連載は続く~ SF 掌編『生き物たちの成す"織物"をめぐって二話』編


 NHKBSで放送していたジオ・ジャパンシリーズと最近出たブルーバックスの『日本の気象変動5000万年史』('22 講談社)の事例や年代指定などを合成すると、それなりに自家製年表の読み方に一工夫できるようになりそうだ。
 ただ余計なことではあるけれど、『日本の気象変動5000万年史』の内容については、紹介するつもりはないにも関わらず、事例とその年代とが載っているということで、強いて使わせてもらった。素人の老人からすると、著者諸氏にはもうちょっとだけでもサイエンスしていただきたい気がする。忖度臭を何気に感じた次第。
 水月湖の中川氏のブルーバックス本も、年代紹介については不親切だった記憶があり、ブルーバックス編集陣の啓蒙への熱気を期待したい。自家製日本史年表だったり世界史年表だったりへ、気温・気象環境の変化を書き込めるだけでも相当な観察眼の一助とできそうだ。

 列島の今日につながる事象とその年代などを羅列紹介。
 (植物化石などからの年代測定のような記述あり)

2300万年前 ヒマラヤ山脈チベット高原の生成
 →このことで、夏季モンスーンが発生するようになる。(気象庁の全球版雲画像を動画で見ると、そこらがより明確に頷(うなづ)ける)

2000万~1800万年前 ユーラシア大陸と列島部が離れた。
 →日本海出現。

1500万~1300万年前 九州でカルデラ火山噴火多発。

300万~260万年前 地球規模の寒冷化へ。

260万年前 両極に氷床・海氷が発達した。


3.5万~1.8万年前
 およそ10万年間の氷期間氷期の組み合わせが一単位のサイクルが始まって以後、現代に最も近い最も寒くなった時期

1.7万年前 気温が上昇した。

7000~5000年前 関東平野の標高5-10mの所まで海面が上昇。

3000年前 海水準低下(今よりも1-2m)

≪列島古代史とより関わるデータ≫

上記ブルーバックスの p236 の桜花・年輪記録のグラフ参照。
寒冷 飛鳥・奈良期
温暖 平安期中盤
冷涼 鎌倉期から室町初期
寒冷 戦国から江戸期享保よりも以前の頃まで
温暖 江戸末から今日まで
* ここらはグラフを参照して自家製年表に書き込みやすいが、もう少し具体的年代特定が要る。

① p192 に80万年前から今日までの気温変化グラフが載っている。
② p185 に320万年前から今日までの気温変化グラフが載っている。
①、②を合わせる事で、10万年周期の特殊性くらいには気づけるようにする。
寒冷化以後、同じ要因からするその趨勢上の変化に過ぎないのか、繰り返しているようで、乱れもそれなりに含ませる等、要因のその他を想起したほうがいいのかの辺りへは、関心を持っておいたほうが良さそうだ。


 放送大学の特別講義『細胞の声を聞く』高橋淑子氏担当。
 では、発生について鳥の卵を観察しての研究の一端を紹介されていたけれど、発生の過程で細胞が他所へ動いてそこで形を成す。
 ガン細胞も転移(移動)して、だけど不特定に増殖し続ける。
 と似ている辺りを指摘されていた。
 発生期ということで、素人老人的には安保氏の論を裏打ちしてくれるエピソードのようにも受け取りたくさせた。
 細胞におけるミトコンドリアの数問題にはふれられていなかったので、そこらの関心が安保氏と重なりにくそうだったけれど、逆に、素材提供として貴重に思えた。
 安保氏の気づきは、ワールブルク氏の発見を下敷きに、ガン細胞というのが通常の細胞がそのまま先祖返りした状態と見るような、通常細胞との連続性を見ることを踏まえての、ガン対処へと誘う話につながる。
 高橋氏の発生細胞の紹介では、形をしっかり成すことで明確にガン細胞っぽくない。
 ガン細胞への対処としては、そこでも転移先でも闇雲に大きくなっていくというのであれば、形化制御の遺伝子の働き(知見)を絡めて、不必要に転移されるだけでも迷惑な現象だから、形化制御の中で、拡大性の制御に仕向けるような遺伝子的関与もありうるのかな、など素人想像のおおざっぱ過ぎなところを、思い描いてしまった。(薬での力づくといのではなくてあくまでも細胞世界で働く形化遺伝子の働きと関わらせての話)
 とは言え、そのだれかの体の応答の過程でのガン化であり対象細胞の(たとえば無理な生活習慣ゆえの)先祖返りなのだから、その条件付けのところを解消する努力・工夫が一次的な対処法には違いない。ただちょっとだけ時間稼ぎ用に(たとえば発熱でも高温に耐えるには限度があり、そこを解熱して(免疫が機能する程度に支え、それが機能して治るまで)体が耐えられるように時間稼ぎする対症療法が一般的だ)、


  川柳もどき

   かわいそうかもしれないし 血となり肉となるからともとれるし
    川を群れて泳ぐオイカワたち 鮎たちのぼうだい量こそ 命たちを支えてもいそうだった 頼りになるのはどっち と、つい

