連載は続く~ SF掌編『ポゼッション=サッカー用語』編


 這ってでも階段を上ってみせるぞ・・と年寄り老人の女子サッカーSF噺は続く。
 1-1-9構成の‟若者‟世代ベレーザチーム構想については以前ふれているので、説明は省き、ついでにドがかなりの数必要な辺りにも目をつぶっていただくことでその素人性を発揮しながらど老人の余計な話にお付き合い頂きたい。
 その構成ならば、確率としてパス連携とシュートへの導入の辺りはより試合中に沸かせるような場面を何度も披露できるように想像しやすい(‟最も‟の条件がトラッブの精度やタッチの瞬間性・微細度合い。それが可能にしてくれるすぐ次のプレーをたっぷり想像していただきたい)。配置に関する素人老人の異論の辺りの根拠としたい。
 それがもしもなでしこにも応用されるようになったならば・・は未だ早すぎるので、現状の延長として、前回はDFにふれたけれど、今回はFW。
 限られた個人選手への依存し過ぎはスケジュールが密過ぎ(*)になりがちなワールドな場での続く試合ということから、注意は要るけれど、ひょっとしてパス交換も含む連携技においてシュート前の動作の連なりに関わる面子としては、点をいかにもとってくれそうじゃない?と思える組み合わせを少々。

* ということで、ワールドカップのテレビ放送のいくつかを見る限りとかあてにならない感想になってしまうが、決勝の試合は決勝と言うことでの緊迫感はただよわせるものの、試合の質ということでは、疲れ知らずが居る場合はともかく、通常、疲れをおしての試合運びの場面を見せられることになりがちだったと指摘したい。つまりサッカーの試合として面白いのは、疲労しないような工夫を持ち込みたかったのに、そうもいかずかなりの密度で試合運びすることになり持てる様々を展開してくれたワールドカップのグループリーグかトーナメントの最初かその次くらいまでの試合に疲労困憊していない選手たちのプレーが織り込まれたゲーム展開を見ることができそうに思う、と素人意見を持ち出してみたい。たとえば2011年女子サッカーワールドカップのなでしことドイツ代表チームとの試合でのなでしこ選手諸氏の活躍、とりわけ技も動きも凄すぎる3人(澤、宮間、阪口(2022年まで大宮ベントスチームに在籍、ちなみに当方は2022年8月のU-20ワールドカップをBSフジにて見ることでパス連携の凄いのに出会ったので阪口選手の現役を見損ねている)3選手)は言うまでもなく、素人老人が女子サッカー話の中で度々引用させてもらっている鮫島選手や岩清水選手の今でも実際には若いのだけど女子サッカー選手というかスポーツ系としてずっと若いころの活躍ぶりは、今時の技を身につけた若者たちにとっても生の現場での力量の発揮のさせ方という脈絡から相当に参考にできるのでは、など想起した。

 ベレーザチームの中のワールドな試合経験の山本、藤野両選手のワンランクアップ性格のあたりも以前ふれた。
 そのうち旧世代の組み合わせのチームでもパス連携において戸惑わないで済みそうな藤野選手がFWなりFW的MFの位置をになった場合に、清家選手が物を言ってくれそうということで、組み合わせの一つを指摘したい。
 もちろん、今とは違って、更に、南米やヨーロッパの技の先を読めるゆえにボールの動きに追随してその奪取を目論んでくるような選手たちにもごく短くでもボールを持ちこたえて、すぐ次の展開のための時間確保役をこなせていることを前提に、清家選手が藤野選手との連繋から、どちらかが最終的にシュートを決める役をよりこなしやすくする展開が可能になると空想を持ち出せる。
 この二人に、変化技を圧にめげずこなすことのできるFW系、MF系の中から二人が絡んでくれるとより良い状況が作れる。
 清家選手は現状でも大柄な相手チーム選手相手に、転ばされない工夫を応用してもらえそうだ。そこに加えて、ボールさばきの面で、持ちこたえられるようにする。少しの間でよくて、パスできる瞬間的次のシーンに気づいたら即出して、難を切り抜ける。パスを得たたとえば藤野選手はもう少し、体の寄せを使いながら足技の方でも攪乱しつつで時間稼ぎしてくれる。その間のアイコンタクトなり短時間にこなしてシュート機会をこちらから作るくらいでないとワールドな圧の試合では得点は相当に難しい、と素人には思えるので、そこはとにかく試合慣れした頭で短時間に探り出してもらって、パスコースを提示する。するとそれを見た藤野選手が、ひょいとパスを出すから、素早い足の振りでシュート=得点とできそうだし、状況によってはむしろ一端トラップして、変化技でのシュート、も可能。また、プラスのもう2人の動き次第では、その2人がシュート役をこなすことになるかもしれない。
 裏をとらなくても股抜き、空き抜きのシュートで十分得点になる。
 オフサイドにならないタイミングで裏を取る瞬間的動作もできるようなした方がいい。 藤野、清家朗選手の場合、ゴール周辺での動作において、相手チームの選手一人を背後に抑えて、更に邪魔しに来たもう一人をかわすとか、他の選手の邪魔もということができにくい関わり方ができるはずなので、この二人でゴール前の4人を制御していることになり、その条件が動的に変化しながらも短時間、短時間断続することを想定して、隙を見てシュート機会をいくらでも探れそうだ。
 だからフォローの二人のことは言うまでもなく、守備の都合を固めたうえで、さらにうるさくフォローを付かせられるならば、圧倒的な得点力を発揮するチームとして自信ないし落ち着いてプレーできる基礎とできそうにも思えたり。
 で、こういったシュートされかねないお騒がせや選手たちがボールを転がし、連携する中でたまたまボールが自チームDFに渡って、相手GK(の予測も作用して)がたまたま出過ぎてしまった時に、DFの高橋選手か石川選手かベレーザで攻撃モードを使いまくる池上選手がそこに居れば、超ロングのシュートを一発で決めきるようなワールドなテレビ画面の先を相当に沸かせてしまうシーンもありえないことではない。
 優劣ということではなく、疲れ対策として、チームA,チームBと2チーム分の構成を持たせたなでしこ計画が遂行中の場合、上記固有名な諸選手に変わって、たとえばチームAかBの選手構成の中の選手がそこを埋めていることになる。
 1990年ワールドカップ決勝アルゼンチン代表チームと西ドイツ代表チームとの試合を小6の頃みたらしい澤氏は、初老年代に向かっているはずの座談同席の男子お二人のその当時の生々しい話に耳を傾ける方に興味を持たれていた感じだけど、元レッズの福田氏がアルゼンチン代表チームのマラドーナ選手ともうお一人の選手が組みで得点を取れるコンビを構成していたことを紹介され、単独でどうにかならないほど相手チーム研究が進化してしまった今日、連携相手との相性次第で相乗的な試合運びが可能になるし、それがより多くの要素としての選手間の連携を可能とすることによるさらなる相乗効果について素人なりに感じさせられもした。
 座談の中で指摘されていたけれど、今時のサッカーは攻撃により向くルール作りになっているようで、ということはGKにとっては試合の中でいくどか屈辱系のストレスをため込まされることになる感じだ。
 だから現代サッカーでは試合の流れの中で選手間でそのGKのストレスがため込まれないようにお互いごととしてケアし合えるかどうかも試合中のプレーの密度を保てるかそうならなくなるかと関わらせてしまいそうだ。
 そこらはむしろ応援団の方が察知して、試合の中でニックネームか慣用の名前を太鼓の音とともに連呼する形で励ましていたことを、つい先日のこととして思い浮かべることができる。(前回指摘したようにそれがカンフル系に働くと心身問題として知らず知らず消耗効果を発揮させるはずだから、表現法は(元気用に)工夫が要ると素人老人的には察する)

 

連載は続く~ SF掌編『台風一号となったは5月26日』編


 各土地柄が生活上の調整機能を育てあって膨大な年月を経ている。
 各個にとって資源が似たように散らかっているわけではないから、そこらはどの土地柄においても、別の調整機能に気づいて工夫が求められ続けることになりそうだ。
 基本の消費の場、派生的に生産・流通と3区画を想定してみても。時々の事情に応じたよそ者の正義尺度から不正と見なされやすい事象や内輪にとっても不正と見なされる事象やがまぎれこむ。それら各所以上に、生活そのものを支え続ける育て、継承してきた知恵の塊のような3区画を構成する中身を空想できそうだ。
 ちょっとした百万人規模の街を想像してみる。
 その程度でも各地、各人の関わり方次第という辺りはおそらく実感的に察知したくさせるのでは、と素人老人は指摘してみたくなる。
 それが基本に作動していて、ヒトが為す様々な仕組みの類が円滑に機能してくれる。
 だれもが意見を出し合えることの実現可能性を巷の人々は実際的に思考するはずで、だれもが意見するような巷を決して空想したりしないと素人老人は察する次第。
 だから代議制なりが開拓されてきたのさ、とかわかった風に持ち出すのは、相当にお急ぎのどなたかたちとも思える。
 たまたま代議制とか法治とかの下での平穏を世界規模で一応認め合えている時期を幸いに、民主制とか民主化とかの内実を、子供のころの教育で得た素材が基礎となりやすいから、そこらを工夫しておいて、更に、直情的信念に陥りやすい20代ちょっと手前くらい前の年だいまでを無事に過ごせた予備の大人年代頃からより実際的な場に通用する議論としての、民主制、民主化の内実の論を摸索できるような学問なり、が今こそ求められてそうな気がしているのが、老体に(競馬の最終ストレートというわけではないが)‟鞭打って‟なんとか転ばずに歩けるくらい老いぼれの感想だったりする。


