連載は続く~SF掌編『冬だけど降雨の今日この頃、コロナ騒動について少々』編


あくまでも外野席なもので、つい、外野の声、を提供したくなってしまう。
一種交通整理っぽい。
今時、医療現場の責任的立場の諸氏がメディアを通じて話すことや、政治的な立場が同様に発言しやすい機会を提供している場合などで、マスメディア経由から見聞しやすいその”ムード”とか”流行”ということでは、とにかく増え続ける数を抑制できることが本命題だ!!!!!!と大袈裟にもっと沢山想像してもらって、それくらいの勢いでまくしたてていらっしゃる。
でも政治家諸氏は未だ多少は冷静な構えを失っていない。ここらは貴重だし、本当に大変な時にどれほど大切な要素かに気付けることになる類だ。

で物騒なことを経由させると、生物化学兵器系をつい作って用意してしまう心配過剰層は、できれば強力なインフルエンザっぽいのを使えればとか、大航海時代よりも前の頃から追求し続けていると想像するくらいは簡単だ。
で、なかなかそういう物騒な物を手にすることはできない。短期の影響圏は自信を持って作れる、とか成果に自惚れている脈はきっとどこかに生息しているとは思うけれど、基本、生き物たちは共生要素をしっかり機能バイアスの基本のところに含ませているので、結構時間経過さえ許されれば、ある落ちつきへと”自然に”導かれることになっている。
ヒトは知識ゆえに動ける心身に成れ果てているため、知見頼りの心細さから免れない。ここは是非押さえておきたい。
どうバランスさせうるかは知見次第だったりする。その基礎研究の地道さ、悠長さに我慢できない、耐性のない世の中を時々は持ち寄ってしまうこともあるようだ。とりあえず、そこらは工夫次第だ。
それくらいに、とりあえず、インフルエンザとかの感染のくせのまとまりは、知見が未だ届きにくい。それでも、新型インフルエンザにはこうしてみては、と根路銘(ネロメ)国昭著『『新型インフルエンザ対策Q&A』('10 竹内書店新社)ら研究者は日夜努力されてきている。だからか、ゾンビ映画も、インフルエンザのような広がり方としては描かれないで済んでいる。『z』系はかなりインフルエンザ規模だった。
インフルエンザ系はとにかくひたひたと、しかもドバァーッと、広がりやすい。
できることはごく初期の”侵入”の時に、感染源を絞り込めて、閉じておく、これしかありそうにない。ごく初期のたまたま得た好機を逃したかどうかの判断は時の指揮命令系の主に極刑が科されるかどうかくらい、重要な判断を迫る。判断を間違えると、今のように数の増減に日々悩まされる以上に実害を振りまきかねない。
巷でマスクしてね、とか優しく言っていても、それは判断としては極端にまずい状況なわけだ。だから、それなりに、人格を面従腹背のところで疑われてもしょうがないと察する。
この騒ぎの後では”近寄りたくないだれか”と思われても仕方ない。くしゃみや咳の際、口の辺りを覆うとか他人に(飛沫の類が)届かないように仕草を工夫する意欲さえ失わなければ個人でできる最低限のエチケットは保たれる。そこを油断させるようなことを制度的とか空気で圧力にしてしまうと、かえってその瞬間瞬間について油断だらけとなりうる。これは日常の中でだれもが経験されていると察する。もう少し、細やかに振舞ってほしいものだ、と他人へは厳しく見ている。だからって自分には・・・、というところまでは大抵が気付けている。
蔓延後のその瞬間の判断を間違えなければ、その後のやるべきことの内容判断もつきやすい。
封じることは、大変な症状を生じやすいインフルエンザ様の感染症ほど、無茶なことを踏まえて、劇症についての、診療に向けた絞り込み知見を早急に蓄え整理する。ここらは事情通、知識に通じた連中が大活躍するしかない。それを行政なりが円滑に取り入れて、形にできないと事態に付いていけない。
今のように現場の声を代表させてマスメディアを通じて喋(しゃべ)らせれば、それはそれはの追いまくられる事情を自信を持っておっしゃり続けるはずで、きっと事態認識を誤らせる。
声を聞く役は別にしかも広範に綿密にを担ってもらえばいい話だ。それをしっかり吸い上げて形にできる部門はいつでも動いているはずだし。
とにかく判断を間違えていなければ、蔓延前提で動くことになる。
ワクチン。これはインフルエンザでの経験を謙虚に受け止めるしかない。
ワクチンが効きやすい感染症もあれば、そうではないのもいくらでもある。ここを謙虚に啓蒙の状態に出来る必要がある。
それだけだと世間は穏やかではない。心配過剰になりかねない。
それプラス感染症での民間知見を確実さを頼りに、整理して啓蒙できることがなんでもない普段の啓蒙活動として必用だ。
