連載は続く~SF掌編『スパイゲームその後・・・台風一過の先取り』編

 

* 『スパイゲーム』:『エネミーオブアメリカ』の監督であるトニー・スコット氏の作品


 大げさには世界政治の水面下渦巻く諜報からみのすったもんだや、覇権をめぐるシリアスだけどそれなりの工夫を交叉させつつ暗闇を下敷きにしたドラマ・映画の類のシナリオを準備するためにとりあえずその設計図を、と試み始めて、力不足にはすぐ気付けて、ともかくあらすじ程度なら素人にもできるだろうとつたなく文字にし始めた辺りを想像していただいて、以下、リアルっぽい舞台を借景よろしくいただきながらそれらしい話を。

 作者、囲碁・将棋の類を実に苦手の一つとするようなタイプなため、そのリアルを引用するにあたって、更に、更に深読みして、多段の仕掛けゆえに、一見暴力沙汰を呼び込むような、煽りの感触を得るような場面であっても、実は、多段の一つとして、それを経て、円満解決へと実は誘っている仕掛けだった、という辺りへの言及は弱い。
 それは危険だ、と短気に思い込んで、それへの代替を発案できた気になっている可能性も多々登場させかねない。そこらは注意していただけるとありがたい。

 そこらの象徴的現象をだから先に指摘してみる。
 USのブリンケン氏はぐるぐると煽って回っているんじゃないか、とその軽薄な姿勢に多少、やつを止めれば多少はこの世の中、落ちつきをとりもどせるのかも・・・などきわどい映画を見てスリルを味わっている観客的感受の辺りを、わかりやすい事例として持ち出せる。本当は、きっと多段の構えを準備していて、最終決着は、三方良しの好(よ)きUS映画の円満解決シーンが待っているという予想も十分にありうる。

 何度も持ち出すことになるけれど、昔の帝国唐の高宗、武則天両氏の頃の発想は、各地に目を配って、帝国域でもめごとを起こすのは止めにしてくれ、その上で活発なヒトの営みを実践していこうじゃないか、と基本からの他国への関与だった。
 今時のUS帝国の発想はその逆で、というか自信を失(な)くしたか、アイデア喪失状態なのか、手ごろな手段として有名な、各要素間に争いごとの種を撒いて、適当に騒乱させて、中央が制御しきれない様を見せびらかす事態となる前に、各地でもめごとをその要素間で制御し合うことでエネルギーを浪費させてしまうやり方を選びがちにしている。
 だから日々、ニュースにはそういったもめごとか、もめごとを予想した危機管理めいた話題が底流を為しがちにする。
 高宗・武則天両氏にとっての発想からすると、US帝国は小国の一種か?と思わせかねないわけだ。

 冷戦以前からUSSR・USはごいっしょだった。US帝国の力不足を補うUSSRだった。
 立派なパートナーだ。
 ただし・・・USが月へ行ってきたと自慢すれば、USSRはちょっと地球上の高高度までロケットで行って長時間滞在してから帰ってきて、そのパイロットが他人の力を借りてやっとよろけて歩く様を即座に映像提供するくらいの英国流しゃれっ気を行使するくらいの相手でもありえた。

 その代理戦争が酷い事態を生むようになってしまう。
 更に、諜報利害は左右中の思想的な理解をはるかに超える残酷な事態を各地で生じさせてしまう。

 そういうヤバいことに加担した人脈の一方で、その昔から、列島に限らず三方良しの発想は育まれていて、USでのメジャーな経営思想にもそういう一派はありえた。
 ただ帝国支配の構造上、一方が民主主義でもう一方は専制的ないり統制的な典型を表示し合う必要があった。
 そのために、一般人は相当に苦しめられてきた。
 帝国支配が19、20世紀と経験を積んでより一般にとっての済みやすい帝国下のグローバルな生活を実現させるはずが、各地間に格差を拡大させ、しかも各地内での格差はそれ以上に生じさせるような、答え先取りだけど、「"金融膨らし粉"経済」の罠にはまってしまっている。
 基軸通貨ドルの発行残高が一応の実際的制約となりそうなところを、一時的な、ないし瞬間的な株売買や、金融取引でのテクニックが、膨大なバブル現象をもたらす。
 それらの活動が一方が儲けるなら、他のどこかが帳尻が合うように、損を計上させているはずだ、ということの時差問題が、実に使いやすいことになって、膨大量の余力、バブルを生じさせるようになってしまった。しかもそれに慣れてしまって、半世紀が過ぎている。

