連載は続く~SF掌編『風の強い日々、知識の方から心身刺激を得た今日この頃』編


”ノイラミニダーゼ阻害とは異なる新規メカニズム”
エーテルスプリットワクチン”
”不活性化ウイルス全粒子ワクチン”
と三つほどことばを引用してみた。
これらにピンときて、内容もイメージできる諸氏は、是非ネット発信にて、昨今の騒ぎについても応用的見解を披露していただきたい。

上記は、ラジオ日経の『感染症トゥデイ』2019年11月4日放送分で喜田宏氏が「インフルエンザの予防と治療戦略の今」と題して語っている中で用いられていた。

当方もネット発信やマスメディアでの解説から思い込んでいたのだけど、ウイルスが変異して、強弱とか様々が出現するのではない、ということを断言されている。
氏の経歴など簡単にネットでわかるのだけど、ご自身が研究されてその中身の一端での指摘だから、ご自身にとっての成果をただ紹介している内容に近い。
根拠はどの文献の何ページかを読めとかのタイプとは異なる。
そしてその氏の成果も確立された文献の場合と同様に、サイエンスの手続きを経た成果であると認められたことが経歴紹介を読めばわかる。
ちょっと思い出してもらいたい。耐性菌は一種人々に警戒心を呼び覚ます。
その耐性菌が出来上がる過程は、既存の菌の群れの中で、耐性をより持ったのが、他が抗菌で減って目立ってしまう、一種の振るいにかけられる現象だ。
それと同じことが起こっていると、内容を文書にしたPDFファイルで読むことができる。
先のタイトルで、PDFとか指定して検索すれば直ぐに見つかるはず。
その性質を想起しながらだとヒントにできそうな指摘を紹介。
人獣系ウイルスにおいて、ヒトからヒトへの繰り返しの振り分け効果が、ヒトにとっての病原性に通じやすいということ。動物由来でヒトにうつることへの恐怖心を煽ることは誤りな事。
そしてパンデミックを生じる感染性の強さと病原性の強さを混同しないことが事態を冷静に理解させる。
うつって強く病原性を発揮すれば、巷を動き回れないことで感染が広がらないタイプの場合、その元となるウイルスは拡散しずらいと言える。
病原性が弱いゆえに動き回られるようなことになると当たり前だけど、感染性が強い状態を現象として表す。そういう理解が要る。


いきなり日本史の話を持ち出す。
エミシの件。
松本建速氏の『つくられたエミシ』(同成社 '18)を走り読みしたところ。

舞台は東北北部。
5世紀前半くらいまでは、考古学的に続縄文的な遺物を観察できる。
それはアイヌ系だ。(でアイヌ系については今ではお馴染みのように南北を通じている)
それから7世紀になって考古学から別のと分明される文化系統の人々が住み着く。
煩くなるけれど、5世紀が400年代を通して500年までだから、その前半のイメージ。
7世紀なら600年代だ。
著者はなぜその空白期間が生じたかについては細かくふれていない。
ただ著書90ページ目の気温変化が分かる図を参照すると、短い有史期間でもかなり気候変動があったように伺え、縄文期の高温期から冷え始めて、その後も下がった中での高温期と低温期を繰り返してきている。
そのかなり高い時期から低温化した頃がそのヒトがいなくなった時期と重なっている。
もっと寒い北海道に居たのだから、そういう説明には無理がある、とか指摘は返ってきそうだけど、なんらか関係もあるかな、程度には一応素人的に押さえてみた。
ただこの紹介だけだとエミシのことはどうなってんだ、となりかねない。
で、いきなり紹介してしまえば、別の文化系統の人々は列島系の人々と似すぎている考古学的な証拠だらけだ、ということ。
それらをエミシとか読んで退治されたんではないの?という強引な推測もありえないわけではないけれど、それだと素人よりも無茶と思えるので、著者の指摘を素直に受け止めるなら、更に、出てくる武器の類は実際の激しい戦場で使うように当時も作っていたタイプの方ではなく、もう少し飾り的な要素を持つ実戦向きではないのが考古学的な証拠となっている。
でも、古い文献資料での記述があるではないか、と。
そこらを著者は、馬(馬具とか鉄製の関りも重要で、当時の鉄に関わる知見を誘う)を持ち出し、争いごと記述とまじって交易と通じる記述を見逃さないように指摘している。
7世紀のあるきっかけ後の中央集権の趨勢の中においても、各地域の集団を食わせていくための”必死”の工夫は欠くことなく続いていた。
ここらは最終章で簡潔にまとめられているので、そこだけでも読んでみてください。
一般向けの作りだから、全体をざっと読みとおすことも苦にはならない。


