白村江の戦いの年代特定にひきづられがちと素人的だから当てにはならないが、そう見ている。
けれども、660年の出来事がいかに平和裡に解決を得たかはしっかり記録されていることだから、それは相当に重いことだ。残党の成したことは、山背大兄王を描いた作者の発想の足元にも及ばない、情けないことだ。多分、日本書紀マニフェスト性が含ませるアニミズムと言ってしまうと欧米発想へ誤解を提供させ易いのでことば使いは工夫が要るのだけど、ここではこれまで使ってきたように八百万発想をしっかり心身化できている列島育ちの中で、として、それに加えてより文字言葉的に仏教を学び取って心身化を志した勢力が居たことを書紀に読み取ることは素人の乱暴な読みとは限らないと察するし、欧米発想のことばの群れに少しは通じ易いかもと思える。
で、欧米発想にもそれなりに"おほみたから"へ向かう志(人為に委ねる営為として)のあることは、以前予告だけしたエルンスト・ルビッチ氏のシネマ『ニノチカ』のエピソード・セリフから素人なりに説明できる。
ただ、今回もそこはそのうちに・・ということで少々もったいぶっておきたい。

正史ということで、恐らく、律令を担った組織のどこかにきっと書き継がれた原本が残っていて、門外不出扱い(ありがちな奥義伝承発想で限られた人々の権威付けの為とか)になってそうだ。巷は、どうしょもなく欠けた原典を学者諸氏のとことん苦心されて成った校訂本でなんとか学べるようにできているはずだ。そこらはしかし、そろそろなんとかしないとまずいと素人は指摘してみたい。
文字系資料とはそういう性質を既にできた時点で帯びてしまうものだ。
隠すことが対外関係で不都合を生じさせ易い。内輪の権威付けの仕組みの埒外の力関係の渦で逆に混乱を内輪に生じさせ易くする。諜報活動によってむしろ諸外国において理解が進んでしまうという可能性すら指摘できる。

