連載は続く~ SF掌編『全からの起点か、付加的にやってきたのか』編


 地球とは、でネット検索してみることも今時ならば尚更一案とは思う素人老人だけど、ここは老人身勝手流の方で試してみたくなった。
 もろその答えを・・・となると素人だけど老い年代ならば少しは答えられるだろうとか安易に想像する諸氏は、わかってない、とさりげなく指摘しておきたい。
 一人でどれほどのことに通暁できるか、という素朴だけどリアルっぽいことがひとまず頭に浮かんでもらえそうだ。
 別人がそれぞれ通暁のなんらかを持ち寄って・・・でなにかが出来ると芯のところで納得できてしまう諸氏は皆無のはずで、だから子供的な強い思い込みの生々しい"状態"を脱せた頃の大人年代諸氏においては、強弱はあっても、暫定的とどこかしらで押さえておいて、ある成果として出せることをお互いの作業でなら、協働できたことを喜び合えたりする。
 ことばの恐ろしさは、そこらにコミュニケーションという概念を持ち出したところで、ことばの制約からの芯の辺りを人生の年月とともにリアルに心身に"焼き付けてきた"諸氏において、通じ合える喜びの一方でそのさみしさとともに人生を全うせざるを得ない辺りを、ぐっと飲み込むことになる。
 特定のことば、単語に極度の重要性を帯びさせてそれを用い合う確かめ合いを良しとする土地柄が海外映画、ドラマからは空想できるけれど、実生活でもそうなのかどうかは確かめることができていない。
 列島育ち諸氏の今時においての現代っ子でない膨大な世代諸氏においてなら、ことばそれ自体に信を置く、というよりは、日頃の関係性の中での行いからそれぞれにとっての人物像を得てしまうタイプ諸氏が圧倒的に多いと察する。素人流に言うなら、実に実際的にプロファイリングしていてしかも完璧を求めているわけでもなくそういう関心相手たちを大切にしている。行いということでは、仕事生活での成果とかより仕事に沿ったという感じではなくて仕事もとりまく生活全般、人生の一コマの積み上げの過程において、といった場面を想定できそうだ。仕事ができるできないをある程度距離を置いてみるくせをつい発揮してしまう世代とそれ以後といった辺りは素人老人の思いつきではないだろうくらいに想起する。介護では仕事それ自体が他人への配慮のくせの辺りを露骨に表現させてしまうので、例外的に仕事っぷりも相当に人物像形作りに作用させてしまう。

 では地球をどう表現できそうか。
 たとえば地球の性質(たち)、ということでなら、そのためにどうできるか、の辺りなら素人でも指摘できそうに思えた。
 無茶苦茶に変化させ増殖させまくってきた生命系は地球というある程度落ち着いた環境を得てそれを制約とすることになったわけだ。
 べらぼうな生命が即死しまくった。一方で、べらぼうに変化しまくるしべらぼうに増殖もしまくった。
 その過程が地球条件(=性質たち)からの制約として、フィルターとなって生命たちの構造を絞り込む。
 変化はしまくるけれどその変化幅が絞り込まれてくるというような変容を被る。
 或る範囲の変化それぞれが生き残る。変化が並列的な順を順としないで済むような過程がありうるなら別だけどどうしても順を辿るということから、自ずから、その順についてのふるい分けが結果することになる。
 とてつもない膨大な変化要素から膨大な程度の変化に落ち着いてくる。
 更に、変化は活発に組織化の方向をとって生き残る生命の脈が登場し始める。
 ここらも生命は地球の性質・たちなどおかまいなしで結果的に残りやすいのが残って生き続けているだけの話だ。
 生命系はそうでないとあらゆる宇宙の性質の中で生き延びてきているという言い方は相応しくないかもしれないがヒト相手の文章なのでお許しいただいて、トリックこみのわかりやすさ優先ということで先に進めたい。
 生命系からすれば生命系が発揮する方向性以外のところで生き延びるとか死に絶えるとかを用いること自体ナンセンスだろうと言い返すはずだ。
 微細な生命系が形を成させた地点ほど当初は変化と増殖の基地だったけれど、時間を経てその時間が地球の性質・たちとのお付き合いの中での経験を経てということなので、生き残りやすかった形の性質・たちが自ずから残っている。微細な状態の形象たちですらが、変化や増殖の度合いを起点の頃とは比較できないくらいそれほど変化しない、増殖しない、というか、地球の性質・たちに寄り添った変化の範囲、増殖の範囲を性質・たちにしている。
 生命系は変わらせたがっているし増やしたがっているけれど、地球の性質・たちとの出会い以後の(地球の)その性質・たちの過程において、順として地球の性質・たちに寄り添いやすい方の順で生成をくりかえす膨大な様々が生き残ってきて落ち着き切ったわけでもなく変化もし、増え続けもしている。
 IPs細胞とか起点に使えそうな性質を帯びた微細な形象の性質とて時間を経ての今の性質・たちとして機能しやすい順を有していそうだ。
 ということで変化しやすいインフルとかもっと変化しやすいと見なされている新型コロナなど特に後者の場合、そこらの性質・たちに気づいただれかたちが一応ここでは便宜的に用いてしまうが"遺伝子"を弄(いじ)っていないかどうか(初期に近づける目論見)。
 しかもヒトに対して親和に病原性を発揮したり、独特なわけで、人手抜きにそういうことが新規に起こりやすいのかどうか。
 医療とのかかわりから人体の微妙な個別性のバラエティを実感できている諸氏は地表面各地に膨大いらっしゃると医療ドラマのエピソードなどから探れるように素人は推測する。
 生命系からすれば、ということは地表面でのある程度の成果を得てしまっている今日この事において、それほどこだわることもない。
 むしろ地球の性質・たちとのお付き合いから結果している生命系の地球タイプにとって、ということでそこから地球の性質・たちとはの答えを、膨大な地球上生命の結果活動できている性質・たちを集めて整理して探れそうだ。
 しかも、個別の変異は実際の医療においては実際的に作用するはず、と素人からも想像できる。
 組織がまったく一体となっているのではなくて、働きとしての一体性はともかく、膜とか体液とかなんらかを密着させながら、組織それぞれも密着しあっている、密接に寄り添いあっている。あくまでも組織それぞれが溶け合って一体となっているわけではない。
 そういう構造だから、医療が要る症状の様々と組織の出来具合が個別具体的にばらばら(程度問題はあるにしろ)でそれが症状に実は重要な要素として関わってしまう。
 針が神経系を空想させるだけではなく、そういった触れ合っている僕微細な腔(くう)、膜と膜との接合部とかをも相手にしていることへの気づきは、治療成果へと導かせる。

