連載は続く~SF掌編『コロナ騒動へはドイツ系発信が意欲的だ』編


きっかけは以下のコラム。

コロナワクチンの危険性
https://www.nnn.co.jp/dainichi/column/tisin/210225/20210225021.html

それと
『コロナパンデミックは本当か? ドイツから世界へアピール』
の訳者氏が副島氏の掲示板にて書き込まれていた内容。


今、ドイツの医療関係諸氏および医学に関わる諸分野の専門家諸氏が世界に先駆けてより積極的に率直なところをネット経由で発信し始めている。

列島でも孤軍奮闘的に専門家が発信されてはいたけれど、ウイルス自体への不信発信をどうとらえてよいものやら素人にはわかりにくかった。
上記主にドイツからの発信ではたとえば、ワクチンは血路とされるが恐らく血流、血管内というように受け取れそうで、そこで有効。先に、喉とか粘膜系で感染してしまうことを防げない。そういうワクチンの一般的な性質を紹介してくれている。
言ってくれないと一般にはわからないままになってしまう。

またUSでの州独自の郵便投票立法が成ったことを先日引用してみたけれど、そのヒドサも紹介してもらって初めて気付ける。
それと同様に、WHOからみで、様々に情報公開の前提となる定義に色々変更を経て、一般にとってはドイツ発信での指摘がなければ、そういうものかと受け取るほかない状況だったことにも気付かされる。
そこらは、是非、上記資料に当たってもらいたい。
目からウロコ間違いなし。

ヨーロッパが某阻止がちだけど、同じかそれ以上の意欲を持って、異議がしっかり提出されるようになっている。去年の末頃からどうやら活発になっていたみたいだ。
英語発信だと列島環境でもかなり活発にネットに乗っていたと想像できるけれどドイツ語系だとそこに時間のずれが生じさせてしまったのかもしれない。
ドイツ発信でも英語でしゃべってネット動画でも発信されている。
現内閣関係者や該当の行政組織に早急に届くとありがたい。

一応素人がざっとふれた後で感じていることにふれる。
中心的に積極的に専門的に発信されている女史の指摘からすると、かなりの確率で重い副反応を生じていておかしくない。もし、そうなっていない事態が実際ならそこは、動物実験がうそだったはずがないので、ワクチンの内容をランダムにかなりの範囲で検証した方がいいようなことになってないか疑問を持ち出せる。
点滴的中身に変身してないか程度の疑問。
なぜかというと、当初、打ってすぐに痛みや医療系の仕事に就くのも大変そうな副反応を正直に語っていたニュースと比べて、その手の副反応の報道が極端に(少ないというよりも)無いから。

介護に意欲的になるようなタイプ諸氏はワクチンに関する様々にも通じている知識の持ち主諸氏と推測できるので、特殊とは言え、インフルエンザほかのためにワクチン接種を半強制するようになる行政側の黙認のままだと、介護に関して意欲を持つ諸氏の現場就業は当分、人手不足が続くと予想できる。行政がワクチン接種は本人の選択で充分だとかの発信を強く打ち出せば、経営層も安心して、そこは放置できるようになる。責任問題は実に介護現場において、縛りとなりやすい。老人にとって相応しい場に変化させうるかどうかの工夫の投げ方にかかっている。

もう一つ、コロナ感染症とされる症状について、列島でも現場の医療関係者の中から率直な発信をされる諸氏が結構あらわれているように察せられる。
そこでなんだけど(結果だけの発信でなく過程もろの発信内容として)、どういう処置、治療、薬処方を挟んで結果、どういう症状を呈したのかの整理からも、コロナウイルス原因なのかどうか、これまでのカゼ系の諸症状への先入観を取り払って、もう一度熟考できないものか。

そしてドイツ発信から専門家諸氏なら率直に理解されるだろう、定義のおかしなところを修正した医学、医療の知見に耐える整理によって、事態を捉え直す作業をなんとか早急にこなしてもらいたい。


かなりの分野で停止状態を招き、石油系資源の大量消費部門とその消費による負荷の様については調べている諸氏においては相当な知見を得られたと想像できる。
素人的には、春先の花粉症について、世の石油消費の減量によって多少は軽くなるかと予想したのだけど、そうはならなかった。去年、今年ともにいつもと変わらない。
目の前でガス燃焼系にさらされている場合、しっかり反応する。だからそのどのあたりがより直接的原因かを探る必要はあるけれど、大きな環境での負荷軽減が即花粉症軽減には影響していない実験成果は得られた。
テキサス州の事例を持ち出すまでもなく、コントロールされた(厖大な石油・天然ガスが関わる)電気流通を当面は外せそうにない。

中央集権系と分権系とを区別して、歴史の由来を眺める発想を持ち込めば、列島の歴史についても、1500年もさかのぼった辺りからの知見について、色々な異論の出方へ再整理することを指摘できたりする。少数意見、多数意見それぞれに。
或いは列島知識脈について戦国の世前後での背景に藤原氏の相当な動きを見ない論は、媒介を欠くと素人などは初めから見なしたくさせる。
ほかに、たとえばイギリスの脈をどう見なしたくなってしまうのかの辺りにも素人なりの指摘ができるしで、終盤でのいくつかの指摘など今後もう少し丁寧にふれてみたい。(建前系や暗躍系やの論それぞれに異論を挟みたくさせるあたり)