連載は続く~SF掌編『どこかでだれかが(土地を)耕している』編


 灌漑工事すれば、その昔においても高麗郷の大半の土地にもヒトは農業を営みながら生活を持続させられただろうに、その昔においては、その水利の事情から農業適地ではなかった大半の部分にはヒトは住まず、川筋にポツン、ポツン、ポツンと住居跡を残す程度の起点を持っている辺りは富元久美子著「武蔵国高麗郷とその周辺地域」(『古代日本と渡来系移民』('21 高志書院)所収)に詳しい。
 人口の分布とか趨勢とかに関わる要素を探れる指摘とも取れる。
 ある事象の動態と関わりうる要素の多元的な観点の持ち込みは大切そうだ。
 その昔、寿命はどれくらいだったか。この問いは一見単調に受け止め得るように効果してしまうかもしれない。
 その昔の或る頃ということで特定の時期を想定できれば環境その他の詰めも可能になって、それなりに人口を想定すらできてしまう、とも思える。
 けれども、たとえそうだとしても、寿命ということばからは、多元的な接近が求められてしまう。
 どこかのだれかたちについて、戸籍っぽい資料が残っていて、確かめられるとしたら明確になる。そして大抵の場合、ばらつきに戸惑わせられるはずだ。
 長生きするだれかもいれば、事故でもないのに相対的に短命だったり。
 時代的に栄養事情が悪くて、結核が蔓延しやすくなって、多くがそれゆえに子供は作って世代交代は果たせたけれどその先の余命はごく短くなっていたとか。
 けれども、栄養事情ということでは子供たちとっても致命的だ。しかも免疫系と関わるときたら子供年代での死亡が半端ではない時期を想定できた方がより実際に近づけそうにも思える。
 ここらの説明だと、色々な要素をごっちゃにして、わかりずらいかもしれない。
 余命ということでの寿命の平均的な押さえ方という指標で寿命を扱うなら、多くの場合、子供年齢に死亡が沢山出て、余命に大きく影響させて、寿命が短命だった、という総合的な意味でのその時期での寿命表現が可能になる。
 そして列島の多くで過去については、そう語られるのが普通だ。子だくさんでも残って成人してくれて働き手になってくれるのはごく少ない。列島の現代の走りの頃だってそうだった。昭和生まれたちの多くが(二桁とかそれに近い)沢山の(両性を含むのだけど)兄弟を持った。走りの頃の列島人口は今と比べると(その昔よりははるかに多いとしても)一桁違う。世界的に急激な人口増を経験したのが現代の趨勢だった。
 それには医療が関わって子供年代での死亡が極小へと向かったことが指摘されていることは周知のことに属する。
 そんな現代でも、個々によってまったく寿命連令は異なりすぎるほど異なる。極端に違う。
 生き物、動物系のヒトは成人になる過程で免疫を相当に鍛えこんでしまう。
 だからそれなりに可能性としては昔から長寿だ。人によっての人名辞典に載るようなだれかの長寿も珍しいことではない。
 それらを均せば・・の話と、子供がたくさん亡くなっての話を混同してしまうことも寿命の実際を振り返るうえでは錯覚の元だ。
 ヒトの2000年間でなんらか変異が生じたのか。そうは見做(な)したくない。
 関係性とか社会性とかが関わって老けるとか若々しいとかはかなりぐらつくものだ。
 酒飲み諸氏は肝臓を壊さない工夫した飲み方を可能にしている限りで、肌艶は良好な人々が多い。
 酒の力を借りなくても、今時の70代、80代の諸氏はいかにも張りがある感じのタイプであふれている。おかしくないか、と指摘できそうだ。
 昔は同じ年齢でもだれもが老けて、すぐ亡くなってもおかしくなかったと断言してしまっていいものだろうか。
 いつの時代でも確かに、事故的な自然現象との遭遇もさけられなかったしで、突然の死は避けられなかった。けれども、そのヒト自体が長寿を初めから避けるような免疫系の弱体であるはずがない。
 今時の清潔仕込みで固めてしまった生活習慣よりは、余程、大抵のことではくじけない神体を維持していた可能性だって想像できそうだ。
 事故の一つだろうけれど、戦争とかに駆り出させて、自ら進んで参加して、短命に終わった成人も沢山出る。そういう時期も想起できる。寿命が短くなる原因を明確にし易い。
 昔も今も、ヒトは成人年齢に達する辺りからかなり丈夫に生きることができていた、と見たい。そうなるまでの不可抗力の可能性を探って、それが寿命にどう影響したかで、相対的に長寿層が沢山残りやすかったか、残りにくかったかなどの考察は可能と想像する。
 今時は、子供年齢にとっては、かつてよりは生き残りやすい環境をある程度達成できている、と見做すことも無理が少ないと察する。
 しかも相対的に子供年齢にとって過酷と見做される土地柄への改良・援助を求める機運も働いているから、人口にとってはめぐまれつつある時期とも言えそうだ。


  川柳もどき

   働いて食っていくことで精一杯さ とはいえ だれかしらがどこかで工夫していて その恩恵に浴せる
    と思うだけじゃなく だれもが 仕事を通じてなんらかそれと関わっている

連載は続く~SF掌編『交通システムの運用面の寸景其の一』編


 陸空海を使う交通ネットワークなりシステムが整っていることは、生活とか経済活動とかに限っても絶大な要素性を発揮してくれる。
 空についてはヒトの場合、やっと100年程度かそれより少ない。
 荷物・人の輸送をとにかく膨大量こなす、ということでは、ごく最近達成しつつ試行中といったところだし、それなりの密度を持った経験の積み重ねと理論的試行錯誤を重ねてそれなりに整合性を達成している段階と素人老人的には観察させてもらっている。
 海も今では、発信源を共有している限りなのかどうか、リアルに航行中の船がネット上に描き出されるくらいにはシステム的に運用されているようだ。
 スエズ運河を巨大タンカー一艘がふさぐような事故が起こり、しかも、短期間でもって粛々と解決された。
 港々のネットワークとかシステム運用は限定的なのかどうか、突発時が、交通を遮断してしまうようなことも起こっている。
 陸については今時となると、自動車と鉄道の二大システムがそれぞれ自立して動いている。
 自動車のシステムがそうしたというより、鉄道のシステムがそうした、というより、それらを使いこなす側が、それぞれに合わせて立地の方で使い分けてしまった結果と見て取れそうだ。
 極めて老いた側からの発想になるけれど、列島鉄道環境を前提に、現役の頃にしっかり稼いでそこそこ蓄えと年金額を得るようにしてあれば、鉄道網の利便を応用させてもらって、好み、関心の向いた土地へ、簡単に辿(たど)り着けるし、道中すら楽しみとなりうる。
 鉄道旅はそういったところがありそうだ。
 で、それが可能なのは、とりあえず土地土地の主要な地点を鉄道網が覆うように発展させてきたからだ。
 その過程で参勤交代の盛衰がもたらしたその後の町々の栄枯盛衰同様に、列島の政治経済が成してきた土地土地の栄枯盛衰の変化をもろ引き受けて、同じ駅の周辺の町が元のままというわけにはいかない。
 ただ老人関心が歴史めぐりだとすれば、そこらはまったく邪魔にならずに旅を楽しめる。
 そういう需要が一方にあり、一方で、日々の収入と関わる生産活動や教育やがもたらす人の動きとしての鉄道サービス消費量が激変してしまって、土地柄によって極端に採算に影響するようになっている、と紹介されがちなのが今日この頃のようだ。
 道路のメンテナンスの多くは公費だ。鉄道は会社持ちだ、との紹介もある。
 鉄道交通も自動車交通も町の賑わいを企画に持って為される性質を指摘できる。
 そこらは世代交代の過程で、住宅地開発とご一緒の企画の場合は、典型的に列島では過疎に働くような土地柄ということで、問題化させた。
 親と同じ住宅に住み続けられるような建築質を目指さなかった(そういう高品質の木材なり、材料を使える費用負担に耐えない人々に個人住宅を建てさせる工夫が優先された背景は知られている。良い悪いの話ではない。)ゆえに、子供たちは別のところへ新築して住むことを選択するように仕向けた。住宅需要喚起の目論みも並行させていたとも思える。
 すると限られた総収入を予想される膨大な人々にとっては、いつでもきつきつの使い道と収支ということでの人生設計に縛られがちにしてしまうとも想像できる。
 家を持つことを目標に、働いて、で何が悪いの?との疑問も出てきそうだけど、いつでもあることの達成の上に、構想中の何某の一つをチャレンジ出来てで、ヒト自体の改良が成されてきたことを想起できれば、答えは簡単だ。
 とにかく住宅地開発も土地柄の栄枯盛衰に相当に関わらせやすい。
 自動車交通の近年における試行錯誤としては、自動車に乗って運搬役をこなさせうる買い物に便利な立地にかなりの資金が投入されてきたことのように素人からは想起される。
 鉄道交通に頼らないタイプの生活パタンを持ち込ませた。
 駅を介しての利便な生活も怠りなく試行されている。
 だから現状では、駅周りの買い物ほかの利便性と、自動車交通たよりの買い物ほかの利便性とが濃密な交錯を試行しての結果というよりは棲み分けてしまった結果を見させられている、経験させられているように受け取れる。
 しかもそれゆえにもろに出たのが自動車交通における混雑問題だ。
 脇道を選んでの旅とか応用とかも可能だけど、費用的な最適を選んでとなると主要な交通網に依存することになりそれゆえに混雑も避けられなくする。
 多くの人々が自動車を便利に使いこなせるように自家用車を得て、しかも、使用頻度はそれほどでない諸氏が無視できない数いるような事態を並行させてもいる。
 自動運転システムの描き方次第では、世界標準になるかどうかとは別に列島的制約条件を踏まえた鉄道と自動車交通システムとの共存の交錯させた可能性を探れることも、無駄なことばかりではない気が素人ゆえ、する。
 今のままだと、自動車でちょっと遠出タイプでの利便性享受だ。
 鉄道も、限られた選択肢の中から、そこを選べれば使うという形になりやすそうだ。
 鉄道の"定期"を利用している諸氏(今は未だ膨大量いらっしゃるはずだ)ならば、更に、費用面からして使いやすい立場と察する。自動車じゃなくても・・、となる。
 ただし、鉄道は駅が出発の起点となる。時間を費用のように考えられるならば、駅までの時間も自動車使いと比較される。
 今見る電車は空いてそうだ。座って、気ままな小旅行ができる。
 通勤・通学時はどうだろう。
 自動車ならば・・。でもバス通勤・通学だと・・・。
 素人老人の観測については時にふれてきているのだけど、一票の格差ということで地方の土地柄をぞんざいに扱う発想を強引に押し付ける考え方を民主主義のラベルを使って正しいことのように言いふらされがちにすると、自ずから、不利な土地柄が各地に生じてしまうものだ。その結果を日々、ニュースとか敢行番組で見ることができるようになっている。
 自動車で貨物輸送するドライバー諸氏は数十年も前からそこらを気付かれていたと思える。でも、正しいのは・・・と出られれば、中々反論もしにくいだろうから、惰性にすると、こうなってしまう、という一つの典型とも思える。
 国の政策ともなれば、うるさく言えば通るということにはならなくて、一定の説得力が要る。でも言うやつの口数が減れば、それなりの効果となりうる。多数決を良しとする自称民主主義を目指す諸氏は今でも大勢生じやすい。困ったことだけど、迷信は時に強く作用する。多数が集まって、言いたいことを言い合って収集がつかないだろう!?と息まくなら、それはむしろ、その集まりに集まった一人一人が合議に必要な素養を欠いているからだと断言できるわけだ。公(おおやけ)発想を芯のところで感応できる素養を身に着けていないと議論は拡散しがちになる。自分はこう思うは、だれもがいちもつを持つわけだから、話はちらかるとか、ムードに合わせて単一へと収れんさせもする。けれど異論も残る。
 そこらを面倒くさがる土地柄では、懸案それぞれに市場を想定して、市場のふるいに任せる。すると時間が解決してくれる。とりあえず争論における勝ち負けの結果が生じて、勝っただれかに仕切らせる。他は他で別の争点をめぐって争論が生じているしそれも時間任せだ。争論の一つのサイクルが終わって、でもまもなく解決案の賞味期限が来て、勝敗の黒白の決着を求める!とばかり争う時間を要して、また一時的決着を得る。他は他で別のサイクルを生んでいるし、相互に絡み合っても来る。そして時間任せで過程での悲惨などどこ吹く風の立場が一方でそこらを観戦しつづけている、といったところ。

