連載は続く~SF掌編『前回の補足をからめて』編


実は・・のところ、ヒトということでそう完璧さを求めない範囲でなんらか最善を模索す
るようにして、力まず、の辺りで、事態を見据えると・・・という具合に、列島を織り成
す気質たち、と想像してみる。
実際的にかなり寛容だ。
明治以後の独自性を織り込むと、(征夷大将軍を表の仕切り役に向かえた)江戸期とか軍事
体制由来のしこりゆえかとか、より明治以後のしがらみ由来かとか、色々憶測くらいはで
きそうだけど、幅を効かせていた勢力が、趨勢の移ろい、いたずらから、威力を弱体化さ
せて、それまで威張りまわっていた対象たちから逆のことを仕向けられる等の現象は差別
人権問題としていつでも繰り返されがちにする。
痛めつけられる立場が、その痛めつけ方をなんとなく学んでしまって、別の対象へ同じこ
とを真似て繰り返してしまうということも起こりがちなことだ。
何かに属してそれへ勧誘する、というかせんじ詰めれば営業っぽいかまえを採るよりは、
個々の志向をお互い様で暗黙に認め合う方を選びがちにする結果が寛容と見なされること
は、悪いことではない。今時は営業圧行使を逃れられない人々の方が余程多い世の中だか
ら、そこらは相当に質を異にしているだろうけれど。
中央集権を工夫してきたそのシンボル系は盛って追うような個々の利害を表現してしまう
ことは避けることを試行してきた分だけより多くの利害調整役をこなすシンボルたりうる。
盛るとどうしたってその他とは別の選択欲で頭が一杯になりがちだ。それではまずいこと
は巷が一番熟知しているから、それとの距離の取り方の上手なやつはそれなりに一目置か
れるし、尻を追いかけがちな若者たちはちょっとばかり軽く見られてしまう(それ以上に
万が一の時に役立ってくれ無さそうとかの心配を誘うわけだ。利害調整できそうにない的)
。そういうリアルは普通のことだ。
そうは言っても、おおやけを慮ることはそれほど必要ない厖大な巷の人々にとっては、む
しろ”自由”を謳歌して気持ちを激しくつつも平穏にしておいたほうが世の中は治まるよ
うに作用する。

完全版とは言い難い思考能まで身に着けてしまったヒトだから、たとえばずっと同じこと
を続けること程度でもすぐに限度に気付かされるくらいだ。
同じ長い時間を待つとして、その間、1ずつ一億まで数えればかなり時間かせぎになるの
に、そんなことにはすぐに飽きてしまう。数えきれない。それが普通のヒトだ。
仮に、だれかが付き合ってくれて、プロレスごっこでもいっしょにやってくれれば、その
間、気付かぬうちに時間だけ過ぎ去ってくれている。も少し遊んでたかったな・・とか思
えてしまう。無いロープめがけて投げ飛ばせば、その無いロープに弾かれて戻ってきて、
一発くらうくらいの派手なアクションもこなしてくれる。


