連載は続く~ SF 掌編『老人の連休行楽は(テレビ系)サッカー三昧(+古代史の郷行脚)』編


 ベントスチームと仙台チームとの試合では、ベレーザチームと新潟チームとの試合で新潟チームからの寄せ圧の激しさにベレーザチームの連携技が乱されていたのと似て、ベントスチームが思うようにボールを支配してコントロールする形を持続させづらくしている。
 新潟チームの圧のタイプは、ペナルティエリア内で行使される場合、即PKを誘ってしまった。
 先日のベレーザチームのような失点の数は制御できたものの、肝心のところで、その勢いが災(わざわ)いしてしまっている。
 そこから素人老人的大端折りな同じ圧の行使であってもチームによって異なる辺りをまず指摘しておきたい。
 ベントスチームは相対的ということでは、クリーンがかった圧の加え方だ。パス連携を圧の行使が、相手選手を躓(つまず)かせたり、転倒させたりで中断に追い込むようなことは比較的起こりにくい。
 ここらはゲームを仕切る審判次第のところもありそうだ。
 ゆるめに判断する主審というあり方は審判の個性のうちだ。
 厳(きび)しく判断するのも同様。
 ベントスチームにとってはかなりリスクを負うタイプのゲームを引き受けることになりそうだけど、サッカー試合として見ている場合、その姿勢はこれからも貫いていただけるとよりゲーム展開の面白さに引き込まれる方に作用してくれそうだ。
 圧のタイプ次第では、ゲーム展開のダイナミックな辺りに、障害物競走の無茶なタイプを見せられているようなことにさせかねない辺りはちょこっと指摘できそうに素人老人には思えている。そこらは各チームどうのこうのである前に審判諸氏における圧タイプについての船主側の絞込みが可能になるような誘いとなる基準が大抵はこうだなとわかりやすく受け取れる試合での実際の判断の繰り返し、ということになりそうだ。
 相手チームの圧のタイプが対抗の各チームにおいて把握されてしまえば、一度は成功しても、その次からはうまく機能しきることは亡くなってしまう。プロの技量においては更にそこらの順応性は機動的だ。
 とはいえ、ベレーザチームにとっては、その圧へ体が崩れる形を度々生じさせるなど、それが崩れて体勢を立て直す間に相手チームによる攻めの機会を大幅に許しがちにしてしまうことに通じているので、ワールドな試合を想定して、より改善が必要な辺りかも、など素人の老人ゆえの余計な一言も加えることができる。
 ヨコに飛んでバランスを万全に保つちょっとしたトレーニングの借用について先日ふれたけれど、腰を落として、その左右跳びでの安定を試みることは、圧によるバランス崩しへの一つの答え方にできそうだ。(コーチ陣の頭にはよりサッカーに相応しいトレーニングが詰ってそうだ)
 新潟チームはほぼベテラン世代で固めていて、ボール回しということではベレーザチームからの奪取圧に封じられた格好だった。つまり自ボールとして回し合えず、だから得点機会は、ベレーザチームのだれかれが崩れて失って、奪った新潟チームのだれかれが一気に走りこむとかがありえた。
 そこを現状のベレーザチームは封じることもできるようになっている。数ヶ月間での成長を思わせる。
 ゲーム展開上のせめぎあいの興味からすると、新潟チームの場合、トラップでうまく受け止めたとして、テレビ番組のことを先日引用したけれど、その高校チームの監督氏が指摘する如く、ボールを得たときには直ぐ次の展開イメージは出来ていて、生な変化をも見逃すことなく、瞬間対応する形で、ボールを保持しつつ動いて状況を作るか、パスを出して、自ら動いて状況を作るかできるだけで、相手チームの陣形は揺らがざるを得なくする。
 そうやって、一方的なゲーム展開よりはお互いが仕掛けて、それを防ごうとしたり、それを工夫でもってクリアして攻めに転じたり、技が絡まり合ってボールも人も動く面白いゲームへ誘(いざな)ってくれる。
