連載は続く~ SF 掌編『列島の縄文・弥生・古墳期とちょっと先くらいまで』編


 『むらさき染めに魅せられて』('12 農文協)の大河内氏が紹介してくれていた黄櫨染(こうろぜん)の色は氏の指摘だと日の出の頃の束の間見ることができるダイダイのようなムラサキのような明るく輝くようなそして落ち着きもある色のことだ。
 夕暮れ時の色は何時までも続くようにしばらく埋没していられる。
 けれども日の出の場合、分刻みで色合いは大きく変化してしまう。
 だからほんの束の間、空気とか雲とかの状態に応じた色合いを見ることができる。
 今年の早朝のその時間帯を外に出てほんのちょっとの時間観察に当てることができるならば、その色合いの様々を浴びることができる。


 弥生の期間についての変更も成って、一応落ちついたのかもしれない列島歴史の時代区分のうち、縄文・弥生・古墳時代までなら、古代史を一部に含ませられる。
 20年ほど前にNHKで放送された『日本人はるかな旅シリーズ』('01)での説に変更がなければ、大き目の動物をごく寒い時期に食用として追ってやがて列島にも辿り着いた人々が、今時の人々にとっては列島先住民ということになる。
 番組での紹介では大型動物を食い尽くしていたはずだから、飢えて仕方がなかったのか、動物たちの生態の把握が上手くいっていなかったのか、別の食糧生産の目論みがあって動物はとりあえず食ってしまえということだったのか、単に計画性の無い連中だと決めつけることはここでは止めておきたい。
 狩猟系の人口圧は、農業系の圧と比べて薄いとされるので、狭いとはいえ広い列島域に散らかって住んでいたと想像できる。(考古知見を確かめずに書き込んでいる)
 寒くてたまたま陸続きの偶然を得ていた時期から、相当なペースで温暖化していく時期を迎えて、海進、海退の変動に落ちつきを得たりして、大陸・半島からのヒトの往来も活発化する。
 その流れに米生産のノウハウを持った集団移動も含まれて、すると集住のあり方に当然変化が伴うことになる。
 狩猟系ならば、個々が自ら仕切る仕事を分担し合える。
 米生産とかの農業では、だれかが全体について関与するけれど、部分仕事の要素が厖大になる。そうなると人間関係上、独立系発想のだれかたちをその部分仕事に縛っておくことは、それなりに難しい。
 ということで、単に集団が土地占有する向きのみならず、仕事とのからみで集団の構成自体にも変更が伴う。
 自立系のだれかたちが協働して狩りにでるとか(マタギの狩りの集団のあり方などは今でもテレビ番組とかでたまに見ることができる)とは違って、家族の年齢層とかでの分担によって単調だけど必須の繰り返しの仕事を分担し合うことで一年の成果を生むようなことになる。
 人数も要るけれど独特の人間関係が円滑に機能している。
 そのそれぞれの家族経営をまとめて生産単位と考えるようなやり方の場合、構成単位の中での気持ちのムラを生じにくくするように祭りとか気持ちを高める工夫が入り込む。
 ただ今日(や江戸期)的な娯楽経由での誘いではなく、神様とかなんとか民俗の芯、伝承的に採用されやすい脈絡からの誘いとなる。
 そしてヒトはヒトだから、狩りをする人々の性別を問わないモテモテ要素ゆえに、いつのまにか融合してしまって、大勢としては米作りとか農業(漁業も含め)系が姿として残るようなことになった。
 渡来人を東国方面へ住んでもらう、とかの窓口業務のような組織を準備したような時期になると、それまでは各地に散った親戚筋とか同じ出身地系とかのことばのやり取りが出来やすいネットワークくらいは最低でも機能させていたはずだから、それらで暦っぽいことや共有していた方が便利な諸々をお互いにして、連絡を欠かさなかったはずで、しかも各地で自立的でありえたのが、塩梅(あんばい)する役割が生じた後は、指示系統も少しずつか突如か生じて、各集団内での機能的上下関係に更に各集団間での機能的上下関係も生じ、それが更には身分的な分類なしには揉め事の実際的な時間内での解決を生みにくくするくらいの規模になっていたと想像できる。