じゃ、力の素は・・となって、宇宙の始まり論も考えたくさせる。
そっちへ行くの?と疑問を持つ変わった考えもあってよさそうだ。
その時、その時に何が残っていくか、そういう条件と偶然的な遭遇の結果だから、かなり
偶然が絡んで、時に地球的表面を構成できる。
その仮定から、同じ地球形成史でも違う生命構成は充分にありえた(はずだ)。
ただし、その場合程度なら、DNA的な素構成は一緒の可能性大。
そいつらがでたらめに形を生成して、残り方の問題の場合なら、ということで。
だからいかにもな細胞っぽいのが出てきてしまうと、色々話はし易いけれど、原子とかそ
の辺りになると、力の作用で離合集散を言うような話にしがちだ。
それぞれ、大変に込み入ってそうでシンプルな事の関りに映る。
免疫系もかなりが持つ。そしてそうなっていることで、残りやすいし、自らを痛めやすい。
喜田氏が慎重に表現していてくれたように、インフルエンザウイルスは、流行性と表現さ
れるようなヒトを介した変異の中で、病原性を強める。喜田氏の慎重さはそこで発揮され
ている。
ヒトの身体でやたらと増殖しやすいように変わっている。そこを病原性が強まるようなと
らえ方として指摘されている。
やらたと増えて、風の症状をより悪くするだれかにとっては病原性=重病化に近づかせる
けれど、免疫系が働いて、一時的に増えてきたのをかなりの時間短縮で制御できてしまう
丈夫な身体の持ち主のことも無視できないのだから、病態表現はヒトそれぞれに応じてと
なる。そこを読み手はしっかり押さえておかないと、先走り、曲解してしまいかねない。
重病になる場合もあるだろうけれど、それでも発熱後の免疫系の活躍やすばらしい、で軽
快してしまう元気ものも、見た目軟だけど丈夫系も大勢いらっしゃるわけだ。
性質上のウイルス増殖としての病原性はしかしリアルにそこで発揮されているわけだ。
例えばの話、その病原性が強まったインフルエンザウイルスがヒトの免疫系をさしおいて、
ヒトをばったばったと倒してしまうような病原性をヒトに発揮してしまった場合、それは
自身であるインフルエンザウイルスにとっての重病化的病原性ともなってしまうわけで、
(インフルエンザウイルスをヒトに例えて)笑うに笑えないということが起こってしまう。

http://www-utap.phys.s.u-tokyo.ac.jp/~suto/myresearch/kasukabe_kyoei04web.pdf
を見てみると

水の分子の大きさ10のマイナス7乗(cm)
酸素原子が10のマイナス8乗(cm)
原子核が10のマイナス12乗(cm)
陽子が10のマイナス13乗(cm)
クォークはマイナス16乗(cm)

クォークを1mmに例えると、
陽子1m
原子核10m
酸素原子100km
水分子1000㎞

ちなみに国際宇宙ステーションの高さはネット調べから408㎞
たとえば水分子についてイオンの状態うんぬんを考えず、積み木細工っぽく単純化してみ
て、
酸素原子が1000㎞の大きさの空間を水素原子とともに構造を作っている。
これでもスカスカ感をかもすけれど、原子核クラスの動くものにとっては、その空間内で
たった10mほどのが動き回る。そらを飛んでいるかなりの小型飛行機っぽい。
超こまかいと一応イメージしておける動くなにがしが、通過してしまうとか、レントゲン
撮影が出来てしまうとか、その手のことのあり様が少しは分かる気になれる。
これだとワンパタンな発想にさせかねないけれど、赤外線とか遠赤外線とかの効果とか、
放射性のカリウム同位体の話とか色々、別の体験をヒトはいつもしていたりする。
そこらを生成と絡めて進化の話に載せられる話にはできなかった。


社会というか、ヒトが観念的にひねり出した技の厖大な中に諜報という分野も含めてよさ
そうだ。
そのことを否定的にことばにすることは簡単だけど、なかなか難物には違いない。
人々の全てが同時的に並行的に奥義のところを共有し合えて、ことばを交わし合えている
なら、諜報のなにがしが暗躍しようが派手に表をかき回そうが、そう入り組んだ事態を生
じさせずに、激高とかも誘わず、ちょいちょい、と肝心の所を抑えて、事態を収束できて
しまいそうだ。でもそこがヒトのできないところで、奥義を共有なんていうことは当分は
難しいままだ。
だから事情通の度合についてのグラデーションが様々に生じて、思惑が思惑を生じ、そこ
に怨念や嫉妬やゲーム感覚や色々が動因として働いて、巷からは迷惑な混乱を生じさせが
ちにしてしまう。競わせて落ち着きどころを探らせればいいんだ、と突き放すある種の指
導層も確かに歴史的な観点かもしれないけれど、愚かなせめぎ合いと見ることのできる観
点も貴重で、改良の余地を残していると見る接近も一方で欠かせない(はずだ)。