濃くて、平和志向の仏の流れを主流が継承しえた。"蘇我氏"から"藤原氏"へだ。だから蘇我氏って?と問いかけられるわけだ。
フィクション上の都合と、実際にありえた筋を今こそ諸専門家の人々、事情通諸氏によって解明してもらいたいものだし、インナーサークルな人々の口々からもれ出てくれるのが一番手っ取り早いことは言うまでもない。
もう一度しつこく触れると、日本書紀とかを伝承してきた脈々に玉砕とか特攻の発想が生じにくそうに思えるし、強引になんらかのエピソードを援用してしまったというのなら、それはその個性の方がヤバイと言える。
ただし、山背大兄王的態度は弁証法役割分担頭には、非力と映るはず、と素人でも想像できる。
で武器商人発想の相対的良質な方を選んで、使わないで済むならそれに越したことはない発想を基礎に、対峙できる性能を準備し続けるという出費に誘われる。
その為に、時々の制約に応じた入りを目論み続け、それゆえに出費を可能にしていく。
そういう事態に誘われがちにする、という条件付けされてしまう危うさに警戒できない、頭だとついそうなりがちにする。
でも、条件付けの巧みを専門家はしっかり研修している時代だから、条件付けしてしまう側への変身も含め、色々誘っていく工夫も要る時期だ。
ここらは社会工学パスカルの原理応用内で可能なことと察する。
条件付けの一つとして、昨今、広瀬本から遠く離れたことからか、忘れがちにしているかもしれないけれど、また広瀬本自体が株を身近にさせる作用を持ってもいたくらいに、株式市場に支払い手段の形見が流れ込んでくることを欲望する人々は絶え間なく努力を惜しまないタイプたちと見える。
今時だと、株価の上下動が、様々の経営体の資金に影響するように流れを、はっきりある時期頃から浸透させてきた。
その結果を各世代が生きているグローバル状況だ。
株価の上下動にうつつをぬかす暇は無いはずだったけれど、いつのまにかそうはいっていられない条件付けを成されてしまったわけだ。
しかもグローバルに生き辛い忙しさを招きがちにしている。
仕事に就きにくい経済の営み状態だったのにも関わらず介護職を熱心に執着できる(こつこつ)タイプの人々がちっとも就こうとしてくれなかった。
(テレビで紹介してくれたので知ることのできた)インドネシアの熱心な若者のような人々が列島に沢山いるはずだけど(かつての老人に一目置けるタイプの不良たちの不良につい走る発想を抜いたタイプと言い換えられる)介護職は避けられてしまって今日に至っている。番組の中では列島育ち数人に海外組みが大勢の施設運営しかこの先考えにくいような指摘をされていた。
そこにも垂れ流し金融の結果の今時の形ゆえと指摘できると思うけれど、垂れ流した支払い手段は具体的で、支払い手段としてめぐって実物をある経路では動かして既成事実を成したゆえに、支払い手段とその形見がどこかに隠れてしまっても、事態の移ろいは残る。
具体性でのつじつま合わせは継続的に成され続けることになるし、無理に作って、その後はお任せの場合は困った事態についてのつじつまあわせを求められてしまう。
低い金利がお金を出し続けさせるとかはギャグ的ことば使いと素人には思える。
低い金利になって、預けた資金の運用という形が成り立たなくなってそれまでの発想に変更を求められたことは既成事実だ。入会金とかなんとかでただお金を集めてそれを手堅く銀行に預けたところで、生命保険に入ったところで、ほとんど増殖しなくなってしまっている。時代が移ろえばお金を出して預かってもらう条件次第の状況も起こりうる。
だから株を筆頭に金融商品に注ぎ所が移動した。
けれども、実際のあり方は、投資に向かってどこからどうお金が向かったのかの違い程度とも見ることができそうに思える。
銀行が融資して、の代わりに株式として投資資金が巡る。今でも、融資は融資で活躍している。借金と返済は無くなっていない。
そこにばかり焦点を当てると、もう一方が霞(かす)む。
銀行に預ける代わり以上に、なんらか条件がそろって刷ったお札が膨大に出回って、それがインフレを生じたら、ある時期のリーダー層の面子は後世に連なって丸つぶれとなる。これまでありえなかったような人脈総つぶれ現象になってしまう。
そのバッファ役にも使われてそうだ。
もちろん、面子丸つぶれだったら、それやれとか巷受けの出来事で済むけれど、むしろ巷の生殺与奪に濃厚に関わってくるのだから、グローバルにえらいことになりかねない。
経済学が誕生後、ということは大切な考え方だ。
それ以後は、経済の営みの失敗で飢饉を無視し得ない規模ではびこらせるようなお国柄は独立国と見なされない程度の暗黙の常識がきっと育っている。
またそれくらいの技量を緻密な人脈として育ててきている。グローバルなネットワークも機能させている。
ただしどこかに犠牲になってもらってタイプの旧発想を多少引きずっているだれかたちが細々といるかもしれない。
ワクチン接種死に対してその少なさから危険度を無視できると思えている諸氏は相当に危ないと指摘できる。
またニュースからはグローバルには欧米系に結構そういうタイプ諸氏がいらっしゃることもニュースから鮮明だ。
けれども、しっかり表立ってそれを問題にできるお互い様をそれら危ない連中も認めてそうな時代であることも認識できる。
しかし、ある条件付けゆえにじたばたしにくくしているその条件付けをしっかり問題にして、株価上下動で無い暇を浪費しなくて済む経済の営みへと変更することも待たれている。
お隣中国でも給料が上昇して品物によっては売りにくくなっている。競争相手が生じ易くなっている。
手仕事だから単価をどうしても吊り上げざるを得ない。となって、衰退していった貴重な生活密着型発想で衣食住を成り立たせてくれていた手仕事系が列島では量産タイプに入れ替わって、実際には不便を囲っているのだ(最終的には廃材にするための新築建物。空調新設・維持にべらぼうな出費が要る建物などなど=めぐりめぐっての社会的費用概念)。
給料を上げる=うれしい以上に実質生活の必要を満たせる・・で終わらないマクロな現象が即ついてくることをお忘れなく。実質の支払い能力向上を目指す経済の営みをひっくるめた工夫で政治や行政が策をこうじる必須に気づけるようになった現代ということを意識できる。グローバル環境だからこそ偶然安く購入できている。なぜなら未だに安い給料で仕事してくれる差異を活かせるグローバル環境が使えるから。遠隔地貿易のノウハウはそういう使われ方をしている。コストプッシュ要因の使いこなしには余程お工夫が要る。
それに将来不安の条件は、グローバルな作動系が不安をあおり続けているのだから、そうマクロで安泰・出費、という流れにはなりにくい。あおることはできても実質がついてきにくい。もう少し言及が必要だけど、それ以上に、なぜこういう指摘になるかに触れておいたほうが良さそうだ。
大局の発想として、素人考えを一つ。
給料の多少が生じるのは潤滑油の一種だと見なせる。でも、極端な支払い手段収入の多さは経済の営みにとって障害となる。産業のこまやかな育ちに影響する。
いつも出費の構造が規模とかにおいて各地場面で読めている状態が相応しい。
かつてのように町街の栄枯盛衰によって商業部門が移動しまくるようなことは昨今では想像しにくい。大きめなスーパーなどはそういう事態を引きずっている。
情報・仕入れ・・などを工夫して卸部門が頑張れれば、途中での余分な費用分が邪魔にならないくらいの付加を提供できるならば、巷の小規模な商業部門で相当に機能する。
廃棄に回らない割合の持続性でその時点での商業システムについて評価可能と想像する。
とかこんな話を続けるのではなかった。
財布の中身というか、自らの意思が通る形でどれほどの規模の支払い手段を采配できるか。そこらに生きがいを感じてもらいたい世の中にしてみたいわけだ。
手取りの給料ということでは、そう大した額は列島試行タイプでは、得られそうに無い。
しかし、仕事上必要な電子機器も含めて、仕事の費用として手に入れることができる。更に、企画に応じた予算をその立場次第でたっぷり使えるようになる。
総理大臣になれば、相当な額について責任ある立場を経験できる。
今時は金融業の中で、桁違いの支払い手段の形見を動かしてしまう経験の持ち主が、マシンと同じように活躍していると想像するけれど、追々、マシンだけになるのかどうか。
20世紀初頭にUSでは株の売り買いで資金作りして、なにかを起こす考え方が時代を作るような人々に継承されていた。そういう実のところを良いこととしているかどうかわからないけれど、批判にさらされることなく、株式市場の良い所を育てるのではない発想で株価上下動にある人々を誘って膨らんでにしがちにしてきた。
ばくちだから当然にもヒトは誘われたら後はくせになるだけで、熱中できるし、(得した経験も介在しながら)損してさらに離れられなくなる。そういう人々を沢山作って、発言させて、一体、世の中、楽しくなるのだろうか?と素人的には思える。
仕事を離れると、ほとんどの諸氏は、無力な状態をかこつことになる。
でも一応国民国家との関係で生活のいくばくかを保てる。
その不安からか、給料の多さを、仕事での予算行使力より求めがちにする。
それなりの立場に就けなければ、大した予算行使能を得られるわけでもないし、というのもある。
それでも、相当なことが可能になるように支払い手段の流れに工夫を加えればよい。
そしてそこそこの老後生活がほとんどの人々に待っている。
中間層育成発想は、一時の中小企業のどら息子娘たちの過剰浪費の格差現象ニュースからして、世代継承が難しいアイデアと察する。
仕事の場でこそ機器にもめぐまれ使い方にも精通できて、しかも多少はあるけれど予算を使いこなせて・・という満足感。しかも仕事の結果としての世間とか顧客の受けをもろ体験できたり。ここらは高給取りかもしれないけれど、医療のような直接的な体験現場こそが、その醍醐味を発信してくれそうだ。
介護でも本当なら、そうなっているはずなのだけど、ストレス負荷に負けて、八つ当たり系が育ってしまいがちにしている。年寄りは指図する相手にされがちだ。年寄りにとっては踏んだり蹴ったりの状況だけど、我慢強く技量を学べてた後の年寄り諸氏からの歓迎を体験できないままに不満とか不足感とかが積み重なって人格的に多少問題かものような指図人間になりがちにする。つい言ってしまうのよね、では済まないことに気づけなくなってしまうわけだ。
それだと折角の仕事の長い人生時間がもったいないことになりかねない。
だからどの職場でも老後じゃなく、現役時代はそこでこそたっぷり試行錯誤できる時間を得られて、ある程度の満足感とともにリタイアしての老後を楽しめるように、という経済の営みの形を素人的に前提して、発想しているわけです。
とはいえ、ある時期以後の条件付けゆえ、隔靴掻痒状態になって物も率直に言ってどうなるものでもないし状況に近いところで面倒なことを考えないといけなくなっているといった辺り(株価が下がったらどうなるかわかってるでしょうね?!の脅し対策)は、発想がどうだろうと、早めに解決しておいた方が気持ちの健康には良さそうだ。

