連載は続く~SF掌編『暑い日は部屋に籠ってゲームでもしてりゃいいさ、なんていう話』編


 大きな歴史の流れを出来れば大筋もれなく知って、土地柄なりの特性とかを均しながら当面必要かもと思える要点を経年的にまとめて、知っておくという作業が成り立つようなら、素人の大雑把だし部分的な指摘でも、少しくらいの関心喚起くらいにはなってくれるのかも、とか勝手な想像から、前回は補足を試みた。

 で、もう少し個別具体的な出来事ということで、ゲームなど取り上げてみたい。
 以前、1970年代から80年代にかけてのプログラミングとゲームの展開史のようにして、ザ・コックピットを引用した。
 それは旅客航空機のコックピットの操作パネルやレバー、スイッチ類の一部を介して、航空機がいかなる挙動をとるかということのシミュレーションだった
 IBM-DOSMS-DOSが普及するようになって、しかもその(ソフトやハードの)改良が続いて、ザ・コックピットの一部性を克服した、ジャンボ機のコックピット操作パネルの多くをシミュレーションに組み込んだ747-400 precision simulator がドイツ系のプログラム、ゲームとして出てくる(1990年代後半期から2000年頃)。
 x68kmsx版のみしか動作中のことは確認できてないのですが、既に音声による操作中の部分的描写も出来ていた。
 それがDOS版になって更に、再現性を高めて、登場。
 だから列島育ちたちの中からザ・コックピットの刺激を得て、それを応用してという流れはどういうわけか誕生しなかったみたいだ。
 同じころにカーレースのシミュレーション系ゲームの育っていて、papyrus 社のが有名だ。実はその初期のころのことを後から知って、その後様々な活動を知ることができた。
 きっかけを与えてくれたのは、オランダ系の racer というフリーに使える、windows でも linux でも遊べる運転シミュレーションゲームだった。プログラムした作者氏が熱心に racer プログラムについてドキュメントを整理されていて、今でもそれは読めるようになっているのでは。racer で検索してみてください。
 その解説ついでに、ご自身の関心を誘った運転シム系ゲームとして、indycar racing の2つ や nascar racing の一連のシリーズ、そして grandprix legend と grandprix 2 などが紹介されていた。
 それを知った時点では、PIII系のマシンを元にしてlinux の普通使いがどう可能かなど試していた頃で、linux ででも手軽に運転シムを遊べるということで、ソースも提供はされていたのだけどそこまでは手を出さず、遊ぶ方で試すような接し方だった。
 たまに使う windows の状態だったので、今から思えば、もう少し試しておくべきだったとは振り返れるけれど、それでも、色々なツールを試しつつの、+して遊ぶという形で、紹介のゲームのデモ版から入って、いじるようにしていた。
 そんなこんなで、US 系のpapyrus 社の運転シムゲームの作り方には関心させられていた。
 列島版のゲームは、ゲームの場を無理強いするタイプだ。とにかく勝手にゲームの場を飛び回れない。ゲームを勝ち抜いて、その先のステージを限定的に味わい。最後のステージにたどりつきなさいタイプが目立つ。
 ところが、papyrus 社版はそうではなかった。先に linux 版の racer を使っていたのが印象に影響した可能性大。
 racer は、或る程度いじくりまわせる。レーストラックも自前可能だし、改良も簡単にできるような変換のためのプログラムが付いている。それで完璧に改良できなくても作者氏の解説を読んで、トラックの仕組みとかを知ることで、自前の改良が可能にさえなった。
 そういう使い方を経ての windows 版での紹介のゲーム群への接近だったわけだ。
 だから papyrus 社版の運転シムの時間制限の持たせ方とか、仮想サーキット空間の感じ取らせ方など、或る種の自由度を味わえた。しかも、操作上の手順もそれに沿うようにシンプルだった。付加機能はもちろんついている。ヨーロッパ系の grandprix2 はそうではなかった。やや列島版のゲーム発想に近いのを感じさせた。走行のシムを楽しむその楽しみやすさということへの接近しやすさよりは、ゲーム進行の手順を踏むことを強いられるタイプだ。
 で、興味深いのは、それぞれのその後ということになる。
 多くが、改良して遊ぶコミュニティをネット上に作り上げている。それはそれはの世界で、生半可な素人には出来そうにない改良を可能にしている。
 その典型が grandprix legend で、見映えもだけど操作性も凄い変化を生んでいる。
 その点、操作手順の基本構成の制約ゆえ grandprix 2 はそこまでの改良の方向はとらず、既存の条件に乗せて、付加的な道具類を積み重ねていくような発展の仕方だ。
 上述の 747-400 precision simulator (以下 ps1)も、また特殊な展開をしている感じだ。
 そこらの参考にできるのが、sublogic 社の flight assignment A.T.P.から始まるシリーズの展開だ。
 やがてイタリアやオーストリアの(個人?)会社が開発を担うようにして発展する。
 がその後の姿に相当な違いを生じさせている。