 高密度に地点地点に達する必要を持っているだれかにとっては、空いている道路網を自動車を走らせて回れれば、すんなりこなせそうだ。
 自らが運転することは安全性ほかの事情から避けたいけれど、遠くの各所に目的地を持つようなだれかの場合、鉄道やバスやの連繋的利用が物を言ってくれる。
 この場合、到着後の更にもう少し動いて目的地に達するということは珍しくないから、その距離をいかに埋めうるかが交通手段として問題になる。
 健康のためにも歩くとか、走ると、自転車でとかが可能なタイプもいらっしゃれば、バスで途中まで行って、そこから・・となるかもしれないけれど、そこを埋めるバスの類が廃止になっているとか便数が少ないとかが重なると、それまでの利便性が一気に失われてしまう。
 しっかり老後に向けて働いてきた諸氏ならば、それなりの蓄えをお持ちなのが列島環境だ。そして騙されて出費したりの事件も起こる。そんな出費で苦労するよりも、自らの老後に目的とか張り合いの対象を持って出費できると、その出費という行為自体が元気の素にもなったりするのがヒトの生理だ。狩猟とか、農耕とか働き掛けて(エネルギーを出費して)得ることの充実感は、元気の素だ。
 そういうお年寄りが膨大に居る列島なのだから、ちょっと出かけて、それなりに数日間とか数か月とか楽しんで、帰宅して、今度はどこへ行こうかとか考えたりも、元気のまま老いる足しに十分になってくれそうだ。
 ここらの世間的像は、若者たちにとっても、ちょっと余分に稼いでおいて、老後の長年月に使い切って楽しんでしまうぞ、くらいの予想をちょっとくらいは提供する。
 介護関係者は手持無沙汰にしがちにするかもしれないけれど、それはそれで・・、という話にできそうだ。
 そんなだったらと、海外の諸氏もネットで見つけて、列島各地に遊びに来られるかもしれない。混在しない程度の塩梅役を旅行業者とか宿泊業者とか観光地の若手の集まりとかが工夫してくれれば、それなりに各地が潤うし、旅行者諸氏も恵比須(エビス)顔で帰国できる。

 自然災害対応とか兵器産業とかへの支出問題を織り交ぜて実際の話に出来る辺りは、機会があったら、で、識者諸氏こそが、より多くを傾けるのはそこだから、他は、ということの論を、物騒な一面も持つ今時なので、展開してもらいたいところだ。

 

  川柳もどき

   列島環境は澱(よど)ませない 揺れるし 吹き飛ばすし 流し去る
    時には覆(おお)いつくす 小さい生き物や鳥やが植物をもたらすし
    見えないからいいけれど ウイルスや微生物だらけだし

 

 

