連載は続く~SF掌編『311ということで』編

介護を始める際、入れ物作りにも注文を付けられないと、その後の不都合に通じやすい。
今時の建物屋はついこの間までの職人とは相当異なり、安かろう悪かろうでも構わない感じだ。
だから作る初め、そして途中で、いじって実際の挙動を確かめながら注文をハッキリ言わないと、手遅れになってしまう。
ついこの間までの一般にすら、たとえば引き戸がゴロゴロ動きが悪いと思えば、その通常の状態を想像して、手を加え、見栄えは職人とはいえなくても動作上の円滑さは工夫して見せたものだ。ところが今時は、プロフェッショナルたちがそういう配慮を欠くようになっている。だから終の棲家ともなる介護施設の入れ物作りの段階から注文を付けないと介護の質が保ちにくくなってしまう。
ついこの間までできていたのだから、ヒトの能力がどうにかなったわけではない、何かしらが影響して(細部へのつめのところが)面倒くさくなっていると想像させる。そこに期待も可能になる。
さてそういう入れ物が準備できたとして、中で働く介護職、その他の職種がどう関わりうるか。とりわけ直接関わりやすい介護職はどうか。
何かしら勘違いして、人間関係がストレスで長続きしないと言うことばの理解が、ごく内輪の介護職間の人間関係についての良好かそうでないか、で受け止めるような介護職志望の人々の集まりだと、これはもうその先が見えてしまう。介護施設の体はなしにくくなる。今時、当方が働く事業者でも入居者を軸に考えるような指示くらいは当初に提示される。でもそれを忘れたり知らんぷりもできないわけではないから、ごく内輪の人間関係に注意を注ぐような人々が参入してくるということも起こりうる。
通常は入居者の個々の状態に即して介護内容を工夫していく、だから試行錯誤の要素はいつでもついて回る。ここらは逆に各関係者諸氏の理解が必要なところだ。
けれども、平等を試行・志向する世の中において、個々の事情に鑑みてで介護職の内実を埋めていこうするタイプかどうか、はストレスの多い職種ゆえに、露骨にその姿として表に現れやすい。ここらは何度も指摘してきたことだけど、また言ってしまう。わが身にとってはとても(介護を)任せにくいという個別対応を億劫がる方に 流れやすい。人をそう見てしまうことは実際困ったことなのだが、介護職の現場はそこを露骨にお互いに見せ合ってしまう。かなり”厳しい”職場だ。オトコ性、オンナ性で(内輪関係の)相手に忖度を促すなんてことがそもそもの所で不可能に近い現場だ。本当に露骨に表に出し合ってしまう。プライベートにはちょっとぉ・・・めいた。
でも個別対応の慣れに馴染めれば、特に難しいわけではないことも事実のようだ。
データが溢れる。介護職にも個々性があるから、覚えやすい分野もあれば、つい虚ろにしてしまうデータ群もある。それでも必要だからと覚えて業務をなんとなくそつなくこなす。けれども、大抵、そういう場合、 個別性の個々性を面倒くさがる方にその作業日常は誘いがちにする。生々しく、一応のデータを踏まえつつ、その場その場の変化を見る時間とか待つことに慣れることも、個別対応に向かわせやすい。そこを待てないと、つい、の方に向かわせてしまいがち。すると、もう施設のムードはそのノリで作られがちにする。そういう施設になってしまう。
旗振れど・・・。ここらは施設経営をめざしたものの、要素的準備がどう可能になるか、準備不足でも仕事しながらなんとかなるか、など進行中の列島介護の様と重なってきそうだ。
建物をしっかり作り、事務作業のルールとか書類書式、置き場の定型とか、運営の前のきちんとした整理ができていれば、事業が回り始めたとして、介護職のその他についての負担がかなり軽くできる。そこを怠ると、余業として、それらを知ったかぶってこなすために更に煩瑣にさせかねない。
そこらをクリアできて、実際の運用となった時に介護職は食事・排泄・入浴とお世話に当たる。その場の作り方(安全が指標になる)、仕事の手順など、介護の世界は経験から多くを整理して換骨奪胎してかなりの(スリム化した)成果を得ているから、経験を積んだ人々の知恵が物を言ってくれる。そこらを強引に省いて、試行実験での確かめ抜きに思い付きを試すなどが生じると、施設の介護の質がそこに止まってしまう。