悪質タイプのインフルエンザ系だとて、蔓延して、それゆえに免疫獲得が膨大量生じるようになると、その騒ぎは嘘だったかのように静まっていく。変異し続けるし、生き物とごいっしょでしかありえないウイルスはいつでも生き物とご一緒なことも啓蒙し尽しておく必要を指摘できる。しかもここでは余談になるけれど、マクロファージとか食うタイプの細胞をヒトも持っていて、それとミトコンドリア知見のような超有名なのとを合わせ技にすれば、ウイルスがヒト細胞に入り込んで悪さしているとかの”偏見”を遥かに超えて、一般も含めてヒトの知見として、なんらか発想を異にした対策すら近い将来可能になってしまうかもしれない。だいたい、悪さはむしろヒトの個々における免疫活動ゆえの炎症由来と見なせる知見がこのコロナで派手目に知れ渡るようになっている。これは一般にとっては新知識で非常に偶然の禍転じて福となすの類に近い。
専門家諸氏においてはその発見の先を目指してもらう必要を素人ゆえ指摘できる。免疫って何?かつて数十年前も語れる老人の素人は、自己と他者で語られる免疫知見にも親しめた。少し遅れて、自己免疫とかの説明にも適うタイプのそういう対立軸では語りつくせない免疫知見の必用の論を、読めるようにもなっていた。
がん知見についてのワールブルク効果(これについても異論が出ていて、ただ信じればよい水準ではないサイエンスの水準でしっかり検討されているようだ)を下敷きにした安保知見なども今ならしっかり読める(列島出版は相当に頑張っている)。
医療現場にその時点で張り付いてくれている意欲を失っていない諸氏、(消防業務も含む)救急隊員(これも余談になるけれど、救急隊員には、脳梗塞系症状の急患のだれかを時間との”闘い”の線で搬送する発想を迫る基礎知識がいきわたっているのかどうか。脳梗塞症状の急患に搬送前の手続きとしていきなりバイタル測定の類をやってのける”豪胆”な担い手諸氏のあるやなしや、そこらが心配だ、年寄り素人ゆえ)、自衛隊員(サヴァイヴァル知見のプロとして免疫獲得後は危険な巷で活躍してもらうことになる逃げることはできない)、国や地方の指揮命令系の首脳陣とその手足部門、それと重篤化しやすい暫定的に確かめられてしかも延命を必要とする対象、そして巷の次元で、お前は生き残ってなんとかしてくれ、他は後回しだ、この際しょうがない、というだれかたち、そして、サヴァイヴァルモードでなんとか工夫している、散らばった個々、それらは、とにかく免疫獲得のできることはなんでもやる作戦に挑んでもらうことになる。
中には失敗して重症となって、しばらく使い物にならない心身状態をかこつだれかたちも出てしまう、が、これは仕方がない。警察官だって秩序のためには早く、とか嘆く諸氏もあらわれそうだが、後回しだ。だけど危険を犯して順番待ちの秩序維持には携わってもらう。それが嫌ならば、民間の知恵とかサイエンスに委ねて、とにかく内輪の力で免疫の獲得をしてしまうことだ。中央情報くらいはきっと沢山ストレートに入ってくるだろうから、挑戦のつもりで、免疫獲得を内輪の論理で手っ取り早くこなしてしまうことは、暗黙の了解ではないか。
巷は巷で、生き残った人々が目立つようになってくる。どういうタイプがこの感染症には免疫を持ちやすいかが少しずつ見えてくる。でももう遅い。蔓延後だし、犠牲は犠牲としてあきらめるしかない。けれども、今は、免疫獲得早急作戦が功を奏し始めて、沢山の実務部門が活躍している。かつてなら見放されていたかもしれない重篤症状でもなんとか人手の多さゆえに面倒を見てもらって回復するようになってきた。別世界に近づきつつある。
来年になれば、効くかどうかはわからないよ、あてにするなよ、だけど、ワクチン、出来てくるから。億単位で対応可能だよ。でもね。希望者だけで、いいかもね。ほとんどが免疫持てたものな。よかったよかった。そのうち何年かして、その免疫が症状を軽くする程度にしか役立たない変異種が騒がせるかもしれないけど、同じ系統なら、なんとか騒ぎにさせないで凌(しの)げそうだ。
仮に、蔓延前の絞り込みが実際に可能な規模の時。
その時は、あたかも諜報部門の活躍のような事態が進行すると想像できる。
出た!どこそこだ。関係者は?絞り込めている?!・・!の方か、よぉし!さらに絞り込みだ。この場合、わざとではなく、知らず知らず感染者が、たまたま元気だったため散らかしていた。で、絞り込み、広がった範囲の特定と、更に、飛沫感染系を踏まえた接触者特定、絞り込み、追跡をこっそり迅速に遂行されて、ICチップを一人一人に埋め込んでおけば簡単に追跡できたのに・・なんていう暴論は充分に予測できているので、そういう発想の幹部、下々系へはきつく啓蒙活動の対象となってもらう。リバティでありフリーダムが重要で、その工夫の難しいところを引き受ける意欲が市民社会の前提となる。
