連載は続く~SF掌編『(つまらない競り合いにしない)良きライバルをお互いが試行できる関係』編


列島の経済の営みについては、好んで不安定さといっしょの可能性大な渡り歩ける自由を謳歌できるタイプの職に付けていることをラッキーと思える極く少数な諸氏の一方で、その不安定さに(持っている支払い手段を)使うに使えない境遇を引き受けることになるしか就職の機会を得にくい諸氏をかなりの層として持続化するような状況を続けることにしてしまった新自由主義系発想にもとづく”改革”下およびそれを是認する政治勢力の跋扈ということを一応指摘できることで、こらからのグローバル環境下での改良の筋道へのヒントくらいにはできそうに素人は想起する。
グローバル経済下、どう内輪形成するのか、どの仲間に入れてもらえるのかなどなど、思惑は熾烈に渦巻く。そこらは漠然と素人にも勢いのところくらいは想像しやすい。
より為政者にとっての内輪を食わせていく利害が作用しやすい。その錯綜という現場を想像できる。
だからそこにただ競争的な奪い合いとか駆け引きがのさばるようなことにしないための、歴史知賢とかも踏まえられるグローバル下の為政者集団、施政者間のできればすんなり感じ合えて、無茶の方に走らない工夫に時間をかけられる方法を次から次へと編み出し続けてもらいたい気がする。
そうは言っても、この間の新自由主義発想では、政府に代わりうる経済規模の個人か会社などを育てるような、そしてそれらが政治的な実効性を担うような志向もちらほらさせて、巷や専門家や事情通諸氏を心配させてきた。
ある種の理性をふまえつつ勝手を許されるその担い手こと企業というような理念型を持ち出せる。そこら民間企業における試行錯誤のうま味だし、それゆえの新陳代謝を引き受け得る。どこから必用を満たせなくなり潰れることになるとしても、他のどこかで既に試行錯誤、雇用機会が育っている。その重層ゆえの安定感。またそこには暗黙の前提として、最低限必要なものであっても形としての具体性において、需要の量的な不変などありえそうにないことが踏まえられている。なんらか浮沈を伴わせる。だけど世の必用を嗅ぎ取って、必ずその勝手さゆえに試行錯誤がどこかしらで始まっていて、成功・失敗のフィルターを経て、安全だったり、便利だったりの商品として一定の評価も得るようになっている。
だからそこに雇用の機会も生じている。
それがまた円滑に進行していれば雇用の機会を巡っての不安定を心配することはないのだけど、残念ながら、給料水準(ここらは給料の仕組みをめぐる議論とも絡んで、両論のようなことも生じがちにするけれど、生活がらみだから安定性・保守点検的な性格が強く働く場面と考える方が適切と素人は見る)が人生の途中で大き目に動きかねない生活上の不安定要素ともなりかねない。それではまずいわけだ。
で、これまでの難しいグローバル経済の営み下でも工夫して何とかやってきた列島版経済の営みではあるけれど、その弱点も実は明確に指摘され続けてきたわけだし、そこに手をつけるにはグローバル人脈上のしがらみと距離をいかに取れるかの巧み技がどうしても必用だったしそれが難しいからこそ問題は残ったままで、実際の多少は相対的に豊かな列島の経済の営みには脆弱な要素がもぐりこんでしまっている。もちろん、財政依存の隠れた経済要素もあるけれどそれは(必要に応じて、応用のためのツールだから)置いて、日銀の問題、財政の問題はいつかは解消されないとやはり、駆け引きに遭遇しやすい弱点のままだ。
でも一応、素人観測では、生活パタンの一部についてちょっと譲れるかもの話はしているので、ここは、そうではあっても石炭火力や石油火力やガソリン車を認めなくするやり方には大変な器具を持つというようなことばを使ってみたい。
でも政府系は工夫してグローバルな流れに折れて、そのことである範囲で悪だくみの駆け引きにしない範囲を持てているようにも見える。
その方向での工夫を一応受け入れることで、邪魔し合う駆け引きの嵐に巻き込まれることを避けているというような。
でもついていきすぎると、途中で梯子を外されると素人は想像してしまう。
なにしろ長期趨勢での寒冷化の論を先駆的に成したのはむしろヨーロッパ勢だった。
気温の趨勢の変化は如実で、それは地質年代からすれば短期に移ろいやすいことがデータからハッキリしている。