連載は続く~SF掌編『木簡(文字使用)・暦(時日)について少々の整理』編


文字使い達を想像できるように考古遺物の木簡に注目してみたい。
帝国的に振舞う唐とそれ以前の求心性へ、とにかく持続的に付き合ってきた列島"地方政府"ということを無理やり想起してしまうことを一応容認していただき、その上でならば、往来に必須の時日をある程度同じように意識できるようにする暦の類を想定することにも無理を感じさせないと察する。
つまり上記2点をどんな風に押さえるつもりになれるかで、列島内、対中国外交に中心的だった勢力の移ろいを探れると素人的には推理する。

というわけで、しかも昨今はウィキペディアの資料的分量も相当になっていて、しかも更新も活発で、とは言え、ウィキペディアでの更新や更に採用すら関心外の事象にこそ真実もありかもしれないし、扱っているからこそその内容において"外す"ことも可能になるので、その両方での検証を探りつつの作業は避けようがないと一応素人なりに指摘しておきたい。
で、今回は多少急ぎの引用作業なので、ウィキペディア(以下 wikipd と略称)を目いっぱい参考にさせてもらって、適時、手持ちの原テキストなりと照合もしながら、ざざざざっという感じで整理できた辺りを開陳してみる。

まず「木簡」。
wikipd (最終更新 2021年9月19日)と奈良文化財研究所(研究所発信だけど更新時日の記入はない。奈財研と略)の木簡のページから

* 奈文研のデータベース「木簡庫」あり

①[wikipd]年代を記した最古の木簡は、大阪府大阪市難波宮跡から出土した『戊辰年』と記された木簡
②[wikipd]日本最古級の木簡は、奈良県桜井市山田寺跡で堆積した地層の更に下層から出土した習書木簡の削屑
③[wikipd]京畿道河南市の二聖山城でみつかった608年の木簡
⓸[奈財研]
全国の木簡出土遺跡は既に1000
総点数は約 37万点以上
平城宮・京跡で約17万点
飛鳥藤原地域で3万5千点
⑤[奈財研]
出土事例は全国各都道府県に広がり、
年代も 630年代頃から近代にまで
⑥[wikipd]点数が一気に増加するのは672年以降の天武天皇の時代
⑦[wikipd]紙が普及しはじめた魏晋(3世紀)の頃
⑧["紙の歴史|平出紙業株式会社"から]
正倉院にある702年に作られた紙は、
美濃(みの)・筑前(ちくぜん)・富前(ふぜん)で作られた十種で、
楮(こうぞ)が原料
751年タラスの戦い中国兵捕虜に腕のよい製紙技術者→
→757年月桂樹や桑などを使った「サマルカンド紙」