戦国時代とか戦前を持つ列島の人々の中に含まれる年寄りだけど、コメニウス氏の経てきた時代やイスラムの人々がついこの間まで経てきたことと比べると、生活観には相当な違いが生じていてもおかしくないと、つい勝手に想像してしまう。
敢えて言うなら、彼らは戦闘モードを警戒していそうなのだ。
列島の人々はもう少し弛緩できている。
そこで女性を守るためとはいえ、やり過ぎの習慣を改められないでいるし、欧米なら親密さをわざとねちっこく表現する作法を育てている。
たとえば他人が育てている菌と自分が育てている菌とはそれぞれに危険に働く可能性を持っているのに、煩い奴らの要請とは別のところで挨拶代わりに粘膜を介した濃厚接触を振舞いの一つにしている。当然、親密さ表現の度合と同様にそれと対になる表現を隠し持つことにもなる。
文字がなくてもほとんで変わりなく成していける。
けれども、証拠を見せろ、という時のある場合、たとえば、映画『エージェント』にて、やり方を一新することにしたやり手エージェント氏が、口約束で最初の顧客を得たと思ったら、直ぐに裏切られて・・のようなエピソードの際は、書面で約束しておいた方がよかったかも、となる。そういう狡い系統、シャイロック氏タイプとか、だと文字を使わない連中は仕組み次第では困らせられる。
なんとか戦時モードを抜けるグローバル共和の世界を目指したいものだ。
だから社会工学パスカルの原理応用には相当な知恵が要るということにも気付ける。


列島贔屓(びいき)な発信をフランスの方から得ていた辺りを知った。
放送大学教養学部人間と文化の一教科『日本美術史の近代とその外部』の第五回”琳派エミール・ガレ、クロ―ド・モネ”にて、モネ氏の影にだれそれあり的な重要人物の居たことを知ったわけだ。詳細は教科のシラバス参照してください。
紹介された発言として、(モネの背丈以上あいそうな水連の絵画群を思い浮かべてもらいたいけれど)水連の連作を壁いっぱいに張り巡らした部屋で、労働者が仕事を終えてくつろげる時間を得た時、心身ともに休まるのでは、のような話だった。
当方、数十年も前に埼玉県立美術館(北浦和)でその一端を見ていて、ただ規模として見ていたように思い出すのだけど、今は違う。
列島びいきなフランスの御仁は、きっと襖絵を想起している。
仮に、列島の襖の装飾にモネ氏の水連を採用して、部屋を覆えば、それはそれは、の装飾空間を演出できる。
水連に限らず、列島の人々は、いつからかは調べてないけれど、板張りから絵とか柄の入った襖を日用にしている。だから列島在住の人々の多くは、壁に額に入った絵画を飾ることなく、障子の光演出とか襖の美術に親しんできて、それを心身に作用させるような生活の形を成していたと見なせる。そう気付かせてくれた。
工夫の辺りを”外”から指摘されるとやはり嬉しい。同じように外に向かってなんらかそれっていいよね、とかで指摘できることも大事なんだけど、勉強不足、の方につい気付かされる素人なわけです。