連載は続く~ SF 掌編『介護話。実態はともかく、おおよそのこと』編


 膝痛も介護職にとっては身近なことばだ。
 なにげに衰えを実感されるような体験が時に繰り返されるようになった頃、どうして?と振り返ってみたものの、手遅れ、というのが膝痛人生にはありがちと察する。
 立ち仕事は無理を繰り返せば、それなりに自覚的膝痛を経験させる。
 だからって、老年期に常態としての膝痛を招くわけではない。
 確かに古傷が老年期に慢性的な苦痛源となることは多くの諸氏が語る。
 けれども、若い頃の無理であってもそれなりに若さゆえに解消してしまうこともしばしばだ。
 ところが、膝痛はだれかしらに必ずやってくる。
 多くの諸氏において歩く生活を思い返せそうだ。だから苦痛を伴う立ち仕事の類はその相対的な負荷ということで区別して認識できそうにも思える。
 同じような生活を繰り返しただれかたちが同じように膝痛を抱えることになったのかどうか。
 今時はビッグデータ処理云々とか様々にデータ処理の巧みが喧伝されるけれど、たった膝痛一つとってもそれらしい生活習慣とかその他、データから探れる原因追求の試みの公表頻度は寂しい限りだ。
 専門筋では為されているのかもしれないが、一般の生活習慣注意報に使えそうな形での発信は乏しいままだ。
 介護職諸氏からする見た目の印象は太り気味の諸氏における膝への負荷をずっと耐えてきたゆえの膝痛発症、といった辺りではないか、と素人からは仮説させる。
 男女比も出てきそうだ。女性に目立つ。
 だから肉体の人生年月上の準備如何が関わっているのかも、の想像は働くけれど、実際はどうか。そこらの統計から探れる、かゆいところに手が届く発信は希薄だ。
 同じ体重負荷でもその膝への影響度合いが違ってくる条件。
 長い目で見た場合の原因追求はあいまいにさせがちだけど、一端膝痛を発症するとそうなる以前の生活習慣の活発度を仕方なく消極的にさせざるをえなくする。それくらい生活習慣への影響は濃い。諸氏におけるご想像の通り、膝痛諸氏にとっては一種の悪循環が始まる。動きに消極的にならざるをえず、カロリー消費に通じる動作を怠りがちにして、でもそれまでの食欲は惰性のままだから、(過去の元気さがこなす)飲食旺盛の状態も継続させる。
 少しずつ体重が増える。膝痛は解消しない。暇をもてあましてつい・・・。
 糖尿病を患った諸氏の大変度合いとは比べ物にならないと、勝手なことを言ってしまうけれど、やはりこの悪循環も持てる可能性を台無しにしがちにする。
 脳梗塞な諸氏の見た目が大変そうなのと比べて糖尿な諸氏は一見、うなだれてそうくらいで、なんとかなるんじゃない、程度に受け流せる印象だけど、体も心もボロボロになっていくのが辛い糖尿病をわずらってしかも透析などに行き着いた諸氏の実際だ。
 脳梗塞な諸氏は、再発しない診察の巧みが並行できていれば、そういうタイプゆえのもともと活発系な諸氏もいらっしゃって、それなりのパワーを秘めさせながら晩年を送れる。ただし、再発しやすい症状タイプも当然あるので、そういう諸氏の突然の変化も充分に起こりうる。
 更に膝痛諸氏は見た目元気そうで動くことに段々臆病になっていく。
 ヒトは競技系の凄い連中のような活発な動きは特に必要としない(狩猟が必須ではないから)。ぷらぷら程度充分だ。でもマグロじゃないが、いつでも動いていたほうが漢方的な意味からの元気な状態を保ち易い。不思議だけで、多分そうだ。
 そこを膝痛が邪魔する。個々の生き方の勝手には違いないけれど、ご自身の老いとともに膝痛が負荷となっては元も子もないと介護現場とかでの見聞も含めて、指摘できそうに素人老人にとっては思える。
 若い頃から、生活習慣として、メタボ、太りすぎに注意するに越したことはなさそうだ。
 ただし心身"貯金"と勝手なことばを使ってしまうけれど、それなりに蓄積もしておいたほうがいいとも思え、やせすぎでの長年月を耐えて続けることもまた不必要と察する。
 膝痛後を、メタボの諸氏がニュースには必ずかなりの人数で登場するUSの事情をネットにてざっと調べてみた。すると、USにおいては、人工関節技というのがより使われているとのこと。人工関節も改良されてきて長年月もつようになっている。長生きタイプ諸氏でも一度つけて、もう一度くらいで済むくらいの耐用年数だ。もっと長生きする諸氏では更にもう一度の3回、人工関節を新調することになりそうだ。
 保険ほかでの工面が可能としても実質の費用はばかにならない対応ということになる。民主主義を標榜するお国柄だから貧富に関わらず押しなべてそのお世話になって快適な老後を送れそうだ。
 列島では、痛み止め策=薬対応、がもっぱらか。
 余程のお金にゆとりのあるごく限られた諸氏においては、二度くらいならなんとかで、人工関節にする諸氏もおられそうだ。ただし、現状、実験的要素も伴っているはずだ。
 列島の人々、USの人々、どちらにしても、メタボ、太りすぎを回避できるような生活習慣の巧みを取り込んで、快適な生活の継続性を試行・志向できたほうが、多分、ご自分にとっても、ご一緒のだれかたちにとっても幸せに通じるように思える。


 民主主義対専制ということで、民主主義っぽさを際立たせるやり方で一応治めてきた20世紀後半から21世紀初頭をひとまず押さえて、でそれがこれからも通用するなら、だれもがそれに慣れる事の選択的有意を持ち続けられる。
 けれども、素人老人にとっての列島古代史探索から知りうる、まとまり感を共有しあえることの困難と、生活を自発的な欲動の下、秩序形成も含めてこなし合える元気度の保持を台無しにするような作為とを回避し合いながら、集団の営みの試行錯誤を継続し続けることは大変なことだな、と素人的には思わせられる。
 現にEUというまとまり感が揺さぶられ続けている。
 USは戦争とか危険頼りの、頼りない一体感一時的造作でやりくりしてきた感じだ。
 今想起させやすい民主主義の構成要素には、帝王学を伝承できたタイプの個々人が、その中の一人一人として、構成できているようなやりくりがイメージされているし、それを言わないことにして、民主主義の貴重さだけ喧伝されがちにしている。
 だからいざ民主主義っぽいパフォーマンスの場を仕立てれば、即、(明確な利害が発散して)騒乱の場と化しやすい、ないし、しらけた場を形成されがちにする((US流選挙での戸別訪問運動形態も含めて)煩く言う連中だけでやっとけぇーっ!)。
 実際に動いてる様は参入自由度を保たせながら、勝者に仕切らせろを通させるやり方だ。勝者を生むやり方は多数決ばかりではない。これも様々だ。多数決の(民主主義理念的には)矛盾が生じて困る辺りはだれもが知っている。
 世界的な情勢として、あからさまに専制を行使して対比して、これよりはましだろ?はないと、(老体からは)思いたい。実際的に民主主義を営むやり方を模索し続けてくれたほうが、宣伝に熱中して、巷の困惑を省みない政治のやりくりよりはどれほどいいことか。

