連載は続く~SF掌編『すばらしく挑戦に満ちている』編


素人の受け止めだけど、インフルエンザとかコロナ風邪とか今になって意識して見慣れた風邪、感染症だよな、と思えても、去年今年のこの期間抜きにそういう形では意識していない。空気のように慣れた病気の一つ、だった。
ひけばひいたで、熱が出たり、だるかったり、それなりなりたくないな、とか思わせるけれど、過程には慣れている、そういう受け止め。
なもので、免疫を持つ機会となる感染の数量が多くなればなるほど、素人的には、よかったぁ!と受け止めてしまうのだけど、内心、軽ければいいけれど・・くらいは老人だからということではなく、思っている。
それにほとんどの方々にとっては軽くいつのまにか治ってるタイプということが知れ渡っている。
だから日々の膨大量では足りない、とも受け止めている。
数千万の単位に届くまでは、免疫を持っていないタイプの諸氏と遭遇しやすいわけだ。
免疫を持っているだれかはわからないけれど、蓋然性としてそういう人々とすれ違っていることの方が多い環境に一日でも早くなってもらいたいというのが、危ない方で注意がいる年寄りの秘かな願いだ。
もう少し付け加えると、重病タイプでしかも感染しまくるウイルスが風邪系ではびこるなら、マスクは用をなさない。これはハッキリ指摘できるのだ。介護現場の現場の現場職諸氏には簡単に通じる。ちょっと濃い目な接触が日常の仕事の中身なので、だれかしらが、その役を請け負う。そしてかなりの確率で感染してしまう。今時は被り物他について相当に訓練を受けているしそれを外さない慎重さ程度は持ち合わせていても、どうしても避けられない。
重症感染だから、もっと厳重な、という防護での身固めをすれば少しは違ってきそうだけど、忙しく、活発に動く仕事内容、ということを想像してもらえば気が付かれると思うけれど、そう身にたっぷりを付け介護に当たるみたいなことはできない。特別に特別だから、ということで特別の用意をして、ということはあるかもしれない、先のちらっとふれた如く。通常、風邪感染対策ということでは、そういうことにはなりそうにない。
でそれでも一般の方がみれば全身を覆っている姿を見ることになるので、それでもか・・くらいの印象はもたれるのではないか。
世間で売られているサージカルマスクタイプだと、多分、すかすかと変わらない。
ワクチンもあてにはならない。そのかわりというか、自らの免疫とか体調管理は物をいう。同じようにして、罹らないタイプもちらほら居る。罹るやつは罹る。
上手な人々は、だれかをやらせて、自分は他へ行く。で罹らない。
新種だということで慌てていた頃だったら、発見即隔離もそれなりに有効と思えるけれど、それにその作業が練習にもなる。けれども、事態認識を誤って、ただただ医療現場を忙しくするような仕組みを続けることは練習どころか、万が一にとって、サヴァイヴァル系の知見豊富な諸氏からは不合格にされるのは確実だ。
さらに、蔓延後だから、確率を指摘される西浦氏など、いくらでも数値をいじれるのに、それを言わずに何月にはこれこれめいたことを言うから、言わせておけみたいな、ひんやりしたムードを醸してしまう。できれば、万が一モードの際に適切なアドバイスができるような方法論を用意していてもらいたいものだ。
医療側は、余分なスペースを遊ばせておくことはできないと結構経済観念も持っている人々だったことを改めて示してくれた。
だから恐らく諸外国でこれ幸いで、便乗補助金獲得作戦めいたことをかなりの規模で展開しているらしいのを、税金は、国民からの預かりもの、とかのテレビドラマ事件物見過ぎの素人爺さんのいつもの発想になってしまうけれど、悪乗りして荒稼ぎというよりは、生真面目に忙しくなっていると想像する。
だから、医療業界の人々は生真面目なのだ。できないこともできないとは言えない人々なのだ。
万が一の重病で、感染しまくるタイプがもしも登場した時には、今の医療発想ではそくパンクしている。中には、工夫する年寄りからは若手に見えたテレビに出るくらいの著名な医療従事者諸氏も少々おられるようだけど、そういう医療現場に受診できるラッキーな人も当然限られてしまう。他はただ忙しくされるだけになっているはずだ。
ということで、やはり歴史知賢に戻って、免疫獲得作戦が当面は一般が採用できる安心策と察する。
相当にヤバい時、慌てない、他人がわいわいしていても、じっくり病気の性質を観察して回る。どう罹れば危機を脱出して生還できるか。そういうことの詳細を段取りを描けるくらいに精密観察しておく。そして、挑戦する。ここはもう挑戦に近い。
体調次第では、二度と風邪に罹らないところへ行ってしまいかねないわけだ。だから、万が一、ということは一生の間に遭遇しないかもしれない、のに、規則正し目な生活を日々送り続ける。そういう体調管理がヒトとか生き物には向いている。で、耐性の一つはなんとかしておける。
そういうことをキツ苦しくではなくなごやかにやっていれば子供らも真似て、なんとなく楽しげにこなしていけるというもの。伝承に繋がる。


藤原氏発信には最近驚かされてばかりいるけれど、USはどうやら本気で動いている感じだ。wikileaks のファイルのことも教えていただけた。
今時の若者や(特に定年後の時間を自分で使いこなせる)老人やにとっては、とてつもない資料を提供された感じで、どうする?とつい質問してみたくなっている。
wikileaks 的情報の扱いは難しいし、使い慣れてしまった人々にとって、混ぜ物をわざとすることで色々につかいこなせる厄介なものでもあると、列島情報力を借りることが出来てきた老人はこっそり注意深く指摘できる。でもとりあえず、だれもが読める状態になったことがなによりだ。ソースは各人100%確かめることができてしまうのだから。
資料を得て、どこまで読み込んで、これまでの発信に更に中身を充実してもらえるか、は楽しみだったりする。他人の力なしで、ジャーナリズム的な情報に親しむことは素人には無理だから。
しかも、書庫に納まりきれないくらいというか、日々情報が新たに出回り続けているのだから、過去の検証という膨大量にこれから対処の超多忙と、ヒト一人ではこなしきれないトンでもな情報世界は進行中、とSF的にはウキウキも多少しながら、不可能の文字もちらほら、いかが。