 さてWEリーグが一区切りを迎えて、人の動きも喧(かまびす)しい。
 様々に情動を表現されその動きは伝わってくる。
 第22節の試合では、浦和レッズレディースチームと日テレベレーザチームの試合を見ることができた。
 そこで早速、これだけは指摘しておきたいことを老人の余計なお節介ののりで一つ。
 カンフル剤投入タイプの女子サッカー応援方式には相当な工夫が必要、と思えたこと。
 女子に限らず、男子のサッカーでも同じと思うけれど、必要以上に選手を消耗させると実感した次第。
 ちょっと卓球試合場での観客感覚に寄せ過ぎる、かも、しれないのだが、良いプレイに拍手を送る。(内側での声は‟イイゾ!その調子‟くらいの感じ)
 本日放送していたワールドなニュース番組のフランス局版ではサッカーファンが決勝の両チームに分かれて、高速道のどこかで乱闘を始めてしまって大変な事態となったことを伝えている。
 メジャーリーグのコマーシャルノリも最優秀の勝者一人だけが勝者でそれ以外はその他大勢扱いのように仕向けるから、乱闘など起こらない代わりに結構、そのコマーシャル手法を学びすぎると(関連商品販売手法ほかも含めて)危ない辺りに気づかされるのだけど、ヨーロッパ方面では相変わらずフーリガンじゃない熱心なファン層が乱闘し合うくらいの単調なノリに誘われやすい応援方式を心身にこびりつけさせるファン動員の一面をたっぷり臭わせるニュースと受け止めさせた。子供たち、家族連れでも楽しめるスポーツ興行とはかなり異なるタイプと見なせそうだし、一方でそれが稼ぎの場を構成しているのだから外側からは複雑な気持ちにさせる。

 浦和チームとベレーザチームとの試合は、たとえば応援風景はというと、先の問題はあるけれど、応援席の人数ではホームの浦和チームが2でベレーザチームが1と言ったところか。その応援席の間では応援合戦の様を呈していたけれど、メインとバックに集う、浦和ならではの観客席一杯の浦和チームファンが極端な音量を出してゲームが発する音を感じ取れないほど、ということはなく、しっかりゲーム展開に浸(つ)かることができている。
 ただ、単調にカンフル剤を投入し続けるタイプの応援の仕方に両チームなっているし、テレビ放送のサッカーの試合でもそうだから、多分、全体がそういうノリを当然と思い込めているのだろうと、受け取って、素人老人は代案を持ち出してみたくなった。
 特に、女子サッカーでは、ないしベレーザチームのサッカーは変幻自在だから、単調にカンフル剤投入し続けることは選手を本格的に進行に応じて消耗させてしまうと推測できる。
 もちろん、得点して、更に応援頼むぜ!とシグナルを送る‟カツオ‟選手に応じないような洒落っ気のない応援団であってはならない。だけど、持続的にカンフル投入はまずい、と思える。
 時に応援が静かになる。そしてまたカンフル投入タイプの応援が始まるの繰り返しでは選手は消耗を誘われやすい。
 ライブの音楽演奏でも単調な音量音楽演奏タイプが流行っているのかどうか・・ここらはよくわからないが、ベレーザチームの試合前のライブではそれなりの変化での構成を経験させてもらえた。
 試合の流れ、実際に選手たちが使いこなす技や仕掛けの巧みに応じて、声援を遅れるちょっと卓球の試合での応援など参考にしてもらっての工夫を期待したくなる。

 ベレーザチームはこの2試合で、監督の人事采配から2人の選手に負担増ということで副作用をもたらしている。
 一人は前回怪我で途中退場した藤野選手。2タイプのサッカーに順応して、耐えて、時間を作り、自らも攻撃したり、自チームのだれかに委ねたりで点をより確実なものにしつつあるところだ。
 もう一人は今回の試合でイエロー二枚を得ることになった10番を任された木下選手。
 DFの配置に試合途中からも変化があったくらい客観的にもそれなりの気づかれがあるような選手の配置だったわけだ。その無理が10番に重くのしかかりで、そこを許せば相手チームの得点可能性に直結という場面での2度のイエローとなってしまった。
 FW的MF位置のはずの山本選手すらがDF的MFとして相当の運動量を引き受けている。
 当然、センターで先発のDF(カツオ)村松選手にも負担がかぶさる。
 配置の問題から、トラップの瞬間性ゆえに可能な精度良いパス回しへと直結させにくいということはベレーザサッカータイプじゃないタイプでの試合運びを強いられるということを意味する、と素人老人の我儘から断定的なことばを用いてしまって流すが、更に、DF役柄の協力関係にもひびが入りやすくなって、消耗にも誘う。
 しかも熟練選手を揃える浦和チームが相手だ。
 点を取ってはいたけれど、浦和チームの熟練選手相手だからこそその弱点を付いてより点を取れる試合運びをしていたというタイプではなかったのだった。
 若者チームがしかし熟練選手チーム相手に奮闘してぎりぎりで相手チームの得点を抑制できていたのだが、後半はそういう試合だし、応援タイプがカンフル投入タイプということで、ジャブの巧みを引き受けてしまったボクサーのように疲れ要素を持ち込んでしまって、熟練チームの粘(ねば)りに押されがちとなってしまう。
 後半の終了近く、3-2だったのを、清家選手の(是非はyoutubeのハイライト動画を参照されたいが)巧みから得点されて3-3となる。がそこで終わらない。ベレーザチームが体力の若さ版を発揮して挽回的動きに出る。
 その時には監督の我慢した人事配置が有意に働く。
 ということで明らかになってしまったと思うけれど、DF配置の松田選手は一見おっとりふんわかタイプのようでいて、攻撃面での凄い隠し味を発揮してきた選手だ。
 けれども、DF機能としては、瞬間出足を遅らせて後追いDFの状態を相手チーム選手との間につくられやすい。
 浦和チーム3点目の清家選手のシュートの直前のシーンを参照してもらえれば幸いだけど、まず腕と体の有利さを使ってベレーザチームの岩崎選手をなんと自分の背後に固定することに成功している。もがく岩崎選手はなにもできないし、位置的には一方的に不利になっている。
 (ここで素人老人の小うるさい提案を岩崎選手に一つ。相対的に小柄な場合、押し合いを避けて、清家選手の体を軸に使って、表向きの状態で左回転しながら背が清家選手の体に向いている頃から清家選手の肘や手の甲の直撃を受けないように身をかがめて低くして、一気に表向きになると同時に当然、清家選手より半身前に出ているはずで、そこで清家選手に体重をかけて体を寄せて、一瞬間でも清家選手の出だしのタイミングをずらせるだけで清家選手世代にとっては相当な効果を呼び込めると素人老人は推理する。とにかく女子系筋肉系でも回転と屈伸系での瞬間技をイメージしながら瞬間技の回転を決めて、ちょっと前にでて邪魔する。いらだつ清家選手が我慢できなくて反則するかしないかも充分に起こりうる。からだの大きさ関係によらず効果する手法を更に岩崎選手タイプには開発してもらいたい)
 清家選手は一点目の時にも、清家選手の身体特性(相対的大柄、走力)を活かして、追ってを抜き切っている。
 しかし観客の目からすると、清家選手世代相手だからこそもう少しやり方次第で邪魔できたと思えたわけだ。(これも多分、ハイライト動画を見てもらえれば、気づいてもらえそうだ)
 清家選手がボールの進路を見定めた瞬間、ベレーザチームの側はDFの二人がかなり近いところで両側から挟み込める位置関係の前方を支配している。
 ただし、べらぼうに抜き切るスピードを発揮する清家選手がすぐ背後に位置している。
 そのストレスは相当と察する。
 でも、だ。より近いけれど、清家選手が即抜き切れる距離ではない右側前方の松田選手には、できることがありえた。
 更にその前方だけど左側を走る村松選手(やがてその先で清家選手と並走しつつ、更に前方を転がるボールに向けて(当然、反則を避けての)スライディングで応じる)。
 松田選手は先へと転がるボールめがけて疾走している。清家選手のボール接近を邪魔する目的よりもボールに向けての方向を選んでの疾走方向だ。
 そこでド素人老人の判断になるのだけど、その距離からして、反則にならないように、ボールを追う方向を取るための清家選手の前に入ることを試みる、清家選手が選んだ方向の線に乗った瞬間にボールを追う方向へ身を向けているならば進路妨害だけ目的の行為ではない実質を取れる。瞬間技として、線上に乗った瞬間に斜め後方へ地面を蹴って、方向転換と疾走の継続を試みればよい。図にベクトルの線を描いて、自分と清家選手との関係をイメージさせやすくできる。線上に入るときの線に対しての横向きベクトルに負けないだけの斜め後ろベクトルを働かせて、向きを変え、疾走の状態も保つ。その瞬間、清家選手は自らが反則する以外、ボールを有利に扱える位置関係を失うことになる。
 もしも、ボールを追う同じ線上に乗る動作には間に合いそうにないと判断するなら、最低でも体を寄せる(つまり同じボールを清家選手の追う線、松田選手の追う線のままで競争し合うのではなく、清家選手の動作へ邪魔に入ることが目的なのだから)ことでちょっとでも押し合いとかの清家選手からの反応を得られるだけでも疾走の瞬間的遅れを誘え、その先での村松選手にとってのスライディングのいちかばちか判断を、体の寄せ入り込みの万全の方を選ぶ時間的瞬間ではるけれど余裕をもたらす。こういう対処もありうる。
 もちろん、清家選手世代の制約であるはずのフェイントの巧みやドリブル、ボール扱いの辺りに即席での改善を持ち込めるようになれば、話はまた違ってくる。そこらは後述。
 岩崎選手ならご自身でできる様々な工夫が期待できそうなこと。
 松田選手なら、DF的先読み的初動(テレビドラマだと初動捜査に失敗すると事件は解決しにくくしてドラマが盛り上がる要素なのだけど・・)のくせを心身化することで、攻めに働かせているゲーム勘の辺りが効いてきそうだ。そうなる以前に、浦和チームのタイプでDFをいきなりまかせる監督采配には、素人‟感情‟として、ちょっぴりだけ不満を持つ。