 どういう巷の層序地点においてか、序列感を複数が感じ取れば、そこでの忖度行使がだれかしらから生じて、ちょっとだけ将来に向けた模索の辺りは棚上げ状態となって、そこでの政治的やりくりにだれそれと構成員諸氏を巻き込ませがちにするのが、ありがちなヒトにおける姿とも素人老人は指摘してみたい。
 そこらは超大国US由来の世論工作の長年月の結果と見ることもできるし、それを知りながら回避し損ねてきた工夫の足りなさを指摘することもできそうだ。
 ただ反発して見せてもなんの役にも立たないし、返ってその効果の方に利用されてしまう。そういう難しさが含まれるのが世論工作熟練技だ。
 それについても遠慮としては悪意がない可能性もありうる。でもだ、その企みを仕切る人々の企みそのものがあからさまに検討できる場にさらされる機会が生じるようなことになれば、多分、違った考えもたっぷり噴出するはずだ。しかも、そういう事態、混乱の場を避けたいが為に、世論工作は続行されもする。
 そして民主主義ということばだけが独り歩きし続けやすくする。
 しかも対比的な宣伝に使われる否定的現象とごいっしょだ。
 どちらを選ぶの?というわけだ。
 ハッキリ言って大人のすることではなさそうだな、くらいは素人老人であっても指摘可能。
 最初の話題とも関わるけれど、列島の中央集権の試みは、第一次試行は官主導ともたとえられそうだけど、7世紀半ばから10世紀末(指標として貿易など)に終わった。
 倉本著『平氏』('22.7 中公新書)でも紹介されているように、とても有力な層(天皇系の皇位を離脱した脈、藤原氏平氏、源氏)が地方に根を張ることをはじめてもいた。特に藤原氏天皇系の脈を取り巻くように必ず周囲を固めている(村町市名)。
 それぞれの土地柄において仕切り役は自分たちだと息巻く勢力間には争いを持ち込む形で、中央からのそれらが抜きん出る。そういうリアルを紹介されている。
 広瀬本発想で人名事典をめくって事態を追えれば、地表面各地の少々くらいなら、そういったことを探れるわけだ。ただし、学者諸氏のように余程しつこく調べ尽くす作業を億劫がらずにこなすことが肝心となる。素人ではそこまで追いきれそうにない。大体はわかって予想がつく程度だ。
 それでも、面子とかどちらがよりさまざまに"実存"とも交流させる類の事情に通じてるかとかの割り切れなさとかが介在して、戦国のような争いごとも避けられなくする。
 でも歴史にはもしもが可能だ。
 そこからたっぷり学べる。
 中央の知見、はぐれざるとは言え、それなりの理念を鍛(きた)えた脈、そして地元勢とが、その持つ知見を持ち寄って徹夜続きでもへこたれないパワーでもって更なるアイデアをひねり出せるようなことがあれば、その土地を誰に任せるかは、自ずからその付き合いの中で、人格検証を経ているから見えてきてしまう。だれかを選ぶ、アイデアは散々話し合って、絞り込めている。どう材料、ヒトを捻出できるか、そこは、既存では足りない場合、更なる工夫とかアイデアが求められそうだ。でも、そうなっても、お互いが熟知の状態だから、遠慮なく、だれかれとアイデアを試案として持ち出しあえる。
 その中から実際的に選び出せる。
 ただそうやって時間を費やしているところへ、部外者の煩型が突如参入したがる、ということもごく稀には起こりうるから、そういうことまで含めて、集団の営みの動態は構想できていることが必要そうだ。それでも多分足りないだろうね、と更なる事態理解を得ている諸氏こそが、そこらの次代へむけた提案として、具体的に発信してくれそうだ。
 世界の巷も同様と察する。
 自分たちのアイデアこそ卓越している。だから、これを押し付けるしかない、と思い込んで、むちゃくちゃにしがちだったこれまでの歴史に、転換を求めることができる。求めるだけではなくて、やり方への工夫のちょっとしたヒント程度が持ち出せる時期になった。


  川柳もどき

   地道な策が支えていることは間違いないけれど 愚策も目立つ だからか 台風までも臍(へそ)曲げて まるで梅雨のような台風一過
   梅雨ならば ふわっと過ぎ去る 艶やかな姿 今は秋

連載は続く~SF掌編『地球ネットワーク話の一端』編


 台風という自然の現象は馬鹿にならない。
 見た目、台風の目が崩れ去って、霞たなびくの感じただよわせていようが、実際に近づいてきて体験する風の強さは、普段とは違うぞ、くらいのことは起こる。
 ついでに雨を伴うときもあるのだから、大げさな一本調子の天気予報ことばが採用されない限りで、それなりに予報が含ませる注意報の辺りは参考にできる。
 今回の14号については、素人老人、ほんの少しだけ調べてみた。
 放送大学の気象の講座を一瞬流したくらいでしか気象を学んでいないため、世の気象通諸氏からすればわかりきった事柄のはずだけど、当方タイプも沢山おられると思えるので参考まで。
 台風14号は、台風11号が地ならしし、更に追加の12号の地ならしの後を通過している。
 なぜ11、12号にふれたかというと、その昔森田氏の気象ヒント発信における海水面温度知見は台風の際必ず参照するようにしているから。
 9月4日から5日にかけて激変していた。
 そこらについては気象庁の解説ページがわかりやすい。

https://www.data.jma.go.jp/gmd/kaiyou/data/db/kaikyo/knowledge/taifuu_suionteika.html
ホーム > 知識・解説 > 海水温・海流の知識 > 台風による水温低下

実際のデータ(色彩図)は以下
https://www.data.jma.go.jp/gmd/kaiyou/shindan/index_sst.html
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日ごとの図を動画表示も可能なので、9月の頭のところからこの21日頃までを動かして見てみてください。

 その結果と素人判断にはなるけれど、屋久島に届いたころには、台風の目がうやむやになりだしていた。
 北九州市辺りに中心域が届いたころには形がかなり乱れ始めていた。
 ここらの原因も良く知らていて、ジェット気流が関わっている。
 水蒸気流図はそこらが非常にわかりやすい。
 その流れが川でいえば本流で、それにつられて台風の巻き込みが見た目ほどけて北の方の流れは巻き込むよりも気流に流されてむしろ逆に流れ出し始めている。
 で素人は以前、一度は、その形の乱れが台風の風の弱さと連係してくれたので、そういうものと一度だけ思い込んだけれど、次に観察し続ける機会を得たとき、断続的に強い風を伴っていたことがあり、上記のようなことばを通常はもちいることに切り替えた。
 今は、だから、大雑把な解像度の画像からは見出せない、気流の様々が実はそこに息づいているあたりの気象解説を普通に発信してくれないかとか期待している。
 すると、準備を継続する必要の或る時と、多少、油断した準備でも大丈夫な時くらいの使い分けが可能になり、仕事持ちの諸氏にとっては有効だと思える。
 ちなみに、対流圏とかその上層、中層ということばが出てきて、具体的には?が即はわかりづらい文章だったので、他でちょっと調べて、直接的ではないですが、参考程度に。
  対流圏(0-11km)
  で中層が5㎞程の高さとして上層をイメージしてもらえれば。
  台風も対流圏内の出来事なので、上の限界が対流圏の範囲に収まる。
広がりと厚さを取り込んだ水蒸気流図(ひまわり画像)は何を映してくれているのか、の解説は以下

https://www.data.jma.go.jp/mscweb/ja/prod/band_wv.html
TOP > 画像活用 > 観測画像の特性 > 水蒸気画像の特徴

 今回の台風は予報の通り大きい台風だったけれど、それが崩れていくのも急だった。
 多分、素人考えに過ぎないけれど、目がくっきりの状態できたら、相当なことにはなっていたと(素人考えだけど)そう思えるが、それが弱って、それでもかなりの被害は生じさせた。その事象へのことばの用い方の変化の工夫は、これからの為にも必要と素人だけど指摘したくさせる。
 台風とか関係ないけれど、最近の気象にかんする情報発信には、かつての気象について直観を応用できるようにする知見が結構沢山あって、それなりに便利だった。ちょっと昔だと多分川とか沼で釣りをやっている連中の方が天気予報よりも地元予報は当たっていたと回想する。
 今時は精度が凄いので、だけど体感からより身近な予測をしたくなるのがヒトの動物性だから、そこらを受け止めてかどうか、雲の色や動きとかの読みの参考になる言葉発信も盛んのようだ。ここらは興味深い。


