連載は続く~ SF 掌編『医療ドラマから素人老人は時々学ぶ』編


 主に記紀の紀の方にざっと目を通している時に、天皇、神社という呼称、文字を用いて指し示す何がしについては、時期的に、指し示す時期というよりは、日本書紀が編集されている時期とかそれにごく近い時期とかを想定させるように、素人にとっては誘われる。
 未だに、"ホン"なのか"ッポン"なのか文字面からは明確ではないようだし、"神"字さえ読みは色々だ。
 書紀から離れて、先日参考にした本の一つとして引用した『宇佐』にも、例えば別府と書いてビユウと読ませる(p5 "宇佐市法鏡寺・別府びゆう")。
 p94・p112には"神"文字の発音の違いのまま紹介記事が載っている。
 大神神社という時のオオミワジンジャと大神氏でのオオガシ。それらを今時の慣用でならジンジャのジンでもあり、カミサマのカミとも読ませる。
 昭和五十三年刊の『宇佐』ということで、今なら、それなりの時期時期の発音としての整理ができているかもしれないけれど、そこは素人、調べきれていない。
 先日ふれた景戒氏の聖徳太子観についても、発音ではないけれど、本文と序の間に明晰すぎるほどの認識ないし押さえ方に違いを持ち込んでいる。
 序で天皇の一人としての事例での並記が、本文のエピソード中では、若死にしたことを踏まえた話として登場させている。
 皇太子がその似た年代で天皇になっていたと認識されていたのか、なんなのか。
 もう少しふれるなら、序と本文の著者が異なるのかどうなのか。ここでの序は上巻のもので、すると文献として今わかっている古い原典は興福寺のものとされているから、それがどういう風に押さえておけるのか次第だったりもする。
 でも、同じ上巻の本文エピソード集の中で、(p30)"元年夏四月庚午(その同時期に少し略すがその先で)厩戸の皇子を立てて皇太子となす。"、"二十九年辛巳の春二月、皇太子の命、斑鳩の宮に薨(みまか)る"。(p27)"十人一時に訟(うった)へ白(まお)す状(さま)を一言も漏らさず能く聞き別(わ)かつ"と序での指摘と符合するような描写になっている。
 序にて"いささか測(ほの)かに聞くことを注(しる)し、號(なづ)けて日本國現報善悪霊異記と日ひ"とされるくらいなので、わかった上で、序と本文エピソードとの齟齬をそのままにしたとは素人としては思えなかったりする。
* 角川文庫版板橋倫行校注『日本霊異記』から

 宇佐からみでは、書紀の第七巻にて、福岡県京都郡(国土地理院地図上ではみやこ町)をかつて京の表記でみやこと読んでいたことや、八女(やめ)の由来に触れている。
 書紀編纂時点までは遡(さかのぼ)れるエピソードとして押さえることができそうだ。