つぎに「暦」
①元岡古墳群(福岡県福岡市)出土の金錯銘大刀に「庚寅正月六日庚寅」の銘文
 元嘉暦に基づけば570年1月6日と推定
 日本における最古の暦使用例の”可能性”
②『政事要略』(平安期)という本に推古天皇12年(604年)から初めて暦の頒布
 日本書紀(宇治谷訳)推古10年冬10月での記述に(p90)[・・などは引用者による省き]
"百済の僧観勒・・暦の本・天文地理の本・・をたてまつった"
"陽胡史(やごのふびと)の先祖玉陳(たまふる)は暦法を学んだ"
"学んで業を遂げた。"

* 元号を"衛星国"が勝手に用意することできない。許可の類が要る
* 中国の暦に修正の要・不要を判断できるだけの暦に関する知見が要る
* 農の営みに慣れている人々ならば、天然の事象の移ろいと照合させたシグナル整理が厖大に繊細に可能だ(カレンダーの類を使わなくても特に困らないし、使うなら使うでそれなりの使い方を工夫してしまう)。
* 暦が含ませる規則性は今わかっているように厳密化の"漸近線"を引ける。その性質について無頓着でいられた集団の営みの中枢では改元とか、その規則性とは合い入れにくい仕組みを介在させがちにした。

いつのころからか遡って、時日を符合させるための資料(長暦)作りが行わるようになる。
現代では『日本暦日原典』('75/'92 雄山閣出版)が知られている。
1880年 内務省編纂の『三正綜覧』
東京天文台天文学者・前山仁郎による宣明暦時代の暦日推算・復元構想('63 中止)。
東京天文台長の広瀬秀雄が前山の構想を引き継いだ。
 内田正男(東京天文台 1921-)が中心に作成に当たった。
 桃裕行、大谷光男、薮内清らの意見
 日本で採用された各暦法の規則
 江戸時代に中根元圭・安藤有益が長暦編纂に用いた計算方法
 列島での最古の暦、元嘉暦が中国南朝宋で使用が開始された年→
 朝鮮半島において日本と関係が最も深かった百済でほぼ同時期に採用された→
 →445年(日本の允恭天皇34年)から
 太陰太陽暦が用いられた最後の年で1872年(日本の明治5年)まで
 1428年間の暦日を記載

 

【江戸時代の暦研究人脈図】
                 [和算天元術]
田中由真←(師匠)橋本吉隆(息子)-(父)橋本正数
  |                  |
  ↓  建部賢弘(推薦人)        |
(門人) ↓               |
  中根元圭⇒(洋書輸入を進言)⇒徳川吉宗 ↓
                   (弟子)
                   沢口一之
                [大阪の和算家]
               著書『古今算法記』
               「翻狂」、「円理」

 安藤有益[出羽、会津江戸屋敷の勘定役]
 ↑ ↑                  
 | |
 | |-(茶坊主名目で招聘)保科正之
 |
(師匠)今村知商

 

連載は続く~ SF 掌編『"高松塚古墳"発掘試行錯誤事例紹介番組の刺激を得て』編


自ら(ということの内実がなんらかの脈絡ゆえに生じ易い思い込みだったり、選び取った生き方ゆえの役柄発想が導く内容だったり、確かさを高精度に検証中の途中経過ゆえの押さえどころだったり)が今時の考えうる"左""中""右"となんらか縁深いことばによってつい説明し易い中味をどうお持ちだろうと、列島が日本を名乗ろうとして、中央集権の試行錯誤に入った頃をなんらか起点と見なすことをちょっとでも認めようとする意欲の持ち主諸氏ということで共通性を持ち合えるならば、列島の当時の住人のほとんどが、混血して世代を重ねた人々でさえその混血度合いが既に様々だったし新規にさえ年々やってくるような時代背景の中で、渡来系の人々だった事実を認めるほかはない。
そこには農業系の、それ以前列島を構成していた性別を問わずモテモテ系だが人数的には相対的に極端に少数だった先住系で出身もある程度様々な人々が既に渡来系との間でかなりの重層的な混血を経て、相対的に(既に農業系ということが由来する)膨大な数との混血の結果ということで、渡来系による列島の人々という実際の様を呈していたことを見逃すことはできそうにない。列島に住みついて後の農業生産生活が更に列島内での人口を増やしに増やすわけで、混血の混血の混血の・・とトンでもない渡来状況を生じていた。
しかも、半島では帝国的展開を(特に唐の時代ではそう見なせる)成して活発だった中国からの先進性を学びつつ心身化もこなしていたから、それが、世代に応じて、先進性の格差として絶えず更新もされ、それが断続的に列島へともたらされるような直結的伝播すら成してしまう半島~列島関係も生じさせていた。
つまり、ある年代に先進性と共に渡来して、影響を及ぼし一目置かれた世代が、遠い親戚関係っぽく制圧して屈服させて住みつく関係以外を達成していたとしても、また新たな世代が更に先進的に改良されたテクノロジーや物品とともに列島へ渡来してくるのだから、そういう親戚づきあいの連鎖、断続としての、列島人口動態を避けて通れない。
押さえておくべきは、つい明治維新以後を生きる教養から左中右を内心意識して、ことばを選びたくさせてしまうかもしれないとしても、列島住民は(人数的極端な優位性からして)渡来系が基本でしかも相当に地域によっては先住民との混血の度合いが強かったり弱かったりの散らかりがありえた、ということだ。
そして中央集権化計画「日本」出発以前込みで列島原住民性をことばとして使いたい諸氏を慮(おもんぱか)ろうとすれば一気に当時の列島の現状、各地で自立的テクノロジーを伝送改良して育てることもしていた集団性ゆえの独立性を見ないわけには行かなくなる。それは各地がバラバラに進展してもかまわないというリアルと密接だ。
列島をそういう観点で押さえて、その後の列島が列島範囲を保って1500年間継続してきたと見なしたいとすれば、余程の偶然でもない限り、今時の中央集権が持続可能にしている助け合いつつ刺激的に積極的に各所が活動も辞さないタイプの普遍的な一面を成していない、別の列島の様として描く必要が出てきてしまう。

