連載は続く~SF掌編『数えきれないけれど生々しく利害は、たゆたう』編


 世の中の成り立ちが歴史性を積み重ねていくというこれまでの趨勢を考慮できるならば、それぞれに今そうありえている脈絡をめぐる確実さに執着させるなんらかを想定することを無理だと決めつけることは困難だ。
 ただし、今の時点で、自分たちの集団性を温存する一方で、他からの介入を拒むにしても、相互において暴力の使用ほかが法治の工夫内での出来事として制御は生じる。
 歴史性の中には土地の占有をめぐる争いごとも含まれる。
 とりあえず今できている集団性・生活のこれまでとこれからへ、土地を譲ってくれほかの関与が生じるタイプの出来事が起こったりすれば、、ないし自らが人口規模への関与に齟齬を生じて人口増などを原因として他の営みへ土地をゆずってくれないかとかの余分を生じさせるような事態を招いたりすれば、他からすれば拡張の意志とも見做されがちにする。実際にはより事の性質について精緻に調べ上げての判断が下されることになりそうだ。
 大幅に端折ってしまうけれど、世の中のいつでもだけど今という時点をとれば、利害が渦巻いているのが通常の姿と見做せる。そのための法治発想ではなかったか、と思い込めるなら、それも勘違いの一つだと素人なら指摘してみたくなる。
 むしろ利害が渦巻いているようなあり方で法治の肌理(きめ)を発揮する方向性を採用しようものなら収まることも収まりにくくさせそうだ。
 ヒトの場合、そこに広く言われる政治発想を持ち込んだ。
 そういう利害が沸騰しかねない場に民主主義などもちこんだら、質を取ろうとするはずだから、いくら時間があっても足りない状態をだれもが想起して、民主主義なって使い物にならないと言い合うばにさせかねない。むしろ、密かに働くバイアス役としての民主主義理念という使い方で我慢した方がそれぞれのためになりそうだ。
 そこで政治発送をヒトの知恵は持ち込んでみた。でも、各土地柄に独特の試行錯誤がこれもまた渦巻いている感じだ。
 戦争っぽい争いごとに巻き込まれやすい土地柄の生々しい年月の時点だとそれなりの、政治の工夫に持ち込まれがちにする。妙に偏った性差を踏まえた分業のような配置も持ち込まれやすい。
 さんざん男を持ち上げてきた趨勢に更に性別での差別を止めようと急ごしらえした土地柄だと、性別関係なしに攻撃的で世話しない主要部分を成させやすくしてしまうみたいだ。
 またもう少し俯瞰して見てみようとすると、大国役をこなしてくれと頼まれた土地柄の主だった担い手諸氏においては、権威という磁力をめぐって色々思惑をたくましくしてしまうように伺える。子供っぽい発想に陥りさせやすくする感じだ。大人げない感じとも言い換えられる。意見の内容はどうでもいい。とにかく自分たちの意見が通っているあり様表示にこだわる。大国以外の意見が優れているから採用されるという手の表現は困ったこととして受け止められる。スポーツなどでのルール変更などがシンプルに例示できる。
 そこでの実質は、いいアイデアを採用するバイアスはどこかへ吹き飛んで、アイデアが出てこないだれかたちの案へとにかく従っている格好を表現にしてくれ、という事態の持続性になる。
 揚げ足取りの乱発も多分辞さない大人げないわが身を見てに見ぬふりし続けて、世の中の営みにとってはつらい状態が続きやすい。
 良いアイデアは自分たちが演出するイベントに限るとかも事例にできそうだ。
 ヒトはなぜかこういう手に負えない事態を自ら招くようなことをしながら政治発想はなんとか使いこなしつつ安全圏を整えてやりくりの広がりを確保してきた。
 ではその政治発想はどう働いているのか、と中身に興味が行くはずだ。
 たとえばUSなら、と(超)大国の事例を持ち出す。
 大統領制だ。
 最終的に2人の候補に絞られて、競り合う。多数を得た片方を勝者として、任期を委ねる。
 そこではUSなりの渦巻く利害をとにかく二人の人物・応援勢力に分割するように仕向けている。
 代表は支持する人々の利害の代表になる仕組みだ。
 ということは、利害の錯綜とはいえ、負けた側が持ち出したくてたまらない利害内容については、優先順を後退させるように作用もさせる。
 膨大で解決不能かに見えた利害のせめぎあいを大統領選挙は熱気とともに解決させて見せたかのような歴史的一時期を各地のその試行錯誤を経たところでは経験し続ける。
 煮詰まってくると、傾向がそれぞれに偏って固定的にあつかわれるようになる。マスメディアを使いこなしているつもりが、その内部的利害も関わって安直な対立軸としての渦巻く利害の整理が成される趨勢も生じさせて、国民国家構成員諸氏にとっては思わぬ違い対立的な隠れた力の向きを得させられていたことになる。