 古代列島のどうこうについては、もう一つ触れておきたい。
 臨川書店刊のシリーズ『気候変動から読みなおす日本史』の2つにざっと目を通してみたところ、中塚武氏が、"酸素同位体比年輪年代法"を使って、縄文のある時期以後の年月について、一年間隔での仕分けを成していたことを知った。
 考古の方が、油断していて、調査の際に、そこまでの区分にこだわるような時代測定をしてこなかったので、一年間隔での考古資料分類はできていない。
 それでも、降雨の状態について、一年間隔で示せるので、気候変動のその確度を踏まえた文献読みが可能になっている。
 いつでもだけど、将来の技術改良などを考慮できた、精度に関する試行はやっておいて悔いるようなことにはならないと素人老人的には思わせてくれる。
 つまり、地学系の発信本が中々詳細をデータとして持ち出してくれないもどかしさを、歴史本がなんとなく答えてくれている感じだ。
 以前引用させてもらった縄文本が、大洪水の時期をさらっと流してしまっていたことにはふれなかったけれど、急変の時期的な辺りにはちょこっとふれらていた。
 だからその恐らくは地表面各地での大洪水の時期を経て、緩やかだけど、ヒトの人生諸氏にとっては大混乱となりうる気候変化の間氷期を今時の人々は生きておられる。
 そういうことだから、氷期の趨勢に仮に移行するようなエネルギー状態についての変化(氷河期内での出来事としてなら、今後どれほど[間氷期のことだから当然だとしても]温暖化の傾向が、1万数千年前以来継続し続けようとも、今の海水準よりも数メートル程度しか上昇はしそうにない。水面の下降の方は可能性として、長年月かかるけれど100m+数十メートルは起こりうる)それは、グリーンランドとかの氷河が大量に海中に溶けて冷やして、深層の海流が停止するかして、大西洋の温暖な地域分布に大変化をもたらして、それが(氷河期の中での氷期間氷期サイクルの)氷期へのシフトのきっかけとなりそうな研究がネット上で素人でも読めるようになっている。今のような平坦な気温変化の時代から、趨勢としての最低温の時代へ向かっての変化し続ける方へとステージは変わってしまうと素人からは伺える。
 だから、衣食住すべてになんらか予想可能なデータが示されて、それへと経済活動の再編成が必要になる。ただ単調に儲け主義に依存しての経済活動であるよりは、満遍なく各地へとその恩恵が伝播するような経済活動として刺激できるといい。
 大規模な編成変えだから、それなりの経済活動の馬力とか量と質が期待されるので、経済活動としては煩型諸氏も含め歓迎されるのではないか。
 しかも予想通りの気候変化趨勢に伴う、激しさが度々訪れるようならば、それなりの無駄使いに向かわない経済活動への誘導も必要になる。
 市場の活発さ、目利きを応用しつつ、市場任せに走らせすぎの無駄を今のようには応用しづらくなる時代と見なせる。
 気候がより住みやすく変化するラッキーな土地柄も一部に登場しうる。逆に多くの土地柄では趨勢次第で、激しい気象にもてあそばれ易くなる。それに耐えて、ヒトの今の繁栄の状態を保てるような生活が可能になって、次の間氷期を迎えられるかどうか。


