連載は続く~ SF 掌編『カイコの糸は撚(よ)って束ねればそれなりに丈夫』編


 サッカー女子代表チームの強化試合その第2戦目をテレビにて見たので、もう少々、老いぼれ発信。
 今時、多くのサッカー身につけ中の子供、若者層は言うまでもなく、現役プロの諸氏の多くにとってはごくごく当たり前のことになるけれど、自らがだれか相手についてその技量のすごさの質量について実感なり体感できてしまえる範囲で、そこまではやり方次第で、意図的に本人の身につけることが可能。連係プレーの際も、そこらを前提にお互いの動きを察知しあえることになる。
 すごいぞ、と教えられて、そうかも、と受け取ったとしても、実際に、どれほどの質量においてわかったかどうかは不確かなわけだ。
 だから逆にというか、不器用だったり、人生の途中の過程において身に着けてしまった体のくせとかが邪魔したり、若気の至りで気づけないままをすごしたのちに体感的にも気づけるような機会を持つとか、サッカー技の上達の障害としてしまうだれかたちが仮にいたとしても、その諸氏が一流のコーチになってしまう、ということはざらなことのはず。 ここらから、競争相手を蹴落とそうと、揚げ足取りのためのマイナス材料を相手に観察し続けても、技を磨くということに限っては役に立ちそうにない。

 さて肝心の試合の方。
 一場面だけに絞っての指摘。
 前半20分30秒ころからをじっくりみてほしい。広い視野が要る。

  スペインチームのだれかが、日本チームゴールの方向へ蹴返す。
  以下日本チーム選手の番号。
  そのボールを4番の選手が受け止め、すかさずくらいの感じで前方やや左、ライン沿いにいる13番の選手へパスとして出す。
  二人の相手に囲まれそうな状況の13番の選手もすかさずくらいの反応で右斜め前方の23番の選手へパスを出す。
  23番の選手は、見た目、慌てたかのようなワンタッチパスのようにして前方の4番の選手へはじき返すも、スペインチームの選手にインターセプトされてしまう。

 総じて、ベテラン・中堅でまとまった日本代表チームの選手間には、なにげにそのムードを共有していそうな感ありで、逃げ心からのバックパスを多用している。
 と指摘するとあたかも23番の選手のパスのこと?のように受け取られそうだけど、全く違う。
 そこらを説明する。
 総じてのところにはもう一つ加えることができる。どの選手がというよりもの話しだ。 周りを瞬時に見てとかあらかじめ視野を確保してその流れで素早いとか緩急とかの動作を可能状態にしていない。周りを見切れていないことが多い。(それぞれ短期に改善できれば多分素人考えにはすぎないけれど、チーム力アップに即通じる)
 左にマークされる求心力を発揮する23番の選手がいるので、ぐるっとスペインチームの赤色ユニフォームが7,8人囲うように控えている。すぐ動ける体勢であることも感じ取れるはずだ。
 13番の選手だって確実に2人の選手からは圧が即かかる位置関係だ。
 4番の選手はある程度の余裕を得ている状態で、展開上からしても右側か、中央かを選択できるはずだったが、敢えて右の窮屈な13番の選手に出した。
 当然、と気づけるはずだが、13番の選手にとってはハイリスクな状態での受けだ。
 動いて動体視力にとっては好条件で23番の選手が目に入りやすくなっていたし、他は赤いユニフォームの囲いの外側の離れたところだ。
 13番の選手がボールを取られないように23番に出すのは仕方なかった。
 23番の選手は動いていたとはいえ、おそらく、状況変化をなんらか試みつつの動作のはずだ。そして囲われていることは先刻承知のはず(これまでのプレーからして周りに目配りできているから)。
 4、5人に囲まれて安直にボールを取られるよりは、即返しの反応もこれまた仕方ない、と老人なので多少甘い。
 いずれにしても、23番の選手はボールをスペインチームのだれかに奪われてしまう状況だった。

 上手な選手たちが集まるすごい試合の場合、とにかく隙(すき)をなかなか得られない。
 *ちなみに、ばくちがらみでない限り、リーグ戦タイプの試合は、勝ち負けはどちらかがいつも経験するような仕組みだから、試合内容次第ということが明確にある。
 リーグ繁栄にはそれなりの観点プロが必須なわけだ。
 トーナメントタイプは、一種のド派手な余興、興行都合からするお祭りという意味合いが濃い。

 試合が面白くなるためには、最善の状態でのサッカーがそこで演じられている必要くらいは素人でも指摘できる。その細部を具体的に埋めてくれるのが試合現場では選手やコーチや監督やだ。プラス審判諸氏とも言える。
 上手な試合運びに隙を持ち込むプレーも上手なサッカー業師(わざし)諸氏は百も承知のはずで、予定とか予想を位置的にずらさせる動作(単独でのドリブルや連携プレーなど)とか時間的にずらさせる動作(同様に)が関わってくる。
 長いドリブルの良し悪しということでなら、その間に体制をととのえる相手側がよりいい状態にしてしまえるか、それとも攻撃している側がそのための準備をより良い状態にしてしまえるかの余裕を埋めているかどうかに関わる。
 しかも生々しいドリブルの実際では、予定通りの位置で待ち構えられる状況に変化を呼び込めている場合に限っては、その一人の動作が、状況に変化を読んでしまうので、相手にとっては予定外対処がずっと続くようなことにも通じて、見ている方は面白いし、守備固めしたい相手にとっては、翻弄された状態に近い。
 そういう場面はサッカーの場合、上手な読み手たちが囲っているから、滅多には誕生しないけれど、時々生じる面白さだ。
 それでもわずかの動きで予定通りの位置の変更を迫られる相手の動作は、そのまま試合展開として活きてしまう。
 ここらの観点も、下手は下手なりにと素直に自力を評価できた選手たちなら、改良の観点も持ち込みやすくするのではなかろうか。
 と最後の方は素人老人の余計なおせっかいポイ。

 

  川柳もどき

   1974のオランダと西ドイツのワールドカップ決勝に藤田・山本解説
   回顧噺に傾き過ぎずのいい感じの昔話込み、司会もよかった
   で、真似たくなったド素人
   サッカー好きな知人からは同じクライフ、ベッケンバウアーの名を教わり
   卓球ならベンクソンの名を教わったり
   素人の既知圏には杉山・釜本・ペレくらいだったし、ペンハンドが流行ってた頃、長谷川選手がテレビ画面の向こうで活躍していた
   と素人はどうも教えてくれた諸氏を想念しての懐古調っぽい