以下でマニュアル依存については批判的なことを指摘することになるけれど、ここでは、一応、経験から引き出された煎じ詰めた介護の方法についての具体像はマニュアルにできているとよりだれもにとって参照しやすい、と指摘しておきたい。介護職個々の広く体調と関わるお世話だから、同じ形の技で対応しろということは無理な職場だ。どういうやり方が介護職個々にとって無理なく入居者にとっても心地よくが可能かを個別対応できることはよりよい施設運営を生める。
今時は体についての知恵も沢山提供され、どれがどうかなども検討されてきているの で、ついそれを応用したくさせる。そして実際の場となると、すでに思い込みをしっかり身に着けて(体の方から動くような状態の)お年寄り諸氏だ。つまり、そんな取ってつけたような知識を押し付けないでくれ、と言ってくれれば未だいい方で、迷惑がって、介護の関係が壊れかねなくさせる。そういう難しさが控えている。
老健ならば、心不全系ほか水分摂取についての管理が細やかに可能かもしれない。けれども、医療系発想の制約で介護現場を狭めかねない。精神科の薬がお年寄りの弱体な体にどれほど影響してしまうのか、もっとリサーチが要る時期に来ている。
ここらは介護職の生々しい現場でのひとこまとして生じやすいのではないか。
そして施設経営となれば、必ずついて回る。どういう方法で対応できるか。準備できることだ。
事は列島のお年寄りにどういった晩年の中・長期間を提供できるかと関わる。
介護職はストレスにさらされるから、ひょっとしたら施設のお年寄りが長生きして、介護職はバタバタと・・という生々しい過渡期だってありうる。
でも先のように入居の諸氏を含めた人間関係での円滑さを試行・志向できれば、それこそ悪性ストレスよりはやりがいにつながるストレスに溢れるとも指摘可能な職場だ。


さて話題は一転、BSテレビにて二本、一本は『大江戸炎上』。もう一本も舞台は今東京となっている地。『東京大停電』。311ということでか、そう番組がNHKでも放送されていた。
今の被災東北はどうなっている?ラジオ放送によれば山田洋二氏へのインタヴューものだったのだが、未だ途上とのことだ。9年間もたって、そうなのだ。大変なことだ。たまたま午後に、街灯テレヴィっぽいので、その東北の地でのカフェを生放送交えて紹介していたのだが、そういう人々がちょっと集まれる場が結構作られ始めているという。
原理的な民主主義は成り立ちにくい、ということを暫定的に指摘しておいて、すると人々が寄り合いある種のゆるやかな合意形成に慣れている状態は良好な意思決定をしやすくさせそうに思えた。
一方で、断じてこうする式で、不特定多数の膨大な人々の生活に関わる事業を指揮していかないとどうにもならない要素は、身勝手ではない発想で持続される必要を指摘できる。
ここらは前者『大江戸炎上』の保科正之キャラが紹介していたように受け止めた。
二点目立つことを指摘していた。両国橋の効果。天守閣を再建しなかったことの効果。これは当時の決断としては保科氏の立場の偶然が可能にしたかもしれず、かなり困難なことをやってのけたように指摘されていた。
寄り道になるけれどまた他で以前ふれているのだけど、ファーストネームなので呼び捨てしてしまうが、秀忠、家光の流れの中で徳川資産を相当量散財した。特に家光の代。ここらはほかも含めて江戸もの、それも粉飾系のではないタイプのを読んでもらえば簡単に知れる内容にすぎない。
そしてある種のLGBT先駆でもあり放埓だったかもしれない家光とその頃の幕閣というのか取り巻きの有力層の発想は既に戦国を終わらせる、平穏への過程をなんとか安定させようとしていた。だからこの番組での松平信綱氏と保科正之氏のふるまいはもっと周囲の応援があったはずと想像でき、番組とはもっと様相を異にしていたように思える。
案を決定に向かわせる過程での筋道を作りやすくさせる効果狙いでの役柄の演じ分けとかそういう工夫が歴史記録上に残っていてもおかしくはないのだけど。
大奥のこととかとにかく藤原氏系貴族層の底流からの働きかけは持続中のはずだし、キリシタン排除の一方で、西欧知見をもたらす脈も持続していて、ここらは足利学校も含め、国道50号線のラインの地域の不思議からもある程度想像できる(博物館的歴史遺物など)。