 さて列島古代史話のつづき。
 古代史や列島の歴史全般に関心以上に専門的に興味を持つ諸氏がそれなりにいらっしゃったとして、列島の中央集権のあり方について、あたかも文書扱いを下敷きにした行政が確立していたかのような国家ということばを使いまわして固定化してしまう先輩諸氏がかえって制約を固く施すようなことにして、その呪縛故、考古ほかの事実事項の置き所をさまよわせるようなことにしていないだろうか。
 ごく専門家諸氏の研究を勘違いさせるのが古墳の分布ではないか、と素人は推測した。
 きっと強大な中央集権の力が作用して、それなりの今の行政イメージからもそう遠くないやりくりが誕生していたのだと思いたくなる。、見做したくなる。
 しかし、素人からすると、そういう各地がありえたなら、当然あってはならない雑な地方統治の在り様が前提としてもちだせる事件が多すぎやしないか。六国史で終わるその流れの中でのほころび方は、間違っても文書扱いになれてこなれた地方、中央関係の濃密な関係ネットワークが息づいて情報やりくりも経た機能が動いていたとは思えない。
 では古墳の分布は何を語っているのだろう。
 考古の時代特定については、IntCal20という改良版まで登場して、精度の良いIntCal13すら年代によっては修正が必要になるくらいになっている。
 つまり既存の年代測定データは改めてまとめて同じ基準に基づいて測りなおす必要があり、最新のIntCal20採用が欠かせそうにない。
 しかも、素材についてもけちることなく、勘違いが紛れ込まないように調べる素材の選定まで工夫する必要がありそうだ。
 そうすることで、IntCal20に基づく年表くらいは出来る。あくまでも厳密にはIntCal20に基づく年代特定ということになる。でも横ならばい上の精度はかなりと判断できる。
 そして調べられる素材が経年劣化し去る前の貴重な現代において、研究者、宮内庁ほかの貴重な資料を守り抜いてきた諸氏の協力の下、なんとか、IntCal20年代特定を成してもらえそうだ。
 * 水月湖の年縞については多くにとって既知のはずだが、IntCalについては、ご存じなかった諸氏もおられるかもしれない。当方はつい先日、九州説の発信で知ったばかりで、そこからほんのちょっとだけネットで調べてみた。水月湖のページ(福井県年縞博物館)で音声の解説ありで、わかりやすい。


  川柳もどき

   台風一過 シクラメンを掘り出す ちょっと寒いか食のすすまぬメダカたち

連載は続く~SF掌編『前回の補足として列島事情など』編


 今時の列島マスメディア・政党政治状況へ一言。
 事件が起きたその日か、次の日か、首相がテレビ画面内でインタヴューに答えていた。
 色々事件現場とか経過とか押さえつつ、問題など指摘、整理しながらの中でのことだ。
 そして最後の方で、視聴者からのご意見ですが、と読み始めた。
 その内容は、吉田首相ならば元首相を国葬にしますか?という内容だった。
 しかもそれ一通のみ紹介された。
 これってなに?とだれもが疑問に思える構成となっていたわけです。
 ネットで事後の決定について賛否でもめているようですが、素人老人的時代状況を押さえたうえでの提案となりますが、ネット使いな情報扱い上手の諸氏においてならば、必ず、この番組での段どりを意図して作った人物が特定できる。
 この特定された人物(複数人いるかもしれず)に、この際、是非視聴者の前に出てもらって、大っぴらな海外記者会見のような仕立てを用意して、質問を投げかけるところまで持っていけそうではないか。
 その演出を、お!利用しちまえ!で受け止めるか、そういう圧まであるのかならば、受けるしかないか・・で受けるのか、受け取っておきましょ。答えは今出せませんよ、で流すかなどなど、本人次第だったのは事実だろうけれど、そういう誘いを意図的に使う状況的判断は、意図の奥まで探りたくさせる、というか、丸出しなわけだ。
 学者諸氏においても、そういう誘いかけ以前、状況的な圧が働くことを、多くが指摘されている。それに加えて、散々状況説明して圧をかけておいて(脂汗表情)、視聴者からのご意見としてとそれのみ紹介する手口はなんとも・・・・。と素人老人世代的には思える。

 与野党込みでこのきっかけ問題を論じ合って、なんとか、お互いが飲める工夫を首相が初心にかえって為せるかどうかは、ご本人次第。

 今回は短く補足まで。


* 列島政治状況はUS超大国との関係だ。そしてなぜか超大国のUSは巷での争いをよして平和な活動しやすい状況を共有しようという発想ではなくて、巷の要素間に争いを生じさせて扱いやすくする手法を採用しがちで来た。
 だからその要員は各所になんらかの動機づけを経て属していらっしゃる。
 要員でなくても、キャラとかから適当に煽られたり、囁(ささや)かれたりして、その役を結果的に担ってしまうだれかも登場しやすい。
 つまり見た目参加大歓迎の方式だから一見民主主義が活性しているように見えてしまうというおまけまでついてくる。でもUS超大国の実力は民主主義の実際的運用力にまでは至っていなかったわけだ。それでもリーダーとしての権威を失うわけにはいかないから、苦労している。それにUSにだって指摘済だけど三方良し発想の元気な諸氏も継承し続けている。だけど今時の表舞台を張っているのは、市場原理発想(だけどトリックをトリックではなくして民主主義信奉者と思い込めている)で金融膨らし粉効果依存な諸氏が占めがちにしているように伺える。
 いたずらに与野党対立の争点をマスメディア経由、ジャーナリズム経由で煽られがちにする。近代化は志向においてお互い様が基本だから、ズル・脅迫・暴力はいけないので、そこらの情報発信はいつでも貴重なことになるけれど、その先については、専門筋の互助の問題に属する。

連載は続く~SF掌編『スパイゲームその後・・・台風一過の先取り』編

 

* 『スパイゲーム』:『エネミーオブアメリカ』の監督であるトニー・スコット氏の作品


 大げさには世界政治の水面下渦巻く諜報からみのすったもんだや、覇権をめぐるシリアスだけどそれなりの工夫を交叉させつつ暗闇を下敷きにしたドラマ・映画の類のシナリオを準備するためにとりあえずその設計図を、と試み始めて、力不足にはすぐ気付けて、ともかくあらすじ程度なら素人にもできるだろうとつたなく文字にし始めた辺りを想像していただいて、以下、リアルっぽい舞台を借景よろしくいただきながらそれらしい話を。

 作者、囲碁・将棋の類を実に苦手の一つとするようなタイプなため、そのリアルを引用するにあたって、更に、更に深読みして、多段の仕掛けゆえに、一見暴力沙汰を呼び込むような、煽りの感触を得るような場面であっても、実は、多段の一つとして、それを経て、円満解決へと実は誘っている仕掛けだった、という辺りへの言及は弱い。
 それは危険だ、と短気に思い込んで、それへの代替を発案できた気になっている可能性も多々登場させかねない。そこらは注意していただけるとありがたい。

 そこらの象徴的現象をだから先に指摘してみる。
 USのブリンケン氏はぐるぐると煽って回っているんじゃないか、とその軽薄な姿勢に多少、やつを止めれば多少はこの世の中、落ちつきをとりもどせるのかも・・・などきわどい映画を見てスリルを味わっている観客的感受の辺りを、わかりやすい事例として持ち出せる。本当は、きっと多段の構えを準備していて、最終決着は、三方良しの好(よ)きUS映画の円満解決シーンが待っているという予想も十分にありうる。

 何度も持ち出すことになるけれど、昔の帝国唐の高宗、武則天両氏の頃の発想は、各地に目を配って、帝国域でもめごとを起こすのは止めにしてくれ、その上で活発なヒトの営みを実践していこうじゃないか、と基本からの他国への関与だった。
 今時のUS帝国の発想はその逆で、というか自信を失(な)くしたか、アイデア喪失状態なのか、手ごろな手段として有名な、各要素間に争いごとの種を撒いて、適当に騒乱させて、中央が制御しきれない様を見せびらかす事態となる前に、各地でもめごとをその要素間で制御し合うことでエネルギーを浪費させてしまうやり方を選びがちにしている。
 だから日々、ニュースにはそういったもめごとか、もめごとを予想した危機管理めいた話題が底流を為しがちにする。
 高宗・武則天両氏にとっての発想からすると、US帝国は小国の一種か?と思わせかねないわけだ。