 今ならもう忖度しすぎることもないと素人は考えるけれど、無意識とかの概念を持ち出せると思い込めてしまうあたりは、ヒトが物語をつい空想するくせの産物なんだろうな程度のところで落ち着かせることができそうだ。
 日々というかこの瞬間瞬間に無意識とかなんとか悠長(ゆうちょう)な想念にふけっている間にもホルモンの類とかサイトカインの類とか体内を構成する微細な形象の膨大な色々の量が作用しあってヒトの地球生命性を天寿の全うの時期まで営ませてくれている。考えてとか無意識になんとかが営んでいるわけではない。ないし無理やりだけど無意識概念を拡張して、無意識にそいちらが無意識の要素の一つ一つとして動いている、とでも言ったらいいのか。
 変化しつつ、食ってしまったりとか色々の過程の中で、地球の性質・たちが残してきた形象(内容物も含む)をとりあえず、そのいくつか程度は知って写真とか画像とかで見ることも一般ができるようにはなっている。
 生命系は地球の性質・たちに無頓着のままだ。どこでも対応可能という言い方はぐっと不正確に誘いそうだから、言い直して、宇宙のどこでも生命系なりが営まれて、そのどこかの性質・たちに沿ってでしかその先を生じてこないから、地球の場合は今目にしているようなことになっている。
 適応のことばで説明されてきた宇宙の方々での生命のあり方でも十分じゃないか、と言われそうだけど、それに各条件に応じた生命の形象が成るのだから素人老人が言っているその通りのことが説明されているではないか、ということも指摘されそうだし、けれども、初期のとことん起点の生命系発動の要素において全てだ、として、しかもそれは生命系の性質・たちとしてべらぼうに変化しまくるし、とんでもないくらいに増え続ける、という観点を強調して持ち込むためには、敢えて素人老人の余計なお世話も無駄にはならないかな、と思えている次第。
 そして結果の膨大な性質・性質・・・・たち・たち・・・・から地球とはを探れる、と空想してしまう。
 今の結果としての表現形は絞り込みを地球タイプとして経てしまっているので、中々想像するきっかけを持ちにくくしているけれど、初期化に実際に成功した場合、とにかく変化しまくるし、膨大に増えやすい。多分、手に負えない。けれども、地球からすれば、追々絞り込めてしまう現象に過ぎない。生命系も地球ではそういうことね、ということで納得している。
 それぞれがどういう絞り込みとしての変化の範囲を得ているのかとか考え方、捉え方の向きは素人的にはそんな感じで指摘はできる。
 しかも、ヒトに限っても生まれてくる生命は各組織の成り立ち、構造において個別に変異を被っていてバラエティに富んでしまう。
 スポーツ身体が地球の性質・たちとの付き合いの都合上、好都合かどうかは、こういった観点から地球とはを一応整理したうえで、ある程度は検証可能となりうる。
 時期、時期の環境条件のような短期からの揺さぶり条件もヒト生命現象には致命傷も含めて影響してくるから、使い方はそれなりに難しいし、工夫も要るとは思うけれど環境リスクの論のような感じで、実は・・・の辺りに気づけるようにしておくことも、長期対応力への関心からの押さえ方なのか、短期の激変とかに対応していく話に特にこだわってのことばの選び方なのかとか話が混乱しないようにするヒントにも使えそうだ。

 


   川柳もどき

    葺いた屋根も幾歳
     四季の移ろいとともにたっぷり
      エネルギーにさらされて
      その昔の当時なら集落の人々が寄り合って
      お互い様で葺きなおしてたんだろうが
      今時ともなると
      野ざらし・・・っぽい
    貝塚にして重宝に使いこなした(竪穴)住宅址も
    なにか寂(さみ)しげ、と例えてしまう安易な爺さん
    も
    居たもんだ