平城が西欧との出会い由来としたら、山城については百済がかなり影響していたということを2月刊の岩波新書律令国家と隋唐文明』のまえがきから知った。最近に至って、かなり山城についても実際がわかる現物を探り当てているようだ。興味をそそる。
西欧の城の”天守閣”発想を止めにする促しも西欧脈を関わらせて可能にしている不思議。
江戸の住まい方についての番組での紹介から知った工夫(ある種の身分混在)。そして上下水道
ところがより欧米発想を濃くする関りの第二期、明治の出発に当たって藩だからこその地方自治=自律圏の実際的可能範囲を広げる方で国造りして、えらいことになってしまう。
タウンミーティングからある程度まで範囲を広げる民主主義決定過程を成すとして、それはそこそこの地域的広がりに限られるはず。リーダーが誰とも知れず、行政の担い手もほとんどどこの出でどういった義務教育時代だったか知らないだれかたちが担うなんて言うことは民主主義の実質を保つ上では、ヒトの事態としてはありえそうにない。生前の一年間は遥か遠くのことにしてしまうヒトのくせを思い起こそう。
国民国家を選んで、民主主義を、という場合は、その制約に目をリアルなところで向けて、その制約を踏まえた代案で営まれていることを世代ごとに学び直していく持続性が要る。さもないと勘違いを出発点の改良に走りやすくする。
国会議員のほとんどは得体のしれないだれかだ。数を少なくすれば、なにかしらワイドショー的にわかっただれかがしかし得体のしれない本性でもってことを成しやすくしてしまう。ある程度、考え方の多様が反映される牽制し合える人数(場)が要る。もちろん、敵対的な関係で議論は(ことば性質の)原理的に成り立た ない。形式的勝ち負け議論=ディベートに陥る。(それと日常的熟慮が可能にするタイプの、ショートさせられるオルタナティヴな経路も欠かせない)
そうは言っても災害は待ってくれない。
東京大停電は現状での制約をある程度率直に紹介してくれていた。
停電。今時はとにかく電気依存だ。勝手に木々を伐採して燃やせる環境にいるなら、それを燃やす代案も可能だけど、そうでない人々にとってはその人々の準備次第だ。
まず医療現場が大変になる。電気利用の医療機器で命をつないでいる人々を直撃する。
水を巡らせるのに電気を膨大に使っている。
交通渋滞に加えて信号が機能しなくなる。管制のない空と似てくる。好きなようにぶつかる。はじける。相当にヤバイ。
停電時用に自家発電装置を結構用意しているそうだ。けれども、数時間とか容量が長くても3日間のような考え方で準備されているらしい。奥田・坂本知見では一週間だ、電気の開通まで(神戸の経験)。
基幹部分についてはどうやら3日程度で回復できるらしい。でも全面的に生活圏に行きわたるのはその先のはず。
基幹の工夫は発電装置・充電器を移送すること、そしてそれをできること。それが滞るケースだと、事態はそういかなくなる。
だから通信についても基幹が通じている場合は停電回復も思った通りの工夫で緊急時の訓練がモノを言って、になるけれど、通信が一般同様に使えない事態になると、かなりのことになりそうだ。
そして今は物流も大手は品物分別・梱包が自動で相当な速さを確保して現状の物流量・質が維持されているので、それが停電によってできなくなるということは・・と、人力といってもシステム設計上省人力の既存少人数での力作業での物流確保はとてつもない作業となって、物はあふれているのに届けられない、ということになってしまう、ということを明確に紹介してくれていた。
いざというときにヒトがなんらか”正義”のもとに集まれるかどうか。東北ではかなりの線でそういうことが一時ありえていた、とかつてニュースでは報じられていた。
そもそもの発電機能回復については、遠隔操作のための通信網というより、電話的な会話通信での他所との融通の可能性を探ることができるかどうかにかかってそうだった。
それが可能で、水力発電を起動できるならば、そこを起点(種火とたとえていた)に、少しずつ延長して中枢へ届くようにできる。それがどうも3日かかるということらしい。
