連載は続く~SF掌編『』編



私:春めいて、水っぱな。
君:なに、よ。俳句のつもり、とも言えないし・・・。
私:時節柄・・。しょうがない。なもので、少し考えることに使った、よ、時間。副島氏の帝国的支配構想の発想は今のぼくにとっては相当に参考になってる。今晩たまたま見てたBSNHKの番組で、日本の過去の政治家が何人も登場・紹介されていた。列島版陰謀の論は相当な成果となっていると思っているので、たとえば東条氏の紹介の仕方などは返って誤解の上塗りにしてしまうのではないか、と心配になってた、よ。確か・・芸術芸能系の出で、それはそれとして、とにかく番組で指摘されたような明確な意思表示で事を処理するタイプではなくて、ことばが恐らく官僚してるタイプ。で事態を処理しきれなくて悪循環にはまることにどうにもできなかった。近衛文麿氏の扱いはある程度近そうに思えた。しかも残念なことに相当に広範な情報網、人脈の持ち主で後はあなた次第、くらいのポジションを得ていたはずなんだ。恐らく、実感としての吉田茂氏における世界を見ていなかったのではないか、なんてこの番組からの印象を持ってしまった。つまり外交でヨーロッパを熟知できる位置にいて一線で経験できた吉田氏は多分帝国の担い手の移ろいを肌身で感じることができていた可能性を指摘したくさせる。つまり吉川氏の言う英国から米国への移ろい。列島版の陰謀の論からは戦前からの米国の影響が既に指摘されている。関東大震災の頃には相当浸透している。だからこそのその後の展開としてある程度の説明がつくようになっている。東条氏などあたかも帝国間の覇権争いにできると思っているかのようなことばを公に使っているくらい、妙な観念を少なからず持ってしまっていたようだ。総理大臣がそれではもう情勢もへったくれもない。相当にやばかった。近衛氏ですらそこらはグローバルの展開、実質的帝国支配が機能していて、しかも移ろいの時期であることに気付けない対応とうかがえる。近代市民社会へと向かわせる意欲を下敷きにしての試行錯誤の一環であるはずの19、20世紀版帝国支配のはずだから、吉田氏の戦後の試行錯誤は一方的に聞き入れられないものではない。一応言論の中身を検討されるはず。疲弊してた列島において再軍備には無理がある等のことばを応用したことは、一方にその時点での説得力くらいはリアルと思える。でも一方でダレス氏らの無茶系がウォール街を使ったりして暗躍の積み上げの最中だったのだし、既に投下された原爆計画とも密接だったわけで、列島の疲弊、何を言うか程度の強引な歴史の担い手意識で凝り固まったタイプにその後のある期間は世界中が翻弄されることになる。疲弊したヨーロッパへもお金がつぎ込まれる。そして冷戦トリックが相当に命を弄びやすい方で行使されてしまった。それは歴史を作る担い手としては暴走扱いできる所業のはず。こんな話ばかりだと滅入ってしまいそう。なもので、多少けちな話もきっかけには使ってしまうけど、列島版の陰謀の論の筋からは勝麟太郎勝海舟)氏を持ちあげすぎるタイプの扱いはひんしゅくもののように受け取るような先入観を持っている。そこらはファン諸氏からすればへそ曲がりになる。BSNHKのドラマがついこの間最終回で終わったのだけど、麟太郎氏の母親が主人公のドラマだった。なぜ見る気になっていたかというと、以前、米田氏の説を熱心に啓蒙するネット発信の主氏がこのドラマの役者氏の独特さを紹介されていて、下手すればケチに使われていたかもしれない特質を今ではそれが役者の個性となって成功してしまっている超有名女優なわけで、そんなノリを得ていて、科捜研の女だったかでごく稀に夕方かの再放送ドラマを入居者が見てたりしたのを、チラッと見てたりで、似てる・・・・なんてね。それはそれ、とにかく、氏の指摘が妙に印象に残っていて、ずっと最終回の第八回目まで見てしまったわけ。そこで思ったのだけど、子供時代の勝氏のまま終わってたような。確かにナレーションで後に活躍する辺りを触れはしてたけれど,勝氏ヨイショ番組にはなっていなかった、と今の時点では思えてる。ヒトの体調のことを思い浮かべてもらって、水が流れているとして、その水がいつも流れている感じだと、なんとなく快調でいられそうなんだけど、ちょっと澱んでくると、掃除も大変そうだし、体にも困った方で影響しそうに思えてしまう。そこらを頭に浮かべた上で、氏の指摘した独自性なのかなんなのか、妙に地味目に縁の下の力持ち的な揚力を発揮するキャラが際立っていた。なんとなく肩が凝らないし、元気にさせてくれる、そんな感じの人物がいろいろな事件と遭遇しつつ、なんとかやりくりしてた、な。