 ベレーザチームは更に当面は勝ち続けるチーム(リーグ戦の場合、長期の駆け引きということでは、相手を見定めるための一試合という扱いもスタッフの思惑のみならず選手にとっても貴重だから、勝ち負け以外の面白くて重要な要素は素人でも簡単に想像がつく)に向けて、シュートを放つなら最低でも枠内。そしてゴール!の確率をより高め続ける。
 素人感想としては、力量について客観的にも自信を持てる状態のだれかが、ならし運転みないなパフォーマンスもすれば、肝心な時には必ず決めるパフォーマンスを選べる、ということを使い分けてしまうその身心の状態をプロフェッショナルな諸氏やスポーツ好きな諸氏には一々説明は要らないと察するけれど、そこまでの自負を持てない大方の諸氏にとっては、シュート!ということだけでもそれなりの身心へのストレスが加わるのに、ドリブルで全速疾走してシュートしないわけにはいかない場面に遭遇する、ということも起こりうる。
 多くの選手にとっては長いドリブルのもう少しと言う辺りで、根負けに似た身心の状態を招来(しょうらい)させやすい、と察する。
 微妙に集中が途切れて、そこで必要な体各所への力を発揮させる指令系が鈍ったようになることを、自分が許してしまうのだ。息絶え絶えだ、もう仕方ないな・・とか的。
 シュートもそうで、かなりの充実した状態を身心に集中して、瞬間披露の状態を蒙りつつ一方の集中の余力で決めの蹴りを強くかコントロールしてかボールとの間にタッチ感触を瞬間生じさせる。
 その時にも、激しすぎるほんの瞬間前が合ったりする場合、肝心の決めの一蹴りの時に限って、(想定完璧力量の持ち主相手に)根負けした感じで、譲るよっぽい瞬間油断で、蹴りの冴えを損ないがちにしてしまう。
 そこらの身心癖(くせ)を反省的に頭とか身心の引き出しに整理しているだれかたちにとってみれば無用な心配なのだが、そうはいかないより多くの選手諸氏にとっては、そこを克服できそうできにくいまま放置して、取れる得点機械と観客や解説諸氏からは見なされるにもかかわらず、そうはできないんだよ、と口ごもらせる。
 でも、カラクリが明解になれば、その瞬間にも、根負けする誘いに乗らずに、思い切りの良い(強いかコントロールされたかする)一蹴りでシュート=ゴール!!決まり、となってくれそうだ。
 ベレーザチームの匠な選手諸氏がいざシュートで決めるときは本当にクリアな形で決めきるのに、もみ合いのようなゲーム展開で一点がほしいな、もう一点がほしいな、という展開の時には、じれされる作戦のはずがないので、きっと、そういった根負けシンドロームの罠(わな)にはまってるんだろうな、とか素人の年寄りは想像していたりする。

 ベントスチームは、ベレーザチームほどの奪取圧のないゲームの方が多いはずだから、2つめ、3つめのボールが伝わる位置取りに慣れておくことで、即、それが得点機会と直結しそうな辺りを指摘してみたい。こぼれたボールを延々とドリブルして根が尽きた頃にそこでも単独のシチュエーションでシュートしなきゃならない、といなると、先の癖に気づければ、ちょっとコントロール系発想を用いて、GKを惑わせることくらいはできそうだけど、とにかくチームとして持続的に点を重ねられるパタンを内的に育ててしまうなら、それこそ両チームが点を取り合うし、防御でもそれぞれ冴えを見せてと、観客としては喜ばざるを得ない。
 仙台チームも、激しく圧を加えるものの、先のように高校チームの監督氏が先に勝っとけ!と大声をだしたくなるほどに、ボールを持った瞬間の次のイメージがおぼろげな感じなところを、試合モードになったら、生なシチュエーション観測アンテナをフルに使いこなして、次の展開アイデアのいくつかをお互いがチームとして共有してどのパタンかはパスの出してか、パスの受け手か、独活着だす誰かのパタンかでおおよそ判断できて次から次へと展開可能なチームプレーを仕込めさえすれば(ここらはプロチームならいつものことタイプと察するので短期間にそれを試合で表現してもらいたくなる)、ゴール前をざわつかせる試合の一方を担うことになる。