 そういう列島だから先に移住してきた集団の人々から渡来人と見なされた人々が古墳技術を持ち込んで率先して各地に作り始めたのか、先に来ていた集団が始めたのか、ここらも知見の確認抜きなので、いい加減な素人状態で申し訳ないけれど、とにかく移住・渡来系の人々が活動しているところに古墳は作られる(変な言い方になってしまうけれど固有の列島先住民が古墳を作ったわけではないだろうと察する)。
 中国ということころはお土産を持って挨拶に行くと沢山のおみやげをたっぷり返してくれるし、もっと凄いことに、こちらが思いつきもしないくらいの役立つ色々を持っていて、学ぶことももらうこともできる。世の中の秩序形成のノウハウもそれなりに研鑽してきたようだし、今はなんと女性のトップが仕切っている。文芸にも力を注いでいるそうだ。とかの情報が列島にもたらされて、そろそろ列島版の試行錯誤でもいっちょう始めるか、ということで、660年の人的交流の機会を得た以後の展開が成ったのでは、と素人式では当面、押さえてみたくなっている。
(ただ、多分、仏教系人脈とか様々に世の中の秩序形成とかに意欲的な人々による根回しも相当だったとは思える。近藤健二氏の新刊新書を未読で、列島在住の古くからの中国系知見に通じる人々の影響圏についても知りたいところだ)
 列島に新規に"天皇"用語を持ち込んでも、巷に馴染んでいない長年月のことを想起したい。
 それでも文書作戦と、古くからの(呪術王的)ローカルな権威を持ち合わせ、仏教に開眼して今日の人々からすれば野蛮と思えるようなことを制御できるようにしたりで、集団の観念上のまとめ役としては不可欠な要素たりえた。
 実務や実際の仕切りについては、追々その能力を発揮して藤原氏脈が舞台に躍り出てくる。単に権力欲系ではない形で、中央集権化プランにおける担い手の位置づけとして時間をその為にかけて成っていく。
 桓武系統の影響圏と藤原氏脈の影響圏がうまく機能すれば混乱は少なく、張り合って、(残党系ではない方の藤原氏っぽく)仏教系というよりは(残党ノリに近い桓武を囲む勢力の)土地を奪い返せ的悔(くや)しさ感情が勝ると、列島も危ない方に手を出す。
 その流れは、江戸期を経て、明治の混乱期の後、今日に至るまで試行錯誤されている。
 ただし、内輪的にも伝承の精度を相当に欠いている可能性も素人ながら想像できるので、歴史的事態の整理とかが要るのかもなど推察する。
 中央集権プランに未熟な列島育ちたちがごく真面目に関わったことで身分制の役割を過剰に使いまわしてしまったという面などは、今日の観点から簡単に発想改良できそうだ。
 で、近代試行錯誤の欧米発想にも、実は中央集権要素として列島の歴史は大いに実際的にも参考にできるのでは、と素人老人は考える。
 たとえば、今時、多民族の国民国家はざらだ。
 そして各大国はかなりの諜報組織を営み、各地でそれなりに工作する。(仕事の査定とか業務上)圧は外せない。
 すると、工作員が雇った地元の工作員が多民族国民国家の内部で怪しい動きを日々しているわけだから、それを自らの他国での工作のことを同じように曝露されたくないから、ことば上は巧みに別の指摘の仕方で、問題化せざるをえない。そういう事態の世界での入り組みが、ニュースとして、どの立場からことばにしてしまうかによって、人権問題のように扱われることになってしまう。でも実は諜報合戦の内実が動いているわけだ。
 で、現代においても、主力マスメディアは、そうであってもグローバルに中立な立場を得て、ということが難しくて、どこかしらの誘導に乗って、片方からのことばで発信することになって、各地の子供たちや若者たちはとにかく混乱することになる。
 大人たちは一歩か二歩か引いて、ことばを受け止められる知見を今ならインターネットほかで、出版の知見やで得ている。
 最近は最新の映画を(劇場に出向いて、ネット経由で)みるようなことはしなくなっていて、わからないのだけど、かつては、曝露というのではないのだけど、911以前はと限ってもいいのだけど、そういうこんがらかった事態をほぐすのにヒントになるような映画が沢山公開されていたように振返れる。

 時代は移ろい

  その時だけだれでも帯びる黄櫨染


** ヒトの列島内集住については松本建速著『つくられたエミシ』(同成社)参照。