連載は続く~SF掌編『散らかりを関連付ける』編


 ばらばらに散るネット上の情報を偶然(遭遇と関心アンテナの相互作用が主(おも))から読めて、しかし、それらがどういうわけか関連づく、という辺り。

 日頃お世話になっている新刊情報ページから南極氷床本(中公新書)を知り、その著者(杉山慎氏)が学者であればネット上で研究のいくばくかを知ることが簡単に出来るようになっている。そこで、早速検索して、著者作成のページより5分間ほどの新書内容とも関連するビデオを拝見。
 海水の温度と氷床が解けることとの関係について知ったつもりになれた。
 端折り過ぎ表現のため、勘違いされてしまいかねないので、少しだけ補足。
 南極の氷は一方で溜まり続けている。溜まり続ければ、とんでもない重量や堆積・体積(陸地を沈ませるとか)となってしまう。そこは自然、うまくできていて、流れて(場所によってかなりのスピードで氷流になっている・・ビデオ参照)海に崩れ落ちたり、伸びた氷床が海水温度次第で溶けだしたりしている。
 仮に全てが溶け出すと(氷河期が終わる決めごとの一つの条件だ)、現海水面から50数m上昇すると著者であるビデオの中の語り手は紹介している(列島の水没地がわかる絵も引用されている)。
 ということで、多少強引とは思うけれどそこは素人老人の仮説として受け止めていただけるなら、海水温上昇ということがそれなりの影響因子と見なせそうだ。
 そして海水温の上昇と関わる莫大な電力需要ということについては先日、歴史研究本からの引用として紹介させてもらった。

 時々、『生化学』誌の記事を参照する。
 "イオウ呼吸"というのが目に入った。(現段階の最新号で購入しやすい)
 でこれも"初耳"だったもので、ネット検索。すると2017年にマスメディアを賑わしていた。
 ということで諸氏においては既知のことを素人老人はまったく知らなかっただけ、ということにも気付かされた。
 とはいえ、読めば嫌気的なんとか、の内実は酸素を嫌(きら)うか好(この)むかの辺りということで、いづれにしても活力源、エネルギー生成経路ということでの呼吸過程に当たる。
 しかも旧イオウ呼吸ではなく新規のイオウ呼吸経路の発見ということで赤池、本橋の両氏が『イオウ呼吸』(ネット上のPDF無料版で読める)の中でどう新規のイオウ呼吸と押さえることができるかの概略を紹介してくれている。
 ここらは素人老人にとっては即、安保氏知見との照合へと誘う。
 ワールブルグ効果を参照した安保氏のことは何度も引用させてもらっている。
 またエネルギー生成経路の内実に関する量子論からの接近とかについても素人流わからないなりの引用を何度かしてきた。(東北大高橋、森田、鈴木各氏、大阪大松林氏らの研究発信)。
 新規のイオウ呼吸発見の話をする中で著者らは原始地球の環境下ということを持ち出してくれていた。そこらとも、逆戻り現象の性質をもつ細胞のがん化を指摘する安保氏知見と相当に密接化させるように素人には感じられた。
 ワールブルグ氏の気づきと実証の段階をより細密な経路として生体を保つ呼吸の秘密と細胞の生きのびバイアスが呼び覚ます様々の辺りへの素人関心を刺激してくれている。