いつ何時(なんどき)ちょっと上昇傾向になるか、低下傾向になるかわかったものではない。気候モデルは未だごく限られた確実な媒介しか取り入れることに成功していないみたいだ(先日の丸山本)。
からからだと氷河になるほどの水分に足りないということは直ぐに気付ける。
でも水分たっぷり現象が続いているならば、寒い季節と暖かい季節の移ろい方次第では確実に氷河の蓄積に寄与することになる。
火山活動も水分と縁が深い。
炭素を資源にして回す発想からの発明発見があれば、厖大に発生する二酸化炭素を回収して、資源化するということが可能だ。炭素の可能性については既知のことだ。
結果としての二酸化炭素の説にちょっと傾いて仮説できるならば、何かが起こっている、ということに発想のその先を進めることができる。一体なにが進行しているのだろう。
今の原発は核エネルギーの使い方としては乱暴なタイプで、ウラン、プルトニウムをどうしても巡らしてしまうテクノロジーだ。
そのオルタナティヴはUSのローレンスリバモア研究所が先駆的なアイデアを発信していたことを中公新書だったか、古川氏の新書で読めたわけだ。
ローレンスリバモア研究所はそういう試行錯誤を他にもしているようだ。だから中にはしっかり市民が監視しないと危ないことも含まれているかもしれない。
安定で、ゴミにも心配ない小さい核融合に成功するなら・・・という極端な寒冷化に向けた期待を素人は時々書き込んできている。
今の原発はごみ問題の典型で、プラごみよりも始末に悪い。今の話題、ニュースで充分に気付けることだ。
方法を変えるだけで、少しだけ問題を先送りできることは昔からわかっていてそうしてこなかった。
10万年サイクルの氷期の到来を避けられないことと核ゴミの膨大量を想像したくないだろうけれど、現生人類にとっては寒さ対策だけでは済まないお荷物とご一緒で、やり過ごす必要を自らが持ち込んでしまった格好だ。
外国からの観光客のおかげ、低価格の商品のおかげ、不安定な低給料の仕事に就く沢山の人々のおかげ、そして大変な環境にしがちな施設介護に我慢してくれている沢山のお年寄りのおかげ、そういってしまうと介護現場の担当諸氏を一方的に攻めてしまう話になりかねないので一応弁護のために過酷なシフト順での夜勤をずっと続けるのを我慢強く耐えて介護に当たっている沢山の諸氏のおかげ(でもお年寄りたちへなにかと八つ当たり的にことばを浴びせ管理しようとする諸氏を弁護することになるわけではない)、給料バランスのちらばりが、利害のまとまり感を希薄にして、世の中の営みの不都合を改良していく合意形成に不都合をもたらしてそうなこと、それ以上に、市民的理念上必須のお互い様の応用力は距離感を持って干渉し合えることの巧み技を使いこなせる場数経験を持ちにくくしてきたことの不都合など、既存の勢力の元気だけどしがらみが密着し過ぎて言及不足成っているにもかかわらずオルタナティヴのことばが出てきにくいという現状へ、どうしようかの年寄りなりの素人流ヒントになっていると幸い。

列島在住の諸氏はだまって工夫し続けていると年寄りからは伺える。
万が一の災害時、テント生活とか、大き目の釣り用ボートでの非難とかが必須の状況も充分に想像可能だ。
今時、ビジネス系の番組でも取り上げられるくらいに、その種の物品・技の類が遊びとともに一般に普及していることを知ることができる列島だ。諸外国からやってきて列島に住み着いた諸氏が教えてくれる技や物品の類もありそうだ。
その一方で、列島在住だからこそ発想できる万が一でも生活機能として無茶を持ち込まないで済む知恵の辺りを提供できたりする。
暑いからといってばしゃばしゃ水を撒くというよりは、工夫して、ちょっと手間をかけて涼むために水を撒いている。撒く水のはねのところまで心が注がれている。それは余計なことではない。必須のことであることに気づければそれが生活上の応用力となりうる。
そういう性質のことに気付ける。
食糧・排泄ここらくらいまでは、既に遊びとともに、日々の繰り返しの中に、ちょっとした商品との付き合いの中で、部分的ではあっても取り込む趨勢を作ってしまったと言えそうだ。そういう列島を一方では伺える。
でも政府系はグローバルにしがらみがたっぷりのようで、思い切った舵取りはできていない。
万が一現野党系人士に(グローバルに関わってくる)しがらみが薄くて(グローバルに効果ありの)アイデアたっぷり系がおられるなら、きっと選挙には相当に力を発揮しそうだ。