 A.T.P. は、ネットで気にすることなく使える形でも販売の形でも出回っている。
 けれども、LAGO社版、NOMISSOFT社版のその後のシリーズは、著作権が関係していると想像するけれど、そういうネット上での公開はない。無いといっても、一部の著作権と関わらない他は公開、のような第二世代の A.T.P. (airline simulator 97)を今でもひょっとしたらネット上に見つけることは簡単かもしれない。
 けれども、その権利関係のUS分がないのかもしれない、airline simulator 2 となると、これまでは見つけることはありえないほどだった。
 それくらい厳密な管理の下に置かれていたみたいだ。
 ただNOMISSOFT版の作者氏の新しめの発言では、自分にとっての商品価値は相当に少なくなっていて、それにご自身がネット上に散らかっているのを見たりもしているともされている。
 実際に、vetusware.com のゲームのページを探すと、それをごく最近において、見つけることができるようになった。
 ただ作者のページに、今でも有料販売の欄を持たれてもいるし、先の発言には著作権を放棄したようなことも触れられていないので、試用くらいにしておくことが礼儀上要りそうだ。
 ただ、商用のゲームにも色々あって、コミュニティができてそこでの改良が完成品に近づけさせるタイプというのが結構あったりする。
 試用で出してくれるのならこれで十分の質のもあれば、すでに(誰もが安心して手軽に使えるタイプとしての)商用水準を達成している質のもあったりで、色々だ。
 最適な状態で使うには相当な知識が要って、しかもマシンも限られてくるというようなソフトの場合は、歓迎するコミュニティ向けにはいいけれど、そのコミュニティの力でもって育てて、その可能性の先を達成したところで、商用にするか、このままコミュニティで育てるタイプでいくかとかが図られるのではなかろうか、と思える。
 ps1 は10版になって恐らくコミュニティも育つだけでなく内容も充実してそうだ。
 初期の頃のps1系は、大いに盛り上がったコミュニティがまさに育てているといった感じの完成度のように感じる。ネットに触れれば即わかることではあるけれど、表には出てこないけれど、とてつもなくプログラミングとかデザインの力量を持って限られた分野に精通した諸氏が豊富に散らばっている。その人々の関心を誘えると、途端に、個人ではありえなかった応用面でのプログラムの育ちが可能になってしまう。肝心のところに精通した作者に委ねつつ、サポートして、ずっと凄いのを作らせてしまう。
 A.T.P. 系のシリーズでは、地表面飛行を音声誘導のリアルなのを取り込みつつ発展させてしまえるはずだの構想を底流にして出発してそうに思えるが、本作者がMSFSへ流れ、付加プログラムでのその発展を可能にするフライトシム系のようなしくみにしているため、A.T.P. 系がそれ自体として可能にしてしまう音声誘導の旅客飛行シミュレーションのシステム性、今日の飛行システムをシミュレーションに乗せてしまう世界を DOS プログラムでもできたはずが、中途のままにしてしまった感じの印象が濃い。
 もちろん、今どきはマシン性能の凄いのを操って、ネットで結んで、お互いが管制官になったりパイロットになったりなど分業までこなして世界飛行を堪能できるくらいだから、DOS の軽いプログラムででもできたかもの話は、時代錯誤のような印象を与えかねない。
 ただ、列島やヨーロッパ発想とUS発想のゲームプログラムについての違いとかを少しでも感じ取ってもらえるならありがたい。
 PCをとりまくソフト・ハードの世界を育ててきた自負なのかなんなのか、印象としての大判振る舞いではない観点からそれぞれの違いをあぶりだせることは、集団作りに関わる重要な観点を提供もしてくれそうに思える。
 USの場合、民間任せの恰好が採用されているように印象を持つ。
 その民間系がプログラム自体からは儲けようとしないで、財団とか寄付とかでの金融世界での収益基盤で成り立ってそうで、金融世界の限界とか、改良の必要性の前に、それに依存している大きな世界(列島でもそれから収益を上げようとしてきた各組織の広がりを想像できる)のありそうなことからして、現実改良の難しさ、コミュニケーションの積み上げの必要性など、時間のかかることをちらつかせる。
 列島系、ヨーロッパ系はそういう脈絡に乗ることが下手なのか、そこを避けてきたのか著作権経由の過去の資産として手放さない方策を採用している感じだし、現役版の作らい方はきっと従来の限定性をずっと組み込む作り方の癖を持ち続けてそうな気がする。ここらは最新のゲームには疎すぎて、空想も空想の話しか出来ないのですが。
 とりあえずタダで手に入れて個人の範囲で使いまわすのは勝手だけど更に勝手に商業利用したら、それこそ法治のもとそれなりのペナルティは覚悟してねを暗黙に行使するUSタイプと、ごくごく私用することも著作権の建前から困るんだよねで、通そうとして、旧資産でもあり、知的、技芸的遺産とも言いうる過去のプログラムを流通させないだけでなく死蔵することを選ぶ財への発想タイプとの比較について、もう少し適切なことばを想起される諸氏がおられるなら是非ネットで公開してください。


 早速通俗川柳一つ

 暑さを避けて水に潜る キラキラユラユラ 水は千変万化して 老人には堪(こた)えるかも