 安保氏のヒントは元々持っている要素が顕現としては隠れている状態だとしても、含まれていることが何かしらのきっかけ、条件付けを得て現れてくるというメカニズム的な把握での接近ができるように考えを誘ってくれる(ヒトの体内の要請からそうなっているのだ、悪性腫瘍扱いだと間違いを起こすというニュアンス受け止めが大事になる。ただしヒトの耐性との関わりから発熱での耐性なら直感できる親諸氏がほとんどだと思うが、それと同じでがん細胞肥大現象と関わるヒトの耐性と新発見知見がもたらす治癒の対応力との兼ね合い問題が生じるのかも。だから適度な解熱という対象療法と似た症状緩和の医療もセットでとなりそうだ)。
 介護仕事で施設の利用者の方々には大変にお世話になったし人格的に自己に拘泥しない一面を発揮できるタイプの諸氏(を大御所の方々という誤解も生じさせかねない表現も当てたりした)が数人おられたのだけど、そのお一人からはテレビ番組の「ガイアの夜明け」、「ガリレオX」は面白いよ、と何度か指摘された。
 当時は介護で忙しくて、今よりは少しだけ年齢も下だったから、聞き流すだけにしていた。
 老人らしさに磨きがかかってきた今日この頃、ということで、タイトル次第でつい見てしまうようになっていて(録画で)、"レーザー核融合"の回の紹介内容からして、NHKすらコズミックフロントなどの枠を持っていても紹介したことがなかったはず・・などといかにも素人っぽい感心の仕方で受け止めて、その後も時々録画したまま消去ということをしないで見る回を何度か経験してきた。中で、つい先日放送されたメダカの回も興味を誘った。
 この回も必要な(話題の)"成分"を要領よく適切な何人かの話者に語らせて、(話題を)整理してくれていた。
 列島生活を長年月経ている老人諸氏にはお馴染みのメダカについては、ヒメダカがやっと程度にありふれたスッキリした単色の小魚のイメージで通る。
 ところが最近では改良メダカということで、鯉に近い多色の様々を鑑賞できるようになったとのことだった。
 それは見てビックリだった。
 一種類ではないくらいの単色っぽいイメージでは収まり切れない、バラエティな様を見せつけられた。
 その辺りの研究者と改良実践家が主(おも)に語ってくれた
 メダカに限らないようだけど、メダカの場合は4つの色の要素を元々持っているのだという(名古屋大教授氏)。
 黒、黄、虹(イメージとしてはウロコのきらきらっぽさ、7色ということではなく)、白。
 ところが、改良実践家(大場)氏はなんと商品名楊貴妃という赤色(濃いめの橙(だいだい)か)を出して世代継承にも成功してしまった(氏はさつきの鉢植えを育てるプロだ。ただし、メダカ改良にはそれなりの失敗を経ている)。
 教授氏いわく、青が出てくれば、それはそれはの(改良メダカ)世界になりうる(まるでLED騒動の時のようだ)。
 元々持っている要素が働きだすか隠れているかの辺りへの関心として素人老人は押さえた。
 多くの研究中のなにがしに、いつでも振返って損はないヒントではないか、などここらは年寄りのいつもの余計なお世話だ。

 閉じた議論が知らず知らず犯す思い込みの狭量の中で演じられていることを察知できて作品を読まされる身のことを想像くらいはできる年寄りなので、古代史研究の試行錯誤においても、ヒトがそもそも自発的ななにかしらを肝心のところでは手放さない生き方を"選んでいる"という前提から、御大層な大袈裟な権力をめぐる物語の白々しさという辺りをつい指摘したくなる読者タイプの一面も持っていて、その発想から、人々の古代ということでは、藤原京とここでは言ってしまうけれど、その画期後の中央集権の生真面目な施行(土地柄性の濃い神々の営みすら生真面目に中央集権組織にまとめようと試行錯誤してきた列島育ち諸氏がこの今もいらっしゃるわけだ。素人的にはそれは勘違いの所為と見なしたくさせる。中央集権意図の埒外にしても文句は言われなかったのではないか、ということ)が実際の列島育ちの諸氏の内実があたかも中央集権を簡単にこなせるかのように見せかけることがあったとしても、いつでも長続きしないリアルで答えはいつでも参照できるのに、思い込みがいつもつきまとっている、という生々しさを今もだから時には素人だったら指摘してヒントにしてもらえそうだけど、狭量かもと心配させながら、芸能に関心を持つ人々だったら、時に、古代ならではの自由度ゆえの交易系な人々のダイナミズムの辺りは押さえているよの発信にも出会える。
 古代列島の中央集権が成っても、そこでの官僚層の働きぶりについて虎尾氏の新書が多くを紹介してくれているわけだ。
 話題からして専門書では扱いにくいからつい(専門書をかみくだいてできた)啓蒙書・教科書ばかり読んでいる一般にとってはかえって古代列島のリアルに近づきにくくさせていた。
 でも六国史の短命も素人からは証拠の一端としたいくらいに、中央集権として円滑に営むにはそれなりの分権要素を持ち込んでやる気を引き出してやらない限り、人々は面従腹背、ある意味怠け者を気取ることになる。(中央集権で熱くなっている)連中にやらせときゃ、いいのさ・・。
 確かに歴史事例では暴力沙汰で極度に荒っぽく強がる勢力が一方を封じた一面が紹介されやすい。でも帝国支配知見は確実にそれを裏切る。実際に支配の広大さを確実にするのはまったく別の手法だった。
 だから素人流では一方に帝国支配は説得力を持つ。その一方で、暴力沙汰をとにかく厭(いと)う系統で、とにかく工夫を重ねに重ねて集団の営みを温存してしかも密かに広大なネットワーク工夫もこなして多くの場合メディアには登場してこないくらい地味だけど時には、目立って、印象をいつもと違う勢力の営みのように錯覚もさせかねない"思考"もありえてきた、と指摘してみたい。
 後者を各地の地味な営みから探り、それはかならずじっとしていない連絡網を持っていることが単に地味に小集団を営んでいるだけとかで収まらせない知見への糸口となりうる。
 帝国運営は今時のマスメディア利用同様にハッタリ系の力誇示芸能表現を使っていたはずで、それに乗せられると、錯覚を誘うための表現をリアルの芯のところにしてしまう。
 錯覚手法を使うという方のリアルで押さえて、しかしそれも一つの要素として実際にどう集団の各地が営まれ大体において平和共存を刺激的に保てていたかを各世代が学べて継承できることが、ヒトのバラバラ性をまとめつつ、時々の難局になんとなく対処できてしまう技を、各土地柄なりに継承しつつも改良も施し分かったつもりになり過ぎないようにできて、情報のいきわたり方の濃淡が禍とならない程度の手法くらいのところで、権力が機能しているし、ヒト性をできるだけ邪魔しないで集団の営みになんらか関わり合えている手ごたえ体験を経つつの人生で溢れているようにもできる。

