連載は続く~ SF 掌編『急に寒くなった・・ので』編


 人権をめぐって争いが起きている。
 更に、民間主導の暴力沙汰の後、公的部門の関わる暴力沙汰だ。
 列島政府は暴力沙汰では困ると本筋を一応通しているようだ。
 先に手を出したほうは、手を引っ込めて、我慢ならんと後から出たほうが今は騒ぎの対象になっている。そういった構図だ。テレビドラマでありがちな構図。どちらも困ったもんだ。で終盤のお決まりのセリフが出てくるところだ。
 学べるとしたら、暴力沙汰になる前に・・だろう。ということはたとえ(裏で諸外国の諜報機関が動いていたとしても表向きは)民間部門が、だとしても、ジャーナリズムなり啓蒙メディアが遠くのなにかで流さず、今回のようにやんやで騒げることが要る。そこは巷の人々がなんらかたとえ一週間でも電気ガス水道が止まれば生命の危機に近い状態になるのだから。
 人種差別主義と民族主義も相当に異なる。
 文化風俗習慣にこだわるのは生活のしやすさに細やかな配慮が働くからだ。
 即席で寄せ集った当時は雑多でやりくりできても、追々、生活のパタンは形成されて、同じような手法で熟達しながら生活できる便利さを手放すよりは育てたくさせるものだ。
 そういう文化風俗習慣の地域性を踏まえられる了見の持ち主諸氏がそれを大事にしようじゃないか、というなら、それは他の異なる文化風俗習慣をも大切にし合える発想だ。
 そしてそれはどの土地柄でも基本を支えていることだ。そこに仏のいつのころか宗教もそうするようになってしまった普及させる脅迫的な衝動が伴うようになると、折角の文化風俗習慣の尊重のし合える基盤が、一方の秀でた文化風俗習慣をこそ他へ普及・浸透させたくしてしまって世の中大事(おおごと)に巻き込まれる。
 普及させたくすることの含みに人権も持ち出せそうだけど、それが悪用もされやすい、ということを19、20世紀は学ばせてきたし、その残余を21世紀にも多少繰り返しがちにしている。
 確かに市民社会的な人権発想でお互いを尊重しあいたいし、それを法治のところで権威付けて、万が一の巷の個々のケースでの暴走をも制御できるようであれば、生活上の安心に通じる。
 そして政治駆け引きでの理屈上の悪用もありうるわけで、だから、各国民国家での自律的営みにおいてそこらを解決してもらうことが大切になる、程度の所は多分、今時だから認め合えるのではないか。列島でなら、たとえば介護施設とか、家族から離れた手段生活をよぎなくされた諸氏の尊厳のごく当たり前さ、をいかに保ち合えるかは法治の支えも重要な要素になりえている。諸外国の中にはどうせ先進国は年寄りの人権などどうでもいいことにしがちだろ?とか思われているかもしれないが、試行錯誤している最中と素人ながら推察できる。
 今時の金融世界が巨富を生じさせて他人をたっぷり雇える資金力という意味で(各国議員諸氏はそれだけでは無力の方にもっていかれがちなのに、民間の超巨富諸氏へは)権力を持たせてしまう。その端緒はその時点での超大国の作用を考えておくほかないと思うけれど、とにかく現時点ではその副作用の下にあるわけで、改良の工夫はなされつつあるのかどうか。ただ、(大局からする中長期の)策の要素もありで、素人がする一方からの眺めに過ぎないことも指摘しておいた方が良さそうだ。


 さて息抜きの変則川柳、雪もちらほら、寒い雨降り、桜の蕾(つぼみ)は襟(えり)巻きか。

 仮に山が水を貯えてくれている状態ならば、人々は、それが尽きないよう工夫して使い続けることができる。
 列島の四季はそこらを想像しやすくする。
 でも地表面は様々な条件を形成しているので、もう少し想像が要る。
 とはいえ、とりあえず、人々が生活し続けている各土地柄、ということを念頭に、列島四季程度の前提からでもそれなりの空想は可能そうだ。
 そして淡水の素は雨?かもしれないし、素人老人の今からだと、氷河も、とたっぷり思えている。
 そこらはNHKBSの何日か前になにかの番組をたまたまながらで見ていて、だから番組名など確かめもしていなかったし、刺激の恩恵から参照資料紹介用に調べて、などもしないで、ただ刺激を一方的に得て、今、書き込み中。
 多分、氷河の淡水は貯金だ。
 そしてやがて尽きる?
 現生人類がはびこる以前から氷期間氷期のある程度の規則性は繰り返されてきた。
 だからヒトの都合とはおかまいなくそのうち変わる。
 とはいえ、そこらをつい老人の暇な時間ゆえ話題にしてみたくなった。
 ついでにこの時点では口述する現各種の学問研究など参照以前で老人の素人流空想仮説を持ち出していた。
 色々サイクル性から学術とかを素材に仮説は出ている。でもそこは素人、折角の刺激を無駄にすることはない、と、氷河からみの運動を想像してみた。
 氷河の都合、ってことはないか。
 ひょっとして既に、地層調べの方で、氷期の入り口期、間氷期の入り口期にどういった痕跡が出ているか整理されているかも・・・でネットを調べ始めた。
 すると、東大とか神戸大とかの研究者がチバニアンと関わる時期以後の"高解像度"の地層を得て、そこらを材料に、説を述べられていることに気づかされた。
 その内容については以下URLとかタイトルを紹介。それらを是非読んでください。