 ベレーザチームは3-3の後こそのように、勢いを緩めなかった。チームとして育ち盛りが持続している。粘りが違う。
 しかし!!!(おまけで3つ使ってしまう)浦和チームのワールドな試合経験でしかも同じく育ち盛り年代の石川選手をなんと!!!目覚めさせてしまったぁ・・・・!
 松田選手の攻撃モードがさく裂し始めて関わってもいる連携プレーの際、また土方選手の少しだけ若さが出たゴール目前のシーン。
 ベレーザチームの選手の動きだしをボール展開を視野に入れていたワールドなモードの石川選手が見逃すはずもなく先手の動きからどちらにとっても得点か、防御か、というきわに防御が勝(まさ)る形で決着をつけてしまう。
 土方選手へは、ワールドな熟練チームともしも当たるようになる場合、攻めの時にどうタイミングを応用するかの試行実験を経験した感じと指摘できそうだ。
 ベレーザチームの土方選手ならば猛然と防御に来る相手チーム選手との間で怪我に誘われない外し方の工夫の引き出しも持ってそうだけどそれをより磨(みが)いておいて、外し、蹴りやすいボールタイミングに合わせるのではなく、その今蹴るべき時に蹴れるタイミングとボール位置観測の瞬間的タッチ感覚などベーレザチーム選手ならではの技を披露できそうだ。

 一方、この石川選手のワールド質の技を最後の最後に見せてもらってあっぱれと受け止めつつも、DFからFWっぽい選手へと配置換えした清家選手の特徴発揮の様とFW系からDF位置へとポジションを変えた高橋選手の特徴の出し切れなさの辺りにも素人流を発揮したくさせた。
 DF的心身の頑丈さの装い発揮力+走りこむ力量を使いこなして(しかもネット発信によるとFWのための練習を相当にこなされている)得点と直結させている清家選手がいる一方で、なでしこDFとしていまいちな高橋選手という具体性を観客は見ている。
 FWは息抜きできる(多少の語弊の辺りは流されたい)。DFはとんでもない突っ込みはめったにないかもしれないが、試合中のすべてにおいて息抜きする暇を持てそうにない。動きが緩慢になる場面でも観察の連続性を中断するわけにはいかないポジションだ。GKとは守り方が異なるだけ。恐らく、FW感性が、ゲーム展開の弛緩タイミングの際、FW感覚が知らず知らず出てしまっている可能性を素人老人は憶測したくなる。
 もしもそこらをより意識的にDFモードの心身化に慣れて(単に慣れなのだから)DFっぽく振る舞う高橋選手に変身してしまったらその体格と走りとFWならではの勘が作用して(なでしこチームに浦和チームから2人も(老人性の個人的にはそこへ怪我が完治したベレーザチームのDF池上選手が加(くわ)われば、JFA福島アカデミー出身の若者DF女子も含め盤石となりうる))とんでもくらいスゴいDF誕生となりそうだ。

 翌日の深夜帯、テレビではマラドーナ選手が自在に動けることを抑えた元浦和の監督だったブッフバルト氏のことも話題を誘う試合が鮮明処理の上放送された。
 安藤、楢本両選手は研究熱心・練習熱心で知れ渡っている。
 多分、清家選手もそうだ。
 ということで素人全開に老人の一言多い話。
 清家選手世代は一工夫しないと、フェイントもドリブルも相手チームからの圧にわずかひるんで、仕掛けに一瞬の遅れをとってボール保持に失敗しがちだ。
 けれども、幸いなことに浦和チームには座談側の解説に出ていた福田氏もおられ、しかもブッフバルト氏の生の試合、話も聞けているし、なんとマラドーナ氏の生の試合も体験されている。
 清家選手にマラドーナ選手が近いと素人老人ということを外してことばにすると勘違いの失礼を提供してしまいそうだが、確かにど素人の老人なので寛容の方で受け止めてもらって、福田氏が言うには、FW系の福田氏が体を寄せようにも近づけなかったくらいの動作をするらしいマラドーナ選手という生々しさを紹介されている。どういう動きかをきっと生な事態として言葉で細々と具体的に描写してもらえそうだ。
 またそのマラドーナ選手を封じたブッフバルト選手の手法についても動作の具体性として詳細にことばによって描写してくれそうだ。
 そういう浦和のチームに属す‟得点‟を事前に使わない手はないと察する。
 最善のDF技の一つを心身化して、それをどうかわすかをイメージトレーニングできることは、普通なら滅多にできることではない。
 マラドーナ選手の相手選手との駆け引き上の巧みは逆に、自らが真似られるのだから、ヨーロッパチームのブッフバルトタイプの(そう沢山いるはずのない熟達タイプの)DF女子がいたとしても対応可能になる。
 けれども、ブッフバルト氏が抑えたマラドーナ選手の技ということでは、現代のヨーロッパチームの女子選手たちも清家選手が即席に身につけていつでも使える状態にしたフェイント技、ドリブル技は覚えられて間もなく邪魔されやすくなる。
 その時に、ブッフバルト選手技への回避策イメージが役立つ。更に、清家選手にとって真似たい選手の技、その個人的感情にこだわらず、自らの心身特徴に似て真似ると使えるかもの選手たちの技を真似ることで短期の心身化を可能にするから、それら技をヨーロッパで応用して使いこなせると判断したならば、遠慮することなく、さっさと里帰りしてもらって、こちらを拠点にワールドな各地での試合が盛んになる環境になっているはずなので、なでしこなり浦和なりのチームで活躍して、技を観客に披露してもらいたいものだ。
 各チームが連携と個人技量を身につけてしまうのだから、ベレーザチームの凄さも磨きを怠れそうにない。
 出場機会を見込めそうにないとかで堅実な技の選手が他所のチームに出てしまうとかがないように、力量のある選手たちを絶えず生な試合に出場してもらって、ゲーム感覚にいつでもゲームの熱が注がれ続けるような選手の起用と、連携軸の選手構成の巧みは怠らないチームの営みをスタッフ諸氏には期待したくなる。

 

連載は続く~ SF 掌編『爺さん年代は、時々、時事ぃにも関心を持つ』編


 巷の様々な利害をバラけさせておいて・・が、既得のかなりを温存したがる隠然たる勢力なりにとっては、国際的利害上、好都合な当面の状況を醸(かも)す。
 富は他人(ひと)を雇えるので、それなりにちょっと昔流行ったことばを使うなら"空気"捏造を可能にするし、メディア論的には世論を動員・誘導させやすくする。インターネットも使いようで、集中慣れ、集中ゆえに可能になる辺りを使い慣れた勢力というよりは雇用の網の目がそれ用に使われやすかったりする。
 乱用の件もあるからインターネットの初期を放置したまま、というわけにもいかなかっただろうから、賦活するには・・で相当の努力の辺りが求められてそうだ。AIについてはそれで10年間稼ぎ続けるつもりなのかどうかの辺りにちょっとした決着を見通しておくことが多分、大事そうだ。現状のアルゴリズムはあくまでも連想ゲームと事情通から発信済だ。だからヒトに置き換えて、それがどれほど緻密だろうと、ないし大量のデータに基づくものであろうと、そこにちょっとだけヒトが万が一その操作を天才的に可能にした場合で類推しておければ、その事態の押さえ方くらいは想像しやすくする。
 膨大な電力を消費するだけのことはあるのかどうかなど、色々これから問題が顕在化するとか素人老人的には"ちょっぴりSF"程度だけど想像したくさせる。
 中央集権と言ってしまうと、誤解も相当に含ませ易い、としても、一応過程としてのヒトにとっての中央集権志向は、何事においても生成の過程での単独のばらばらが育ちとともに煩型を構成してそれらの争い合いで巷に落ち着きを失わせがちにするよりは、まとまっておこう程度の辺りから既に中央集権発想の貴重さに気づかされるとかを持ち出せるなら、難しいとは思うけれど、一応、中央集権発想が、ヒトにとっての大昔からの特質へことばを与えたその一つ程度に押さえて置けそうに素人老人は推理する。

