連載は続く~SF掌編『交通システムの運用面の寸景其の一』編


 陸空海を使う交通ネットワークなりシステムが整っていることは、生活とか経済活動とかに限っても絶大な要素性を発揮してくれる。
 空についてはヒトの場合、やっと100年程度かそれより少ない。
 荷物・人の輸送をとにかく膨大量こなす、ということでは、ごく最近達成しつつ試行中といったところだし、それなりの密度を持った経験の積み重ねと理論的試行錯誤を重ねてそれなりに整合性を達成している段階と素人老人的には観察させてもらっている。
 海も今では、発信源を共有している限りなのかどうか、リアルに航行中の船がネット上に描き出されるくらいにはシステム的に運用されているようだ。
 スエズ運河を巨大タンカー一艘がふさぐような事故が起こり、しかも、短期間でもって粛々と解決された。
 港々のネットワークとかシステム運用は限定的なのかどうか、突発時が、交通を遮断してしまうようなことも起こっている。
 陸については今時となると、自動車と鉄道の二大システムがそれぞれ自立して動いている。
 自動車のシステムがそうしたというより、鉄道のシステムがそうした、というより、それらを使いこなす側が、それぞれに合わせて立地の方で使い分けてしまった結果と見て取れそうだ。
 極めて老いた側からの発想になるけれど、列島鉄道環境を前提に、現役の頃にしっかり稼いでそこそこ蓄えと年金額を得るようにしてあれば、鉄道網の利便を応用させてもらって、好み、関心の向いた土地へ、簡単に辿(たど)り着けるし、道中すら楽しみとなりうる。
 鉄道旅はそういったところがありそうだ。
 で、それが可能なのは、とりあえず土地土地の主要な地点を鉄道網が覆うように発展させてきたからだ。
 その過程で参勤交代の盛衰がもたらしたその後の町々の栄枯盛衰同様に、列島の政治経済が成してきた土地土地の栄枯盛衰の変化をもろ引き受けて、同じ駅の周辺の町が元のままというわけにはいかない。
 ただ老人関心が歴史めぐりだとすれば、そこらはまったく邪魔にならずに旅を楽しめる。
 そういう需要が一方にあり、一方で、日々の収入と関わる生産活動や教育やがもたらす人の動きとしての鉄道サービス消費量が激変してしまって、土地柄によって極端に採算に影響するようになっている、と紹介されがちなのが今日この頃のようだ。
 道路のメンテナンスの多くは公費だ。鉄道は会社持ちだ、との紹介もある。
 鉄道交通も自動車交通も町の賑わいを企画に持って為される性質を指摘できる。
 そこらは世代交代の過程で、住宅地開発とご一緒の企画の場合は、典型的に列島では過疎に働くような土地柄ということで、問題化させた。
 親と同じ住宅に住み続けられるような建築質を目指さなかった(そういう高品質の木材なり、材料を使える費用負担に耐えない人々に個人住宅を建てさせる工夫が優先された背景は知られている。良い悪いの話ではない。)ゆえに、子供たちは別のところへ新築して住むことを選択するように仕向けた。住宅需要喚起の目論みも並行させていたとも思える。
 すると限られた総収入を予想される膨大な人々にとっては、いつでもきつきつの使い道と収支ということでの人生設計に縛られがちにしてしまうとも想像できる。
 家を持つことを目標に、働いて、で何が悪いの?との疑問も出てきそうだけど、いつでもあることの達成の上に、構想中の何某の一つをチャレンジ出来てで、ヒト自体の改良が成されてきたことを想起できれば、答えは簡単だ。
 とにかく住宅地開発も土地柄の栄枯盛衰に相当に関わらせやすい。
 自動車交通の近年における試行錯誤としては、自動車に乗って運搬役をこなさせうる買い物に便利な立地にかなりの資金が投入されてきたことのように素人からは想起される。
 鉄道交通に頼らないタイプの生活パタンを持ち込ませた。
 駅を介しての利便な生活も怠りなく試行されている。
 だから現状では、駅周りの買い物ほかの利便性と、自動車交通たよりの買い物ほかの利便性とが濃密な交錯を試行しての結果というよりは棲み分けてしまった結果を見させられている、経験させられているように受け取れる。
 しかもそれゆえにもろに出たのが自動車交通における混雑問題だ。
 脇道を選んでの旅とか応用とかも可能だけど、費用的な最適を選んでとなると主要な交通網に依存することになりそれゆえに混雑も避けられなくする。
 多くの人々が自動車を便利に使いこなせるように自家用車を得て、しかも、使用頻度はそれほどでない諸氏が無視できない数いるような事態を並行させてもいる。
 自動運転システムの描き方次第では、世界標準になるかどうかとは別に列島的制約条件を踏まえた鉄道と自動車交通システムとの共存の交錯させた可能性を探れることも、無駄なことばかりではない気が素人ゆえ、する。
 今のままだと、自動車でちょっと遠出タイプでの利便性享受だ。
 鉄道も、限られた選択肢の中から、そこを選べれば使うという形になりやすそうだ。
 鉄道の"定期"を利用している諸氏(今は未だ膨大量いらっしゃるはずだ)ならば、更に、費用面からして使いやすい立場と察する。自動車じゃなくても・・、となる。
 ただし、鉄道は駅が出発の起点となる。時間を費用のように考えられるならば、駅までの時間も自動車使いと比較される。
 今見る電車は空いてそうだ。座って、気ままな小旅行ができる。
 通勤・通学時はどうだろう。
 自動車ならば・・。でもバス通勤・通学だと・・・。
 素人老人の観測については時にふれてきているのだけど、一票の格差ということで地方の土地柄をぞんざいに扱う発想を強引に押し付ける考え方を民主主義のラベルを使って正しいことのように言いふらされがちにすると、自ずから、不利な土地柄が各地に生じてしまうものだ。その結果を日々、ニュースとか敢行番組で見ることができるようになっている。
 自動車で貨物輸送するドライバー諸氏は数十年も前からそこらを気付かれていたと思える。でも、正しいのは・・・と出られれば、中々反論もしにくいだろうから、惰性にすると、こうなってしまう、という一つの典型とも思える。
 国の政策ともなれば、うるさく言えば通るということにはならなくて、一定の説得力が要る。でも言うやつの口数が減れば、それなりの効果となりうる。多数決を良しとする自称民主主義を目指す諸氏は今でも大勢生じやすい。困ったことだけど、迷信は時に強く作用する。多数が集まって、言いたいことを言い合って収集がつかないだろう!?と息まくなら、それはむしろ、その集まりに集まった一人一人が合議に必要な素養を欠いているからだと断言できるわけだ。公(おおやけ)発想を芯のところで感応できる素養を身に着けていないと議論は拡散しがちになる。自分はこう思うは、だれもがいちもつを持つわけだから、話はちらかるとか、ムードに合わせて単一へと収れんさせもする。けれど異論も残る。
 そこらを面倒くさがる土地柄では、懸案それぞれに市場を想定して、市場のふるいに任せる。すると時間が解決してくれる。とりあえず争論における勝ち負けの結果が生じて、勝っただれかに仕切らせる。他は他で別の争点をめぐって争論が生じているしそれも時間任せだ。争論の一つのサイクルが終わって、でもまもなく解決案の賞味期限が来て、勝敗の黒白の決着を求める!とばかり争う時間を要して、また一時的決着を得る。他は他で別のサイクルを生んでいるし、相互に絡み合っても来る。そして時間任せで過程での悲惨などどこ吹く風の立場が一方でそこらを観戦しつづけている、といったところ。