君:似てる・・って言ってなかった。
私:もちろん(とキミに向かって指さしてるわけだ)。
君:似てるかしら・・・。
私:キミに似てる・・だから、ね。キミが女優のだれそれに似てる、とかの話してるわけじゃないから。
君:そんなぁ・・このくらいの話で、そこまで力まないでよ。また少し年取ったのでは。
私:キミも、だよ。
君:ふふっ。そうね。
私:きょうの、キミ、も、ステキさ。
君:少し、カタカナ使い過ぎじゃない。
私:そぉーくるか・・。
君:あなたの発想だと・・・今、わたしたちはラッキー、ってあなたのことば、だから・・、幸運にも帝国の担い手がどう変わって行くのかその最中を生きることができてる、っていうのでしょ。でも世界が混乱するっていうことはないのかしら。
私:移ろい自体はUKからUSへが円滑にいってる。安保氏のヴァールブルク脈も相当に関わっている。ここらは広瀬本のおかげだけど。けれど、その構造を支えていくために、社会工学パスカルの原理とボク的に勝手に命名してしまったような相当に難しい運転手法を試すことになりがち。そこをだけど情報の在り方がかなり質的に変化しているきょうこのごろ、なんとか人命を軽く扱い過ぎない応用事例を残してもらいたい気がしている。ただし、つばぜり合いのような外交上の相手の力量を試すような、要するに実質になってもらわないとどうしょもないから、それに耐えうる力量を息抜きできないくらい試すようなことはするんじゃないか。そこをはき違えてようするに世界について知らなすぎで帝国の覇権をなんて勘違いするやつが出てくると混乱の種になる。もう一方に資金にまかせて混乱をいいことに自分たちの利権を広げようとする輩も紛れ込んでくるから・・・20世紀の前半のようなことは是非ともさけたいし、避けないとダメ、でしょう。しかもそういうこととは別に持続的に観測の積み上げがすごいことになっている。どう見えているかの問題はいつでも問題にできるけれど、記録は残して置ける。それをわかるやつが気付けて、整理して表にしてくれる。そうして知のもう一歩を積み上げられる。そういうことを邪魔したくないよ。それに帝国支配は圧政の一方通行ではない。相当な負担を担うどこかしらは確かに生じる。だからその負担の中身次第で世界の有力な多くがそれを尊重して営み始める。そこを読み損ねない政治家が育ってもらいたい。自らが自らの市民社会的とか個々を伝統的にも尊重し合える国民国家を営む自立発想を持っていてしかも帝国がどう向かおうとしているのか、どう協力出来たりオルタナティヴを発信できるかとか、資金循環のリアルな方をしっかり踏まえてことば遊びとしての自由貿易っぽい専門用語なんかは使っていかないと勘違いへと誘いかねなかったりするわけ。ここらは本当にジャーナリズムとか啓蒙情報を発信しがちな側の担い手諸氏がしっかり列島版陰謀の論の貴重な発想法を学んでしかも新しい情勢をも読めるようにしておかないと、自分をただ守るだけの弁解系のことばを巧みに形容するようなことば運用しがちにするんだ。芸術芸能系の自由な表現上の試行錯誤が待たれる、ってことも添えられる。地道な研究・観察も必須だし。
君:使命感っぽい話に傾きすぎてない、かしら、なんだか疲れそう。
私:・・そうだ、よ、ね。そうだ。じゃ・・・・・。
君:お茶・・ね。いいわよ。行きましょ。鼻水、大丈夫?
私:ティシュペーパーを話せないこともある。
君:じゃ、これもって行きなさい、よ。箱ごと、ふふっ。
私:・・・・笑いものにしてる、ボクのこと。年寄り、のこと。
君:あら、年寄り、ってそれを使う?いつも自分から言うし・・・。
私:ボキャ貧、かもね。
君:かもね、じゃないでしょぉ・・・。
私:きつぅ・・。
君:ほら、またおしゃべり、早く行きましょ。ふふっ。