連載は続く~ SF 掌編『ネットを通じてでも多くを学べそうな辺り』編


 文書処理をほとんど必要としない組織運営の状態だとすると、たいした官僚組織(中枢内の複雑な分業を支える膨大な人材の量的側面)も育てておく必要はなかったはずだ、という素人仮説を列島古代史には持ち出しておきたい。
 それが一時的に変化したのは、天武・持統・・・聖武と(中国体験での広く諸土地柄の関係性知見を踏まえた)ある体裁(ていさい)を整える心地よい圧と、ある出来事ゆえに得られたなんらか支援とを相乗できた偶然の時期のことだ、とこれも素人仮設として持ち出しておきたい。その後この勢いは廃れがちにして、鎌倉期にまた人材を得て、文書管理に冴えを発揮しだす。
* いつものことながら、ここらは山口博氏の知見を素人なりに踏まえ、参考にできている。
 だからそれ以前、文字以前の時期の古代史について、記紀を読んで登場人物たちを記憶して(勝手ではないにしても)物語にして歴史を語ることの危険性は素人でなくても、気付けるし、既に中堅若手の記紀の読み手、研究者諸氏は元ネタとの複雑な絡みについて考究しつつ、整理しようとされている。
 ネット発信のヒントからも関東圏での(各地の伝承も含めての)物部氏人脈の波及度合からして、物部氏蘇我氏を話の都合上面白おかしく登場させる古代文献の内実をしっかり押さえなおすことは基本条件の一つと素人仮設的には押さえたくさせる。
 山口氏が指摘していたのは、文献が埋もれたままに放置されがちだったことだ。
 それも今からすれば重要で今日に至るまでしっかり保存されるべき類のが、そういう状態に或る熱気渦巻く時期以後たいした年月を経ずにそういうことになっていたということだ。
 明治のいかがわしさのことはともかく、その時期の熱気をも含ませた文献記録の類はかなりをしっかり保存されてきたことととは対比的なくらい、似た年月で、こうも違うのか、くらいに文字資料の重みは違っていたと素人からは想像できてしまう。
 その明治の前の江戸期を招く時期。
 素人観測的には、人脈によって様々のはずだけど、ある脈においては、京都の中枢を(遠近感覚を含ませた)親戚のように想起して、分業を構想できていたように想像したくさせる。
 "戦国期"観についてはなんども持ち出しているので、なんですが、根回しの強力な勢力はしっかりいて、だから奥義に通じた関係人脈間ではそこらを踏まえたパフォーマンスが可能だったし、その知見の濃淡で争いごとの実態は千変万化して当然だし、中には仕方なく趨勢に吞み込まれた有力層もいたはずだ、と見ている。(言われがちな戦国話には興味が持てない素人系タイプの一人です。極端には藤原氏人脈が仕切っていたくらいの空想をしたくさせる。けれども江戸の政権中枢は天皇脈に譲り実務とか背景としてしっかり付く)
 だから幕末~明治の動乱観についても、違ってきてしまうのが老いた素人というわけです。
 各地に自律的集団の営みを可能としていた古代の時期。
 入口であり通路である北部九州域(古来の各地に集団経営という既成事実も踏まえ)にそれなりの技術・知見が先走って形を成すことは当たり前すぎることだ。
 だけど北九州域だけが取り立てて優勢を認知されていたわけではないだろう、というのが素人仮設。
 交易の都合上、記号を共有することは多分いつの時代でもありがちのことだったはずだ。
 ヒトの活動の盛んなことを自分の体調不良から想像してはまずい。
 ヒトはいつでも活発だ。とんでもないくらいだ。だから元気なやつらがその想像力、知識をたっぷり仕込んで、事態を考え直せることも大事なことだ。デスクワークや読書状態の身体からする想像では時に錯覚を招きやすい。ユーラシア奥地など世界旅行しまくって知見収集できている充実した元気状態で古代を想像してもらいたい。(ここらも山口氏のヒント発信に依る)
 いつでも、と思うけれど、確実な情報を得やすければ(日々の経験の中で再現性とか検証可能なことの繰り返し)、巷の人々は思い迷うことは少なくて済む。良い疲労を得て、休んで、翌日も元気に励める。ところが・・・ということだ。物事の生じる順を想起して、事態の整理に参考にする、といった辺り。

 空水陸の交通システムを想像してもらいたい。
 今でこそ、という辺りの想起も大事だ。
 法治は基礎条件の一つに過ぎないし、絶対でもない。
 技術的な考察が欠かせない。体験的検証でいつでも修正していく必要がある領域だ。
 達者な連中は多分、文字情報抜きにでも上達してしまう。そういう性質要素を忘れない方がいい。
 でも緻密な濃密なシステム運用となると、文字情報、行き交う記号情報は欠かせなくなる。
 法的な押し、支えの類も欠かせなくなる。
 そしてそこらはある密度を迎えた瞬間から欠かせなくさせている。
 この交通を成り立たせるテクノロジーの塊が各地で普及する毎にその土地柄なりの官僚システムも育てることに通じる、と素人は見るがいかがか。