 と前置きが長くなりすぎた。早速本題。
 病名医療という形で欧米系の医療の蓄積の流れを列島のオルタナティヴな観点は押さえてきた。
 そこらを撫でた程度にネットから学んだつもりの素人が、テレビのドラマ『ドクター・ハウス』を見て、これはなんらか応用できそうだと思えたわけだ。
 ハウス医師は診断専門医だ。とにかく症状のさまざまを観察・整理して、診断を下す。
 ドラマはその過程を偉大な成功者というよりは試行錯誤に心身をすり減らし続ける、極端な変わり者の成功譚のように描く。
 とりあえず45分ドラマの最終場面ではなんとか答えを出して患者に答えてくれる凄腕な診断医だ。だけど、過程はものすごいことになりがちだ。
 スタッフのハウス意思が選り抜きした若者たち3人は、この変わり者に振り回されるが、学べる絶好の機会を得ているとしっかり認識できるよういつの間にかなっている。
 選り抜きというくらいこの若者たちは、この症状だったらなんという病気とかについて、聞かれたり指摘されたら直ぐ答えが出てくるくらいの引き出し状態だ(し外科手術や各種専門機器を使う検査も担ったりしている)。
 このドラマは2004年から2012年まで放送された。
 ということで、10年以上前の姿と見なせそうだ。
 そしてそのスタッフ諸氏は、今はたとえばテレビドラマのグッドドクターに関わっているようだ。
 総じて、外科的解決のエピソードを多用する(グッドドクターは外科医の話だ)。
 ハウス医師の場合、放射線障害の重症例とかも登場する、放射線障害として絞り込めるまでが大変な事になっていた。
 狂犬病と特定できるまでも、その病気の性質からしても大変な事態でドラマとしては解決してよかったタイプではなかったけれど、ドラマとして上手にまとめていたように素人老人は受け止めていた。
 今のところ(第二シーズンの途中)ジャズトランペッターの回が個人的嗜好上、受けているのだけど、その回は、診断が難しくて危うく安楽死へと誘いかねなかった。たまたまハウス医師がそのジャズトランペット演奏の大ファンで、死なせてなるものかのノリで挑んで、試行錯誤を重ねてなんとか、致命的でない病院を探り当てた(若者医師たちの熱心な検査活動が功を奏した)。外科手術によって、病院を除去して、ほぼ完治の状態にもっていけた。ハウス医師はなんと演奏に使っていたトランペットをお土産にもらった。
 そのハウス医師は、他のケースで、臓器移植をさせなかった。ギリギリまで試行錯誤して、答えを得て、止めた。その際、臓器移植後の大変な継続的負担について具体的にセリフにしていた。
 つまり、10年以上前のUS医療界では、欧米系医療の弱点とオルタナティヴな観点から指摘されていること自体に自覚的に自らオルタナティヴな試行錯誤を始めていた可能性大だ。
 外科に寄り添うような医療紹介ドラマとしての作り方からも、他分野医療の欧米系の流れが含ませる制約を自体として自覚的になって、成果すら自慢的にエピソードにすることはなくなっているように10数年後の今の素人老人は受け止めた。
 列島ではがん治療からみで、未だに惰性の方を建前上、贔屓(ひいき)にして、早期診断こそが助かる道のように喧伝されがちにしている。
 でも実質のところはむしろ生活習慣病=個々の条件から千差万別に現象してしまうのだけど無理な仕事生活バランスがズバリ症状に現れやすい(バランス回復能をはみ出してしまう)。建前はともかく、今ではメインストリームの政治分野で働き方改革が堂々とことばにされるようにはなっている。でも血圧の過大な評価基準とか、建前系の圧は放置されたままだ。なぜ血圧が体にとって必要かの根本からの接近を表立っては語ってくれない。
 US医療界は恐らく、そこらは既にオープンに検証されていそうだ。それが列島のマスメディア経由で一般に届くようには語られていないだけと察する。
 建前上は、だから列島の場合、ハウス医師スタッフが症状から病名特定を試行するのと似て、患者が診療にやってきたときに、病名を宛がう努力を為す。しかも病名特定からこぼれおちる諸症状については他の専門分野で診てもらうとよいとか、不定愁訴のなにかとして、軽重の軽い扱い修飾で納得する促しになるとか、ハウス医師のとことん系の脈絡に載せてくることは多分稀ではなかろうか。
 原理的に不定愁訴扱いが出にくい列島流医療の漢方(対して「中医」。どちらも試行錯誤の結果、儒教概念のなんらかに落とし込むわかり方ではない模索をしてきた)と言えば"証"だ。かつて奥田謙蔵氏は証について以下のように定義づけた(ネットで簡単に読める)。
"証とは疾病の証拠なり。即ち身体内に於ける病変を外に立証し、以て其の本体を推定し、之を薬方に質すの謂なり。"
 病名依存医療が、対症療法として、症状緩和による経過措置としてはしっかり患者の心身を支えてくれるけれど、ホメオスタシスとして大局を押さえることのできる患者自らのからだからする回復に至るかどうかは、からだの応答次第。根本の原因に届く病名診断でしかもそこに届く治療が行われたならば、それなりの結果にたどり着き易くなるけれど、症状緩和のための接近が、回復への猶予を与えきれないと、それなりの結果となってしまう。