 だからヒトにとっての中央集権試行錯誤においてはいつでも構成要素におけるどこらを容認しあえるかをめぐる個々性の認め合いの試行錯誤と並行とか重なるとかさせてきたと推理することも可能になりそうだ。

 列島の古代史は貴重にも、たまたま大勢力としての特徴ある古墳作り発想をもたらす加耶系の人々が半島でのバラバラ性をそのまま列島環境へ持ち込んでくれたことで、列島古代史の様々の元を構成させてしまう。
 漢文だけでなく、列島古代の頃の中国の文化的様式について時々において精通する勢力が媒介となった辺りを見逃すと、あたかも邪馬台国(他の文字を当てたい諸氏においても同様)が自発的に中国の在り様を発想できて近づいたかのように思い込めてしまうが、力関係とかを意識できてその上で、近づけたり近づけなかったりの難しさは今だって十分に経験しうる形式性のメインストリーム版として教科書的にでも大方が頷(うなづ)けそうだ。
 だからそれら教養を継承する人脈として列島在住の各地のどこかの人脈とより密接に付き合って、対中国外交を推進してきたことのリアルは押さえておく必要がありそうだ。
 そこらを歴史通諸氏がより考古や文献の資料を用いて鮮明にしてくれるようになるとありがたい。
 しかも、今流に民間と言ってしまうと、リアルから遠ざからせそうに素人老人には想えるけれど、とりあえず、活発に生き続けてきた巷の人々や少し公式筋との付き合いのある巷の人々や、もともと血脈として公式筋だけど外れもの諸氏が巷と交わりつつ相当に活発に交易ほかを担ってきたことは、考古知見がどう整理するかの道筋は論者によって違うとしても、一般には大雑把にしっかり伝わっている。
 それら活発系を放置しておいて巷の各所において平穏でありつづけるならば、そうやって今日まで続いたろうが、ヒトのなすことゆえどうしても軋みを生じさせてしまう。
 それが局所でおさまるならいいけれど、大事となって、混乱を無視できないような巷と化すようになれば、リーダー的に事態をおさめたくさせるものだ。それがヒトっぽい。
 でもそこらを知見として整理した集団の営みの中から、国っぽい発想でのまとまりを志向したくさせたりも始めている。
 今だってそうだけど、国とか概念の押さえ方をより緻密に共有できることは理想としても、個々での処理系が立派にヒトの場合働いてしまうから、同じように理解しあって、それを論じ合ってということは、形式的にはできても、実のところでは中々困難だったりし続ける。
 ことば自体が通用性において、同じことばとして染み付かせていることを前提にしたくなっても、そうは問屋がおろしてくれない性質、つまり、過去の他人達が使ったなにがしを引きずるのを個々のなんらかを通して理解したつもりになるタイプの多少の複雑さを免れることは難しい辺り程度も気づけるわけで、個が発信していると言っても・・の面と、だけど個が言ってもいるし・・・の面も意識できたり、ことばの陳腐化のスピードすら意識しあう必要があったりで、便利そうにもかかわらずの辺りを精度ということにこだわれば、実に面倒な道具の一面を匂(にお)わし続けたりする。
 そこらを踏まえつつ、こだわりすぎれば、ただ混乱が待っているだけだから、暫定的に固有の名づけやを用いて、整理して、一応分かり合えそうに伝え合う。
 国としてまとめましょうという概念の通りの良さを今時は教科書とかを子供の頃に学んで、一応、そういう身心で(現代は)いられていそうだ。
 けれども、その昔の列島環境においては、半島以来の各地性を引きずった集団の営みの自律性の個性がひしめいていた感じだ。
 それを、素人老人考えからだと、百済の降参がもたらした唐の高宗・武則天期ゆえの許しと国作り"指令"を受けたその情報の伝わり方において、列島でもそれが継承されて660年以後のいつか、徹底して始まったと見たい。ただ歴史資料により厳密に沿った場合を、歴史通諸氏によって本とかで数々公開してもらいたい。
 その国作りの顛末まで現代の列島住まいの人々は知っているわけだ。
 底流としての大乗ノリは少なくとも江戸期にも脈々としている(川越の江戸期を読み直(なお)してもっともっと面白い日本史展開に仕立てるもできそうだ(家光の東照宮やの莫大な浪費の内実を探ったりが一つの脈絡))。底流の軸をだけど共有するように理解しあえて、共同(協働)作業するということも同様中々難しいことだ。そこらの軋みの辺りも歴史通ならではの知識が物を言ってくれそうだ。
 混乱の巷になりそうで、しっかり藤原氏の脈々が張り付いて、軌道修正を図る辺りも、そろそろ率直に一般向けの本で数々になってくれてもおかしくない。
 平城京を避けて、平安京なのか、平城京も、平安京もだったのかの辺りも明確な資料からの指摘を読んでみたいものだ。
 素人老人は対中国外交の脈々の線から邪馬台国以来、九州人脈である権威筋という根拠薄弱かもしれないけれどどうしてもそう筋道を採用させたくする。
 いつの頃か、飛鳥の地が内陸にあって、外との交渉に必要な前期の難波京という既存の仮説が、素人老人にはしっくりくる。
 加耶系のそれなりの列島展開から百済系、新羅系、高句麗系の諸氏が半島事情を引き受けて、ちょっと落ち着かない時期を招来して、しかも百済人脈経由の指令を受けたつもりに為れたとしたら、半島でのような日常的いざこざにかまけている時間のゆとりは無かったと素人老人は仮定したくなる。そして、とりあえずの試行錯誤期に入る。
 で、主流は教養を駆使してなんとか体裁を整え続けたけれど、文書管理すらいい加減な"体制"が長持ちするはずも無くで、各地の勇ましいのが、それぞれ自己主張するようになりかねない時期すら到来させてしまう。
 各地の努力がそれなりに儲かり続けていれば、他人のごたごたに関わることもないとかで流されたかもしれないが、多分、色々大変なことになっていたし、一応中央集権の都合からする税制が敷き詰められた面も無視できないから、無理が各地へと伝染もし・・で、各地はうるさくなるばかり。どうまとまり感を回復できるか、その試行錯誤が今でも、続くのは、そういったリアルな歴史展開記述を怠って、古代の試行錯誤の都合上こしらえた文献に権威を与える事情の相対化を怠ってきたため、と歴史素人からは伺える。
 まとまり感を達せ出来て、各地性も温存されるということであれば、USの各州のあり方よりも他所の各地にやってみたいならどうぞと進められそうに思える。
 ただし、全責任を負いかねない現代版発想での求心点を持ちいる考え方には修正が要る。
 列島はたまたま、そこらは現状クリアできていると素人老人的には察する("王様"を使わない)。
 今も少数支配を形式上、否定的に見なす都合から、選挙で選ばれたのだから手法を用いるような工夫が為される。
 でも、実態の極端格差蔓延で少数支配の一面が濃く出がちにしている世の中、論の無理はそれなりに気づかれるようになってそうだ。
 ただし、少数の担い手諸氏が、乱暴狼藉系と入れ替わったりするなら、それはそれで大変な問題を生じさせる。ヒトの世は続いても、今同様にあちらこちらで乱暴なことが絶えないようなことになりそうだ。
 今は体裁のみせびらかしに無理が来て、とか無理をさとられないようにで、諜報網・事情を使いすぎて、混乱を各地に撒いてしまっている。超大国のアイデアが不足していた、と素人老人からは指摘するしかない感じだ。
 ただ混乱させつつ、力技も駆使しながら広瀬本の言う"ロスチャ"脈は民主化に加担してきたことも、素人的過ぎる楽観かもしれないが、指摘できる。
 しかし、現代の人々は犠牲を相当に厭(いと)うほどにヒト集団ならではの成熟性質を各地で示している(日々のワールドニュース参照)。
 心配=ヒトにとっての必須の警戒心発動が、武術系娯楽やスピードを競うような娯楽を受け入れることは通常のことだ。それだって固執するのはごく少数になりがちにしている。
 ヒトはいい加減だ。雑多に生活し続ける。
 それらが包含され合って、いつもの巷として成り立ちうる辺りの中でのバランスとかについては、各土地柄にとっての、試行錯誤が形として今を形成させてしまいそうだ。
 面倒見切れない数の人々を仕切るタイプのグローバリズムを志向してしまうだれかが勘違いしたまま候補として登場することくらいはありえそうだけど、それだって余程の偶然が重なったり、"推し"勢力の偏りと思い違いがセットになったりしないと、ありえそうにない。
 いつでも暫定的知識をたっぷり身につけて、わかったつもりの程度において、大胆なことを成し遂げてしまったりがありうる。けれども、時代とともに、陳腐化することは避けられない。ヒトにおける智・知の不思議な辺り。
 列島の歴史も、そこらを遠ざけて試行錯誤可能とはしていない。
 なんとかまとまり感を達成できて、列島をお互いが共有の観念にできている。
 しかも、各地での試行錯誤を無茶なタイプで制御したりはしていない。
 一方で、利害の今ということでは、だれかが得して、だれかは損してるとかタイプの軋みは単調に生じさせやすいために、政治・行政がそういったことの利害調整で時間を忙殺させかねなかったりする。
 各地の中間段階である国々間でもそれらは生じるから、ヒトの観念の成せる業(わざ)ではあるけれど、観念ゆえの並行的副産物も伴わせがちだ。
 理論的模索を面倒くさがる勢力がせり出すと、埒外の位置を求めつつ、あらゆる案件を市場次第ということで放置して競って勝った方に当面委ねよ任せにして、自らの判断がもたらす責めの辺りには付き合わないで済む方を選びがちにして、巷の混乱を招き易くするとかの一面も今時、指摘できそうだ。
 統制し過ぎても巷の生活は窮屈になってしまいそうで、中央集権発想からするまとまり感保持と、各地性温存策の並存の一般論はそれなりに通用しそうだ。

