連載は続く~SF掌編『ツキノワグマの生態から生き物の一面を学ぶ』編

 

続けて、素人流を指摘させていただく。そのうち、多分、なるほどという一面に気づいてもらえるかもしれない。
ということで、今日もテレビネタ。
昨日、NHKBSにて放送されていた番組。
「森の王者 ツキノワグマ〜母と子の知られざる物語〜」のこと。
熊、特にツキノワグマについては列島在住な諸氏にとっては子供のころから、身近ではないにも関わらず、話として知っているような親(ちかし)さをもつ動物ではないか。
その熊の生態については今のところ、研究者でも見つけて追跡するのが難しいらしくて、それほどわかっているわけではないそうだ。
取材されたカメラマン氏は、そのツキノワグマを追って28年間、ビデオに収めてきた。
昔の映像も、映像の質がハッキリ改良後のこの番組が放送されたころの(2015、16年)映像も紹介されている。
寝食を共にしたり、風呂に入ったりでヒトのような動物性を失っていない生き物は段々心を浸透させ合ってしまう。
このカメラマン氏も、いつのまにか次郎母さん熊に一方的に心を通わせている辺りがよく伝わってくるNHK側の撮影も見どころになっている。
ただこういったことは専門とか興味の方がネットで散々発信されていると思えるので、素人的な観点で気付いたことを指摘してみたい。
だれにとっても衝撃的なシーン。これが二度出てくる。
いずれも次郎母さん熊と関わる。
カメラマン氏は冬眠の時期や啓蟄の時期にも我慢強くカメラのチャンスを逃さないよう、粘る方だ。
その氏が、自らの心を痛めざるを得ないシーンに二度遭遇してしまう。
野生にヒトの手を貸すことは慎まれている。
声だけが聞こえてくる。早くはやく、逃げないと・・・めいた。
一度目は、初めてのことだった。
母クマが近づくオスクマへ突進して、くんつほぐれつして、山の斜面を落ちていく。途中でオスは耐え、メスだけ少し先まで落ちる。そのすきに、オスが一頭の子熊をくわえて、ひきづって、とうとう噛み殺してしまう。
次郎母クマは、無力な感じでもう見ているだけだった。
オスは一時的に去る。
テレビの解説によると、クマはメスが子育てして、授乳中だったりすると、発情してくれず、つまり受け入れてくれない、ということで、子熊を絶やして、発情へ持って行くために、子殺しをする、と指摘された。

素人流がここから始まる。

サルたちのイモ洗いときっと動物のことだから似ているのではないか、とまず想起させた。
発情はヒトも含め動物全般が盛る(手が付けられない状態)。観念の方が機能し足りないと、突っ走らされる。やつらは相当だ。
クマとて同じ。一方、母親はというと子育てが、映像を見ていると、愛情めいたはしくれのようなのを育ててしまうようだ。それだって相当に粗い。食用のアリの巣を壊していて、その岩の欠片がかたわらから転げ落ちて子熊を殺しかねないようなことをしばしば繰り返していた。観念の膨らみが相当にか細い。
(それでも、育てている子への危険を察知した母クマはオスへ果敢に体当たりした。)
オスクマたちは、様々に観察し、試行錯誤してきたはずだ。
中に、子熊をやっつけてしまったやつが、メスが拒まない事態まで経験出来たのが出てくる。
遠巻きに野生たちだからあからさまに見ていることがよくあるわけで、なるほどという感じで受け止めたかどうかは不明だけど、真似ることはする。なにしろやつらの圧しが半端じゃない。いつのまにかクマの間ではそれが流行になり成功率もかなりということで、常套手段の一つになってしまった、と、素人式には見なしたくなった。
ここであいまいに受け止められた諸氏には注意が要る。
あくまでも子孫を残したいとかの話ではない!
盛った個体の勢い任せの一連の行為、と見ないと、一般性を失う。
結果的にその行為は子作りになる。そう見ないと応用性が生き物の都合上失せてしまう。ここらが肝心だ。
もちろん、やつらの魂胆(こんたん)はそれに直結しているけれど、子孫を残そうとしているかどうかは不確かだ。
だからこそ、観念肥大も使いようで、ヒトはよくぞやってきた、めいた方で試行錯誤することが大事になる。
色々な好い意味での快をどう大切にし合えるかめいた辺りだと、素人式には予想している。
”大人”の時間を心身ともに使いこなせるようになる時期こそが幸せを共有し合える、と言い換えることもできる(ここまでの指摘から想像していただければありがたい)。


そして一回目の子殺しに合った次郎母クマは見た感じ、落胆気味だ。カメラマン氏もかなりがっかりしている。母クマの一生、子熊の一生を被写体に、と目論んでもいたのだった。
更に、カメラマン氏が本当にがっかりしていたのだけど、違うクマの子を生んで、その二頭が望遠のごく近い視野の中で噛み殺されてしまう。情け容赦ない。
この時、落胆した母クマは、ヒトでいう悟るとは違うはずだけど、気づいたように見えた。
落胆して、無力感の中で尻をオスに向ける。もう負けしかない。
そして子を孕む。生んで、またもやがっかりなのか・・・。
だからか、母クマはそのカメラマン氏の勘の届く範囲を超えてどこかへいなくなってしまう。2016年当時。2017年放送。

ここらも、クマの人生時間で学びきることは象ほどには難しいと思えるので、気づき程度と思えるが、この谷にいると子作りの最中にまた襲われかねない、と気づき、自らにとって異なる環境を探して移ったのではないか、ないし、野生環境だからなわばりもきつく分布するしで、かなりの摩擦を経験しつつ上手く生きのびれば、別の所で子作りを始められたかもしれない。

クマの世界では、子熊は過酷なことに気付ける。
母もかなり粗い。
オスの発情期はもっと危険だ。
で、なにかの力動の中心軸があるとして、それが促す勢いにどういう形を与えるかは、ある程度偶然で、集団的なフィルターを経る。
その取得内容次第で、集団の営みの質や量に生き物間にかなりの違いを生じさせてしまう。
たとえばクマの場合の子殺しなど、採用しなければいいものを、と思ってもそれを遡って違うことを選択できるならいざ知らず、成功体験を世代超えでこなしてきて、別のを選べと気付かされても別に気づこうとするのは相当に面倒に違いない。