連載は続く~SF掌編『コロナ騒動へは対処可能な面と線』編


何にしてもうっかり忘れて焦らせる事態では、その忘れた先に基礎部分である衣食住の領域を見ることになる。いっけね・・・で気づいてもすでに遅い。
コロナ騒ぎ(いわゆるCOVID-19の線、より原因を探るには一方にSARS2ウイルスの変種が”鎮座”する)が何をどう慌てさせて、人々にとって知らず知らず不都合の種を撒き散らされることになるか。
その程度だったら素人も思い浮かぶ。
で素人ついでに、どう慌てないで済ませられるか、サヴァイヴァル知見を列島出版は活発に対応していて、よりハードな内容も含む軍事系の資料まで(日本語で)手軽に読める時期を招くまでになっていることも参照しながら、ちょこちょこっとふれてみたい気がしてきた。
まず数の問題ではまったく慌てる必用無し。
もちろん、医療現場の大変さ(いつでも<すぐに使えるという意味に限定して>資源には限りがあり続ける)を考慮すべきだ。ただそこを経由する前に、先に整理できた方がよいこととして提案してみたい。
PCR検査の弱点とも言える性質を逆手に取った東大先端研仕込み(かもしれないし研究者氏ご本人の閃(ひらめ)きかもしれないし)のアイデアが実際に活用されていれば、患者数はかなりの数を実質落ち着くまではじき出す。
で、そこで慌てては折角のツールを使い損ねる。
なぜフィルターに使えるかを想起して、ヤバ系の広がりに繋がらない起点をかなりの実際的時間内に探れる一つの手段と出来る。絞り込み方もシンプルに数学を使って多くに合点がいくようになっている(ついでに費用も節約になる)。
ここから先が未だ個々の発想に委ねられていて、現場では大変なことになりかねない、という事態が進行形で、心配が絶えないわけだ。
フィルター処理されて、決定的に感染していて、症状の有無とは別に診断できている状態の老若女男にとって、既に周知の老への配慮は欠かせない。そこをとりあえず置いて、若について。
若い連中は症状に現れにくく、それで撒き散らしかねない、と危険因子になりやすさを指摘されている。
風邪をひいた時がそうであるように、くしゃみ、咳をしたくなって、という瞬間にマスクを用意したり口・鼻をふさぐとかは、なかなか反射行動としてはできにくい。そこで、マスク励行となっているのだけど、実質マスクへの過信はすぐその先での悪質な流行状態での無力感へと繋がるから、宣伝でも指摘されているように、マスクが完全に感染を予防しませんよ、くらいは一般が常識として持っている必要あり、くらいは改めて年寄り視線から指摘しておきたい。
若者が、多少濃いめの社交の場ではマスクをしてくれることは、だからいたずらにはびこりやすくすることくらいへの効果は期待できる。でもうつるときにはうつる。
若者たちに限らないけれど、エチケット的なマスクへと誘う公衆衛生発想(どうしたって十把一絡げで対応、発想するから)な諸氏から、若者だって後遺症が大変なケースも出ているし、でマスクとことばが多用されているみたいだけど、先のように万が一の事態での例外だらけ担った時、無力感とか、信用できない感を醸すから、素人発想では、そこは若者たちの受け止め方次第で個々が応じればよい、と受け止めている。
どういうことかというと、若者の多くは幸いなことに一応免疫を獲得して、かぜと同様に回復してしまう。中に、後遺症を生じるということが起こる。ここらもいまマスメディア経由での情報提供は相変わらずとも言えるけれど、その素材資料を整理とか”調理”もしないで、そういうことにもなりかねないよ発信の材料になっているだけだ。
だから心配性な諸氏なら即、どうしよう、とか過剰に受け止めかねない。そういうあやふやな所もあるけれど、風邪だってそうだ。人によって様々に後々に響いたり、まるで無関係だったりする。これまで風邪のことを今の関心の濃度からしっかり調べ尽くしてこなかっただけだ。研究者の中には突っ込んだ研究をされている方が必ずいる。それがサイエンスの世界だ。でも表には出てきにくい。
より多くが免疫を一応獲得した状態でいてくれるほど、安心材料になることはない。若者たちなら猶更、身体を多少なら酷使することにも耐えられる可能性を秘めている。
衣食住の基礎部分を大変な状況になったとしても支えうる。
余剰が有れば諸外国の大変な生産状況を助けに行く事ができるかもしれない。
大変な事態を迎えた時、どこがどう壊れてしまっているかなど、そういう領域観点を、たとえばリーマンショックの時期など想起しながら経済の営みを語れる現場の事情通諸氏が今は本当に幸いだけど、沢山いるようだ(マスメディア環境でもそういう発信が賑やかと察する)。そこから、どこがどう壊れてしまうと世の中の営み上での再起にとって好都合だったり不都合だったりするのかなども推測できてしまう。そこらが、今の段階では強みだ。
