連載は続く~SF掌編『免疫能、認知能が育ち続けるヒトの老い』編


この問題は解決済みかもしれないけれど、幸いというか素人なもので、知らないから、ということで指摘してみたい。
摂政のこと。
やけに持ちあげれたキャラとして登場する聖徳太子像ということが共有されているみたいだ。
その聖徳太子こそ推古の時期に摂政となった。
そういう摂政と立派な聖徳太子ということで摂政イメージは出来上がってから、藤原氏の摂政との関係が出来てくる。
放送大学の日本の古代中世史の素人にとっての九州知見からは物足りないという生意気なことを指摘してしまっているけれど、第5回か6回目の講義の途中を見ていた時に、聖徳太子のエピソードが有名であることと、摂政職のイメージ上の使いやすさをつい合致させたくした。日本書紀の時代的成立過程からしてそこまでくらいは仕込んでおくこともありえたはずだ、と素人には強く思えたわけだ。
で、歴史に関する事情通諸氏の桁違いな知識量からここらを探れるとか、もう既知のこと、であるなら、紹介してくれるなり、期待したくなっている年寄りだったりする。
(日本書紀を作るに当たっての作為の要素に、後年の藤原氏による応用が含まれていたはずだ、の辺り。藤原京を帝国中央のお膳立てにより・・のことは前回かでちょこっとふれてみた)


小説家諸氏、SF系の諸氏こそ、もうおもいきり想像をたくましくして、ここらの時期のやりくりを映画の原作をめざすくらいの感じで、量産してもらいたいものだ。
そのうち、きっと研究者の方も、走り出してくれるのではないか。九州王朝あり派の諸氏においても、もう少し絞り込めて、彷徨感を薄めて、どどっとおもしろいし、実のところにより近づけさせる説を噴出させてくれるのではないか。
それに折角の森氏の仕分け作業を、応用し切れていないところを、森氏にかわってたとえば映画にもできるくらいのドラマにも、研究成果にもしてもらえそうだ。


当方、年はとってもたいしたことないやつなので、自由をはばたかせて、の自律の話はなかなかできそうにないけれど、介護職経験から、死別とかなんらか境遇を突然変更せざるを得なくするようなことがごく当たり前に起こるのが長寿の世の中なのだから、ということで、特に女性諸氏における自律力のことはふれたくさせる。
田舎育ちの線からも、若年時に、親しいだれかを置き去りに自分が逝ってしまうような場合に、相手が対だった相手に固執することも変なことだろうし、固執を強いられることは更に変なことだ、という話に頷けていたタイプだったからか、とにかく、老いて、それまでも対話相手をつい身近に求めてしまうだれかだったり、もみ合う相手をつい求めてしまうタイプだったりするなら、万が一、その頼りの相手が突然いなくなるような場合、当然のこととして、新たに日々そうしていける相手を探すことはちっとも不都合なことではないはずだ、と指摘してみたくなる。
もちろん、いざ探すとなるととてつもなく危険を伴わせる。危害を受けやすいとかの話であるより、夫婦的どうってことない距離を取れてしまう辺りをすぐに実現できる相手を得られるとは想像しにくいわけだ。
話す機会を持って、それがお互いに、それぞれ優先順のトップを共有してる感を放ちだすと、お互いにとってそれは勘違いだよとは言いづらい。もうその時点で、懐かしい距離感の回復話になってしまう。もう無理かも、ではいかにも寂しい。
一方で、年寄りのばあい、いついかなるきっかけで体調不良に陥るとも限らない。
そんな時にも、自分こそその人なら優先順トップで面倒を見てくれると期待できるとかお互いが見なし合ってしまうと、これも多分、不都合を巻き込みやすくする。
都合、不都合のこんがらかりは、人間関係が複数になるほど、簡単に生じやすくなる。
だから形式的にでも、夫婦の制度はその場合の逃げ道を提供はしてきた。言い訳となる。だって夫婦だもん、で済む。
だから、と素人的には、夫婦だろうが、そうではないとにかく若いころから、両性において、自律できている条件を確保し合える世の中のしくみとか慣行を用意できた方がいいかもね、など想像する。
大抵先に逝く男たちは、残る女たちの将来のために、信用できる知り合いを並行的に何人かでも付き合ってもらえるようにしておくとかが相応しい。自分は特に知らないけれど、円滑な付き合いが成り立つような知人・友人つくりをお互いが邪魔しない。時に共通の友もいたって、的な散らばり方の方が良い。そして磁力は信頼し合ったその時点での心を占めるお互いでいいわけだ。
そういうそのかなり先に老いの年代での、悲しいけれど、出発でもある別れを何度か、女性たちは経験しつづけることになる。ごく少数の男性たちもそういう準備が要る。


縁側で10分とか30分とか2時間とかお茶しながら雑談できる間柄ってのだって、それなりに乙じゃなかろうか。年よりじみすぎているか・・・。

若者作家こそが老人期の(本当に長い!!)長年月を描く想像力を育ててもらいたい。