 


   川柳もどき

    ベレーザチームの若手DF池上選手は前十字靭帯損傷と半月版破壊の怪我を負われたそうで、全治9ヶ月とのこと。
     医療知識ネット上には、ひねり方がその主要な原因との指摘。
     トレーニング中では審判の代わりに無茶な動作を制御させうる管理部門が要る。
     フィジカルなトレーナー諸氏とかコーチ、監督がそれに当たる。
     治るにしても、9ヶ月は長い。
     男子でも十分に起こることなので、動作上の工夫など聞き取り、データ収集などから解決策を導き出してもらいたいものだ。
    ところで、FOOTBRAIN番組に登場した東大チームのステレオ映像の3DCG化技術は、GK動作に限らず、自らのゲーム中の視野が2D的に受け取り易いということで錯覚も含ませ制約となってしまう辺りを、3Dの360度展開から自らの動作振り返りが可能になるということでは、
    そのソフトが使っているオープンソース系なのかステレオ→3D変換のライブラリとかを使ってプログラミングに使えるコンピュータ通のサッカー現役な若者達は、
    東大サッカー部とコンタクトをとってどんどん応用してみると面白そうだ。
    PCと野外動物生態観察用の小型カメラ二台(どこに固定するかで固定道具も)でなんとかなるようだ。

連載は続く~ SF 掌編『今回は大宮のベントスチームを引き合いに』編


【先発】
FW       井上
MF 船木        大島
MF    林    田嶋
MF 仲田        杉澤
DF 鮫島        有吉
DF       乗松
GK       今村

【控え】
GK 望月
DF 坂井、長嶋、五嶋
MF 上辻、牧野
FW 平井


 長野パルセイロレディースチームと大宮ベントスチームとの試合を見ることができた。
 順当であれば当然のようにベントスチームが勝っておかしくないはずが、先に見事な展開を経ての技あり一本で得た1点を守りきった長野チームが結果、勝っていた。
 WEリーグ終盤、各地の試合が大番狂わせの様を呈している。面白くなってきたけれど、残るは、各チーム一試合のみ。惜しい。

 それでも大半が放り込みタイプの攻め以外、攻めの形を示しきれず、自力を多分、応用しきれていない現状をそのままに試合を終えている長野チームということを指摘できそうだ。自力を使いまくれる連携(たとえばワン・ツーでつなげたボールを更に3、4くらいは繋げる中で、攻めの方向性を決して失わない動きを伴わせられるようになれば若手と中堅揃いの年代性質が活きて来そうだ)をこなすことにしつこくなれることで、次のシーズンではそれなりにタフな試合を勝つ方でこなしてくれそうだ。

 ベントスチームもパスが続かない。
 放り込みとかライナーのボールによる攻めが目立ちがちだった。
 (相対的環境の中)頭抜けた長身選手がいるチームの場合、正確なロングないしミドルの放り込みパスで得点機会を伺いやすい。そうでない場合、ゴール前のごちゃごちゃか、GKの待ってましたボールにさせ易くする。
 GK諸氏の本音を共有することで、ショートバウンドとかイレギュラーするかものバウンドを伴うゴロとかのシュートがGKをてこずらせ易い辺りを念頭に、攻めの選手達が蹴る際にボールにそういった質を付加できる。
 もちろん、狙いを定めてゴールのすみとかGKにとってはそこは取れないでしょ、の所へライナー性で強く蹴りこむとか、ホワッと浮かせて放り込む巧みシュートを決めることも同時にイメージできての選択にできる。
 奪って攻めに転じて、ここまでを何度もくり返せるほどこなす力量たっぷりなベントスチームであることに代わりはない。けれども、どうしてもゴール周辺での確実性が伴わない場合が目立ってしまう。相手チームにとっては押し込まれる圧がもたらす切迫感を多少やわらいだままにしておけるから反転攻勢にもでやすい。
 相手チームの攻めの動きをDF乗松選手が制御したり、有吉選手が中継して次ぐなる展開へとパス出しを試みたりの場面では、パスの受け手が良い状態としてもらうような動きを頻繁に用意するようにはできていない。
 逆にDF鮫島選手がボールを奪取したりで得たボールを前に勢いよく走りこんでパスの受け手となるように動くMF仲田選手へ、鮫島選手からパスが通るシーンは何度か登場するのだけど、仲田選手の勢いのよい動きに同調して、しかも相手選手たちを多少翻弄するタイプの工夫を伴わせた連携的他の選手間のゴール前演出がイマイチということで、仲田選手からするとボールの出し先にちょっと迷うシーンともなってしまう。
 ただそういう場面では、たとえば仲田選手が浮き球系でゴール前に放り込むタイプを多用すると他の選手から見なされているようなパス癖だった場合、長野チーム同様、入るときもあれば多くの場合入らないことの多いパスとさせがちにする。
 ゴロとかワンタッチほか、相手チーム選手の視覚での追跡感覚に錯覚をもたらすくらいの変幻パスをたったの数度でいいからつないで、その時点でより適切なタイプのシュートを打てるだれかがゴール近くに迫っているようなプレーの連鎖をこなせるかどうか。ここらは年代はまったく無関係に可能と素人的には見る。
 上段の先発メンバー案は、5/19の先発・控え選手の編成ならば、素人老人はこうする、と監督諸氏がこうむる人事ストレスを少し真似る感じで選んでみた。
 FW井上選手、MF船木、大島各選手はFW的に柔軟に動き回ってもらう。だから三人ともが守備を補い合う。少しだけ井上選手にはFW的に動いてもらう程度のニュアンス。
 そしてMF林選手、DF仲田、鮫島各選手の三人の列は特に仲田、鮫島両選手が前に攻撃モードで動いての展開を可能にする選手達ということで、DF位置の重要なあたりを各選手の動き出しに応じて補い合ってもらう。
 同じことが、MF田嶋選手、DF杉澤、有吉選手の三人の間でもこなしてもらう。
 ただし、MFの林、田嶋両選手は主にMF的でパス中継的な重要な役柄が期待される。
 つまり相手チームからの圧に対しても、かなり強気に体の寄せタイプの手法(ガツンタイプではないから怪我しにくい方に作用させ易い)で邪魔するとか、ボールを奪うとか、とりあえず時間稼ぎは最低限してもらいつつ、ないし、得たボールをスクリーンプレーを応用するタイプの体の寄せなど工夫して、相手選手からのボール奪取圧に耐えながら、必ず自ボールとしてパスをつなげる。そのため、自チームのだれかが必ず、近寄るか、スペースを瞬時でもいいからシグナルを送って示して、パスをもらえるように素早く動く。
 そういう中継をこなしてもらう。そのことで、攻撃好きで気質もそれなりに勢いのあるベテラン、若手各選手(鮫島、有吉、仲田、杉澤)が前の井上、船木、大島選手たちと絡む場面でも、相手チームからすると中継の選手がどうからむかの心配を一つ提供することにできて、そこをスルーしての速攻もただ速攻を見せる以上の効果を発揮させうる。
 しかも、中継役立った選手立ちがゴール前に入りこむ番狂わせの場面も十分に演出可能になる。
 だからMF林、田嶋両選手もただ強くライナー性のシュートを打てば良しという単調なシュート発想以外のイメージを育てていてもらわないと、急な要請場面で対応しきれないということになってしまう。
 ここでちょっと。
 先発で出ていた上辻選手を控えに回す監督ストレスを選んだ理由。
 今日の試合で後半は積極的動きも見え始めた上辻選手だったけれど、前半の動作は控え目と多分、ご本人こそが認識されていると思うので、ただそうことばにしてしまうが、それだと相手チームの今時のサッカーのりでの圧を増幅させるほうで作用させやすい。
 けれども熟練の上辻選手は相当に状況を観察して分析されている感じだ。
 だから控えの選手席から試合中に、状況についてのヒントを絶え間なく声に出してグランド目掛けて発信してもらいたい。応援の内容がヒント発信で、それは自チーム選手にとってはわかりきった内容の場合もあるだろうし、視野からは気づけなかった状況を気づかせるまさにヒントになるかもしれない、ただ通常、自チーム各選手は聞き流しモードでいいと思える。相手チームの選手達にとっては、なんで?!と密かに企んでいることがばれるようなことばの投げ込みにちょっといらだったりしている。
 ヒトは動物達と違って実に瞬間的にノロいから、フェイントがものを言ってくれる。
 サッカー技の場合も、達人クラスのフェイント使い選手は滅多にいるものではない。ただし、WEリーグのワールドな試合を経験してきた若手選手諸氏は日々改良を重ねていそうで、技には研きが日々かかっているようだ、と素人老人からはヒント発信できる。
 実際、若者たちは放っておいても成長をし続ける、練習を重ねれば尚更な事は言うまでもない。ベントスチームの若手のお二人、杉澤選手、大島選手それぞれが、弱点克服というか、仕掛けることに抜群に積極的になっていることを本日確認できた。
 また、体寄せによる相手チームからの圧との対抗においても押し合いへし合いで消耗させることなく、スクリーンプレーっぽくかわしつつで、ボール保持にもかなり長けてきている。杉澤選手なら、その身体的バネを使って更に多彩な技に挑んでもらえそうだし、大島選手の場合、ミドルやロングのパスの精度がイマイチの場合がそれなりに登場するので、100%の状態へ挑んでもらえれば、ベントスチームの年代構成(ベテラン陣の絶妙な技、中堅たちの体力とより現代サッカー風の技)からして、相当な得点のきっかけを演出することができてしまう。
 若手が育ってきている浦和チームがパス連携をより緻密にこなすようになったとしても、五分に渡り合えそうだし、ベレーザチームの凄すぎパス連携を向こうに回して、こちらはオーソドクスに放り込みの精度で勝負という圧を行使できたりする。
 もちろん、若手のお二人による攻撃モードでの巧み技がベテラン・中堅選手諸氏によるフォローが支えとなり披露可能となって、相手チームを驚かせることも可能になる。
 GKの今村選手を今日の試合のまま先発に選ぶ監督ストレスも受け入れることにした。
 望月選手というGKレジェンド技の持ち主を控えにしている。
 世代交代の将来を踏まえるなら、GKの場合、特に同じくらいの力量に育ってもらうことが不可欠と見る。
 今村選手は果敢にボールを受け止めようと動作する素質を持っている。
 その動作は危険を伴わせるから、それを回避する術なり、イメージなりを場数を踏む前から育ててもらう必要はありそうで大変なのだけど、そうしながら危険回避を自ずからこなせる場数を増やしていける。(残るは審判(のジャッジセンス)頼りだ。)
 本日の頭越えボールの場合は、迷わず視野の前方のボールを即振り返ってゴール目掛けてダッシュして、走る自分の頭をボールが越えない限りで、なんとかなっていることを逐次確認しながら、最終的にはゴールの上の横バーほんのちょっと手前でどちら方向にジャンプするかの瞬間判断をして、ボールを弾けることが可能になったりが万が一の場合起こりうる。振り返らずだけと瞬時確かめたボールの航跡イメージに基づいて、ちらっと確かめつつ、その最終確認位置に近づいた時点で、直ぐ上なら全力疾走の方向ベクトルに対する上方ジャンプが可能になるやや後方気味強烈ジャンプを試みてパンチング!!もしも、ダッシュが間に合ってボールがほんの少し手前だったなら、振り返りざまの逆走するつもりくらいでの勢いでいつものパンチング対応が可能になる。
 DFのベテラン陣の多くを控えにする監督ストレスも引き受けることにした。
 井上選手の当面観察できる動作くせからすると、積極的にボールを追ってくれるし相手選手にも迫れる勢いをこなしながらも、単調にライナーシュートしてしまいがちだ。
 ボールを保持することを楽しめる船木選手はそこらに瞬間技的余裕を持ててボールを操ることをこなす気持ちがいつも保持的てそうだ。ただし、ドリブル好きな選手はボールを奪われるストレスを嫌がって、ボール保持そのものに淡白になりがちと察する。
 そこでのストレスと仲良くなって、ボール保持にしつこく対処できるようになると稀に出てくる名選手タイプのゴール前での妙技披露のような場面を観客は見ることができたりする。
 大変なストレス相手のことだから、無茶な願望をプロ選手諸氏に持ち出すことはできないけれど、現状でもボールを保持しつつ、パス相手を探す時間的余裕を作れる選手であることにかわりはない。すると井上選手の特徴、大島選手の特徴がそれぞれ異質に絡まり合って3人の特徴が生々しい状況のなかで変幻自在に生成されて相手チームにとっては混乱の元を提供させ易くしそうだ。
 そこに攻撃好き(この場合は乗松選手の参加もありうる)DF選手達がフォローしてくるかもしれないし、MF系選手達が絡んで、ないし、ゴール前に殺到してマークしきれずその隙を突いてゴール!ということが起こってしまう。
 今時だと、若手、中堅世代(2018年U-20世代以降)の選手達はフェイントなどを巧みに応用するようになっている。それでも中堅世代には動的対応にイマイチの弱点を目立たせている。ということで、しつこく体寄せしてもフェイント(たいていボールを蹴りだされて抜かれたりが起こり易い)を用いて外されたりが起こってしまうようだけど、それだって一種のだまし技なのだから、ビデオなりでヒトの動き癖を観察して要点を整理できただれかたち順に対応可能となってしまうはずだ。よほどの名人クラスたちの技は、それでも抜かれてしまうというわけだ。
 新加入で中堅世代の牧野、平井両選手も控えとしたけれど、この両選手にはいつでも疲れた選手の代わりにエンジン全開の状態で加わってもらえれば、ということで、単に先発でないだけ程度に受け止めてもらいたい。ベテランDF選手諸氏についても同様。動いて面白いサッカーの試合は必ず、何人かが先行して消耗したりするから、交替で活躍できることは必須の条件と言えそうだ。

