連載は続く~ SF 掌編『前回の続き』編


 前回は古代中国のまとめ役のようなあり方の一端を想像できそうな事例を持ち出してみた。
 対外的に用いていたはずの"倭国"呼称を事態として理解していたのは、それに関わる限られた人々であったことも多分想像しやすい。
 そして倭国は中国の権威下、或る役回りを引き受けることで、半島・列島域の仕切りの一部をこなす権威を得ていた。
 倭国の経年的な流れにはその属性を想起させる。中国あっての、倭国の立場めいた。
 ただとにかくヒトの成す事情なので、動きはとにかくばらばらに活発だったりするわけだ。いつの時代もそう。
 けれども、乱暴狼藉系が勝って、一般の活発な部分が動きにくくなることも起こりうる。
 その一方で現中東域とその拡大的周辺をある落ち着きのもとにまとめてることを可能にしていた集団の営みも歴史本から知ることはできる。
 旅行記の類が文庫本でも出ていて、列島では一般も読める。
 中国の周りでもたとえば列島から僧が旅のようなことをして文字にも親しい僧だから記録っを残してくれて・・一般も今ならそれに目を通せる、とか素人でも指摘できたりする。
 ただ易姓革命発想のように、その移行が済んでしまえば主流の考え方次第のようなところもあり、660年ごろのようなことも可能性としてはありえたけれど、(その昔の主流思想は)とにかく、とことん、競って、闘って、の激しい方へと勢力をけしかけるニュアンスを秘めさせている。(今どきは超大国脈の諜報利害が道具にしていることを映画の数々が描いて一般にオープンにしてくれている(超大国の責任感なのか一方で犠牲を生むようなことに加担しつつ部分的に隠し通さない努力はしている))
 商業系はそういうことを経験から察して、改良して(大宗教の中に継承性を認められる一脈があったとして)三代目は少し広範な平穏かもしれない商圏形成を図ったのかも、とか想像したくなる。
 しかし、二代目はそういうことを許さないのか一代目もうるさいのか、その経脈では落ち着かない巷を形成させがちだ。

 邪馬台国の位置話題にもう一冊の親書が出ていた。
 電子本(少しだけ低定価だ)で早速読んだ。
 率直に言って、素人でも、歴史系本を出すタイプの氏ではないように受け取れた。
 とにかく異論反論が出てきそうな独自の主張をされる方々であっても素人的には頼りにできる物知り=本をしっかり沢山読んでくれているタイプがたとえば古代史の書き手諸氏だ。そういう諸氏と比べてというニュアンス。
 しかし航海に関わる技術の話は興味をそそる。
 氏が自説に固執しないタイプであるならば、昔の重要な交通手段である航海のことを含めた歴史記述を可能にするのに相当なヒント提出役をこなしうる氏と素人なので勝手に想像してしまった。

 魏志倭人伝の頃の中国の測量の質、だから地理把握の質については相当であることは先駆けの現代の書き手が列島の一般向けにも出版されているほど、列島の出版事情は良い。
 それと現代のGISツールなど使いこなしたたびたび引用させてもらっている酒井氏は、壱岐の次、"又渡一海千餘里至末盧国"を測量の質を踏まえて千餘里ならどこがふさわしいかで探っている。それが洞海湾の枝光付近だった。
 伊都国もだから記述に沿って無理のない解釈の地が探られ、ただ、邪馬台国への記述、"南至邪馬壹国水行十日陸行一月"が読み手によっては、不自然さの大本になってしまうようだけど、酒井氏は、全行程(著書p274(*))からその期日を明解化している。
 (*)酒井正士著『邪馬台国別府温泉だった!』(小学館新書 '20)

 或る時期までは倭国で十分だったはずだ。
 けれども大陸系の人々からも半島系の人々からも嫌悪されるような犠牲を伴う乱暴な事態を起こしてしまった。そして名を変えた。(これに至る専門家のヒント発信としては、列島の中枢がおごり高ぶるタイプではないことの裏付けともなるけれど、方角を示唆する意味で用いた有名なエピソードのことも、国名変更の画期の辺りを探らせやすくする)
 その倭国を名乗りやすかったころの列島には、度々、専門的な技芸を持った人々も含む沢山の人々が断続的に繰り返しやってきた。その度に、先行の先輩諸氏は、或る意味で圧倒されたはずだ(ここらは専門家ネット発信がヒントを紹介してくれている。先進的な技芸をもってやってきた人々はもてておかしくない。つまり子孫の拡大に通じやすい。しかもそれが、次々と先輩を圧倒する形でやってくる時代がありえた。そこへ百済滅亡以後ゆえのより拡大版が訪れたり)。

 ヨーロッパ域、北米域の激しい気象の様はおなじみのことだ。
 だからちょっと想像してみてもらいたい。
 暖かいままなら、いつもそうだ。きっと。
 それに熱くなる熱くなると言われながら、未だ、氷期突入のきっかけ出現には時間がかかりそうだ。きっかけとともに短期間での寒冷化趨勢が生じることは調査的経験データの中だ。
 しかし、一端寒冷化して、ヨーロッパ域(ライン川の氾濫の様は未だ記憶に新しい)が寒く寒くなれば、千メートルはともかく数十メートルくらいなら積年雪の層はたやすい。
 北米域での雨とか雪とかの激しさもなじんでしまったくらいの気象の様だ。
 それが寒くて寒くてのような環境条件で繰り返す。ならば・・・だ。
 やはりもともと素地はある。ただ幸いにも温暖化して以後を生活できているからだ。
 でも氷河期のエネルギー状態では、温暖化こそが氷期突入のきっかけとなってしまう。
 しかも氷となって層を重ねる現象は地質的な異変を起こす。回りまわって寒冷化に拍車をかける。ところがとことん寒くなって氷が山っとなったころ、温暖化が始まる。その繰り返し。
 お金もかかるだろうけれど、各諸氏が調査研究して、機会ごとに整理した内容をネットの時代だからか、オープンにもしてくれていて、色々、一般にとっても具体的に対処へのイメージが沸く。