連載は続く~SF掌編『暑気払いの二題』編


 教条的に書き文字の代わりに、という主張は今生きる人々にとっては無謀以外の何物でもないと素人老人も踏まえられる。
 列島の場合、義務教育中の先生たちの面白い話を聞いていれば自ずから文字文化に親しめてしまうということも押さえて置ける。
 普段でも文字情報に重宝している。
 ネットでの各分野で活躍されてきた専門家諸氏の発信を読めるのも書き文字習得のおかげだ。
 たまたま手持ちの『エコノミスト』誌(毎日新聞社刊)の記事のコピーを何度目か目を通しているところ。(創刊80周年記念論文から3本)

 ① 2003.4.8号「成長でも生活豊かな社会―21世紀資本主義の行方」(p130-134) 都留重人
 ② 2003.4.15号「経済覇権交代の長期ダイナミクス―アジア共通通貨の出番は近い」(p110-113) 篠原三代平著
 ③ 2003.4.22号「制度化された経済学と日本経済の危機」(p68-71) 伊東光晴

 ①は現在の話題に通じる今に至るまでの出発点頃の議論を紹介しつつ、経済知見を踏まえた見解を述べておられる。
 今では既知となっているけれど当時は知る人ぞ知るだったかもしれないのですが、今においてはとてつもなく貴重な幅広く人脈をお持ちの碩学のお一人だ。
 ②は既知のデータと実際に起こった経済的事象を符合させて、経済的知見からの見解を述べておられる。
 ③は学説の検証と事象の検証を欠いたまま学説教科書として学ばせてしまったUSのある時期の経済学事情の問題を具体的に述べておられる。
 しっかり学説上の意味でインフレにはなっていないときに日銀とかFRB金利を下げ続けても景気への効果は生まないことを初期の2003年に指摘されていた(逆に理論上インフレ時の高金利策は有効とされる。現FRBは原因は何処?と率直ながら、なんらかの圧ゆえに金利上昇策を採用し続け副作用でグローバル規模での経済は大変なことになっている)。
 ①、②、③それぞれへ、初見当時の納得感はもちろんなのですが、素人なりの異論も持っており、更に、もう少し年老いて、違った意味での些細な別の案とか意見なりも読みながら感じていた次第。
 アラビア圏の金融のあり方は独特だ。そこらは③を踏まえつつ、オルタナティヴに経済事情に通じるこれからの世代が思い込み・先入観過剰に事態に翻弄されることなく、代案など提案できるようになればの期待込みで指摘してみたい。
 ①での話は通説の資源をめぐる前提にかなり近い発想も含まれており、そこらは素人老人ゆえ当時より明確に異論を持てるけれど、都留氏はサステイナブルデベロップメントの翻訳についてちらっと注意を促しておられた。持続可能な発展では発展にとっての持続可能性のように受け取られかねない辺りを維持可能な発展と訳すことを促しておられる(p131)。もう一つ、当時のブルントラント委員会の定義として「将来世代の必要が満たされることを妨げないという条件で、現代世代の必要を確保するような発展」(p133-134)と引用されている。
 今日に連続している話題は②でも読める。空洞化の話。現円安が直好効果を生じさせるはずの輸出産業の好景気に結びつかないのは生産工場そのものの多くを列島内に持っていないからだということの起源がたまたまこの記事には紹介されている。しかもその列島すらがUSの空洞化の原因だったらしい辺りもふれられている。
 トランプ政権において話題となった工場をUS国内で、ということが問題になるのは、そもそもの起源が・・という辺りを統計から紹介されている。
 ここらは善悪の問題ではなくて、政策の前と後ということで、政策担当者は大変な事態をいつでも扱っているということに気付かされる。
 ③については、少しだけ前知識は要るけれど、毎度のことながら伊東氏の導きによって経済学理論の一端と実際に行使されている政策との関係の持ち方がどういう行く末をとるかの経済学からする推論のあり方を学べる。

 久々の読後感はもう少し多弁を誘っているので、そのうち機会があればふれたい。

 今はネットの時代だし、マスメディアも残照ながら今のところ未だ頑張ってくれている。
 つまり7/8の事件の際に撮られていた映像の未編集のソースが今は出回らなくなっているのかもしれないけれど、それなりのソースたちがあふれている一端は紹介してくれていた。できれば(思想的なわだかまりを気にせずに是非様々な考え方の諸氏こそが手持ちのソースをいじくられにくい媒体に持ち寄ってオープンにしてもらいたい。仮に多くを証拠として捜査資料にしているくらいなら実態解明は近いと素人からは思えるが)有志の諸氏が、その日の映像素材を工夫してオープンにしてもらいたい(加工してわけのわからない事態にされかねない辺りへの注意は要る)。
 ということは、一般がわかった風で事件を語る必要に迫られているわけではない、ということだ。
 だれが見ても銃で撃たれて倒れた元首相氏ではなかった(氏の苦心を素人老人が想像すればかつての人生まで弁証法役割分担に貢ぐようなタイプではもうなく、今どきのこれからを担う政治家世代同様に、利害調整でしかありえないリアルを踏まえてのたとえば弁証法役割分担タイプと想像できる。だから亡くなった元首相氏にとっては国葬扱いは迷惑千万なことだと推察(調整役要素をはみ出て政治的位置の宣伝効果として偏った印象を後世に残すことに通じると素人老人は推理)するけれど政治利用利害やが関わってそうで・・・)。
 二発目の音で振り返り、再び前を向きながら同時に台から降りて低姿勢を取ろうとするその初期にさっと右手が左半身の方へ伸び何かを感じ取った姿までがネットでは紹介されている。(連続動作上)そのすぐあとにかがんだか、体勢を崩したかは不明。
 加害者への関心はワイドショーネタなのでうっかりするとマスメディア慣れした諸氏はついそちらへ誘われがちと察するけれど、警護班が協力しての犯行ならば説得力はあるけれど、そうでなければ、(放送・ネット発信の映像から)犯行そのものもずさんなので、元首相の動作として現状明確になっている事態をUKテレビドラマで鍛えられた今どきの視聴者をごく一般的な意味から説得させるのは難しいと素人老人は見る。
 ただ素人的な観測から、警護の成り立ちにまで疑問をもって捜査の進展に関心を持っているあたりは既述なので、今は更にしつこく書くことはしない。
 極端なくらいメッセージ性のある人物を巻き込んだ事件ということで、しかも警護も犯行もそれぞれずさんで・・・と、ネットとマスメディアがそれぞれ未だ健在な偶然の時期に生じて、捜査もプロ技を多分、発揮できる事例になるのでは、と期待しているが、素人老人ごときの期待なので、きっと普段通りの実力で名作ドラマを超える結末が待っていそうだ。


 けれど五月蠅(うるさ)く川柳もどき

 経済学碩学3人は20年前でも今日を見通す、と気付くシロウト老人
 ワイドショーは良くも悪くも視聴者を遊んでくれる、カモ
 鴨が美味いことは、動物の食生活から学んだ、ヒト、かも
 天気予報では女性陣が大活躍だ、けど、裏方解説の男性陣も、俺たちのこともお忘れなくとちゃっかりしてそうだ
 大雨の後、巷の小河川敷にはえさをついばむ鴨の群れ、いつもはたいていペアでちらばっている、かたまにたいそうな子連れ
 埼玉の50m県営プールが非公開になっても、原宿を降りてすぐの旧オリンピックプールは一般に開放されていた、な(市営は月一休)