連載は続く~SF掌編『進行形なので、素人の外しであってもらいたいけれど・・』編


 テレビや映画の捜査ものからなんらか学べてるかも程度おドがつく素人の見解に過ぎないことをお断りした上で、現進行形の事態についてふれておきたい。

 とりあえず、2つのこと。
 一つは、弁証法役割分担の内側で口角泡を飛ばす激論も含む演じあいをなさっている諸氏には、勘違いの八つ当たりにも歴史的には遭遇することがある危険を伴うことは、事情通諸氏において熟知されているはずだ、という素人観測。
 もう一つは、情報取得やその解釈やで偏っていることを感知できていない状態で不平不満を沸き立たせてしまうと、更にあおるとか、そそのかすとか、ひたひたと先鋭化させられるとか、それはそれはの洗脳手法が近づいてきて、手玉にとられやすい。誘導されやすい、ということが、地域社会の温情から外れたハグレザル的生をかこつ諸氏が出現しやすい近現代試行錯誤の世の中では、昔のような密着して面倒を見て長い目で見て、人生に関与するタイプのだれかを想定しなくても済む、不満・不平・不安材料の解きほぐし役が散らばって必要で、啓蒙機能を担うマスメディアやオルタナティヴ発信系にも不満を募らせるだけの内容であるよりも、情報の込み入り方が多くのだれかたちにとって整理しやすい工夫された情報提供役をこなせることが近現代故に必要だったりする。

 以上の2つをとりあえず押さえてもらって、NHKBSの12時半以降1時過ぎくらいの内容から、捜査物を見て学べている度合、ないし学べる素材となるのかどうか、の辺りを素人による事態観測として提示してみて、そこらから、判断なりしていただければ。