停電後、電気が止まって困った現場には水道水が届かなくなる。冷暖房も使えない。IHや電子レンジ調理もできない。冷蔵・冷凍貯蔵も効かない。充電して使うタイプの機器は追々使えなくなる。
素人考えの代案をいくつか。
まず医療面で電気たよりのうち糖尿病のその先の症状のために、という場合、その人数を極力少なくする上で現状糖質制限食は役立つと思える。透析必須の症状まで行かないようにできる有力な方法のはず。更に無理な働き方、生き方をしないで済むようなお互い様にしていく。少なくとも列島環境ではそれが役立ちそうだ。そのことで万が一の事態でも不必要に電力を使わないで済ませられる。その分を他に回せる。移送も必要なくなる。その余った手を他に向けられる。医療費上も他へ向けられるようにする。
災害時・大停電時に渋滞を避けられないような交通事情が日常のことにならない交通への代案が要る。センサー付きの個人交通手段が滞った状態では定点カメラっぽくしか使えない。渋滞しやすいごく限られた地域のみに膨大な車載カメラやセ ンサーがあっても事態の全体把握にとっては部分の(無線ネット経由)データ提供しかできないことになっている。そういう環境にはおそらく街頭カメラの類が多数設置されているだろうからダブルだけとも想像できる。
(燃料・電気を得られている前提で)ドローンが大活躍しそうだけど、(精密機械のような)凄腕をどのくらいの人数育てているのかどうか。
停止して密集した自動車の上を傷をつけないようにしかも適度のスピードで移動できる柔軟な装置ができているとして、それはどのくらい配置されているのかどうか。(消防、救助、運搬に使える)
映画『ブリット』のデカ(刑事)のような生活だと物流回復問題からして相当に危険すぎる。
スティーブ・マックイーン氏演じる刑事は仕事が長引いて朝帰りだ。近所の店で冷凍食品をまとめ買いしてレンジでチンして食べていた。そんな蓄え方だと、万が一の時に刑事の役柄をこなせなくなる。お腹がすいていらだちやすくなってしまうかもしれない。
だから物流の方にもなんらか工夫が待たれている。たとえ大停電自体は局所的であっても、先の紹介の如く、あらゆる場面で滞りがちな状態が生じやすくなってしまう。他が無事だったからそれを移動させれば済む、というふうに行けばそれはそれで良し。ただ停電がはじまるとそう思うようにはいかなくなってしまう可能性大。そのときでも使える、食べられる、飲める状態の物品をただ”腐らせる”のではなく、なんとかしたい。最低限、ずるしないヒトつながりでなんとかできる。その場合、かなりの人数で可能になることと、なんとか集まったからできることでは質量ともかなり違ってきてしまう。そういうことだ。

律令国家と隋唐文明』で著者は、占領下の、とは言っていなくて、攻めてくるかもしれない防備上の心配が相当だったのでは、という前提で話をすすめようとしていた。
でもその前提であっても、事例をさぐって、占領下仮説の発想からの論もより詰めていくことで、落ち着くところに落ち着ける事実が見えてくるのでは、と期待している。
元寇の時は列島に住みついた大陸系、半島系の人々も含めた人々がより合理的な通貨のしくみを採用するタイプの元の近づきと直面していたし、隋唐の頃の近づきとは違っている。
隋唐の時には明らかに百済と それを助けた勢力にとっては明確な敗戦で、占領すらされた。それを九州王朝も成立していた説ならば、占領域の取り方次第になるけれど、本州域からの出張説を採用する論ならば必然的に本州域権力にまで地域的占領の事実となる。これから攻められるかどうかの連絡網の問題を解決できれば、列島の広さから無茶苦茶な時間は要さないことくらい気付けることだ。
限定的六国史編纂の史実と合わせて、占領的ムードとその解消の時期位はそろそろ明示してもらいたくなる。人脈問題も含めて(九州系、百済系のうち占領を受け入れた脈、あくまでも抵抗し続ける脈(逃げていられると勘違いしていた脈)、それと占領から相対的な独立を目論んで日本を名乗り出した脈をもう少しリアルに)。


探偵:長いよ、長い。年寄りには長すぎて、覚えてらんない。
君:そうよ。不親切。
私:えっ。キミ迄・・・ぐすん。
君:コミックの吹き出し要る?