世のリーダー諸氏は素人指摘に過ぎなけれど、そのなんらかを絞り込めていると思ている社会工学パスカルの原理に適(かな)うような、隙を作らない、作らせない作為を万全に働かせている。それも日々、時々刻々の密度で。けれども、と素人は提案しておきたいのだ。
こんなご時世、そのつばぜり合いの場を、戦闘とか憎しみ合いの副産物を膨大に生じやすい方になんとか傾けないで、もっと切羽詰まってしまいかねない場面に、関心の向きは万全としても、お金とか資源の向きにおいて注力できないか、と思える。
ウイルス騒ぎを空想的に膨らませる方にはいかないようにしつつ、既に傷つけてしまった経済の営み部門への犠牲を避けるオルタナティヴ誘導は資源のつぎ込み方次第では可能になる。
修復とかだけでは、これまでの”負債”をただ先延ばしするだけで、その先の重量感は大変だ。
例外なく食いっぱぐれないで清む方法をまず探る。
その過程で、負債処理のオルタナティヴを発揮できるかどうか。
ただし、荒療治の規模だと、適不適関係なく、有利不利の差が偶然に関わって、引き継ぎに成功したもの、できなかったものに分けがちにするはずだから、そこらも、今の情報力の限りを使って、最善を目指せるといい。財力の巨大系について、きめ細かくデータをディープラーニング系に注ぎ込めるなら、やつらは計算して最適な一案くらいは出すと想像してしまう。
それを信じて、それ以外なならぬめいた強圧を使うようになると、機械思考がヒトを支配した格好になってしまうわけだ。判断してヒトの円満な世を温存できるのはヒトの知恵としっかり自信を持てないと、結構ヤバイ。
若者や元気な中高年諸氏が、免疫獲得後を良いことに大活躍するし、その程度だったらと、血清療法のうち一番安全な素材と手法の医療を受けて、やはり免疫獲得部門に参入するということも起こりそうだ。
ワクチンは今は賑やかだけど、本当に万が一のことになるけれど、たとえ一例でも致命的な副作用が膨大な実験になるのだから、そこで生じれば、現場はパニックになる。
大抵が、生産工程でのなんらかの含みだ。”不純物”。そしてそれはワクチン”製造”、なのだから避けられない。
人によっては反応しやすいしにくいとかで症状が出てしまうこともあることは、一般の体験として列島育ちの諸氏にも馴染みのことだ。
だから薄く、マイルドに感染できることに越したことはない。
既に免疫を一応持った諸氏がいかにラッキーか。
大国はそういうことを熟知して(ここまでなら諸国おしなべてのことのはず)、で基礎部門が疲弊しない手法を採用する。周辺国は、勝手気ままだ。一応実験の様を外野位置からは観察できるようになっている。
いよいよ老のこと。
老人が危ない。でも、持病持ちとか、糖尿系(高血圧だったり、肥満だったり、様々な病気をもっていらっしゃる)の諸氏は際どい立場で、元気系な諸老人においては、ひどく心配は要らない。老いてフレイルとかいろいろな弱体症状を自覚・他覚の状態だとやはり心配が要る。ここらは今だと免疫の妙な暴走で症状が悪化しやすいとされている。
インフルエンザが免疫系の反応によって痛みや高熱を生じさせるのと同様に、免疫が働いた脈で生じた血栓とかで症状を呈させる。
でここらも整理できた対処へと向かう関心での情報発信が少なすぎる。心配させるだけ発信にしがちだ。(啓蒙機関がもう少し圧を行使しないと)
そこで、お年寄りへ配慮する各年代の様々、という観点とともに、お年寄りたちもできることをしないとまずいだろう、くらいは指摘できそうだ。
年寄り諸氏は、自分のことくらいは普段ののりで他人から煩くされたくないと思っている通りに自ら工夫するといい。
出来れば若者に近づかない。でも若者たちが視野に入るだけでもその馬力とか生命力のなんらかを受け止めて、元気になった気になれるから、それほど易い元気の素もないとも思えるので、咳やくしゃみをするときには鼻や口をふさぐエチケットを持ってそうな若者じゃない場合は近づかないようにする、とか指摘できそうだ。
マスクは究極の防御にはなりにくい。散らかり具合の制御くらいがせいぜい。
空気の入れ替えを遠慮なく快活にやってくれる部屋を使った人の集まり空間以外には近づかない、ということもきっと大事だ。
元気もの、持病持ち様々な諸氏がひしめく老人施設はこういう場合大変だ。
動かないヒトは衰えやすい知見(新書の大川氏)を踏まえて、散歩とかも必須だろうし、外からの人とのやり取りも欠かせない。だから知人・友人・家族などとの面会を工夫に工夫して、いつでも可能にしておくこともサービスの一環として知恵の絞りどころ、と指摘できる。