 超お馴染みモース刑事で女性の監察医が登場する。
 その女史は出て早速おっしゃった。銃で撃たれるとヒトはのたうち回るよりは、その場に瞬間的にストンと崩れる。だからどちらから撃たれたかも予想できたりする、とのこと。
 そして流石にその瞬間を撮ったはずの演説を聞いていた人の中のどたなかの携帯の映像は採用されていない。崩れることのない一発目の銃撃の瞬間のみ紹介されていた。
 NHK及川記者は演説者のすぐ脇の位置からカメラ撮影している。
 一発目の妙に大きな音がして、カメラアングルだけ下を向いた。路面近くしか画面には入らなくなった。連打ではなく、ちょっと間があって、二発目の妙に大きな音が入っても同様。脇に居て、カメラアングルは下の状態だった。つまり、あてずっぽうでもいいから、肝心の方向を想像しながらカメラを向けて撮り続け、自分の身を守るという両方が出来ていないようだった。
 テレビ映像上は連続的に実行の犯人とされた人物を確保する二人の男と脇のホルダーに手をかけながら周囲を睨み回す女の3人をとらえていた。10mくらいは離れてそうな路面に手製銃と指摘された物の一部らしきものが置かれている。
 重要人物に張り付く警備系の人々は、列島のテレビ放送では何度も再放送されているイーストウッド氏が出ている大統領警護の失敗談と成功談が入った映画によって、どれほどの密度が機能しているか程度は想像できるようになっている。
 その映画でも即席に作れる手製銃が使われた。それができるためには相当な前準備が必要だった。しかも近づけるための手筈が、協力者がいない場合、更に事前の下調べとか時間が必要だった。
 昨晩、急遽、そこでの演説が決まったそうだ。それにあわせて観客を動員したはずだ。
 だから計画抜きにありえない出来事の関係者を絞り込むための材料は豊富と素人からは読める。話を聞ける立場の諸氏の力量しだいだ。NHK の記者陣は初動捜査に当たる初期の取材の重要度くらいは熟知されているはずなので、テレビで言及されていない様々が取材されていたとは思うけれど、今どきだったら、取材側がどんどん、怪しい事件の場合先手を打ってオープンにしておいたほうが、後々、隠すに隠せなくなって、事態の全体像を描きやすくすると素人は観測する。
 色々出来すぎ、お膳立て過剰なところが、それ抜きはありえな事件とも取れ、偶然っぽい積み重ねこそが計画のうちのはずだ、くらいまでは素人でも読める。
 つけこまれやすいだれかにささやき作戦で先鋭化させる背後。
 背後は、弁証法役割分担で色々問題発言もしてきた人物であることを承知の上で、標的に選んだ。だから、思想とか政治とかに見せかけようとしても失敗に終わるだろうし、下手人が思い付きでというのも成り立ちようがない、ということで、世界事象に活躍するイベント屋系の一部が担当してそうだ。
 少なくとも警護・警察・自民党奈良・NHK・救急に関わった医療+消防の中の既知のCIA関係者からの情報集めは欠かせない。直接関わったことではない、と判明したら、イベント屋系の列島班の今回についての猛省を求められるくらいの事件追及を待ちたい。
 弁証法役割分担に批判的な素人老人は、そのどこかが特に悪いというのではなくて、若者たちにはわかりにくくなるし、弁証法のその先がその目指す結果に結びつきにくいという辺りを問題視していきた。
 オルタナティヴな論者の中にもそこらの複雑な絡みを知っていないとは思わないけれど、知ってないかのように一方的に責め立てる論で良しとするタイプのネット発信も目立つ。それだと、USの連邦の政治の怪奇がそのまま怪奇にしか見えなくなりかねない。
 どこでもだけど、地元に張り付けば、相当にせこい利害で怒鳴りあったりしてしまいがちだ。
 連邦規模でならば、或る程度の勢力分けが成り立って、その代表として、大統領候補の競い合いを演出可能になる。
 たとえばトランプ氏については、大統領後の報道で偏った感じになってそうだけど、既知の通りの要点も押さえて置ける。ただし、前々回の大統領選以後、アンチ中国派(といっても列島オルタナティヴネット発信においては主にCIA貯法部門の出先として紹介されてきた。ただそれをわざと無視して、トランプ氏の応援団だし、貴重な情報源だと盛んに引用し続けてきたわけで、英語ほか外国語発信を生に読解できる諸氏においては邪魔にならないけれど、翻訳後の話を流し読みする諸氏においてはそれが情報源になって勘違いを上塗りしてしまう。今どきのネット自動翻訳環境は数年前とは雲泥の差があり、ちょっと面倒くさがらなければ、自前でかなりの事情通にはなりうる)勢力を標榜する人々とトランプ氏が密接という部分がやたらと両方から出てしまって、大統領選を選んだUSの知恵の部分は忘れ去られたかのような状態だ。
 弁証法役割分担上、選挙民の声を代弁するという一要素からして、支持層の偏り具合は当然、本人の意志とは別に政治的力を帯びさせる。
 あたかも本人の発言かのように振舞うようなことも起こる。
 で警護や世論の出来方の過程に油断が介在すると、イベント屋系の良からぬ介入ということも、ごく稀に起こる。起こり安くする条件つくりの方にむしろ人脈が加担してしまう場合、それを予め感知するには、その他の、怪しい工作を常日頃のことにしていない諸氏の、かつての列島ではありえた巷の出すぎたりはしないけれど、鋭く観察は外さない人々のような、隙のなさを事あるごとに発揮できるよう、事がない場合でも、ストレスにならない自分流の普段の振舞いとして出来てしまえる、ある立場たち、ということが、安全を保つ一材料になる。いつでもなにごともなかったかのように過ぎ去るのだけど、大人たちが一時も子供たちの安全を図るように目を離さない達人技をやってのけてしまうように、できないことではなく、普通に肩こりなしに、お互いを不信に巻き込むことなく可能なことだ。
 そして、警護のプロフェッショナル諸氏なら、話が硬くなりすぎないための冗談半分だけど、寺脇氏に観察眼のためのちょこっとヒントを授けてもらうのも一案かも、など老人なので、お節介ぽくなるけれど、指摘しておきたい。
 時代状況の移ろいの中、諜報脈の工作部門はそれでもって給料を得ている部門だ、という海外事情にも、マスメディアは、ドラマだけではなく、ニュースでも啓蒙を怠らないでもらいたい。