諸古墳は渡来系の人々との関連から見通せる、ということに気づける。

山口勝氏が持ち出してくれたヒント(中心は中国だけれど、唐の時代の質的国際性が実(じつ)と見なせる)、列島の政治中枢化をめざす勢力がある時期から、猛然と果敢にその事業に取り組み始めた、対外意識前提の中味の解明、ということを、押さえられるならば、一連の出来事をそれなりに整理可能にする。

体裁が一応整っている文芸作品群とそうでないので区分できることもきっと探索にとっては貴重だ。
中央集権化事業に向けての準備だから、という押さえかたで、たとえばことばの作品群を整理できる。
なんらかの目的のために相当なフィクションを盛り込んで、ことばに馴染んですらいなかったより多くの渡来系混血の諸氏を啓蒙する事業。
今日に伝わる日本書紀がなぜか体裁上不備だ。その形で正規に持ち出されたとは見なしにくい。そこらが現代の研究筋に一応の追及のためのなんらかを提供してくれる。
古事記は体裁を用意できているにも関わらず六国史のような扱いは受けていない。
万葉集も体裁不備で、山口説をヒントにすれば、菅原道真氏が関わって再編修されて、やっと世に出た。今日からは、原万葉集部分から、どういう計画性での中央集権化事業出発だったのかを探る貴重な資料として、当時を探れる。
751年の懐風藻。とにかく急いでいた。そういう事業だった。
"古代ハイウエイ"は暫くして役目を終える。

ちょっとばかり戻って、装飾古墳。(以前、斉明期の石造物と九州のことにふれた)色彩装飾古墳ということでは九州が本場(数的圧倒)。
なにげに、九州のローカル勢力が"出しゃばって性質"を極力隠しきろうとしてきたにも関わらず、時に後の世にはヒント発信となりうる事例を当初の出発地には残してくれていると見ることが可能。
だからこそ蘇我氏とは?について更により具体的にフィクションをノンフィクションに編集替えする必須を指摘してみたい。
権威付けの為の様々なフィクションについてより精度ある解釈を求めることは大局を動かす事例について検証後でも充分に足りる。

征服技ではなく、系譜話を文字ことばをほとんど慣れることなく集団を営んでいた列島各地自立的勢力へ、一定程度の説得力を発揮させつつ文字資料ゆえの脈絡によっていつのまにか浸透させてしまう目論み、ということをいかに探れるか。
文字を使い慣れていない諸勢力という大前提を置くことで文字化した記紀ほかの中でのことば使いの隠しきれない証拠を探れること。文字をあたかも使い慣れているだれかたちであるかのように語ってしまうこと事態が証拠となる。実際に当時文字使いの方で慣れていた勢力が、その当時の考古的証拠として、どの時代にどう文字的証拠を残してきたか。時代区分での統計をとれば、即、大体のことは判明してしまう。
それらと記紀ほかの資料内容から推し量れることがより明確にできる。

少なくとも九州・近畿の考古遺跡、資料の年代確定について、現段階の精度を踏まえた再調査と確定が要る。未知か既定のだれらと関係するのかなど具体的に。
古墳テクノロジーとともにの渡来系世代とその趨勢に乗った先行して渡来して列島に住みついていた人々との絡みを古墳調査から学べないかどうか。

日本書紀万葉集の既存の"確定値"に引っ張られないように注意しながら、成立時期をより絞り込む必要と、資料内の製作者たちが抱いた計画内容に沿った記述を読み取れること。
無かった集合性を新たに形にする意欲を伴っていたはずの計画内容としての解明(その際、かつて山口勝氏が指摘していた対外意識の辺りを今日の探る根拠としてふまえられるかどうか試される。唐という集団の営みの実情の独特さ及び列島勢とより濃密だった中国系勢力という辺り[ここらはNHKシルクロードを作った関係者が既に気づいていたように交易系人脈が相当に関わるし、より具体的にもヒント発信していてソグド系がゾロアスター教で列島系は仏教の担い手でもあり交易業務もこなす人々のはず、ということになる。昔の仏の担い手諸氏は諸芸の達人たちで今日と違ってむしろ稼ぎ手でもあり(今日に置き換えれば)税を沢山納めるタイプたちと想像できる]を浮かび上がらせられるかどうか)。
当時の求心力を意識できた相当量の列島在住の人々は知らず知らず当時の東アジア圏を抜け出る規模での世界意識を共有できてしまえていたことなどは、既に山口氏がことばにしてくれているけれど、更に当初の出だしの時期の熱気として、しかもその後の列島史の中に知らず知らず浸透して今日をも支えているかもしれない世界性など探れないかどうか。
そうやって大げさに見えるしかない世界性を人生にするしかない世の中とのかかわりを持ってしまうある種の人々を忘れないようにしながら一方で、土地土地と会話しながらだからこそ可能な熟練した生活テクノロジーとともに今日までありえた生活の形の変遷という実際、リアルを、区別的に炙りだしながら、しかも、人的交流のあり方の変遷ゆえに巷での生活人が世界性との交流抜きには発想が成り立たない人々も混雑的に多々生んでしまう近代への過程というような理解も可能になる。