 漢方の場合、陰陽の両方向について、それぞれ強度を測り、応じようとするから、無理の強い方にも工夫が盛り込まれている。
 それに欧米医療はそこらを汲んですでに漢方手法も取り込まれている。
 証の定義のように最終的に薬方に落とし込む手法だから、薬なしでの回復状態を得られる方向性を初めから含ませた猶予のための薬剤処方か否かで、血圧薬のように依存的な事態を招きかねないように素人は見ている。
 それでも診断の捕らえ方は、よりからだを生活習慣のところでとらえうる。
 医療における収入が大金の意味合いとして、質量を左右するということになってしまう仕組みを採用しているのが豊かな諸国の姿と伺ってしまうのが素人老人だ。
 大金持ち諸氏が大金を医療に使いたくなるメニューのあり方を、制度上から工夫してやれば、質量については、大金いかんとは無関係に、平等性を保ち、それ以外だけどつい大金を使いたくなってしまうサービスは大金持ち諸氏しか体験しえないようなバラエティに持っていければ、それなりの医療業と人生設計の相性を回復させうるのではなかろうかなど、わからないくせに余計なことを指摘したくなるのが素人老人だったりする。
 今の惰性だと高価に設定できる工夫を民間の努力としてやたら持ち出す方向がただ続き易くし易いのではと素人老人的には心配になる。医療は機器というより技量として工学的に精度を極めるタイプの熟練技だ。看護師ほかの各種専門分野が例外ではない(介護もそういう世界に近づけて、技能の必要度合いに応じた分業をそれら強力な専門熟練諸氏の教育を得た状態での現場担当へと放たれるようなことになってくれるだけでも、環境はガラリと変わってしまいそうだ。10年間も介護職をこなすとついえらそうなことを口走ってしまいそうになるけれど、実際には20年選手クラスの沢山の熟達諸氏が後進を育て続けることで介護業界は活発に元気を持続できるようになる。人数が沢山張り付いて介護に当たれることが最低条件で、其の条件に加えて、ストレスとか入居者負担を減らす意味でのセンサー使用とかの機器利用でないと、問題群は解消しないと経験的には指摘できる。就寝・起床時の短時間専門的パート採用+シフト応用などいくらでも工夫可能だ)。
 煩いおやじが過去を隠していたために息子のハンセン病感染がなかなか診断できなかった事例もハウス医師のドラマでは扱っている。
 わかれば簡単に治療できたのに、大変な過程をたどらせた。
 メチルアルコールを摂取してそれがからだの中で化学反応して生じた物質を、エチルアルコール系の酒を飲むことで中和させて治療してしまうというくらいのことは、なんなくやってのけるハウス医師の回もあった。
 診断の実際は実は大変に難しい。そのことを率直にエピソードにしている。
 そして探究心のエネルギー切れに陥ることなく答えを導くハウス医師の馬力に、なんとか着いていこうとする意欲的な若者医師たちの姿も爽やかだったりする。
 試行中に出てくる答えの数々が更なる落ち着きどころを探らせる。
 答えの先の問題すら指摘されてしまう(極端な変人診断医のハウス医師の言葉として)。
 病名依存医療の問題にも自覚的な10年前の欧米医療が、その姿を決定的なほどには変え切れていない様をグッドドクタードラマに見ることができる、と言っても差し支えないくらいにUSドラマは率直だ。
 折角の漢方試行錯誤も、薬方に落ち着かせる方向性だけだと、中々オルタナティヴをメインストリーム中のメインストリームに置き換えるわけにはいかなそうだ。
 鍼知見はは神経系とも体内・胎内の(微妙な)腔とも相当に関わる。
 だから解剖知見とも微細なからだの交信ネットワーク知見など全体を把握できる知見整理が医療分野の若者や一般の基礎知識として役立ってもくれそうだ。
 変化を求められている医療分野ということも素人老人的には気づかされた気がする。

 

  川柳もどき
   島だとわかりにくいけれど地続きの大陸の諸氏ならすぐに気づけるように安保的な軍事的相互依存関係は危険持ち込み要素であることをウクライナの問題が鮮明にしてしまった21世紀の初期だ(成敗手続き上、ことば、理屈の上では矛盾を生じさせて成り立たなくなる方向性)。
   すると地表面の人々ができることと言ったら武装解除を促す方で強力な地球防衛軍タイプの構成だ。もちろん、大災害とか、かつても話題を誘ったサンダーバード部隊は一例っぽく指摘できそうだ。
   大自然が気象的に不安定になりやすくなる仮定が実際に頻繁化するようなら、そこらは素人の空想をはみ出す。むしろ今時の救急車のように頻繁に活動を迫られる超強力な部隊が要請されることになりそうだ。

    たんたららぁぁぁーーーーーーん、たららったぁ、たんたららったったぁーーん。
    たんたららぁーーーーん、らぁーん、らぁーん、ん、たららーらっ、らっ、らぁ、らーん、らーん。
    たーらーらん、らら、らっらっ、らん。