私:気付いた?つい。ぐすん、なんて、ね。
探偵:おい、おい、俺にゃあ、いったいなんだか、わかんない、ぞ。
私:ドラマみてないの?最近。
探偵:見てるよ。その話、して、いいの?
君:あら、探偵さん、少し、うれしそう。
探偵:そ、だよ。うれしいもん。じゃ、話す、よ。少し。
君、私:お願いします。
探偵:オックスフォードの街をグーグルの地図で見たんだ。モース刑事の舞台だから。そしたら、意外にこじんまりしてるんだ、ね。そこで、ドラマのような事件が起こってるってのは、ちょっとばかり不気味だったな。
君:こじんまり、って、どのくらいの、こと?
探偵:列島の駅周辺がかなり賑やかな街、くらい、かな。
君:ふーん。
探偵:で、ルーサー刑事の舞台はロンドンだったな。ロンドンはでかいな。街の規模。
君:で・・・。
探偵:BSNHKの14回目のエンデバー、 ね。モース刑事オックスフォードの事件簿、のこと。エピソードに前回を受けてだね。モース刑事は警察組織内部のだれかたちから邪魔にされて昇進試験の答案用紙を紛失されたようなことが出てきた。洞察力がより問われる職場だからさ、通常なら上層に目利き人脈が機能していて、そういうことにはならないよ、な。 だけどオックスフォードあたりではそういうことになってしまうらしい。こっそり間接的に手助けするような脈が育っていない、って感じかな。
それはともかく、マイケルマン氏も関わっていたマイアミバイス、あれがNCIS:LAの潜入捜査と同じで、潜入捜査官の二人が主役だったって、気づいたよ、今になって。普段居るところが警察と気付かれないなにか別のことをしているところだ、って。そういう作りだったんだね。・・・。あんたさっき、介護施設のこと愚痴ってなかった?
私:ぐちに聞こえた?そう受け取られると・・・そういうつもりじゃないし。
探偵:グッドドクター米国版の第二シーズンをDLifeで立て続けに見れる、ぞ。でわかったことだ。連中は相当に熱心に仕事に取り組んでいるね。その基本的 なところは、それぞれ医療関係者間で共有できている。それを前提に出発できる。そういう感じだな。それに照らして、それぞれどう取り組めてるとか問いかけられる。そのノリだからこそ、ミスが生じても、ぎりぎりまで試行錯誤してのこと、というお互いの受け止め方も可能になる。
凄いね。そういう組織。技量も専門的水準を確かめ合って、それをクリアした医師だったり見習い以後の連中が医療に関わってる。参考になると思うよ、介護のあんたにも。
私:今度、見てみるかな。
君:見てなかったの。話、してなかったっけ。
私:・・・・・。
君:たまには・・、3人で・・、散歩がてらお茶しません?
探偵:あんたには、2人の散歩が楽しくてたまらんきょうこの頃、なんだろ。
私:図星過ぎて、答えにくいよ。意地悪い年寄りだ。
君:言い争いも散歩しながら、ね、さ、出ましょ。探偵さん、大丈夫?
探偵:いいよ!(カラ元気っぽく)
私:もちろん、ボクも。
君:なら、行きましょ。ふふっ。