 *監督ストレスの言い訳部分はあくまでも素人老人の我儘のりのあたりを察知していただき、しょーもないジジィだ、そんな暇あるなら応援してよ・・とかで受け止めていただければ幸い。


 実際に試合を見させてもらっていると、WE各チームが繰り出す連携技の織り成す様々に面白くなって想像の方も老人の素人ということから膨らむばかりで、まったくきりがなくなってしまう。

 更に、AFCU17決勝の結果がハイライト動画になっていたので、ほんの少しだけ感想。
 最後少し手前のところに日本チームのどなたかがインタビューに答えて言葉を披露している。
 ざっと、自分たちが改善しなきゃいけない具体的項目を言及していたように受け取れ、今時の女子サッカーを楽しむ若者たちの凄いところを感じさせられた次第。それら課題対応プラスαでより面白いゲームを見せてくれれば、自ずから結果もついてくるといった感じ。東アジア圏だけででも圧の演出もこなす各チームが育っていて、ワールド(質)な(女子も男子も)サッカーの試合をプロの興行的に観客に見(魅)せることもできるくらいになってしまうとか、先に儲け話にしなくても結果がついてくる質的育ち具合などを素人老人的には想像させてもらって、若者たちの生活力という大雑把すぎるかもしれない観点からも頼もしく感じる(黒子としての大人たち老人たちのフォローが欠かせないことは言うまでもない)。

 

連載は続く~ SF掌編『ベレーザチーム本日試合評論と老人流空想SFサッカー試合結果』編


 馴染の動物たちと比べて、ヒトの反応動作は非常に遅い。
 誰かヒトの動作がヒトたちにとっては素晴らしい反射と見えても、だ。
 その瞬間的遅さは躊躇の余地を保持させる。ヒトの動作は瞬間動作であっても闇雲にはならない内面を持っているらしい。その代わり動物たちにはまったくかなわない。簡単に噛みつかれてしまう。武道の達人たちのように何も考えずに、急所をねらって一撃できた場合、偶然、先手をとれることもある、といった感じだ。
 またボクシングの達人たちはたったの3分間、本格的に打ち合う場面を持ってしまうと、1分間の休憩が待ち遠しくなるくらいヘトヘトになってしまう。
 相撲も数分間組み合って力を与え合っているだけで息はもうゼイゼイハーハー状態になっている。
 柔道も5分間を待つまでもなく、一種ヘトヘトな状態を招く。
 ヒトは意外にも、力を入れて競い合う場合、へばりやすい。