 冷戦以前からUSSR・USはごいっしょだった。US帝国の力不足を補うUSSRだった。
 立派なパートナーだ。
 ただし・・・USが月へ行ってきたと自慢すれば、USSRはちょっと地球上の高高度までロケットで行って長時間滞在してから帰ってきて、そのパイロットが他人の力を借りてやっとよろけて歩く様を即座に映像提供するくらいの英国流しゃれっ気を行使するくらいの相手でもありえた。

 その代理戦争が酷い事態を生むようになってしまう。
 更に、諜報利害は左右中の思想的な理解をはるかに超える残酷な事態を各地で生じさせてしまう。

 そういうヤバいことに加担した人脈の一方で、その昔から、列島に限らず三方良しの発想は育まれていて、USでのメジャーな経営思想にもそういう一派はありえた。
 ただ帝国支配の構造上、一方が民主主義でもう一方は専制的ないり統制的な典型を表示し合う必要があった。
 そのために、一般人は相当に苦しめられてきた。
 帝国支配が19、20世紀と経験を積んでより一般にとっての済みやすい帝国下のグローバルな生活を実現させるはずが、各地間に格差を拡大させ、しかも各地内での格差はそれ以上に生じさせるような、答え先取りだけど、「"金融膨らし粉"経済」の罠にはまってしまっている。
 基軸通貨ドルの発行残高が一応の実際的制約となりそうなところを、一時的な、ないし瞬間的な株売買や、金融取引でのテクニックが、膨大なバブル現象をもたらす。
 それらの活動が一方が儲けるなら、他のどこかが帳尻が合うように、損を計上させているはずだ、ということの時差問題が、実に使いやすいことになって、膨大量の余力、バブルを生じさせるようになってしまった。しかもそれに慣れてしまって、半世紀が過ぎている。

 そこらは、間違いなくUS帝国のグローバル環境落ち着かせ手段だ。
 日米で膨大な消費を生じさせることも一時やってのけたかもしれないが、人口的な膨大さから中国が出てこないわけがなかった。
 どこの国々も、多少豊かになれば、落ち着いて財布と相談する生活に入る。子育ては費用的に馬鹿にならない。だけど子供も欲しい。落ち着くところは少子化となりやすい。
 そういう諸国が豊かで、子だくさんの諸国は貧しい。
 中国もこれから、一時的に少子化の結果を引き受ける時期を迎えることになる。
 欧米の主だった諸国は、そのツケというと誤解も招きかねないけれど、ちょっとはありそうだから、そう指摘しておいて、移民頼み、海外他国からの出稼ぎ頼りのような生活空間を成している。決してきれいごとの方の理屈が通った話ではなさそうだ。
 しかも高エネルギー消費が支える日常生活・社会態ということで、稼ぎ方のこの先の工夫を間違えると先細りまっしぐらすら危惧される。
 資源国でもあるUS帝国はそこらが慢心の余地ありで、油断していても、未だ、その結果が現れるには相当の年月が要るから、数世代先という話でも未だ、危ないとかで脅すことすら不可能だ。
 でも、民主主義っぽく振舞える間だけより多くの国々から指示を得られるタイプの承認で成り立っている構造も見えてきて、っぽくの実相が露(あらわ)になる前になんとかしておこうのその先のヴィジョンの中身がなんなのか、各地がわかりたがっているくらい、世の中、危なっかしいUS帝国を心配気(げ)に見ている。
 そうはいっても中国とかロシア(旧ソ連邦の一部)が未だに情報統制タイプ依存ということで、競争相手としては情けない状態を保持してくれているので、以外に慢心をほどく機会を失している感じだ。
 実際、情報統制は、どの土地柄でもマスメディアを育てているような所では使いこなしている。まったく使いこなしている。
 使いこなし方においては、US帝国の民主主義っぽさを発揮させている、市場原理主義(その思想的、思考基盤が弁証法なわけで、だから19,20世紀の思想のどよめきを引きずるどの思想系統(左右中他)においても、その思考癖から市場原理主義に反対だろうが賛成だろうがファン心理に誘いこまれやすく、内心すぐに(商売敵としての)敵(か同じ利益集団内に属している)味方での選別を志向してしまうように悪癖が社会的に育つ過程で身についてしまうわけだ)。マスメディアのことばの達人たちですら、というか、達人たちだからか、ファン心理に誘いこむことばの技を輝くように用いるように内面化してしまう。
 それに嫌気がさした多くの人々がインターネットのおしゃべり空間に逃げ延びたのも束の間、どう煽ればの手法に熟知したUS帝国のインターネット酷使部門は日々というかミリ秒単位よりも小刻みに、ささやき続けている始末だ。
 だからUS帝国とごいっしょグループは、黄昏の帝国と濃密接触による感染も仕方なしで、陰陽両面と深く関わらせられている。
 もちろん、今のEUがわかりやすいのだが、と一括りな活動態となると、妙な事象に出くわした時に、その昔ならば、ドイツの事情とか、イタリアの事情とか、フランスの事情とかで、オルタナティヴがいくらでも可能な政治の熟練度合いをお披露目出来のだけど、今時だと、EUの決定を尊重することで生まれるEUの権威問題があるはずだから、表向きは中々達人技の饗宴という舞台を演出することはむずかしい。
 そこに煽り役のブリンケン氏がなにかと口出しして回っている。
 ブリンケン氏の役柄がドラマのようにもう少しわかりやすく紹介してくれるだれかが、統制されやすい自称民主主義諸国、自他共に認める統制諸国のどこからかいてもらえると、一般にとっては見晴らしが効くかも、と一種の幻かもしれないが、一呼吸くらいはつく。

