連載は続く~ SF 掌編『現状の列島版古代歴史にだれもが簡単に接近できての表現法など』編


BS NHK にて2本の番組を見ていて、それらをきっかけに使って以下につなげたい。
コズミックフロント選で『アイアン・プラネット」』(Ⅰ)の回を再放送前に録画分を見てみた。
もう一本は先日再放送された『邪馬台国サミット2021』(Ⅱ)という2020年放送だったらしい番組。
Ⅰでは村上恭通氏の研究をクローズアップしていた。
村上氏の2007年刊『古代国家成立過程と鉄器生産』(青木書店)では、その時点での考古資料にもとづくいくつかの画期を整理されて、紹介してくれていた。
素人による大雑把な更にの整理をしてしまうと

①それまでは多分自前の鉄素材を持たない列島環境において、6世紀後半以降に考古遺跡として製鉄炉が出現してくる。地域としては中国地方(備中・美作・備前・備後)と北部九州。7世紀後半以降炉数や規模が縮小していく。(* 庸調のための安定的鉄生産基地として以後も活動を続けたのが備中・美作で技術上は旧形のまま)
②①が育てられて、政策的に近江が拠点的な製鉄基地が営まれる時期を迎える。
③②の近江が発信源となって7世紀後半以降に北陸・中部・関東・東北南部に製鉄炉が広まる。(鉄アレイ型掘りかたをともなう長方形箱形炉そして半地下式竪形炉が8世紀前葉以降に広がりだす)
◎ ざっと7世紀後半から8世紀初頭に古代鉄生産の大きな画期を見ている。

易経由での鉄素材移入について舶載と表現されている。

相当な量が流通した。

戦争して秩序系を保ってなんぼと発想する脈々も世にはいらっしゃるけれど、一方で争いごとを避けて住み分けるにはで発想する脈々も膨大にいらっしゃるわけで、ヒトの心身問題を想起できるなら、一定のストレスは受け入れつつ、害となるそれはできるだけ避けてこその元気な心身保持可能性、ということは大昔から自覚できていたろうと思えるので、戦闘専門要員を常時実質育てていられる裕福な土地柄以外では、多分、後者の通常なノリを集団の営みに採用していたはずで、ここらから素人仮説を持ち出すと、鉄器の強さを誇張するタイプの歴史認識に誘うよりは、鉄器の利便の強烈さの方で誘いたい気がする。
特に、生活のリズムにまで浸透してある程度破綻のない日常を可能にするタイプの宗派宗教が広まった土地柄間の過激な争いごとをついこの間までこなしていた西欧脈の発想からする秩序観には素人的には一応の注意を促したい。そこらをもう少しニュートラルにして、これからを模索するヒトの性質(さか)を考慮できた秩序観の育みを経て、住み分け発想系とより実りあることばの交流が可能になるのでは、と外野的な位置からになるけれど投げかけてみたい。広く"帝国"発想から、張ったりをぶちかますなんらかの強大さ表現を保持して、他の膨大時間については平穏をできれば保ちたいという方法もヒトの営みでは便法にしてきたようだ。
蓄えの極端な膨大量が私物的でしかも私の観念が未熟というのか、万が一の人助けに即機能すべきところをそうできにくいからくりの方が育ってしまっている、とこれも素人的観測なので、蓄えの大本、その昔の起源めいた話を『書記』の一説など引用してふれてみたい気もしているけれど、それは機会を見て。
蓄えの焦点を国民国家の税収に当てるようにする仕組みも対比的には持ち出せるけれど、ここらはマクロ経済発想での工夫の方向性は示されつつ、蓄えて巨富をなす圧が強力過ぎて、いつでも大判振る舞いするのが国民国家の側としがちで、吸い上げる時にはいつのまにか薄く広くと巨富への負担が相対的に極端に軽くなってしまうなど、マクロ経済を工夫発想したその発想の魂は掬(すく)い上げにくいままにしがちだ。
いつでもおせっかいが欲しい人は多分、ほとんどいらっしゃらない。でも、その特定の短期間とかきっかけの時に助力のあるなしで立ち直れるかそうできないかが決まり勝ちになるそのケースバイケースの事例の蓄積効果を活かせるはずのところを外しがちにしてはいないか。簡単な例で言うなら、その時期において適切な技能訓練を受けて就職できて一定期間以上の確実な就職状態を保てそうだと自覚できる時期まで、生活の状態を保てていれば、後はなんとか自前でできるようになる。工夫次第で早めに安全のための蓄え程度は作れる。でもその肝心の短期間をフォローしてもらえるか無視されてしまうかで、極端に振れる。そこらへの"公"や"私"やからの関心は欠かせない。手続きに振り回されないショートさせうる人材も巷に散らばっている必要を指摘できる。

