連載は続く~ SF 掌編『火器を巷では持たないことにしている沢山の土地柄』編


 方向性は似るとかのことばがヒントになる程度に、持っている。
 そうではあっても、変種の数々は膨大に死滅していく。
 いつもは、といえば、既存の変種たちが、その構成比率を変えながら、環境と"対話"し続けている。
 そこらをインフルエンザウイルスについて喜田氏が一般向けに紹介してくれたのが、ラジオ日経感染症の番組だった。
 よほどダーウィン氏の名をつけた進化論の解釈のうちで、相当に偏った方を固執した限られた諸氏だと、否!と強く出て、競争的な環境で勝つか負けるかしてその結果残った強いものがいつもを構成しているのだとか言ってのけそうだけど、根は一つだったとしても、それが今のような多種の様を呈するようになっているとかのダーウィン氏流進化論の方での理解も充分に可能だということで、落ち着かせることができる。
 その構成の変種間に、たとえば耐性菌のような現象をもたらすような人為との対話が成り立つということをより一般も考え易くしてくれるわけだ。
 だからと多少は素人ゆえ端折らせてもらうが、今、現に跋扈するコロナの変種の群れは、それなりの"淘汰”を耐えてきた連中だ、という想起が成り立つ。
 ならば、突如、変種の一種が隠れていたところから急に大流行をもたらすということは”不自然”じゃないか、と素人なら素直に受け止めうる。
 その不自然さの説明としては、変種として恒久化して、だけ少数だったのの一部をヒト間に流行らせて、それなりの発症性を持ったやつを再び回収して、撒くなら、そういうことは起こってもおかしくないだろうな、と素人ゆえ、端折って、持ち出したくさせる。
 世の密かに調査研究して、事態を落ち着かせる公務部門のプロフェッショナル諸氏が、「だまって仕事を遂行」なことは映画のヒントから素人でも気づけるが、働いてくれているのだろうか。そんな素朴な疑問を持ちつつ、事態の推移と適度に距離を保っていたりする。

