連載は続く~ SF 掌編『そろそろ・・・』編


ヒトは切羽詰るような状況下、得てして考えることも含め、慌(あわ)ててしまいがち。
そこで、たとえば避難のためのトレーニングやシミュレーションの類を日々積み重ねたり。
その実質の所は、心身へある一連の動作に慣れさせておくということを想起させる。
そうしておけば、直感的反応に近いごく短時間での緊急事態への対処可能性について、蓋然性(がいぜんせい)を高めておくことができる、と目論(もくろ)めているわけだ。
想定状況との離れ具合とか状況判断とかその場で生じ易い問題群はあると思うけれど、それでも、近似対応として、慌てふためく状況をかなりの程度制御させた上で実際的短時間での対応可能性にかけることができる。
コロナウイルスがヒトの巷を騒がせている(ようだ)。
まったくわかりにくかったごく初期ということを多くの諸氏において想起できる今時を押さえておける。
やがてある程度、どういう過程でのできごとかをたとえ暫定的であっても整理可能な時期を迎える。
素人的にはその2020年(令和二年)のいつ頃かで軌道修正が必要だったはずだと指摘してみた。
なんだかわからない恐ろしいコロナウイルスによる病気へ、一般の諸氏が対処すべし、だと、それこそ困惑(こんわく)が続いてしまう。
ニュース系の番組で大活躍の解説諸氏においてはその為の素材が提供され続けて、なにやら恐ろしい病気だから充分に注意しなさいということを用意された時間を丁度使えて発信することが各局で繰り返されている。
感染症とかウイルスとか実際にはサイエンスとまでは突き詰めなくても、諸専門家にとっても難問、そう簡単に整理できる事象ではないことは周知のはずだけど、ニュース報道でわかりにくい分野とかハッキリ言い放つことはできないし、素材提供の準備が良いのか、ことばだけは連ねられるようなことになって、難しいはずなのに、わかったようにすらすらと怖いよと発信し続けているのが今時だ。
その空虚(くうきょ)を素人が指摘することは簡単過ぎる。
でもある"世界"ではそうできてしまっている。
それら報道解説ではマスクをしていても感染するんだ。怖いだろ?と言ってのける。
すこし落ち着いてみよう。
声は小さいようだけど、マスクの目の細密さはウイルスを通す(そうしない高価なマスクもできているようだけど)、と一方ではささやかれ続けている。
万が一の切羽詰った状況ということを思い出そう。
慌てない策が必要だ。
マスクはツバの類をマスク内に留めてくれる便利な道具だ。
クシャミやセキが激しい病状の時期にはそういう目的で使える。
コロナウイルスをめぐる賑やかな話題はヒントも提供してくれた。
コロナウイルスはクシャミとかセキで放たれたとして、結構な時間、再生できる能力を保っている。感染源としてそのままでいられる。数時間とか。
だから・・と即諸氏においては想像できたのではないか。
マスクに溜まったツバの類はウイルス保存庫になっている。
そして目は粗い。距離を取っているとはいえ、放(はな)たれ移動に応じて空中を舞うのだから、感染を広め易いと考えるのが感染予防のためになる。
そして、この手の観点に役立つようなことばが実は報道系からは希薄なままが続いている。
安価だし手に入りやすいからこそ(クシャミ・セキで汚染されたり、無症状の感染状態な場合)ごく短時間で使い捨て(捨てる場所をどうするかも要注意だ(ウイルス貯蔵庫になっているから))する必要があったわけだ。
流行の方は、おしゃれなマスクとか恐らく使い捨てたり、しょっちゅう洗い流したりしていない使い方が"蔓延(まんえん)"してそうな気配だ。
そして素人観測では、わけのわからないコロナウイルスという発信を訂正してインフルエンザと似た対処を考えて行動するとかなり役立つよと相当早い時期から発信しておくべきだったと考えている。
いつでも新しく生まれてくる子供たちにとっては母親の影響が無くなるのに応じて免疫系にとっては新型のなんんらかとして応じることになって、重症化の危険も伴う。
だからヒトの世(よ)は、子供たちの健康状態を活発に保つよう、色々知恵を絞ってきた。
今時は天気予報にけちをつけるつもりでは決してなくて、ただ例(たと)えに非常に使いやすいので使わせてもらうのだけど、持ち物とか衣服とかなんやかや天気変化の不可抗力に対応できるように一般の視聴者に向けてより具体的にことば使いは浸透しやすい工夫まで成されて日々・時々刻々発信されている。そういうことに慣れてくると、天気の移ろいを肌感覚でとか自然の現象の移ろいから判断するような癖を失っていって、つい言われたとおりの方へ向かい易くしてしまう。そして八つ当たりめいて、言ったとおりじゃなかったじゃないか!とか優しく憤(いきどお)ってしまうとかが起こる。
子供たちの体の活性状態を保つとか育てる発想の内実についても、親たちが自前の自力をそれなりに改良伝承してきているなら心配はそれほど要らないと思えるが、報道依存になっていたとしたら、多少心配もできそうに思えるといことを指摘してみたかった。
ヒトの世が続いてきたのは、感染症により多くが罹(かか)って、免疫能の準備を怠らなかった面を多分指摘できそうだ。
その病気、どういう過程を取る?で地域の現象をしっかり大人たち、好奇心旺盛な若者たちが観察して、ある時、見極める。そして感染を恐れるのではなくて、感染後の過程について観察して得たことの整理を試し、試した結果からより確実な方法を日常に埋め込んでしまう。だから、心身化して記憶された手法は時に迷信ともとれるような錯誤も込みで、相当に実用的な対処法として伝承される。
そこを改良込みの伝承が可能な土地柄であれば、間違いを減らし、より適切な対処法を磨き、その経験すらが、新たな事態への対処法により適切さをもたらす。
ただちに致命傷となるような感染源は、より厳密に感染しにくく対処して、封じ込めでなんとかしやすい。ヒトが移動して感染させまくるということは起きにくいから。
致命傷になりにくい感染だと、ヒトの活発さが蔓延させやすくするけれど、免疫系にとって初めて体験、となる感染の場合、特に子供たちが迷惑するけれど、そういう子供たちであってヒトは経験的にどういうからだ状態にしておけば感染に対して致命傷的な状態を回避しやすくするとか知り続けてきた。ただそれだけだと"運悪く"・・というごく少数を避けられなくしてしまう。免疫系の弱った同時期のだれかたちも致命傷を得易かったりする。
そこらをインフルエンザの現象は今時の人々へも説明し易くする。
人によってはただのインフルエンザ、では済まない事態を生じさせる。
高熱になりやすいし節々が痛んでどうにもやりきれない気分にさせたり、万病の元のきっかけとなってしまったり、とにかく今時のインフルエンザも感染しただれかにとっては迷惑至極なことはずっと同じだ。
ただそれに罹りにくくする工夫もヒトはどういうわけか心身化に成功してきた。
集中して体が疲れている。でも緊張を保っている状態、だと意外に罹りにくかったりする。
でもその状態で油断してしまうと、風邪っぽい症状に気づいて手遅れ、ということが起こったりする。
今知られてる免疫動作の二段階の初段の方の活発度が上手い具合に感染源と遭遇したときに元気だと、なんとなくやり過ごせる。でも、ちょっと不具合だったりすると、早速、感染して第二段階依存で必然的に最低限の期間を要することになってしまう。
今流行りのコロナウイルス諸症状に関しても、ヒトの世の中に引き摺(ず)り下ろして、ヒトに馴染ませることが求められている。攪乱要因(かくらんよういん)のままにしておくことは賢くないと、素人は見ている。