連載は続く~SF掌編『ごくたまに素人流で時の論』編


 雇用を保ち、物価の安定こそが・・ということを一応素人でも指摘できるくらいには近代試行錯誤ならではの観点として知見の達成の辺りを持ち出せそうだ。
 そうは言っても昨今、何気に日用品に関しても物価上昇傾向だ。
 貧しいかどうかはともかく、そう裕福ではない多数を形成するご家庭においては、それなりに収支を気にするような生活を強いられている格好だ。
 貧しいかもと自覚されている諸氏においてはとりわけ厳しく迫る。
 だったら物価に応じた収入を、となるとしても、その帰結はわかりきってメカニズムに応じ続ける。
 物価上昇圧を演出して、とにかく上昇の悪循環を生む。それが内側だけでのことならば、ただ追いつき追い越しの繰り返しで済むけれど、元々グローバル環境の中では、それなりの裕福な土地柄ということで、内部の格差などとは関係なく、外からの購入意欲とのバランスが微妙に揺れることに結びつく。
 内部的に、ぜいたく品を高価に作って売って生活の足しをより簡易に得られる技量を身に着けたい動機付けが、日用品の安かろうそれなり、の商品水準をもたらすこととごいっしょの趨勢を生じさせやすい。
 物価が安定して、品質保証付きの日用品の数々を使えて、その環境において、ごく少数がぜいたく品製造に流れても、多くの熟練諸氏が日用品の高品質を保つ分野で活躍してくれている土地柄がありうるならば、その土地はきっと生活し易い。
 グローバルに、同様に均された仮想的環境を想像してみるならば、内部的なその環境が成っているならば、そのグローバル環境もきっと生活し易いと見なせる。
 現状の格差グローバル環境が、低収入の生活でもそれなりの性能の日用品をごく安価に手に入れることができて、バランスさせているのとはかなり違ってくる。
 そういう生活の部分的な達成は、この列島でも数十年くらい前にはありえたのだけど、それがもう少し全般的にいったかどうかという問いかけは、動態的接近という観点からして、そう意味ある問いとは言いづらい。動態的観点において、試行錯誤し続けることは欠かせそうにない。
 色々な経済系の知見を持つことができるようになっているけれど、巻き込むお誘いの知見も相当に発達させているので、どうかいくぐって、少しだけ生活し易い方を選んでいくということも、それなりの工夫が要りそうだ。

 啓蒙の一旦を担うマスメディア部門にも期待はしたいのだけど、たとえば、カゼ系のワクチンやマスク着用に関するキャンペーン発信の有り様など参考にした場合、ちょっと問題ありだ。
 それらは万が一の危険な状況においては針の一穴現象を簡単にもたらす。
 どういうことかというと、そうしているならば保証付きだということをやたらと振りまいて、それが建前として通る状態で、今とは違って、危険で切迫した事態と直面した場面を想像してもらえれば簡単に察しがつく。
 完璧からは遠いそれらゆえに、一穴と譲った表現の事態でも問題は生じてしまう。クラスター要因が散らばって各地で感染を振りまいてしまう。しかも認証された状況下でのことだ。
 非情に危険な事態をもたらすことは、その仮想した万が一の状況において、ということでわかってもらえそうだ。
 今の状況は、ほとんどの諸氏において騒ぐかどうかはあなた次第で、済ませられる質のものだ。病院の準備態勢が実質のところで事態の逼迫度を左右した。そこへ至る保健所を含む仕組みの問題もマスメディアの担い手諸氏や政治家諸氏こそ熟知されている。そういう性質として素人でも示して置ける。
 ところが想定されるより危険な場合、針の一穴すら極小を試みられる事態だ。それでも・・という事態のことだ。
 その時に慣らされたワクチン、マスク着用信じ込み趨勢は冷静には冗談じゃないの、の類だろうが、いざその時には冗談では済まされない。そういう事柄だ。
 だからその扱い方からして、ちょっとなぁ・・・というのが素人の率直な今における見方に近い。なんとか元”気”回復してもらいたいところだ。

 多分、知見諸氏が時々指摘されたりしているようだけど、使える安心なちょっと先を展望できる仕掛け・仕組みが大事だ。それもグローバル環境が誘ってくる落とし穴やいい意味での将来展望との絡みを忘れないようにしながら。