 そういう土地柄もあれば、一党独裁に近いのだけど、やとうそれぞれが渦巻く利害をめぐってその吸い上げ役をこなして、そのある時点での分布図を示す形での選挙結果となる土地柄も育てている。
 予算ほかで巨額を塩梅する一党がより多くの利害の引き受けてとして機能して、その他の弱小政党が、他の言うに言えない要望の類まで取り込んで選挙を競う中で、一応人々は溜飲を下げる。
 そして、肌理ということでは、無理な要求でないうちの横並びの中で忘れ去られかねない要望のいつくかは、政治発想においてたとえ野党系が取り込んだものであっても与党系が救い上げたりする。
 つまり、自分たちか他のだれかたちが選んで属する国民国家の代表として、表役ゆえの軋轢の前面にいた人物諸氏は大勢といっても知れているから、生存中はなんらか不可抗力での八つ当たり現象とかが起こっても何事もなかったかのおうに工夫することは、近現代の各地の国民国家において試行されている。
 実際に起こってしまって、言論への不当な攻撃だ、とか慶弔の決まり文句の一つのように乱発することは、事態の改善にこれっぽちも役立てることはできそうにないと素人からは思える。
 ケネディ氏・レーガン氏をめぐる膨大すぎる日程のたったの一瞬において、極端に手を抜くようなことがあったら、そこはテレビや映画のドラマでなくても、徹底捜査だし調査しまくることが要る。モース刑事だったら見た目とは違って執拗に地道に調べつくす。ルーサー刑事の場合、様々に自分が時間をかけて育てた情報源に当たって、犯行ネットワークを絞り込んでいく。関与の度合から一気に関係者をとらえ、主なる人物をも逃さない。
 警備のずさんをちっともふれずに慶弔の丁寧な扱いが海外ニュースで充満していることの不自然を感じない列島在住の諸氏は多分いらっしゃらないと察する。
 政治発想は渦巻く利害を調整できて、その平穏下、人々の活動を励ます。
 ちゃっかり税収を喜ぶ。
 つまり、自分では無理かもの利害に喜んで近づけるタイプの様々が世の中にはいるし、その中に、政治に向く、個人の利害をめぐって熱くなることで精一杯、つい怒ったり怒鳴ったりする政治に不向きなタイプたちとは対極のだれかたちもいらっしゃるわけだ。それでも守備範囲が異なってしまうし、それが補い合って、大勢の支持を得る。
 その時にUS式大統領選だと、追々、均されて二大政党の意味が薄められてしまうこともあれば、逆に二大利害代表勢力のように人々を知らず知らず分断させてしまう逆現象を誘うことも起こる。
 ヒトの間違いやすさまで否定しないタイプで、一党独裁的な政党政治を実用にすると、野党も巨大政党を強いて目指さず、時々の利害の吸い上げ役を買って出て、人々の心は一応の落ち着きを得る、というやり方も可能だ。
 敵を作ってやっつけて勝者に支持を、なんていう発想だと、自分を必要以上に正義とか正しさの頂点に誘って、世の中に向けて自分たちの言う通りにしなさいという姿勢を正せなくさせがちだ。結局情報統制に走らせやすい。どこだってその情報操作は権力の甘い汁として行使させがちじゃないの?と辛口な諸氏から即反論される辺りだ。
 政治発想の副産物には、政治宣伝要素をその一つとして持ち出せる。
 宣伝につかえるくらいの顔に育った人物たちは、通常は平穏に派手に個人情報を使いまわされる程度でおさまるけれど、中には、レーガン氏の銃撃事件のような軽く扱われる人物ということも起こさせる。だから人物に危ない連中が下す啓重に煩わされることなく、疑惑事件にも沢山かかわって危ない人物とみなしたくなるとしても、同じように(巨額を操作できる勢力にとっての)宣伝材料にされて危険に遭遇しやすい高位高官立場を経験した人々への警護は怠れないのが今のところのヒトの育ち具合と素人老人は見る。
 法治ゆえにさんざん手続きを経て後、それでもしかたない状態で裁かれる場合以外で、他人、ヒトそれぞれの生命を軽んじるようなことは避けうるお互いの働き掛けあいが成されていることが、弱者諸氏にとっても支えとなりうると素人老人の余計なお世話はことばにしたがっている。
 大抵の集団の主だった担い手諸氏は頑固な綿を持つとはいえ、仲間の生活持続を可能にする手だてをいつでも考えていると想像する。
 だからお互いの集団の営みに干渉せず、だけど安全圏をたもつことには協力して、なんとかいつもの平穏を保てるようにしていこうじゃないかと考えている諸氏が、つばの泡を飛ばしあって激論に誘いこむようなことでの政治的解決ではなく、利害調整の巧みからいつでもお互い様でやりくりできている状態をなんとか長年月継続できるようにする勢力分布を込みの工夫、たとえばここで取り上げた政治発想などがヒトによって駆使されてきたということを思い浮かべてみたい。