はじめから全体把握するクセを身につけていてそれでもって事象を探れるだれかたちだったら苦労はないのだけど、要素の持ち方を膨大な努力によって工夫できて、なんとか要素合成手法によって足り無すぎなヒトの能力(そのごく一面に限って相当な力量を発揮する計算機に今はハッタリ程度に驚かされているが、限界にも本当の所は気づいていて経済産業政策意図を一応優先させている時期。実際、翻訳の力量は各国版で英語と同等になれば相当に母語的な受け止め可能ということで使い勝手は良いし、その不可抗力のヤバさとともにのところを忘れないように)でおぼろげな全体像に迫る個別対処の制約をことばとして意識できるようになっている昨今、だけど全体を一挙に把握できて個別性に対処可能な想定的だれかを軽く見なす傲慢をつい潜(ひそ)めてしまう現代のヒトという困ったあり方をできれば早めに反省できて、事象と向き合えるようにできるかどうかも、時代の制約を踏まえての未来対処には不可欠なはず、と素人式にまとめたい。

 

ちょっと付録
金木犀(キンモクセイ)が二度咲いた 9,10月。そして近くの用水に大量の鯉が上ってきた今年の春以来の秋、少ない水量の水路で顔が丸見えだ。初秋だからルコウソウが咲き乱れ(ただし実際のは普通ので当方がイメージするのは羽衣ルコウソウ(葉も花びらも特徴あり)の方なのですが)・・・。ということで川柳。

金木犀
今、鯉の顔
ルコウソウ

お粗末・・・・・。

 

連載は続く~SF掌編『ちらっと浜離宮庭園のコスモス群生を見ていた』編


歴史知賢にしろ、原典の"翻訳"版にしろ、文字面(もじづら)を撫でていることに気づけずに時間をついやしてしまうようなことも起こりがち、と素人的なことをつい言ってしまうのだけど、そこらを時々避ける意味合いから、観点を少しばかり変えて言及するタイプの本などに目を通す。
今回は、文庫で沢山出てもいる竹村公太郎氏の著作『日本史の謎は「地形」で解ける』(PHP文庫 '14)。
その第6章、第7章、第16章を参照、引用したい。

 第6章 なぜ江戸城の「天守閣」は再建されなかったか
 第7章 なぜ勝海舟は「治水と堤防」で明治新政府に怒ったか
 第16章 なぜ日本文明は「海面上昇」でも存続できるか

幕府とごく近い岩槻藩の城にも天守閣は見当たらない。
その理由は調べていないので、安直な素人類推に過ぎない持ち出しではあるけれど、明暦の大火のあと、天守閣は再建されなくなったとウィキペディアでは紹介されている。
竹村氏の指摘から、保科正之氏が相当な支えとなって、そういう方向をやり方として選択できたことがわかる。
保科正之氏の人生についてはテレビ報道などから多くの諸氏において当方よりも多くを知っておられると見なして、ざっとふれると、後の初期大奥での大人物が密接に育ちと関わっている。
その後にかの更に有名な春日局(斎藤福)氏が影響を発揮する。

保科正之氏はその大奥の大人物との繋がりから武田氏ともそれなりにつながる。
こう持ち出してしまうと治水と話題にした場合、古い知識のままの諸氏においては一定の先入観を呼び覚まされることになる。でも、今やネットでも信玄堤についてはそれなりに検証されている感じで紹介されている。ここらは一応押さえてもらいたい。
勝海舟氏が仕事していた幕府の長年月がもたらした堤防については竹村氏の指摘によると、今時見慣れた堤防とは相当に異なる。
それにはそれなりの理由があって、氏の指摘から2点引用。(p167)
①少しでも水位を低く保って堤防にかかる水圧を抑えること。
②堤防の基礎側からの水の浸入を防ぐこと。
具体的にどうしていたか、その結果、今時の景観とどう違った様だったのか。
今時の洪水のとらえ方が3つネット上で紹介されていた。
堤防を超え出てくる。
堤防にしみ込んで、最悪の場合、部分的に崩壊させる。
堤防への水圧によって堤防そのものを部分的に壊してしまう。
発想に違いが既に生じていることに気付かれるかどうか。
旧堤防の形跡を見ることのできる利根川堤防を解剖したときにわかることも竹村氏は紹介している。(p168)
(江戸期は)堤防の基礎にあたる部分を掘り下げてしっかり固めている(水圧に耐える仕掛け)。
更に堤防を2段構えにしている。
川の流れに対して内側の堤防は低い。大変な水量の時には越水してしまう。またそうさせることが目的にもなっている。
第二の外側の堤防との間は水田が広がる。ここらの指摘で、今時だとすぐにピンと来られるに違いない。
田畑は全滅状態になりうる(しかも列島環境では収穫時期とか収穫前の大事な時期が台風や大雨と重なり易い)。そこで、竹村氏の指摘では江戸期はその部分の田畑は無税扱いされていたということだ。
明治政府はそうしていない。そこも勝氏は怒った。動機付けほかにまったく欠ける。
江戸期の蓄積が伝承されていない"頭"の持ち主を想定できそうだ。
古いことも知らないで、ただ新しいことというか思いこめていることを成した勢力というのに近いようだ。
第二の堤防が決壊したらどうしょもないので、とにかくそれは頑丈に作ることが求められた。
今の利根川関東平野の周辺の流れ。中の方となると荒川水系だ。
昭和の30年代頃までは堤防の重層作りを(部分的に)振返れる。(川筋変更とか明治以後の変化は進行していたのだけど)
宅地化のためか急激にその姿は変わった。
とてつもなく水位を上昇させて堪(こら)えて、それが我慢しきれなくなって洪水となれば、その際生じる水の勢いは近場では相当なことになりそうだ。そこらも江戸期には気を使っていたわけだ。
病院が公私に関わらず公的性格を持つように、水田農業の担い手諸氏においても、公的性格を自覚してもらえる誘いくらいは働かせていた江戸期を想起させる。
そのことで食糧事情が一気に悪くなってしまう、ということにならない程度の余分生産が各農家で可能になっていることも重要だ。