こっそりだけどじっくり感染の危険を犯しつつ、対象者を説得・納得させて隔離となる。
保証もしっかり伝える。通常の交流範囲へは、臨時の仮想事情で隔離期間を凌ぐことになる。出所後も暫く口外できない。そこは、感染症の重度に応じて、世の中に無茶を強いない工夫のセンスが試されてしまう。
個々によって、撒きやすい状態に違いがあるから、とりあえず、感染しただれもが撒き散らしやすいと前提して、具体的に押さえていく作業が続く。
担当者たちは、感染した具体的顔まで覚えてしまった。それくらいの規模を超えて、散らかってしまえば、もうお手上げで、判断を誤れば、違うことに心配させられて、肝心なことを手抜かりにしかねい。初期段階で判断を誤らず、適切に対処できれば、数の絞り込み発想で、安全指標にできる。
蔓延判断後なら、数を追っても、結果的にどういう規模の感染症だったのに答える便利な数値ではあるけれど、現場の進行形の事態への対処としては不毛となってしまう。
敢えて指摘してみたけれど、ヒトの世では、こういったことを延々と技術の様々は異にしてきたかもしれないけれど、やってきたと言えるので、それを忘れなければ、今時の使えるものは何?で対処はいくらでもできるようになる、と年寄り素人は言ってしまう。

今の騒動は、ためにする騒動になっていて、地方の首長諸氏やマスメディアに登場して口泡状態の医療関係者は、今でも遅くないから反省した方がいいと素人は推し量っている。
この軽いコロナ感染症での対応は、万が一の重いタイプのケースで判断ミスを必ず招く。判断の基準が数に追われた切迫さ由来であることを晒しているのだから、そう受け止めることが可能。
どういう感染症か(どのように重症化しているのか、感染症原因か、それとも投薬内容が外れているのか、治療過程に問題は無いのか、患者の扱いに問題は無いのか、栄養状態はどうなのか、症状変化の詳細な過程を知見として共有できているのか、たたき台にできるくらいの症例・治癒研究をどれくらい蓄積できているのか、過去のデータとどこまで検証済なのか、既存データに甘んじない日々の変化を追う研究が持続していてしかも一定の筋にはオープンな体制を確保できているのか、現場の医療ではどこが負担となりやすい感染症なのか、危険度合いを対象分けできるタイプかどうかなどなど、この点だけでも一気に押さえておくべきことを指摘できる)。
罹ったら現場に居られなくなる心配をできるくらい(人手不足になって現場は大変だけど、ことばの弄び方においては)余裕たっぷりな医療部門では、万が一で想定される事態には対処してもらえない心配。つまり、一日も早く免疫獲得作戦に挑戦出来て当然の部門であることの自覚がまるで感じられないこと。
交通整理知見として、渋滞をいかに解消するかで研究されていることはマスメディアで既に紹介済。
医療への行列渋滞解消も、工学発想の力を借りるなら、それなりの実際に使える知見のための助けくらいにはなるのではないか。医療は工学なので、実際に役立つ実践に結びつける必要あり。結果についての精度、確度がしっかりしていれば、理論はともかく、挑む必要がある。例外が生じた時に更に進化させることができる。
軽い奴らが隔離を拒むなら取り締まれば解決するとおっしゃるのは、或ることに関する能力の準備がないのに、面子(めんつ)を先行させてそこを担って関係者に迷惑をかけてしまう事例に近い。蔓延後にすべきことではない。
病状が大変なら自発的に通院して清む。
自宅でこもって治すタイプも居る。
くしゃみ、咳するときに他人を意識したこまやかなマナーさえ怠らないタイプを親たち大人たちが大量に育て続ければ済む問題。
そして先の根路銘氏が紹介してくれていたのだけど、換気だ。たとえば教室。そこの寒い時期での換気を怠らない必須を指摘されている。
手洗いも簡単なことなのに意外に役立つとのこと。
WHOとかほかの組織がこの際だからと悪乗りして、マスクをすれば大丈夫の発信を派手にするようになっているけれど、昔からの知見が結局は正しかったわけだ。それほど期待できるツールではない。それに安心してしまうと、マスクして激しく咳したり、くしゃみしたらば、外側にたっぷり飛沫感染原因をばらまいてしまう。こまやかなマナーで制御してきた人々のこれまでの積み重ねがパーだ。ヒトのくせを下敷きにできないと結構、事態の進行を誤らせる。
換気に精を出す。ウイルスは生き物が大好きだ。だからいつだって仲良くしたいけれど、生き物がもって生まれた免疫系の大切な作用の一つである炎症作用が自分の心身に害を与えてしまう。その知見を前提の対処を未だWHOとかUSのCDCとかは派手に啓蒙してくれていない。もちろん、列島の情報機関からも啓蒙情報を一般に届くようには発信されていないみたいだ。