 電気とかエネルギーをわんさか使い続けることを前提にしている世の中だ。
 石油系燃料(石炭・石油・ガス)の大量消費が局所的(或る高度の空気層とか、ある都市部のとか)にしろ空気汚染と深く関わることが判明している。
 核エネルギー系は、冷却装置を工夫しない限り、極端な危険物のままだし、莫大な発熱源のままになりかねない。(氷河期は当分の間終わらない前提からは廃棄物問題は深刻だし、超小型で簡易使用可能な核エネルギーシステムが登場しなければ現ヒト集団規模は大変な過程を避け得そうに無い[あくまでも素人考え])
 素人老人ということでは、ネット利用の一定の極致までは試行してもらいたい、と思っているので、太陽の巨大な悪戯で頓挫することがあるかもしれないけれど、ある程度多エネルギー消費を続けることは必用だと見ている(老人だから200年先の話ではない)。
 古代史を探りたくても掘って証拠を掴むという捜査の基本の一つを使いこなせないのがリアルなところだ。ヒトはいつでも過去の土地の上に移り住んでしまう。済んでしまったら滅多矢鱈(めったやたら)と動いてもらうわけにはいかない。
 とは言え、今でも地道に調査は続いていて発見的データが蓄積・整理され続けている(性別に関係なく熱心に取り組まれているようだ)。
 列島の少し今時に近い方の頃だと、内戦にあけくれていた乱暴者発想系を差し置いて、恐らく富の蓄積を交易系発想は成しつつあったはずだ。けれども、その後の偶然が交易を封じる策をとらせて(鎖国策)、富の蓄積、権力ネットワークの独自な展開は中断したはずだ。それでも、活動エネルギーは絶えることはなかったし能力の涵養(かんよう)を怠ることも決してなかったはずだ。
 残党ノリ気質(ひどい目にあったのだから仕返しして当然の意識もその一つ)は、悔しさだ。だからそれを盾につい乱暴狼藉を正しいことのように言って成したくなる。そこらは白村江の件に関わって負けた有力層の今に至る脈々の問題として未整理のままのはずだ。列島育ちの過激な多くは正論がそうだとしてもそれプラス相手の信条・心情にまでこっそり踏み込んで時間に耐える手法に長けている。恐らく、前述の後者にあたる流れだ。それが残党ノリを言い訳にするタイプだと、そこを端折った発想をつい口にしてしまいがち(と大袈裟な表示行動)のはずだ。そろそろそこらを内面の営みにおいて白状して個々において清算しておくべき時ではないか。
 社会インフラのメンテナンス費用に巨額を投じてそのうち回収する策を打ち出したUSの大統領は、その一方でなぜか(素人見解では大間違いの)ワクチン注射強制策も出していて、これは実にもったいないことだ。
 なんでも生真面目に対応してきた列島行政担当諸氏を想像できるといい。
 公共事業を必ず巨額使い切るでそれを行使して大変な列島環境にしたことは後悔できることと想像するけれど、作ったものがいつまでも元のままではないのが鉄筋コンクリート独自の消耗だ。木材も独自の損耗の仕方をする。
 だからUSを真似ることも時には、公共事業支出の良い言い訳にさせうる。だからって、今後も定期的に支出することが目的となるようなやり方にならない工夫が列島生真面目気質の集団へは必用のようだ。