農業生産となれば環境条件で左右されやすい。気象条件の変化はかなり影響してしまう。
昨今の話題は人為による気象変動だ、ということになっている。
竹村氏もその線で工学系っぽい操作を駆使して推論されていた。
p343の図を是非参照してもらいたい。今日の状況について所説芬々(しょせつふんぷん)な感じだけど、それらに惑わされず、長期趨勢のどの辺りなのかを一応押さえやすくしてくれそうに素人は受け止めた。
(新参者はつい)「ちなみに」(を口にしてしまうようだ。)この図は国立極地研究所が提供したデータを国土交通省河川局河川計画課の若手諸氏が成した。(p343-344)
グラフを頭に置きながら、竹村氏の計算を参照する。
(核エネルギー系蒸気機関の)原発は(電気を起こす)エネルギー変換のために大量の水を温水にして流し続ける。その温度は7℃だ。それが絶えず流れ続けるし、大量だ。
世界の電気を大量に食う諸国で大量に原発が稼働している。
当然海水温度は上昇する(はず)。希釈されるから・・、という科学者からのアドバイスも得ているようだ。
それプラス、石油とかの大規模な発電と関わって出る温水。こちらも大量だ。
合算すると多分・・と竹村氏は指摘している。(p352-355)
ここらは元になるデータを調べる力量の持ち主諸氏においては、残るは簡単な計算のみ、ということで、かなりの精度で自らのデータを持ち出せる。
石油消費から電気への生活パタン変化を促す理念先行はどうも上手く行きそうにない。
電気に依存する限りで、安定した生活を望むならば、温排水とともにが限りなく続く。
不安定だし、極端な変化ゆえに経済の営みを破壊しかねない代替(発想)系依存は、当面は無茶な代案ということになる。
(核エネルギー利用の仕方は他にもあるけれど、今時はこれ一辺倒なので)原発に傾けすぎて、逃げ場を失うのか、石炭、石油を上手に使いこなしていくのか、大量電気消費の生活を手放したくない諸氏においては、無難な線と可能性を考え続けるための猶予を得る条件ということになりそうだ。

発想の方向が凝り固まり勝ちかも、と少しでも冷静になれるようなら、昨今のワクチン騒動にもそれなりのオルタナティヴ発信が活発であることに気づけそうだ。
たとえば、人の動きが万が一、大量の感染者を生じさせてしまってはということで心配する。例外的な事象に注意してさえいる。
なのにワクチン接種という事態については意外に大雑把でやり過ごして、接種することにのみ関心が行きがちにしている。知識たっぷりなはずのマスメディア系諸氏においてさえそうだ。
ワクチンは万全ではないですよ、と質問の硬直性に政治家諸氏は苦心して答えているのが今時の熱狂だ。(ワクチン接種強引派と見なされがちな野党勢だって、政治家頭だから直ぐにピンと来て、無茶言うなとまではことばにしなけれど、ワクチンが全て解決するわけではない旨くらいはことばにしている。でもマスメディア部門勤めの問う側はそうはいかない熱気を帯びてしまっているようだ。だからリアルにはわけのわからない質問を平気で投げてしまう。ワクチン接種達成率をどう上げるつもりですか!!!!など)
ワクチン接種証明でオーケーで、集まった人々にクラスター発生、はもう政治家諸氏のせいではない。マスメディア部門の煽(あお)りだ。政治は”世論”の姿を取る要請には(質量はともかく)応じる。
重症化を避けるからしないよりはした方がいい。仮にごく少数それで亡くなることがあっても、という観点とは別観点が可能なことに気づけないと、そうなる。
インフルエンザという強烈なのにヒトの世は下手なりに対応してきている。そこに自信を持って、急かせない対応でいくことが必用な時期だ。せっかちになっては判断を誤る。
そしてヒトが成してきたことを振返る、観点の置き方を世の知見から得ることも出版だけに限っても上記のように可能なわけだ。

連載は続く~ SF 掌編『木組み住宅』編


その昔、夢のような生活をしていた人々のことを思い浮かばせる。

今の岐阜を旅するテレビ番組をBSにてちらっと見た。
一辺が4,5間(1.8m×4ないし5)は少なくともありそうな、石の台の上に柱を立てるタイプの住居が紹介されていた。
土地の農生産を監督する担当たちがそこを拠点に働く所ということで、広い地域をその住宅を移築しながら移動して監督を続けるということだった。