 そこらは、間違いなくUS帝国のグローバル環境落ち着かせ手段だ。
 日米で膨大な消費を生じさせることも一時やってのけたかもしれないが、人口的な膨大さから中国が出てこないわけがなかった。
 どこの国々も、多少豊かになれば、落ち着いて財布と相談する生活に入る。子育ては費用的に馬鹿にならない。だけど子供も欲しい。落ち着くところは少子化となりやすい。
 そういう諸国が豊かで、子だくさんの諸国は貧しい。
 中国もこれから、一時的に少子化の結果を引き受ける時期を迎えることになる。
 欧米の主だった諸国は、そのツケというと誤解も招きかねないけれど、ちょっとはありそうだから、そう指摘しておいて、移民頼み、海外他国からの出稼ぎ頼りのような生活空間を成している。決してきれいごとの方の理屈が通った話ではなさそうだ。
 しかも高エネルギー消費が支える日常生活・社会態ということで、稼ぎ方のこの先の工夫を間違えると先細りまっしぐらすら危惧される。
 資源国でもあるUS帝国はそこらが慢心の余地ありで、油断していても、未だ、その結果が現れるには相当の年月が要るから、数世代先という話でも未だ、危ないとかで脅すことすら不可能だ。
 でも、民主主義っぽく振舞える間だけより多くの国々から指示を得られるタイプの承認で成り立っている構造も見えてきて、っぽくの実相が露(あらわ)になる前になんとかしておこうのその先のヴィジョンの中身がなんなのか、各地がわかりたがっているくらい、世の中、危なっかしいUS帝国を心配気(げ)に見ている。
 そうはいっても中国とかロシア(旧ソ連邦の一部)が未だに情報統制タイプ依存ということで、競争相手としては情けない状態を保持してくれているので、以外に慢心をほどく機会を失している感じだ。
 実際、情報統制は、どの土地柄でもマスメディアを育てているような所では使いこなしている。まったく使いこなしている。
 使いこなし方においては、US帝国の民主主義っぽさを発揮させている、市場原理主義(その思想的、思考基盤が弁証法なわけで、だから19,20世紀の思想のどよめきを引きずるどの思想系統(左右中他)においても、その思考癖から市場原理主義に反対だろうが賛成だろうがファン心理に誘いこまれやすく、内心すぐに(商売敵としての)敵(か同じ利益集団内に属している)味方での選別を志向してしまうように悪癖が社会的に育つ過程で身についてしまうわけだ)。マスメディアのことばの達人たちですら、というか、達人たちだからか、ファン心理に誘いこむことばの技を輝くように用いるように内面化してしまう。
 それに嫌気がさした多くの人々がインターネットのおしゃべり空間に逃げ延びたのも束の間、どう煽ればの手法に熟知したUS帝国のインターネット酷使部門は日々というかミリ秒単位よりも小刻みに、ささやき続けている始末だ。
 だからUS帝国とごいっしょグループは、黄昏の帝国と濃密接触による感染も仕方なしで、陰陽両面と深く関わらせられている。
 もちろん、今のEUがわかりやすいのだが、と一括りな活動態となると、妙な事象に出くわした時に、その昔ならば、ドイツの事情とか、イタリアの事情とか、フランスの事情とかで、オルタナティヴがいくらでも可能な政治の熟練度合いをお披露目出来のだけど、今時だと、EUの決定を尊重することで生まれるEUの権威問題があるはずだから、表向きは中々達人技の饗宴という舞台を演出することはむずかしい。
 そこに煽り役のブリンケン氏がなにかと口出しして回っている。
 ブリンケン氏の役柄がドラマのようにもう少しわかりやすく紹介してくれるだれかが、統制されやすい自称民主主義諸国、自他共に認める統制諸国のどこからかいてもらえると、一般にとっては見晴らしが効くかも、と一種の幻かもしれないが、一呼吸くらいはつく。