 いきなり女子サッカーの話。
 本日はジェフ千葉レディースチームと日テレベレーザチームとの試合を見てきた。
 逞しく粘り強くなってベレーザチームは最終的に2-1で勝ってしまう。
 千葉チームの9番大澤選手や10番鴨川選手が思い通りにプレーできないくらいベレーザチームは攻めの状態をかなり確保できていた。
 そのわりに2点、ということの真相を観客の目線からしかも素人の老人観点で指摘してみる。
 相対的にクリーンだけど相当にきつい圧を行使してくれた大宮のベントスチームの時はだからこそ得点できていた。
 けれども、現ベレーザチームは、相対的に(語弊の辺りは素人の老人ということで容赦願いたい・・・(ヨーロッパ系の相手を痛くできる固い自らの体の部分を相手の痛がる部分へ平気でぶつけてくる圧と比べたら余程クリーンなのだし、そこらは承知の上で))‟ダーティ‟にベテラン・中堅年代の選手が圧をかけてくるとベレーザチームの優等生性が出てしまうのかとも素人的には受け止めさせるのだけど、ボール扱いでの肌理が途端に乱れてしまいがちになったり、意外にボールを簡単に奪われたり、当然の動作にしろ当たる可能性を避ける動作が、代替の動作にならずに距離を開ける形になって相手へ自由度合いを提供する格好になったりしてしまう。
 ボールを奪う時にきめ細かさや素早さを同じ試合の中で発揮しつつ、相手からの圧にあっさり微妙に引いてしまう辺りが、若さゆえとこちらの方をより強調できそうだ。
 DFエキスパートで、体の寄せ他に通じるコーチ陣が、お仕着せがましくなるとしてもヒント発信して、ベレーザ若手各選手がゲームの中で失敗しながら改良して体に反応系を染み込ませられるように促せることも、時には必要じゃないか、と思えた。
 先のようにヒトは結構動物たちと比べてタフではない。本当に昔のインスタントラーメンの宣伝のまま3分間を激しく体重を掛け合ってのオシクラマンジュウをこなすとヘトヘトになりうるのだから、消耗しないで、しかも体寄せの巧みを体に覚えさせて、ないし、どのタイミングであらかじめちょっかいを出しておけば相手の意識に短期記憶的に牽制(けんせい)として働いてくれる関与が可能かなども相手のくせなど観察しつつ、試合の中でデータとして仕込んでおけるといつでも引き出しから引っ張り出して応用できる。
 試合慣れして、圧もWEの選手たちは悪戯に怪我をさせるような圧を行使はしないタイプと見なせるけれど(それでも怪我をしてしまう場合もあるからそこが審判諸氏の勘所になりそうだ。怪我人が出るジャッジの日は反省会が要るっぽい)執拗に、邪魔となる体の使い方を使ってくることを前提に、それに消耗にならないタイプで新世代は応じられるかが試されそうだ。
 ワールドクラスの試合に慣れた山本、藤野両選手はワンランク上の強靭さを身につけつつあると素人老人からは伺える。若いし消耗させがちだけどしつこさとか体の寄せや重心の使い方に素質っぽさを感じさせる松永選手や池上選手などは、消耗しないで済む工夫を身につけるのと、それぞれ体は大きいけれど細いとか体が相対的に小さいとかがベテラン・中堅選手たちからすればひょっとして弱点かもで圧的攻めの絞り込みで迫られやすいから、そこらの関与があっても消耗しないでかわせるし、逆に邪魔できるとかで切り返したりもこなせるようになれば、だれかしらがそれを参考にして、もう一人タフなだれかとなってくれそうだ。
 一応、浦和レッズレディースチームとの試合を念頭にの話にしているのだけど、ベテラン勢が圧倒的に攻撃モードでボールをかなりの精度でもって放り込んでくる。
 いわばベレーザの北村選手に氏の好みのスペース状態が提供された時のパスなりシュートなりをいかに事前に邪魔しておけるかとごく似てしまう。
 それを浦和チームのベテラン各選手の動作の特徴に応じていかにベレーザのチームとしていかに適用してしまえるか、の辺り。
 前回の試合では前半の消耗が多分響いた後半をもたらしたのではと素人老人としては推測するので、むしろ相手チーム選手が消耗するような攻撃的自ボール保持での相手への圧行使が、後半の状態を前回とは逆転させる可能性も指摘できる。
 今回はパスミスも目立ちがちだったから、浦和チームだとそれを見逃さずに得点にかなり確度で結び付けることを予想して、パスの受け手がパスを出しやすい位置取りとかで対応するなど、パスミスを誘わないチーム内でのコミュニケーションなど摸索してもらいたい気がする。
 相手チームへボールが渡るのは自ボールがゴールの枠内へシュートしてから。くらいは充分にこなしてしまうベレーザチームであることに多少は自信というかそこらを踏まえた落ち着きを持ってもらってもいいのじゃないかとも思えるけれど、相手チームへ渡って
 GKがキックなりで出したボールを奪う意欲とか素早さもベレーザチームの持ち味らしいことはかなり実感できた気になっている。そこらはただそういうプレーということではなく必ず相手チームへの総合的な圧となって作用しているのだから、奪って、自ボールとしてシュートで終わらせる過程を繰り返すことが、相手チームを消耗させ、気持ちの方への作用して、試合の時間がたつほど、自ボール支配がやりやすくなりうる。
 ということは、それこそ得点先行の巧み(ゴール前の密度・速度については、先日ふれたが若手選手たちの密なコミュニケーション由来の絶妙なタイミングの読み合いは前提になっている)をこなせることで、アジアNo.1チームとの試合で複数得点という展開と自ボール支配率で圧倒してしまうということだってありえないことではなくなる。
 ベテランチームの圧行使の様々につい男子DFエキスパート諸氏からヒントを得て体感して対応を準備して、そこに消耗されないように攻めモードでの自ボール支配を図って、シュートの後相手チームにボールが渡ったとしてもすぐに奪い返す素早さなどで応じて、若さというアドバンテージを活用してしまうのも手のような感じだ。
 浦和チームにも常時若手選手がごく数人だけ混じるので、ワンパタンな発想ではイレギュラーな事態が介在して混乱してしまう可能性も考えられるから、ベテラン選手たちからの圧について充分に対応を練っておいて、しかも若手選手の元気さ対応も自ボール支配で応じることでそれなりに気持ちへのダメージとして効かせられるから、なによりも自ボール支配とシュートの強力な圧を提供し続けられて、しかも、相手ボールの機会を奪い続けるなど、相手チームを結果的により消耗させることで流れの中での一点一点の積み重ねが最終的にかなりの複数得点として、次期のWEリーグへとつなげられるのではないか、などあくまでも素人の老人の絵空事、空想の類だけど、AFCで優勝し、WEリーグの今期でもすでに優勝が決まっている超強豪と言える浦和チームに若者チームが凄い試合をやってのける辺りを披露してくれるなど、老人にとってはなにげにちょっぴり(強豪浦和チームには失礼に当たるが)痛快な感じになりそうだ。

 

連載は続く~ SF掌編『AFC U-17準決勝試合と新羅郡の話題少々』編


 AFC U17女子アジアカップ インドネシア2024の準決勝が昨日あって、そのハイライト動画をユーチューブで見ることができたりして、老人的には大変に重宝。
 好敵手韓国チームを得ての試合だったからか、サッカーの一脈を構成しているはずと素人ごときが指摘してもそれほど間違って無さそうな動的パスサッカーを見事にこなす女子U-17世代のサッカーのパス交換シーンが何度も登場。
 素人老人的に極め付きはというと、3点目のシーン。
 前段の過程はハイライトゆえわかりにくので、最終段階で主に関わった3人について言うと、ワンタッチのパスとシュートで、狙い定めて決めるタイプの連携技を、観客は見ることができる。
 ここらは多分、この世代が身につけるか、身につけたいと思い込めている連系技の一つと素人老人的には推測させる。
 一つ一つの技の精度とかタッチのソフト感とか、当たり前感が濃く伝わってくる。そうとうに使いこなされていそうだ。でもU-17世代のサッカー技。
 ということは2022年U-20世代ワールドカップの日本代表チームの主だった試合を早朝にずっと中継し続けたBSフジの目利きがあってこその、たとえばこの素人老人の感動だったわけだけど、テレビ慣れした世代が当面は継続している予想に立てば、決勝くらいは列島どこかの局が中継できるとその凄さの今!を列島の沢山の視聴者に伝えることができそうだ。
 ハイライトがたまたま含んでくれているからいいようなものの、大抵はそのシュートの質判断にとって必須の‟過程‟を含ませていないシーンの(ハイライトゆえの)切り取りだったりするものだ。試合の流れを追える中でのハイライトシーンぽい焦点の当たるプレーが介在する程度に、押さえられることが、今の実質をより伝えてくれる。
 準決勝の前の試合では、宮澤選手の走り込みの巧みと相乗する藤野選手のゴール前への蹴りこみタイプの攻めを多用するハイライト編集だった。
 だから他のプレータイプの数々は端折られての印象でしかないけれど、ゴールへと走りこむ選手のセンスというのが物を言う攻めタイプだから、形だけ真似してもなかなか点に通じる惜(お)しい!と叫びたくなるようなシーンを披露できにくかったりする。
 オフサイドを避けることはもちろん、相手選手だって早く走れる選手がいることを前提での早い走り抜けと巧みなトラップをこなして自ボール確保の状態から即次の動作が周囲の相手選手たちの位置動きなどを狩りの時のような嗅覚でもって判断して(だから圧倒的に動物のような速さと比べてヒト的遅さの反応動作にはなってしまうけれど、それでも)適格に素早く反応しながら、シュートなり、ドリブルなり、パスなりを瞬間技にしている。それぞれの届かせる精度もそれなりでなければ、思い通りの結果は得にくい。
 ついでに、視野の中で相手チームからマークされている場合、その動きくせを試合の中で段々察知されてしまって、先読みされてしまうようにもなりやすいから、タイミング外し他色々工夫が必要になってくる。上手にこなすには、パスの出し手、受け手それぞれにセンスの類というかタイミングを図れるし、フェイントタイプのずらしとかの瞬間技をこなせるタイプがたまたまそこに揃っていないと、決め切るということでは、シンプルな形だけど結構難しそうだ。
 逆にパス連携はオフト氏のヒント発信(シュート機会を探してのパス連携だし(だから視野が大事だしアイデアの共有部分と自らのアイデアが打開できるシーンつくり面とかも含む)、シュートを結論として導く)を忘れなければ、複雑そうで使い慣れてしまえば(男子サッカー選手諸氏の発想継承者たちの発言からも気づかされる)プレーして面白くて面白くて状態でより心身的にも活性させる中での連携+シュート技とつなげられる。
 男子サッカーのトップチームの試合が忙(せわ)しなくなってしまうのはボール保持の技の磨き方がいまいちだからと素人は見るのだけど、パス連携ということではそのトップチームからの代表チームの編成で1点取ったウズベキスタンチームとの試合では、ほぼワンタッチでの精度のよい連携をこなして、わずかの隙をボールが巡って決定的なゴールシーンを演出してしまっているから、足技に劣るとかいう話にはなりそうにない。
 ボール保持の困難なシーンは2022年U-20女子ワールドカップでもスペインチームの圧に応じきれないシーンとして印象的だった。
 そこらを現藤野選手や山本選手の防御と攻撃のシーンを見ていると相当に工夫を重ねてきているな、とごく短期間での成果に驚かされてしまう。
 男子筋肉前提にその激しさは踏まえるとしても、パスの出し先が動いて視野に入るとかすれば、即追い込まれてごちゃごちゃシーンを作って、ボールが移動してとか、サッカーっぽくないシーンが目立ってしまう試合とはまた違った展開もありえそうとか素人ゆえ空想したりもする。
 ベレーザチームのパス連携が上手く運んでいるタイプの試合の時などは男子チームにとっても相当に参考になるように素人老人的には推理したくなる。
 女子筋肉前提のシーンを男子筋肉前提の試合展開に応用的に置き換える操作が要る。