邪馬台国話の方(Ⅱ)では、近畿圏での中央集権開始の突如性の説明のためか、伊都国が近畿圏は移動したという説が紹介されていた。(纏向遺跡の主勢力?)
倭が新たに成った日本と合体して内向きには大倭としたのと対照的に外向け表現は日本を取った。ここらは、移動元の北部九州の有力脈すら、形跡を無くすことが要請されたはずで、中央集権仕立てを理解できた脈がより中枢を担うことになる手順は厳密だったようで、長屋王の事件などは、(北部九州有力脈)連立的率直さで架設の天皇藤原氏の仕組み理解度未熟ということで処分対象となってしまったとも素人からは思えたりする。
その意味では、初期の中央集権化事業は強引のそしりをまぬかれそうにない。後々わかる脈にはわかるはずの奥義(おうぎ)が漢字の使い手諸氏にとっては違和感なく使いこなせたその極く初期の漢字かな混じりの文章作法が、いつのまにか漢字は漢字でかなはかなと別々のを組み合わせる発想こそが通常のようになる使い勝手の断絶的変化を当初の利便性を採った当時の人々は気づいていない。そういう偶然的契機を経て、列島独自に中国系統の漢字の呉音や漢音を混用してしかも草書体だったはずのかなをかな文字として育てて口語まですらすらと使いこなす昨今に至っている。ことば上の中央集権事業は列島史においては相当に成功したと素人は見てしまう。ただ素人発想からは各地方言の豊饒を、その土地土地では充分に通じてしかも近さと密接だった辺りを犠牲にしてしまっている現象とこれも外野的発想だけど見てはいる。外野的観点からは、方言の営み上のノリが包み隠して仕舞う冷静で率直な語り合いの微細な辺りへの試行錯誤は残したままでは、とも見聞体験からは感想として持っている(冷静で率直なが上手くいくならの話だから、そこらを踏まえた工夫の結果なのだという返しもありうる)。
とにかく中央には、大国のプッシュもありえたのだから、相当に技能系も集まっていて、鉄の事例もそうだったけれど、印刷面でも工夫の圧が加われば即対応できるというのか、称徳天皇の頃(8世紀末に近い頃)には百万塔陀羅尼という事業すらこなしている。技量面での下支えもありだし、それなりにやる気のある藤原脈もその他の有力層を巻き込んで活躍していたはずなのに、正規の歴史書は三代実録で終了。
また『古代日本の官僚ー天皇に仕えた怠惰な面々』('21 中公新書)も参考になるけれど書記にも一々しっかりせい!的な叱咤激励する内容が時々登場するくらい、中央集権のための官僚機構に適応し損ねているようなだれかたちを想像させる。
だから組織的な締め付けタイプの中央集権には向かないとしても、文字のような重宝ななにがしを皆で使いこなそうぜ、となるといつのまにか達者なやつを含めより多くが日常不便をかこつことのないような使い手に育ってしまう。ここらの不思議を、かたぎ論ではなく、中央集権とか啓蒙の線でヒトの営み試行錯誤の観点から、論じてもらえるとありがたい。