働く方は年代様々で、既に免疫を得た諸氏も大勢いらっしゃるかもしれないし、趨勢の通りで、未だの諸氏もまた大勢いらっしゃるのが周辺国列島の実情と察する。
そこはもうしょうがない。工夫で対処するしかない。
若者たちが気を使い過ぎても疲れるだけだ。普段の形にすることが大事だ。
年寄りもそこは自らのアイデアを発揮して対処する必要がある。
そうやって、数の増減に惑わされずに、世の営みの元気度くらいは保っていける。
また先のようだから、免疫を持たない若者諸氏はとにかく安くPCR検査を受けられるならば、受けて続けて、ないし、血清療法か、ワクチンか、弱い感染を通過して、でも、気にする要素の一つを処理してしまう生き方もありかなと、年寄りからは思う。
PCR検査は受け続けないと意味を成さない。
抗体検査である程度の期間の安心を得ることももう一つのやり方と察する(陽性の時)。
罹ってなかったが安心材料というより、ワクチン期待の気持ちから、え?免疫持ってないのか、と思えて、元気な身体状態を保ちながらの免疫獲得の機会を持てると更にいい。
そして、現場の対応力だ。
今は未だ迷信が騒ぐようで、コロナに罹っただれかが診察にいったみたいだよ、とかだけでその医院は敬遠されかねない。
しかい既にマスメディアでさえ、危険な老人のある条件の持ち主像くらいは紹介するまでになっている。だから、自らがその条件に重なる度合を振返って、罹っても若さで大丈夫と思えば心配ご無用なわけだ。世界では様々に症状や後遺症で苦しんでいる人が沢山いるのよ、とか脅かされても、そこは一歩引いて貴重なご指摘ありがとう、とお礼しておけばいいのではないか。
老人は症状が表に出やすいのだから、近づける近づけないの判断がしやすい。
重症化の前の初期症状の時に診察することもかなり有効なことをマスメディア経由で医療系は発信してくれている。
重症化して、インフルエンザでなら死ぬままにされてきた場合も、今はそうはできにくくなっているから、病床はきっとつまりに詰まる可能性が大になっていると、傍目からは指摘したくなる。
そこらをどういう医療基準で応じる合意形成になっているのかなどを、啓蒙の世の中の一試行錯誤として明示できることも啓蒙機関の一つのマスメディアにできることには違いない。
ただ、ユーチューブのドクターコウノ発信での推測を引用すると、ヒトの長寿可能性はかなりと察せられる。脳にしっかり栄養素が行き届く限りで、自発的生きていくための様々を自らこなすのがヒトというか生き物のようだ。
だからコロナ患者の重傷者についても、治る過程を整理して、スケジュール計画的な対処が可能になるのではとも思える。回復のさせ方を工夫して、次の場面へと誘導してしまう。同じ病室をずっと長期に埋めるから、現実問題として、資源不足を生じる。
でも病状管理術が整理されて、同様のケースケースでの対応が可能になれば、それなりに、語弊のことは配慮してもらって、流れ作業にできる。死への流れ作業ではなく、熟知された症状についての、回復過程処理としての流れ作業。
そうやって流行りの時期を凌ぐことができれば、医療に息抜きの時期があるのか詳らかにはしない素人だけど、ひょっとしたら農閑期のように、別ことに(医療への関心が濃い諸氏なら、医療研究に割くとか)時間を傾けられる時期を使ってもらえるのでは、など考える。


感染者がいたずらに散らかることを防御する検査体制が整えば整うほど、免疫獲得者が何千万人くらいになるまでは、その数は増え続けてしまう。だから当たり前のこととして受け止める必要を指摘できる。

若者他の世代がエチケット的に日常の手法として身についている咳やくしゃみの時の防御、換気することの当たり前感、免疫獲得の度合に応じた近づき合いの使い分け、などなどに慣れてくれること。

老人諸氏の中で、自らの行動が持ち込む原因を注意できること。自発的対処が欠かせないこと。
老人諸氏の境遇によっては、他人がより注意できること。

たとえ重症化であっても、回復過程の整理によって、秩序だった医療的治療過程を作れそうなこと。そうでないと人員的、施設的を含む資源の枯渇を招きやすいので、それをさけることにも考えを注ぐ(インフルエンザ現象で鍛えてこられたのではないか)。

食いっぱぐれのないよう、政治家や行政部門の活躍が要る。できれば雇用の機会をめぐって民官双方の離れ業が可能になるといい。
そして自発性を活かせる余地への関心を絶やさないことが要る。
年寄りがそうであるように、ヒトはどうしたって自発的な何かを集団に浴しながら、志してしまうものだ。