移築可能な建造物となると、一応、木造で3つの条件を満たしていればそれが可能とのこと。

木組み、土壁、石場建て

仕組みさえ理解して、組み立て、解体に慣れていさえすれば、修理しての移築も含め、簡単にできてしまう。

宮大工系に限らず、基本のところは、伝統建築として、列島においては大工諸氏が伝承して普通にこなしてきた。


海外生活事情を紹介してくれるテレビ番組には馴染んでいる今日この頃だ。
モンゴルの遊牧系の人々が住居をたたんで移動する。
たたんだのを展開して住居にする。
丸ごと持って移動できる。

列島にも、恐らくは半島経由でやってきた人々の中に木組み細工を得意とする人々が居て、その人々は、住居の素材を材木から木工仕事で作って、持ち歩いていた。担いでというほど小物ではないので、多分、荷を載せて運ぶ道具も作っていた。
そのうち遊牧して生活する人々ならば、季節とかで移動を繰り返していたかもしれないが、列島にやってきたのはもう少し定住に近い形を既に繰り返してきた人々がぐっと多かった。

礎石も持ち歩いているならば、それにそう長い期間同じところに住み続けていなかったとか、小規模とかで後の世の中で、考古学が栄えたとしても、その痕跡を見つけるのは余程意識的にしつこくしないと無理だった。

そんなわけで後の世の歴史からの関心のことなど心配することも無く、環境変化に応じるとか、世の趨勢に応じるとかで、手軽に移動生活を堪能できていた。
必須の生活技術だから(性別に関係なく)子供たちもかなり熱中して木工、木組みの技を身につけてしまった。
そして道系が中央集権利害で整理される分野から少しでも外れていれば、伝承的に無茶しない思考の伝承系を支える生き物たちの中での共存可能性に関わる膨大な知恵を更新しつつ世代間・世代越えでの学びもこなしていた。

そろそろ移動だよ、となると、木組み完成品をばらす順を各自が想起して、作業にかかって、いざ組むときは、のことを考えながら部分部分の作りを点検しながら分解、そして組み立て易いように、ばらした素材をまとめる。
荷にして移動。
移動先では、早速荷をといて、完成像を想像しながら整地、礎石を配置。
柱だなんだと、組み立てていって、ここらもどこをどういう順で、どう組みなどお手の物。
土壁作りは、仮りの宿で一夜過ごして翌日の天気次第。

昨今では、勝手に土地を占有して我が家とするわけには当然いかない。
とはいえ、素材で可能な建物を構想してからそれに合わせて土地を得て、そこに移築することは手順、木組み、木工、左官仕事に慣れただれかたちにとってみればお手軽な仕事なわけで、どうってことない。

列島の義務教育期間でも1970年代前半くらいならノコギリやノミすら使う教科が行われていた。だから基本発想には木組み工法が控えていたかも、と想像したくさせる。

一応時間がかかる手仕事なので、生活費のことを考えると、双方から制約が生じ易い。
生活のために稼ぐ。少しでも収入が多いほうが良いだろう。
世の中はいつでもそう高収入な層は多くない。そこそこがもっぱらだから、費用を節約できるところはとにかくそうしてしまう。
自らの方向性からする制約。
他所から向かってくる制約。
手仕事だからという”付加価値”稼ぎもできたりできなかったり、そこらは風まかせにしがち。
すると数をこなさない単価の安い仕事は生活を圧迫し続けてしまう。後継者を生みにくくする。
そういう生活の形以外も容易に想像できる。
稼ぎは別。自分の嗜好の中で、仮に時間を持てさえすれば、資金がある程度ありさえすれば、木組みの素材だけ準備できてしまえば、なんとかできるはず・・・、となる。
多少老いても木組みの際に苦労しなくて済む程度の素材の大きさ、重量でできる建物を構想できれば、一生ものというよりは、世代を越えて、使い続けられる可能性を秘める。
木を組める。素材の劣化を修理して、基本素材にできる木工技術も一応習得できている。
ならば、部分部分の修繕もお手軽に、”自分ち”を比較的気軽にメンテナンスさえ楽しみの一つにして使い続けられる。分解するような目に合っても、ちょっと修理して、木組みするだけで再生だ。


この知見を継承することなく建築基準法が作られて、リサイクルには向かない建て方の一つ在来工法ほかが継承されているのが現状。

列島における建築史をネットで調べると、591年建立の法興寺が出てくる。
発掘調査から三百m四方の敷地に独特の伽藍配置を持つ寺であることがわかっている。
当初のとされる立地場所が最初のはずがない、と「列島古代の歴史」素人は考える。
半島で八百万発想が整理されて氏神よりも総合的になってしまった神を拝む系になったのを担ってやってきた渡来系の時期以後とそれ以前の八百万発想の先住民からも素直に学べて世代をかなり重ねた渡来系世代とのギャップも生じたろうが、半島での熟練技を持って、しかも列島の各地でさんざん試されて、ある時、なにかをきっかけとして近畿圏へも移築移動して、根城にした人々もいておかしくないが、それも親戚筋の誰か程度のネットワーク性質と察する。
突如、伽藍建築の新築が現れるというあり方よりは起こりうる事態と伺える。