ちなみに、製鉄の列島版展開については、村上氏論文も含まれているちくま新書『考古学講義』('19)の編著者でもある北條芳隆氏が、上記『古代国家成立過程と鉄器生産』のp102に "図41 全国の弥生時代後期・終末期器種別鉄器出土数(北條芳隆氏提供)"として立体図表表現を用いて、鉄製品の種類と地域分布と時代推移を大変に受け入れやすくしてくれている。
今や、表現方法とかデータの集中的整理表現とか、PCとか使いこなすのが普通になっている条件を前提にできる表現法で、たとえばことばは古いけれどハイパーリンクをとことん使いこなすとか、データを一括表示して、現状理解の手助けとできるとか、研究のその先の一歩を踏み出しやすくする工夫はいくらでもできる余地だらけのように素人からは見えている。
教科書ならば、その制約を逆手にとって、既知の考古データを解釈別に一覧してくれれば、村上氏らの鉄知見を踏まえることが一気に常識にできてしまう。
その近道とその先への挑戦のしやすさの落とし穴を防御する意味で、たとえば放送大学の『錯覚の科学』を学習できる諸氏はそうするし、できない諸氏でも、データが生データではないことの省略された膨大な"データ"域を意識して、生データにアクセスできない立場をもったいなく思えて進学の動機付けとすることもできる。どこそこの大学へ行けばとかどこそこの大学のだれそれのもとで学習できればとかの話。
そこで未だに一覧化していないはずの、以下のような簡単な事例について、たとえばで紹介。

<<人口圧>>
鬼頭宏著『図説人口で見る日本史』('07 PHP)
  弥生時代:  59万人
 700年頃: 610万人
 950年頃: 500万人
1100年頃: 590万人
1600年頃:1700万人
1700年頃:3128万人
1870年頃:3330万人
  (丸山氏は医療の進歩を否定しない立場から、列島環境にとって無理の少ない人数とされている)
1940年頃:8390万人
鬼頭氏の著作は、ネット検索の歴史人口関連では多くにおいて引用されている。
* 農作物依存とその生業との事情から来る人口圧を踏まえた鉄利用(人口圧が何よりも圧として機能してしまう)が武器に向かうよりはの辺りを、他の諸事情により武器を選ばせつつで使わないで済む知恵の辺りとして、オルタナティヴの実相把握に役立てそうに素人からは想起できる。(狩猟採集系の人口圧は飲み込まれてしまう。農系は皆ごいっしょだ。悪戯に嫌なストレスを持ち込みたくはない発想を共有できる。でもの辺りに注意が行って専門筋の考察が欲しいところだ。特に分業化後の農離れした膨大な給料生活者の"群れ")
ここらのその先についてはUSのかつての子供向けドラマとかを持ち出して、更に展開可能。

<<気候はどうだったのか>>
以下のデータは吉野正敏著『4~10世紀における気候変動と人間活動』('09)から
[屋久杉年輪の炭素同位体比からの推定]により以下がわかる
  1世紀から2、3世紀:昇温期(1世紀の初めの低温からの推移)
       4世紀前半:温暖期のはじまり
4世紀後半から6世紀初め:地域によって低温期が生じた
     6世紀初めから:温暖期
(  8世紀から10世紀:この時期が温暖期のピーク。旱害、風水害多発)
    8世紀中ごろから:急な温暖化傾向
         9世紀:1から2℃上昇
        10世紀:ピークの最終期
        11世紀:ピークから下げの傾向を生じた。(気象が不安定化へ)
年代で表すと以下
          ~200年代まで:低温期が上昇傾向へ
         300年代前半から:温暖化がはじまる
300年代後半から500年代初めまで:地域によって低温期が生じていた
         500年代初めから:温暖化が本格化する
          700年代中ごろ:温暖化の趨勢が顕著に
             800年代:大きく気温上昇(1から2℃)
             900年代:温暖化趨勢のピーク最終期
            1000年代:徐々に低温化への趨勢が生じた時期
吉野氏は超有名な安田善憲氏との共著を持っている方だ。