 一般的に帝国支配は、市場を提供して持ち出し覚悟が要る。そのために永続性を欠く。
 いつかは代替えが必要になる。その時期をスケジュールに出来ていて、US帝国、一般には公表できない動きの一つが煽り役の闊歩現象なのだろうか?
 とりあえず消費国でもあり、相対的に安いし品質も保てる商品の供給先でもある中国という膨大人口国への期待が、頼れる相手としての承認までの経路つくりとして、US帝国が選んだ道・経路なのだろうか?
 しかし、情報統制のあり方は相当に下手だ、と率直に中国やロシアの今には指摘できる。
 法治と世論とを巧みに使い分けて、統制なのに統制よりは自分たちでやりくりしてそうに誘うやり方は既知のことだ。だから中国やロシアが真似ようとすればそう難しいことはないはずだ。
 ただ、恐らく、市場原理主義を民主主義っぽくみせる手法の部分にも気付いているのが中国・ロシアと思えるので、US帝国をヨイショする必要性の一方で、オルタナティヴに打って出る場合、US帝国もいっしょに加勢に回るはずだとしても、同じ過ちを犯せば先のどんづまりはより早く訪れるだろうくらいは、多分、予想できていて、そこらで今、この現在においては試行錯誤のその先を読みあぐねてそうだ。
 EUもUS帝国を支える要素役を引き受けるうえでは、余計なことはできない。
 ヨイショ役をこなす必要を近代市民社会試行錯誤の過程を共有する友として忘れるわけにはいかない。でも・・、すでに力尽きて、それでも老体に鞭打って頑張っているようなUS帝国を応援しないわけがないだろう、という所だ。
 でも惰性のままだと共倒れだ。ここらは間違いない。どうする。
 US帝国はダメだとはいえ、資源大国だから、持つ。当分持つ。EUというまとまりは、弱体だ。むしろ助けてもらいたい方だ。
 しかも、理念上の欧米という立場、理念の発信源としての権威を失っては秩序維持とも関わる。仕切り続ける実態を表現し続けないと、という強迫観念に覆(おお)われてしまう。
 にも関わらず、理念は理念、実際は実際、ということで、グローバルには大変な境遇の土地柄だらけだ。
 資金循環を生めないだけで、改良アイデアを実際化できない土地柄もあれば、昔ながらの頑固者が自分の面子、自勢力の面子を高みにして、工夫すればいくらでも生活を改善できるというだれかたちの話に耳を貸さないだけで困った事態を保ち続けているような土地柄だってありそうだし、今の秩序系発信源のUS帝国グローバルモデルがそもそも格差要因を持ち込ませている可能性だった各所にありそうだ(金融膨らし粉手法)。一方で、金融膨らし粉手法の瞬間的余剰を投じて、たまたま施設化できて、将来のメンテナンスや作り変えやの心配を忘れれば、当面の使いこなしに関心を注げる、そういう土地柄や、これまで研究費の獲得に法人化後、苦労してきたのに、なぜか金周りが良くなって色々研究できるようになったという土地柄もありそうだ。
 そうやって共犯関係を作る帝国支配安定化策も、大昔の高宗・武則天両氏の発想とは隔絶しているわけだ。
 世界国家の代表ということではない、リアルが、中途半端な様々な苦労を生じさせることは素人でも気付ける。
 けれども、帝国は仮想グローバル国家の代表として持ち出し覚悟での任期を全うできる必要がある。
 万が一にしか役立たないかもで理屈上の説得は大変だったかもしれないけれど、列島企業の内部留保は確かに万が一のコロナ禍をやり過ごすのに一定の役割をこなすことになった。
 ヒトの巨大集団を営む上での叡智"帝国"知見もその志向の含み次第では、かえって世の中を不安に誘う。
 各所が太っ腹を誇って人気取りすれば、即破綻だけど、実力をつけたうえで帝国役を担えれば、そして思慮もそれなりのを準備できていれば、次世代を準備できる間を十分に担いうる。
 ただヨイショ役がこれまでのように情報統制の下手なやり方を採用し続けるようなことは避けたい。
 市場原理主義発想での労働市場はUSのようになってしまう。不健全だ。
 でも、必要な物、サービスに向けてそこへ仕事を担う人が過不足なく集まれる仕組みはいつでも必須だ。
 そのことの結果は、作った結果が不必要なものの大量ゴミ出しということを生じさせにくくする。
 システムを設計することに長けていると思い込めているなら、各要素における時差の影響度合いの峻別を性質込みで整理できる手法の発明だ。
 しかもそれらを必要に応じて合成して、ある製品と関わる過程について、時差要素の影響度を各過程、各要素ごとに計算可能にして、そこへヒトというリアルにとっての時間要素の影響関係を織り込めれば、無理のない雇用と生産の仕組みを柔軟に改良し続けられる。
 製造機械のソフトウエアにおけるライブラリ内の要素ブロックのように、機能ごとに組み合わせられるとかで汎用的な使いまわしすら可能にできる。メンテナンス上手が組めば、より安定的に長期間使い続けられるかもしれない。
 つなげることの必要条件に応じたつなぎ方、つながり方が可能な部分化の想像力も必須になる。
 人口減の趨勢を避けられないとするならば、いつも新製品を作り続けるということではなくて、限られたヒトをより需給観測が工夫されて、必要度合を中長期に観測できるようになっていて、その上で安定的雇用機会を得て、落ち着いた生活条件を得られやすくするような営みへと誘いやすくする。

 高品質な物・サービスが超高給取り諸氏によって担われているというのではない、夢のような世の中が"復活"すれば、欧米流の失敗に載らないで、更に欧米の諸氏にもオルタナティヴとして一応紹介はできそうだ。
 US帝国の発想はそこに失敗要素を秘めていたわけだ。高く売って勝者になりなさいと誘いけしかけてきたわけだ。どっちみち、その勝者だって、次の勝者にとって敗者として淘汰され続ける。おごれるものは久しからずで、世の中に傲慢かまして迷惑をかけ続けることはない。市場に任せておけば済むことだ、方式だ。
 それが世の中のサービス・質の低い方での均質化を蔓延させ、適度にゆとりのある層のみその恩恵を一時味わえるタイプに常態化させてしまう。そこらの落とし穴に事前には気付けなかったようだ。
 列島では相当に高度な技能を持った職人が城下町とかのお金の落ちるところで育っていた。だから一面、大儲けする層もいたけれど、つましく暮らして、だけど技能がとびぬけていたようなタイプ諸氏もちゃぶ台を囲んでどなりちらしていたかどうかはわからないけれど、子供たちと食事くらいはしていた。
 それが昭和という時代ころまではなんとか大勢巷にいらっしゃった。列島の人々でも老人層までは、そこらを知っている。その子供たち(平成・令和生まれ)は、2000年代にはじまったしゃれた作りの家、屋敷に住み慣れて、その暮らしやすさ如何がハッキリするのは、数十年後だから、どうなんだろう。
 でも、しゃれているだけではなくて、長持ちするとか、堅牢とか、使い勝手が良いとか、色々工夫されてそうなので、職人仕事がやってのけた部分は経験できないとしても、他で結構満足できるという可能性もありうる。
 遮断性が良ければ、空間がある程度節約的であればあるほど、エネルギー消費を減らせる。
 ヒトが動きにくいほど節約的だと困るけれど、そこらは実用的な範囲でで、あれば、住む家について、それなりに合理的な空間イメージは出てきそうだ。
 で、ここらはあくまでも列島の北から南に長い土地柄を前提の話。グローバルには様々に工夫できるのだからアイデアを試したいこれからの世代にとっては仕事場だらけの感がある。
 残るは、帝国(US)とその補助諸国(ロシア、EU、UK、中国など)が黒子としていかに世の中のヒトの営みを安定的に安全に活動しまくれる環境を準備し続けてくれるか、といった辺りだ。
 列島政府は、その昔を思い出すきっかけをサマルカンドから得られる機会をつい最近得られたのだから、ユーラシアの安定的で安全な活動域を保証し合う関係をいかに保っていけるかと海洋またぎ(空路も含む)の交易も同じようにできる環境を超大国とも組んでこれからも貿易の原則、お互い様で良しの辺りに気を配りながら、多少も消させてもらいつつ、満足を他所へ提供できるようにしていけるといい。

 となんだか、素人ゆえ大げさな話にしてしまったけれど、心を落ち着かせるかどうかはともかく、いつもの川柳もどき

   ペンキは塗りたてで焦ると せっかく塗った面をはぎとる ところによっては厚塗りになる ツクツクボウシがおとなしくなって 9月半ば いつもの金網にルコウソウ 季節が半月はズレた