連載は続く~SF掌編『夏のように感じるかもな今日一日』編


US 発信を信じてというか感化されて自由のなんらかをイメージできているとして、その時に、US 本体がそこを強いて言わないことにしてきたおかげで結構せっかくの試行錯誤を失敗させがちにしてきた筈だという辺りを指摘することは、素人にとっては簡単になる。
それは既に諸知賢においてネット(の時代)以前から発信されていたから。
どういうことかというと、US は(古びた言い方をたまたま使ってみるなら)”深層心理的”に若者文化の勢いでなにごとかを成していく。若者期待をなぜか発揮しがちの土地柄だ。
地域の伝承によっては違う所もあるかもしれないけれど、海外へ費用のかかった発信で散らばる印象操作ではとにかく若者文化が実質を支えている。
その欠陥(といってしまうけれど)を見ないことにして結局、たとえばナーシングホームは先進国USには相応しくない展開を温存していると言えそうだ。
その失敗の原因をしっかり踏まえて、US 印象の自由とか生活のあり方とかについて試行錯誤できるなら、必ずオルタナティヴでの結果くらいは得られる。でも見て見ぬふりのところに、気付かないでいると、一見民主主義系のプロテストとかと思い込んでいることが、混乱の後の成果を生めるとか程度の試行錯誤にさせがちにしてしまう。
大きく歴史展開と見れば、どこかしらで偉大な実験を成しながらヒトはより上手く共存できるやりかたってどんなだ?とか試してきたわけだから、諦めて”不良のり”に誘われるよりは、多少不良じみてしまったとしても、試行錯誤で共存可能性の細やかさとか大胆さとか端折らないやり方を模索し続けることは大事だし、そこらは若者の特質で信じ込みの突進系も仕方ないとしても、年寄りたちの試行錯誤が紛れ込んで単調に強引にできてしまうことのない程度のパスカルの原理が参入という契機と関わり続ける必要も指摘できる。
そうなると年寄りが無理、無謀に忙しくなる?それではまずいので、それこそ若者へは年寄りの尊厳をなんとか保つそのことも、試行錯誤の内、と言っておきたい。

ところで、自律の論というと大袈裟だけどその素人流を少しふれてきているわけだけど、うすうすかパッとか気付かれていると思うけれど、昔も今も超資産家の系統は家族を実は大事にしてきた。
資産を散らかさない工夫をしてきた。
子供は独立だ、親離れし度の巷は散らかって、返って効率の悪さを実質では体験してきているはずだけどマスメディア経由の印象操作は強烈だから、違うかも、とか思えても、大勢には流されがちにしてきたのではと察する。
そういう事態推移は、コロナ騒動でもそうで、政府はどちらかというと要望へはイエスに近い方で応えて行かざるを得ない。でも旧態の与党なら、内部に異論噴出を演出できる術を持っていた。野党はその時点で選択を誤ると、メディアの圧の悪い面に付き合わされることになりかねない。
マスメディア発信は、内部の詳細においてはカナダの知賢が発信してくれていたように、様々の情報が散りばめられている。だから研究者にとっては、型どおりには、偏ってないんじゃない、とかお茶をにごす発信しかしにくい。でも、どの時間帯にだれに発信させ、そのことば選びはとかでいくらでも印象操作は濃度程度のことも簡単にできてしまうので、大勢はそうではなくても瞬間瞬間の実際の現場から遠ざかりがちな政治関係者ほどマスメディアの騒ぎを踏まえるような情報操作に乗りやすくする。で、世論が騒ぐからで、コロナ騒動の今進行中のようなことにしがちで、選挙結果とかを知って後悔しはじめても遅いというようなことが土地の性格によって起こり始める。
話を大幅に戻して、たとえば、農業を代々の諸氏においてはだからトウシロウ(素人をきつくいう言い方ですね)は困る!と直観的に反応されたのではないか。
女性たちの将来も確かにそうだけど、土地としっかり結びついて継続することの重みを熟知している諸氏にとっては、肝心な事を忘れてない?となるはず。資産とか、引き継ぐ財産っぽいイメージのこと。
だから素人が簡単に指摘出来たのは、昔でいえば無産な層にとっては比較的応用しやすい辺りとなる。
ただ今時、そこらを踏まえないわけではないので、それにそれぞれ事情、ということを想起できれば、その先の試行錯誤は個々の事情に即して形を試してもらいたい、ということになる。そしてその具体的な形が更に応用の試行へとつながる。そういう誘い。
実際にどう資産の性質が機能していようが、一方で厖大な個々の女性たちが長生きし続ける。厖大だ。そして長年月。施設に放り込んで後はなんとかなるさ、ではもう済まなくなりつつある。
実際に、個々のご家族においてはしかたなく施設入所、という切羽詰まった感の方が大勢のようだ。
心配しつつ、でも家族に含む形で面倒は見切れない。そういう老後老人諸氏の扱いの難しさは、若者も含め、個性の熟成とかを想像してもらえればおわかりになるのでは。
だから、過疎地において、家族の面倒にはならず、自分ではってでも自活生活を選択できる幸運な老人たちはそこでくらしたがる。それこそリアルだ。
若者たちが農業とか牧畜業(BS 放送で見ているとかなり大変だけど工夫次第で興味を誘う)とか漁業とか自発的に引き継いだりやりたくなるような大局をいじる策での工夫のフォローもきっと要る時期にきている。
資産系というか金回りの良い人物の一つのやり方については周知になっているとおりで、丹下左膳大河内伝次郎氏、でここでは鞍馬天狗のアラカン嵐寛寿郎氏。氏は同棲して、離れる時には住まいなど資産を相手に与えてしまったという。そういうことを繰り返した稼ぎ手だったようだ。
無産でない層はそういう生き方、関係性も可能ということ。個々の試行錯誤は様々だ。