 高密度に地点地点に達する必要を持っているだれかにとっては、空いている道路網を自動車を走らせて回れれば、すんなりこなせそうだ。
 自らが運転することは安全性ほかの事情から避けたいけれど、遠くの各所に目的地を持つようなだれかの場合、鉄道やバスやの連繋的利用が物を言ってくれる。
 この場合、到着後の更にもう少し動いて目的地に達するということは珍しくないから、その距離をいかに埋めうるかが交通手段として問題になる。
 健康のためにも歩くとか、走ると、自転車でとかが可能なタイプもいらっしゃれば、バスで途中まで行って、そこから・・となるかもしれないけれど、そこを埋めるバスの類が廃止になっているとか便数が少ないとかが重なると、それまでの利便性が一気に失われてしまう。
 しっかり老後に向けて働いてきた諸氏ならば、それなりの蓄えをお持ちなのが列島環境だ。そして騙されて出費したりの事件も起こる。そんな出費で苦労するよりも、自らの老後に目的とか張り合いの対象を持って出費できると、その出費という行為自体が元気の素にもなったりするのがヒトの生理だ。狩猟とか、農耕とか働き掛けて(エネルギーを出費して)得ることの充実感は、元気の素だ。
 そういうお年寄りが膨大に居る列島なのだから、ちょっと出かけて、それなりに数日間とか数か月とか楽しんで、帰宅して、今度はどこへ行こうかとか考えたりも、元気のまま老いる足しに十分になってくれそうだ。
 ここらの世間的像は、若者たちにとっても、ちょっと余分に稼いでおいて、老後の長年月に使い切って楽しんでしまうぞ、くらいの予想をちょっとくらいは提供する。
 介護関係者は手持無沙汰にしがちにするかもしれないけれど、それはそれで・・、という話にできそうだ。
 そんなだったらと、海外の諸氏もネットで見つけて、列島各地に遊びに来られるかもしれない。混在しない程度の塩梅役を旅行業者とか宿泊業者とか観光地の若手の集まりとかが工夫してくれれば、それなりに各地が潤うし、旅行者諸氏も恵比須(エビス)顔で帰国できる。

 自然災害対応とか兵器産業とかへの支出問題を織り交ぜて実際の話に出来る辺りは、機会があったら、で、識者諸氏こそが、より多くを傾けるのはそこだから、他は、ということの論を、物騒な一面も持つ今時なので、展開してもらいたいところだ。

 

  川柳もどき

   列島環境は澱(よど)ませない 揺れるし 吹き飛ばすし 流し去る
    時には覆(おお)いつくす 小さい生き物や鳥やが植物をもたらすし
    見えないからいいけれど ウイルスや微生物だらけだし