 一般的に帝国支配は、市場を提供して持ち出し覚悟が要る。そのために永続性を欠く。
 いつかは代替えが必要になる。その時期をスケジュールに出来ていて、US帝国、一般には公表できない動きの一つが煽り役の闊歩現象なのだろうか?
 とりあえず消費国でもあり、相対的に安いし品質も保てる商品の供給先でもある中国という膨大人口国への期待が、頼れる相手としての承認までの経路つくりとして、US帝国が選んだ道・経路なのだろうか?
 しかし、情報統制のあり方は相当に下手だ、と率直に中国やロシアの今には指摘できる。
 法治と世論とを巧みに使い分けて、統制なのに統制よりは自分たちでやりくりしてそうに誘うやり方は既知のことだ。だから中国やロシアが真似ようとすればそう難しいことはないはずだ。
 ただ、恐らく、市場原理主義を民主主義っぽくみせる手法の部分にも気付いているのが中国・ロシアと思えるので、US帝国をヨイショする必要性の一方で、オルタナティヴに打って出る場合、US帝国もいっしょに加勢に回るはずだとしても、同じ過ちを犯せば先のどんづまりはより早く訪れるだろうくらいは、多分、予想できていて、そこらで今、この現在においては試行錯誤のその先を読みあぐねてそうだ。
 EUもUS帝国を支える要素役を引き受けるうえでは、余計なことはできない。
 ヨイショ役をこなす必要を近代市民社会試行錯誤の過程を共有する友として忘れるわけにはいかない。でも・・、すでに力尽きて、それでも老体に鞭打って頑張っているようなUS帝国を応援しないわけがないだろう、という所だ。
 でも惰性のままだと共倒れだ。ここらは間違いない。どうする。
 US帝国はダメだとはいえ、資源大国だから、持つ。当分持つ。EUというまとまりは、弱体だ。むしろ助けてもらいたい方だ。
 しかも、理念上の欧米という立場、理念の発信源としての権威を失っては秩序維持とも関わる。仕切り続ける実態を表現し続けないと、という強迫観念に覆(おお)われてしまう。
 にも関わらず、理念は理念、実際は実際、ということで、グローバルには大変な境遇の土地柄だらけだ。
 資金循環を生めないだけで、改良アイデアを実際化できない土地柄もあれば、昔ながらの頑固者が自分の面子、自勢力の面子を高みにして、工夫すればいくらでも生活を改善できるというだれかたちの話に耳を貸さないだけで困った事態を保ち続けているような土地柄だってありそうだし、今の秩序系発信源のUS帝国グローバルモデルがそもそも格差要因を持ち込ませている可能性だった各所にありそうだ(金融膨らし粉手法)。一方で、金融膨らし粉手法の瞬間的余剰を投じて、たまたま施設化できて、将来のメンテナンスや作り変えやの心配を忘れれば、当面の使いこなしに関心を注げる、そういう土地柄や、これまで研究費の獲得に法人化後、苦労してきたのに、なぜか金周りが良くなって色々研究できるようになったという土地柄もありそうだ。
 そうやって共犯関係を作る帝国支配安定化策も、大昔の高宗・武則天両氏の発想とは隔絶しているわけだ。
 世界国家の代表ということではない、リアルが、中途半端な様々な苦労を生じさせることは素人でも気付ける。
 けれども、帝国は仮想グローバル国家の代表として持ち出し覚悟での任期を全うできる必要がある。
 万が一にしか役立たないかもで理屈上の説得は大変だったかもしれないけれど、列島企業の内部留保は確かに万が一のコロナ禍をやり過ごすのに一定の役割をこなすことになった。
 ヒトの巨大集団を営む上での叡智"帝国"知見もその志向の含み次第では、かえって世の中を不安に誘う。
 各所が太っ腹を誇って人気取りすれば、即破綻だけど、実力をつけたうえで帝国役を担えれば、そして思慮もそれなりのを準備できていれば、次世代を準備できる間を十分に担いうる。
 ただヨイショ役がこれまでのように情報統制の下手なやり方を採用し続けるようなことは避けたい。
 市場原理主義発想での労働市場はUSのようになってしまう。不健全だ。
 でも、必要な物、サービスに向けてそこへ仕事を担う人が過不足なく集まれる仕組みはいつでも必須だ。
 そのことの結果は、作った結果が不必要なものの大量ゴミ出しということを生じさせにくくする。
 システムを設計することに長けていると思い込めているなら、各要素における時差の影響度合いの峻別を性質込みで整理できる手法の発明だ。
 しかもそれらを必要に応じて合成して、ある製品と関わる過程について、時差要素の影響度を各過程、各要素ごとに計算可能にして、そこへヒトというリアルにとっての時間要素の影響関係を織り込めれば、無理のない雇用と生産の仕組みを柔軟に改良し続けられる。
 製造機械のソフトウエアにおけるライブラリ内の要素ブロックのように、機能ごとに組み合わせられるとかで汎用的な使いまわしすら可能にできる。メンテナンス上手が組めば、より安定的に長期間使い続けられるかもしれない。
 つなげることの必要条件に応じたつなぎ方、つながり方が可能な部分化の想像力も必須になる。
 人口減の趨勢を避けられないとするならば、いつも新製品を作り続けるということではなくて、限られたヒトをより需給観測が工夫されて、必要度合を中長期に観測できるようになっていて、その上で安定的雇用機会を得て、落ち着いた生活条件を得られやすくするような営みへと誘いやすくする。