 U-20の後にすでに2024年U-17世代が相当な連携技を身につけてトップチームを目指してくる。
 トップチームは限られている。世代交代は必ずやってくる。
 年寄の余計なお節介にまたもやなってしまうだけの話だけど、トップチーム経験の女子選手諸氏がその経験を引退後に各地で生かせるサッカー環境が育っていれば、それがまた後継者、サッカーをしたり見たりが人生時間の中のいくつかを埋めるようなだれかたちとともに響いて、勝ち負けで情動を葉が敷く動かすのとはまた違うタイプでの情動の様々をサッカー的に体験しながら同時に楽しさとか意欲とかの類へと誘ってくれるような人生とちょっぴり関わるタイプでのサッカー体験の機会が各地で工夫の数だけ生じているようなあり方も、サッカー熱の一種のように素人老人は想像したくなる。

 

 前置きが長くなってしまって、新羅郡をめぐる現歴史通諸氏の発信についての感想についてはごく短めに。
 藤原仲麻呂(後の恵美押勝)氏とともに語られる新羅郡となると、一定のバイアスを働かせるまとめ方へと誘うようだ。
 そこらはパラダイムとことばにすると大げさすぎるとは思うけれど、事情通諸氏ならではの色々を覚えこんでしまったためにそう誘われているのでは、と現状の素人老人は感想したくなる。
 一つには、戦争っぽい中で、挨拶外交のようなことも定期的にこなす関係性の古代を、儀式的といっても形式性に委ねるよりは、事の質がもたらす成果に期待するタイプと察するけれど、犠牲を生じることもあるけれど無くてもそうすることがもたらす事象変化なり事象継続なりの確認ができる辺りの何が関わっているかが踏まえられるとき、その実質のいくらかは分かった気になれそうだけど、そういう今タイプの認識用具としての分節化を用いていなかった時期におけるヒトの巧みの辺りを踏まえられないと、なにげにヒトが物騒なことも厭(いと)わずで今と同様に粗雑な連中だったかのように想像してしまうことも注意したい、というように歴史事情通の博識な諸氏に投げかけてみたい気もしていたり。

 


   川柳もどき

    ワールドなニュース番組では
     若者二人組が登場
     以前オーロラを見たくて遠く海外旅行
     残念ながら見ることができなかった
      この数日間、太陽フレアが激しくて
      能登半島でも観測されたとか
      そんな地球事情を知識として思い込めた
      先のお二人
      空を見上げればオーロラ色
       おお!見たぞとネット発信を想念
        ところが、なんと今時流行りのビルの壁を飾る光線系装飾の類
        それに気づいて、苦笑い
      さすが太陽、話題はワールドワイドに展開中

 

連載は続く~ SF 掌編『新羅郡では・・。春はサッカー、夏も・・・かー』編


 鈴木一郎・宮瀧交二監修『新羅郡の時代』('22 雄山閣)の第Ⅳ章討論から列島古代の関東平野南部での出来事の一面など地域の専門家諸氏がまとめてくれた辺りを引用してみたい。

 ①新羅郡の範囲が一体どれくらいの範囲なのか
 ②新羅郡は一体どこの郡を分割してできたのか
 ③新羅郡家はどこにあったのか
 ④新羅郡に寺はあったのか
 ⑤新羅郡に新羅の人々が移住した証拠はあるか

 ①について
 p173- 鈴木一郎氏の話
  南端は現練馬区の大泉氷川神社の辺までか
  東側は白子川の谷か
 p173- 大久保聡氏の話
  北端は新河岸川・柳瀬川を境とするか
  現志木市域出土の土器は入間郡の土器と様相があまり変わらないことから検討課題

 ②について
 p176- 宮瀧交二氏の話
  豊島郡の広岡郷(和名類聚抄)と新羅琴の名人沙羅眞熊の「広岡造」
  豊島郡を分割したか
 p176- 根本靖氏の話
  土器の様相は入間郡と豊島郡の境を示す
  和光市朝霞市の越戸川か黒目川の右岸地域と黒目川の左岸地域から志木市の柳瀬川の右岸地域に境か、はたまた白子川が境か
  境域の閑地を選んだか

 ③について
 p179- 照林敏郎氏の話
  稲荷山・郷戸遺跡に住居跡は見つかっていない
 p181- 鈴木一郎氏の話
  稲荷山・郷戸遺跡から250m程はなれた(間に越戸川の谷)花ノ木遺跡では火熨斗(ひのし=大昔のアイロン)や近くの漆台遺跡から円面硯、墨書土器が出土している。
  それぞれ9世紀のもので建郡時8世紀半ばのものではない。
 p187- 宮瀧交二氏の話
  新羅王伝説の午王山遺跡、和光市の地名新倉、白子、津、船着場の可能性ありの榎堂遺跡、花ノ木遺跡、倉庫群のある稲荷山・郷戸遺跡などから、新羅群中枢の場所を推理して越戸川周辺の一帯か

 ④について
  考古資料では寺を確認できていない
  文献上、閑地へ計画的に設置された新羅郡の記述から、寺が無いことはありうる
 ⑤について
  今のところ認められない。

 別に以下の指摘
 p192- 眞保昌弘氏による指摘
 『日本三代実録』に貞観の大地震以後のこととして、瓦製造と新羅人との関わりの記述と、兵衛沼瓦窯跡から統一新羅時代に類例を認められる瓦が出土している。
 『日本書紀』に帰化新羅人の記事
 那須国造碑文中に唐(周)や新羅でわずか10ヶ月しか使用されない「永昌」の記載
 国造碑の立地は古墳前期以来の伝統的地域、対して官衙、寺院等地方支配施設は河川をはさんだ南4kmの異なる古墳群域
 下野薬師寺造営の河内郡内を中心とする6遺跡から新羅土器、新羅系時が出土

 p195- 高橋一夫氏による指摘
 高麗郡には縄文時代の遺跡はあっても弥生、古墳時代の遺跡はほぼ皆無
 一方、新羅郡は縄文、弥生、古墳、奈良時代と遺跡が出る。
 なぜ(現栃木、群馬域ではなく)武蔵国に両郡がおかれたのかという疑問


 まとめた、ないし、各資料をまめに当たって整理する専門知見をお持ちのどなたかが、関わらないと、散らばった局所詳細な資料が各地に用意されているだけのような景色も、素人の想像からはしたくさせる。
 それに今時、よほどのことがないかぎり、全面的な広域を掘って資料を探るとかのことは起こりようがなさそうだ。
 少しずつ、毎日、どこかで発掘資料・データが積みあがり続ける。
 現用のことばが通用する時間内で事が成されないと、資料整理の内容そのものが解釈を待つ資料と化すことは、既知のことだ。
 ヒトの観念系へと絶えず経巡ることになる辺りは、人文系の活躍の場も延々と続きそうな辺りを素人考え上、空想させてくれる。

 


   川柳もどき

    The New Duck の Lumps セッション('74頃)が動物の鳴き声も芸術・芸能表現をまとう辺りを示唆してくれた
    AEoCはよりパフォーマンスの芸能を演じてくれた
    同じ気運を生きているHB氏もパフォーマンスの芸能を演じてくれる何でも楽器にしてしまうタイプだ
    そんなこんなで数十年後の今、"不敵な"・・ならぬステキなフットワーク(サッカー技)を演じる木下選手(先発したりしなかったりの岩崎選手も近い)も活躍するベレーザチームのサッカーは、総じてパフォーマンスの芸術・芸能を演じてくれていると
     ことばにしてみたい・・・のが現状の極度に老人系な素人ということになる
    研究・・・仕事に根をつめすぎて・・・・なんとも・な体調の諸氏、清涼を浴びるならベレーザチームのサッカー鑑賞・(ドラマ的展開を期待する諸氏においては)感傷だ、ぜぃ(老人ゆえ使う用語がなんとも・・・で容赦)。