 高句麗系の福信氏が凄い力士っぽい。またその力量をも買われていた。
 だから相撲は列島だけが起源ではありえない。
 しかも相当に注目され、時代の荒波さえ乗り越えたような福信氏の脈が、いつのまにか表舞台から姿を消してしまう。
 対比的に、宇佐系の活躍ぶりを持ち出してみる。
 参照したのは上田正昭氏の対談本と、ずばり『宇佐』というタイトルの本。
 手向山八幡宮石清水八幡宮鶴岡八幡宮。この三つは政治的求心力を伴う遷都っぽい趨勢とともに誕生しその後も栄えてきた。
 ついでに、宇佐の神職な諸氏は、元の出が呪術系かもと素人だとショートさせて考えたくさせるくらい、色々、事或る毎に多弁な”ご託宣”の類として応じてきたようだ。
 ここらは九州系の発想法が魏志で描かれた頃からずっと引き継がれてきたのかも、と素人的に指摘したくさせる。
 世の関心ある諸氏においては、(ネットで散策しているすぐにそれらしい記述に当たるから)ずっと論じられてきたようだけど、北部九州の海域と半島南部の海域とが、氷期の頃は、その海底地形とか深さからして、恐らく壱岐のあたりまでの広さで陸地化してた可能性大だ。
 それは縄文とか弥生とかの流れとして、生々しくそこらと関わる人々に受け継がれてきたはずだ。
 関門海峡がつながりにくい程度の深さを持つ(津軽海峡は大きな湖を生じたかもしれないが、土手のような感じでつながっていたともとれる深さと地形だ)ということで、現中国地方と現北部九州を介して九州地方の人々と半島やその奥の大陸の人々とは、相当につながり感を濃くした人々が住み分けていたと想像したくさせる。
 縄文の早い時期のとてつもない事件の記憶も継承されていたはずだ。
 昔の人々の行動半径の極端なほどの広さをいつも忘れないようにしたい。
 だから数は街を各地に作るほどの多さではなかったかもしれないが、列島各地を歩き回ったし、キャンプしたり登山しまくったり、動物たちをなんとかしたりで、知り尽くして、歴史上の古代なり上代を迎えたはずのことも、想起しておきたい。
 ここらは、素人が上で指摘できたように、多くの諸氏が関心を持ってふれてこられている。
 そこを踏まえられる研究者諸氏は更に、文献ならたどれる原典の数々を読みこなし、考古の資料を可能な限りで触れ見聞して、自らのものとし、研究の成果とされつつある。
 そういうことを、2017年と6年も前の文章だけれど、瀬間正之著『高句麗百済伽耶の建国神話と日本』から知った。これは、ネットで簡単に読めるようになっていたからこその素人にとっての貴重な知見となりえている。
 学習院大学東洋文化研究誌第20号に載ったものの公開pdf文章だ。
 氏は、この中で、素人老人にとっては刺激的ないくつかの指摘をしてくれている。
 二つ持ち出すなら、広開土王の頃の出来事が、伽耶系の人々の多くを列島に移住させるような出来事ともなったということが一つ。
 もう一つは、素人も何度か持ち出してきた、660年が最重要だけど、その後の白村江の事件が重なって、百済系(高句麗系も)の沢山の人々が列島に移住してきたこと。
 氏の指摘から、懐風藻の最初に登場する大友皇子の紹介のところ(講談社の学術文庫版は読みやすく訳してある)に目を通せば、百済系の専門知識を持った人々が大友皇子を支えていたことに読者も氏と同じように気づける。
 で、素人老人的な解釈は既述だけど、残党的な立場の中大兄氏が後景に回る立場だったことを前提に、この時期の生々しさは、その系統の主脈は、外交的立場からして、同じように表に立ちにくかったと仮想してきたわけだ。
 今の人々が読む上代文献は、光仁桓武以後なことを、想起されたい。復権後、ということ。
 それはそれとして、専門的研究者諸氏は、もっともっと素人を面白く引き込むような読みを今進行途中な姿としてほのめかすような具体的指摘を数々提供してくれている。
 その成果が続々と出て競う出し、既に出ているのかもしれない。そこらは情報力不足な素人ゆえ、大した指摘はできない。
 ただ、称徳、道鏡期を経ての、遷都もともなう出来事の前と後の人脈整理ということもありえたのかな、程度のことは素人にも薄っすら感じ取れそうに思えている。
 ただし、残党復帰を成しうる(松本建速氏や原口耕一郎氏らが紹介してくれているように話としての押さえ込みエピソードの実相を知ることから)懐(ふところ)の深さを素人的には持ち込んでみたいのだけど、そうしたからといって、当時の各地性が治まるはずも無く、落ち着かないまま、次代の更なる混乱へと誘われてしまうわけで、試行錯誤の難しさなど素人は、同情的に、だけど過程の難しさ対処としては、未熟ゆえの、様々な残酷込み、ということで押さえていたりする。変化の前と後の落ち着きはヒトはこなしてくれる。だけど変化にはヒトは弱点を持っていて、対応が下手だ。そこで失敗を繰り返しがちにしてきた。それらを踏まえて知恵をつけて、今日の処方をこなすようになってきた。弱者の立場としてもっとうまくやれよといいたくなる諸氏においては、未だだめじゃん、と力不足を時々を構成するリーダー役たちに指摘したくなるかもしれないが、素人老人的には、ケチも言うしある種の応援も要るのかもとか、込み入ったほうで受け止めるようになった。過程に伴う犠牲をいかにフォローしきれるかが試される時代程度には認識できそうだ。

 

  川柳もどき
   ヒトが観念操作をたくみにしてきたあたり

   天動説、地動説。テンドウセツ・チドウセツ。
   どちらも観察にたけたやつらからすれば、相対的な動きに慣れてないだれかたちの妄想だ。
   だからそんなきつい論争にゃ、つきあってらんないね。
   そんな一人が1111年に亡くなったガザーリー氏だな。
   神学論争好きな連中へ、観念世界向けに神は間違えない辺りを持ち出して、ブラックボックス概念を持ち込んで、工学発想を台無しにしなかった。
   観念系が鋭利な刃物を使いこなす時、陥りがちな辺りを、さっとかわす技はさすがだ。
   今時の若手も含む研究者諸氏も負けず劣らず、(文理問わず)観測に秀でた力量を発揮中だ。近い将来が楽しみだ。
   *注 誤差が致命傷を生まない数式モデル化の研鑽も怠り無く