 高品質な物・サービスが超高給取り諸氏によって担われているというのではない、夢のような世の中が"復活"すれば、欧米流の失敗に載らないで、更に欧米の諸氏にもオルタナティヴとして一応紹介はできそうだ。
 US帝国の発想はそこに失敗要素を秘めていたわけだ。高く売って勝者になりなさいと誘いけしかけてきたわけだ。どっちみち、その勝者だって、次の勝者にとって敗者として淘汰され続ける。おごれるものは久しからずで、世の中に傲慢かまして迷惑をかけ続けることはない。市場に任せておけば済むことだ、方式だ。
 それが世の中のサービス・質の低い方での均質化を蔓延させ、適度にゆとりのある層のみその恩恵を一時味わえるタイプに常態化させてしまう。そこらの落とし穴に事前には気付けなかったようだ。
 列島では相当に高度な技能を持った職人が城下町とかのお金の落ちるところで育っていた。だから一面、大儲けする層もいたけれど、つましく暮らして、だけど技能がとびぬけていたようなタイプ諸氏もちゃぶ台を囲んでどなりちらしていたかどうかはわからないけれど、子供たちと食事くらいはしていた。
 それが昭和という時代ころまではなんとか大勢巷にいらっしゃった。列島の人々でも老人層までは、そこらを知っている。その子供たち(平成・令和生まれ)は、2000年代にはじまったしゃれた作りの家、屋敷に住み慣れて、その暮らしやすさ如何がハッキリするのは、数十年後だから、どうなんだろう。
 でも、しゃれているだけではなくて、長持ちするとか、堅牢とか、使い勝手が良いとか、色々工夫されてそうなので、職人仕事がやってのけた部分は経験できないとしても、他で結構満足できるという可能性もありうる。
 遮断性が良ければ、空間がある程度節約的であればあるほど、エネルギー消費を減らせる。
 ヒトが動きにくいほど節約的だと困るけれど、そこらは実用的な範囲でで、あれば、住む家について、それなりに合理的な空間イメージは出てきそうだ。
 で、ここらはあくまでも列島の北から南に長い土地柄を前提の話。グローバルには様々に工夫できるのだからアイデアを試したいこれからの世代にとっては仕事場だらけの感がある。
 残るは、帝国(US)とその補助諸国(ロシア、EU、UK、中国など)が黒子としていかに世の中のヒトの営みを安定的に安全に活動しまくれる環境を準備し続けてくれるか、といった辺りだ。
 列島政府は、その昔を思い出すきっかけをサマルカンドから得られる機会をつい最近得られたのだから、ユーラシアの安定的で安全な活動域を保証し合う関係をいかに保っていけるかと海洋またぎ(空路も含む)の交易も同じようにできる環境を超大国とも組んでこれからも貿易の原則、お互い様で良しの辺りに気を配りながら、多少も消させてもらいつつ、満足を他所へ提供できるようにしていけるといい。

 となんだか、素人ゆえ大げさな話にしてしまったけれど、心を落ち着かせるかどうかはともかく、いつもの川柳もどき

   ペンキは塗りたてで焦ると せっかく塗った面をはぎとる ところによっては厚塗りになる ツクツクボウシがおとなしくなって 9月半ば いつもの金網にルコウソウ 季節が半月はズレた