文字使い達を想像できるように考古遺物の木簡に注目してみたい。
帝国的に振舞う唐とそれ以前の求心性へ、とにかく持続的に付き合ってきた列島"地方政府"ということを無理やり想起してしまうことを一応容認していただき、その上でならば、往来に必須の時日をある程度同じように意識できるようにする暦の類を想定することにも無理を感じさせないと察する。
つまり上記2点をどんな風に押さえるつもりになれるかで、列島内、対中国外交に中心的だった勢力の移ろいを探れると素人的には推理する。
というわけで、しかも昨今はウィキペディアの資料的分量も相当になっていて、しかも更新も活発で、とは言え、ウィキペディアでの更新や更に採用すら関心外の事象にこそ真実もありかもしれないし、扱っているからこそその内容において"外す"ことも可能になるので、その両方での検証を探りつつの作業は避けようがないと一応素人なりに指摘しておきたい。
で、今回は多少急ぎの引用作業なので、ウィキペディア(以下 wikipd と略称)を目いっぱい参考にさせてもらって、適時、手持ちの原テキストなりと照合もしながら、ざざざざっという感じで整理できた辺りを開陳してみる。
まず「木簡」。
wikipd (最終更新 2021年9月19日)と奈良文化財研究所(研究所発信だけど更新時日の記入はない。奈財研と略)の木簡のページから
* 奈文研のデータベース「木簡庫」あり
①[wikipd]年代を記した最古の木簡は、大阪府大阪市難波宮跡から出土した『戊辰年』と記された木簡
②[wikipd]日本最古級の木簡は、奈良県桜井市の山田寺跡で堆積した地層の更に下層から出土した習書木簡の削屑
③[wikipd]京畿道河南市の二聖山城でみつかった608年の木簡
⓸[奈財研]
全国の木簡出土遺跡は既に1000
総点数は約 37万点以上
平城宮・京跡で約17万点
飛鳥藤原地域で3万5千点
⑤[奈財研]
出土事例は全国各都道府県に広がり、
年代も 630年代頃から近代にまで
⑥[wikipd]点数が一気に増加するのは672年以降の天武天皇の時代
⑦[wikipd]紙が普及しはじめた魏晋(3世紀)の頃
⑧["紙の歴史|平出紙業株式会社"から]
正倉院にある702年に作られた紙は、
美濃(みの)・筑前(ちくぜん)・富前(ふぜん)で作られた十種で、
楮(こうぞ)が原料
751年タラスの戦い中国兵捕虜に腕のよい製紙技術者→
→757年月桂樹や桑などを使った「サマルカンド紙」
つぎに「暦」
①元岡古墳群(福岡県福岡市)出土の金錯銘大刀に「庚寅正月六日庚寅」の銘文
元嘉暦に基づけば570年1月6日と推定
日本における最古の暦使用例の”可能性”
②『政事要略』(平安期)という本に推古天皇12年(604年)から初めて暦の頒布
日本書紀(宇治谷訳)推古10年冬10月での記述に(p90)[・・などは引用者による省き]
"百済の僧観勒・・暦の本・天文地理の本・・をたてまつった"
"陽胡史(やごのふびと)の先祖玉陳(たまふる)は暦法を学んだ"
"学んで業を遂げた。"
* 元号を"衛星国"が勝手に用意することできない。許可の類が要る
* 中国の暦に修正の要・不要を判断できるだけの暦に関する知見が要る
* 農の営みに慣れている人々ならば、天然の事象の移ろいと照合させたシグナル整理が厖大に繊細に可能だ(カレンダーの類を使わなくても特に困らないし、使うなら使うでそれなりの使い方を工夫してしまう)。
* 暦が含ませる規則性は今わかっているように厳密化の"漸近線"を引ける。その性質について無頓着でいられた集団の営みの中枢では改元とか、その規則性とは合い入れにくい仕組みを介在させがちにした。
いつのころからか遡って、時日を符合させるための資料(長暦)作りが行わるようになる。
現代では『日本暦日原典』('75/'92 雄山閣出版)が知られている。
1880年 内務省編纂の『三正綜覧』
東京天文台の天文学者・前山仁郎による宣明暦時代の暦日推算・復元構想('63 中止)。
東京天文台長の広瀬秀雄が前山の構想を引き継いだ。
内田正男(東京天文台 1921-)が中心に作成に当たった。
桃裕行、大谷光男、薮内清らの意見
日本で採用された各暦法の規則
江戸時代に中根元圭・安藤有益が長暦編纂に用いた計算方法
列島での最古の暦、元嘉暦が中国南朝宋で使用が開始された年→
朝鮮半島において日本と関係が最も深かった百済でほぼ同時期に採用された→
→445年(日本の允恭天皇34年)から
太陰太陽暦が用いられた最後の年で1872年(日本の明治5年)まで
1428年間の暦日を記載
【江戸時代の暦研究人脈図】
[和算・天元術]
田中由真←(師匠)橋本吉隆(息子)-(父)橋本正数
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↓ 建部賢弘(推薦人) |
(門人) ↓ |
中根元圭⇒(洋書輸入を進言)⇒徳川吉宗 ↓
(弟子)
沢口一之
[大阪の和算家]
著書『古今算法記』
「翻狂」、「円理」
安藤有益[出羽、会津、江戸屋敷の勘定役]
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| |-(茶坊主名目で招聘)保科正之
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(師匠)今村知商