神戸大学(2017/08/31 内海域環境教育研究センター) : 『急激な気候変化の記録を千葉セクションで多数発見 ― 温暖化が突然大寒冷へ変わる現象も ―』
東大の桑原佑典(博士課程1年)、加藤泰浩(教授)(2021/03/11):『氷期間氷期の環境変動に対する地球の応答の仕組みを解明 ~地球温暖化による氷床減少がもたらす影響予測への新たな知見~』
兵頭政孝(2017/10/06) : 『気候の激変で幕を開けた千葉時代 – 77万年前頃の初期チバニアン期で起きたこと』
東京大学大気海洋研究所海洋無機化学分野 : 『大気CO2が少なかった氷期の海』
藤井理行(2019/11/26 機関誌『水の文化』64号) :『氷河が教えてくれること』


 年寄りの方は、忘れないうちに!想像のその先を書き留(と)めておかなきゃ、ということで、氷河の都合と受け止められる先の研究者諸氏が指摘する北大西洋での巨大氷河流出イベントを想像のよりどころとしてしまった。
 つまりこうだ。
 色々仮説はあるだろうけれど、気温変化等の規則性グラフのいい加減さを飲み込む事象として説明できる必要がありそうだ、という素人考えを軸に、氷河が形成されそれは好循環化もしやすいけれど、温暖化のきっかけも生じて、人々は温暖化してよかったぁーで歓喜し続けているうちに、突如、巨大堆積でもって氷河が海中へ流れ出して、それがきっかけで一気に寒冷化してしまう。このタイミングは寒冷化の好循環に傾かせて、以後、しばらくは氷期の最大期まで長年月進行することになる。
 歓喜のりの人々にとっては突然すぎて温暖化の準備ばかりで御伽噺(おとぎばなし)の教訓ねたじゃないが、後の祭りといった感じで、過渡期には多くの犠牲を伴ってしまいそうだ。
 むしろ映画やドラマで少数派として登場する多くの意見に抗って、もう少しだけ熟慮した考えで事態を改善するタイプの発想を採用させてもらって、温暖(間氷)期だからこそ寒冷化の激震に備えておく、ということを煩(うるさ)がられる年寄りのなんとかで繰り返しになるけれど指摘しておきたい。
 この氷河自体が要因となりうるサイクルだと、規則的そうで、サイクルごとに微妙にずれていくし、サイクル内の繰り返し変動にしてもギザギザのばらけ方はかなりということの、自然まかせだけどエネルギー状態の移行からくる枠内での出来事、ということで説明はつきそうだ。
 ただ大局の氷河期というエネルギー状態への誘いの説明とはなっていない。
 ミランコビッチ氏の話に引っ張られすぎずに、素人流を発揮できれば、ということで、諸賢のお仕事やNHKBSの自然紹介番組のお世話になった。
 丁度寒気の塊が列島に襲来中で、もう少し寒い時のを思い出してもらって、そんなのがずっと続くような氷期のイメージでいいような指摘も読めた。
 すると食生産にとっては相当難関かもしれないな、と思えた。
 暖房に相当なエネルギー浪費を伴わせそうだし、今時の議論の先での応用をその時点で、つかいこなせるのかどうか。
 今は騒々しくなっているけれど、シベリアとか極寒の地(広大さが要る)で、オープンに持続的生活と関わらせた"実験"を済ませておくことも自信につなげそうだ。
 間氷期氷期の貯えの淡水を豊富に使えている。だから想像したくないかもしれないけれど、氷期は乾燥傾向になりそうだ。夏、といっても氷期のだが、水不足に悩まされ続ける長年月(数万年間)になるかもしれない。温暖期の過ごし易さを懐かしがってももう遅い。
それにその過ごし易さは氷期に貯金できたからだ。氷河期とはそういうことの繰り返しだったのだ。
 と老人の素人説ゆえ、なんとも断定的に終えてみたくなっていた。