 このシーンも観客にとっては歓迎してしまいそうだ。


 早朝か深夜か、微妙な時間帯のサッカーの試合をテレビで見ることができた。
 FWポジションはボールが配球されるなら、個々の工夫でシュートコールを探るか、掻き分けるなど開拓して、ないし、配球時の瞬間判断においてシュートコースがちらっとでも見えたら即シュートする猛烈な積極気質(かたぎ)がなによりだ。
 そこらをワントップっぽい位置にいる選手が不足がちにしているなら、コーチの出番と素人老人は判断するが、いかがか(コーチが客観的に身心に働きかけていくらでも修正可能と(素人の老人は身軽ゆえ)見る)。
 (贔屓の評判は賑やかに一方で)そういう代表チーム伝統を引きずりがちにしてきたのでは・・の辺り。
 逆に、FWが耐えなければならない圧の様々には不利に働く体系ががっちりではないのだけど気質はFWタイプという選手もちらほろ素人老人には観察できていて、監督+コーチスタッフ諸氏の工夫のしどころ、大変さも勝手に想像してしまう。
 素人観客からすると、テレビを通して見ていた代表男子チームの試合では、なぜ、そこで動けない?!とか不満たらたらな場面が多発しがちだったと振り返れる。
 ところだ、それら不満の対象だった元代表チーム選手達が解説となって場面展開を追いながら、そこでの必要な動作はこれこれだと明解だったりするし、素人的にも場面的には複雑ではない場合、ごもっとも!と受け入れやすい。だから思うのだが、現役で、生々しい試合展開の中では、どうしてその相応しいシンプルな動きにでられないのか、といった辺り。
 そこらをビデオを駆使して(今はデジタルデータ処理だから素早く必要な場面を必要な速さで再生したり他を使いこなせる)具体的事例のひとつひとつについてフィールドの選手からすれば、なぜ体がより適切な方で動かなかったのかを身心の方向性から探索し合ってもらって、現場の選手達が現(過去選手をしのぐ)技量を前提にどこまで可能性にとどまらない具体的反応につなげられるかなど整理して応用技にしてもらいたい。
 今回の決勝ゲームでなら、代表男子チームはトラップできて直ぐ次イメージを欠いて、ウルグアイチームに圧されがちにしている。瞬間的遅れが災いしている。
 女子代表チームとスウェーデンチームでの圧されぎみの展開と同様だ。
 パスを出したりひろえたりのお互いの距離としてそれが具現している場合もあることは、その試合の時に紹介されている。
 パスの出し手へのフォローを必須とする位置取りが試合中に意識し合えていれば、急場しのぎのパスで事なきを得るという場面を見ることができるようになる。
 急くとさらに追い討ちを身心の方からかけてくるから、余計に慌てがちにする。危険回避についての反射の連鎖っぽい。だから、そこを抜ける瞬間技と対処を忘れないこととの並行性が必須といえそうだ。
 でスピードも、危険もついてくるスポーツ系身心は結構、そこらに順応してきたはずだけど、新世代ごとのそこらの克服街道を潜り抜ける試練が待ち受けてしまう感じだ。
 急かないで済むチーム連携の辺りは、代表チームということでは女子も男子もともに大変そうだ。
 短期間でこなす。ここらは何十年間と同じようにくり返されてきていると思えるので、そろそろ、短期間にパス連携をお互いのものにできるトレーニング法や発想転換法とか、ちょっとした勘所に気づいているスタッフ諸氏が試運転してみるのも一工夫ではなかろうか、など更に余計な一言してしまうのが素人の老人くせだったりする。