連載は続く~ SF掌編『前半の後半と後半以降をたっぷり見ての感想』編


 経験的には高度成長の頃、諸‟事変‟の類的なかく乱要因が混じりつつも年間で一般にとってもそれなりの金利由来の微小収入はあり得た時期、物価の方も相当に並行的に上がり続けた。
 経済規模は人口増の急激さに応じた変化を伴わせている。
 そこらはだからこれからも、長期趨勢のタイプとして、地表面各地で似たような原因と結果の姿として現れそうだ、と素人老人的には押さえたくさせる。

 エンゲル係数的な指標での済み続ける住居をどう確保できうるか、できているかと関わる収入との関係を気づかせる指標を想起してもらって、それとの対比から金利とか物価の少々の度合いなど勘案できるなら、今時の物価高だインフレだ日銀の操作だとか色々言われがちにしている内実に関する概念の整理も多少は必須と見て取れそうで、地表面規模では一方で金利を上げての営みがどの程度の水準に落ち着かせてのことなのか判然としないまま、また一方ではその趨勢の圧を被る形で、現状の低い水準を同じように上げた方がいいんじゃない・・?とかで誘われるニュース圧が流行りになっていて、流行だから素直にいっしょに高金利の世の中を楽しまなきゃぁとかなんとか、お気楽でいいはずもない、と老人的には印象を持つ。
 危険要素的異手法については修正を始めている。低金利の営みが悪いのか、高いとして、どれくらいがいいのか。
 物価高の原因に円安が明確じゃないか?!とニュース報道は賑(にぎ)やかだ。
 入りが少ないよりは多い方に越したことはないのだから、ということで、ドルと円の現状の差のありかたを双方が(ここらはいつでもそうしたいのだと思うけれど)利用できるところを利用するように工夫している。より得する側というあり方は、起こりがちなことだ。原油高は相当な収入増を生(しょう)じさせそうだ。
 売る方にとってはそれでも買いやすい程度の価格の範囲を想定出来ているはずだから、円安の現象を生じさせる他の現象の恩恵を被っていることを踏まえながらも儲かっている一方の出費増程度の現象にして、ニュースだけは‟景気良く‟煽ることを止めないでほしがってそうな感じだ(と素人老人は意地悪く想像してみる)。

 ヒトは生命をつい軽く見がちにする。軽く見るというより、事前に貴重さを意識させて整備、準備を怠らないでいる、ということを不得意とさせがち、で結果、軽く見てたんだろうな、となる。
 けれども実質のところで、無理やり短命に誘う類については自らのこととして想像しやすい世代も相当にそだってる感じが同じニュース報道からは伺える時代趨勢を見るようにさせている。
 だからUS発での専門組織的規模での大量出動は今でも可能かもしれないが、人口規模からする大規模の中からのランダムな採用には既に気持ち的に耐えがたい本音が見え隠れする世の中になってそうだ。
 無理やりが通りやすいどこかしこでも、伝統が生きていればいるほど、その本音のところは表向きの強気とは裏腹に、命の持続が可能にする日々の生活を繰り返していける幸せ感の保ちについてより敏感になってそうに思える。
 そういう時期であっても一方で激情を弄べる心理作戦系が煽って暴走事象を誘発させて、それなりに乱暴沙汰を演出出来て、そこへなんらか対抗で打って出るには蛮勇を震える専門部門以外の要員が求められるとして、それはより限られた土地柄とか、特殊事情から激情に誘導しやすいとかの条件をワザと使ってそうするとか相当に今時いわれえる‟無理筋‟な大儀とか強制力の巧み使用が使われがちのようでもある(と、世界ニュース見過ぎの今時の老人も老人の空想)。

 戦争嫌いは普通の頃だろうけれど、時に、激情にかられて・・・というごく短期の思い込みからの暴走は、巷の喧嘩沙汰同様に、少数の中でたまにおこりがちにする。そして、そこらが円満に穏やかに解決へと向かわせる世間の知恵がいかにいつものように育っているか試され続ける。けしかけるたとえだけどCIA的工作活動は列島の1950年代前後の時期の事象を振り返れるだけからもそれなりに真実性を帯(お)びさせる。
 各国、各土地柄においてそこらのしがらみ経由からのわかりにくい政治を引き受け続けてきているわけで、そこらの清算がUS衰退を待つほかないのか、US自身による情報公開趨勢なりで、改良の意味合いからのほころびを見せてくれるのかなど、多分、関心は寄せられてそうだ。

 安全に、公務系のそれなりに介入していて、その支えに乗って市場のメカニズムも巧みに応用するような人為性を発揮して、利便の地表面規模でのやりくりに情熱を注げていれば、人口規模それぞれで、減少することもあれば増えることもありでそれぞれに長短ありだし固定的でもないということを押さえて置ければ、戦争ごとでないのにダイナミックに熱を注げて、満足感もたっぷりだし、時にはがっかりが待っていて、その対照としての、うまくいった時の感激は数倍ともさせうる。そういったヒトが延々と成してきた事々に謙虚に向き合えるなら、素人的にはUSが蔓延させたのではと空想させがちなのだけど、薬依存での無理やり波つくりなどは不要となりそうと察する。

 そうはいっても列島では今のないしすぐ前までの首長諸氏への責任論が湧かないように数十年前の設計者たちの無策に責任を求める上下水道問題でニュースの一面側面が華やかになっている状態だ。
 年度での行政だから、毎年、生活と直結するインフラに関する点検を帳簿(工事とかメンテナンス費用とかの項目を見ることができると思えるので)も含めてこなしているならば、今になって大騒ぎすることなどありえなかった、くらいに巷的アンテナは反応してしてしまう。
 社会保険料系依存の論調に悪のりして、水道料金上げの大儀に使ってそうな辺りも気になる。
 こういったリアルについて、素直に、代々の首長諸氏が怠ってきた責任をふれて、どうしょもない事態に陥らないための費用負担を求める形を取る方が相応(ふさわ)しそうだ。 マスメディアのニュース内容編集部門までがそこらに加担していてどうしょもない、と老人の老人は思えてしまうが、そこらは今時の気質(入り組んだ、今時へと至る人事部門圧のなせるわざの一種と素人老人は見る。様々な部門にその弊害が生じやすい)としてとりあえず、置いて、下水道の現状は更に、古い順に壊れていくわけではないリアルも伝えている。メンテナンスとして年々順に修理・改良をほどこしてきたならば、古い順でおこるわけではない下水道の劣化の解消策もその定期的作業に拾われて、例外的事態への出費で済ませられていた可能性大と察する。
 点検してこなかった代々の首長の指揮命令系が動かなかったゆえに、今になって、大騒ぎして出費増を求める格好になっている。
 そのやり方も社会保険料負担方式へ誘導する発想でのもののようだ。
 だからそこらを主導している人脈のくせから、どういった根を持つのか多少は知りたくなる。

 超大国がおっかないだれかたちとして緊張関係を演出すること自体は、思いつきでの大事件捏造発想を持つ危険なだれかがその権限・権力を使って暴挙に出てしまう動機の辺りを制御はする。事のかすかな一端に感づかれただけで、瞬間的に撲滅される程度の性能の辺りを超大国の緊張関係は匂わせる実力がもろ出ているから。
 でもそこらも、端々を理念的温和の底流で統一し続けられることの不可抗力性が万が一でも想定できるヒトからみ事情相手ということから、危険要素込みでの超大国間の緊張演出策と見なさざるを得なくするように、素人考えでは想像してしまう。
 パーティ発想を演出に使って、仲間組と仲間外れ組を明確にして、ヒトの勘定を弄べるように仕向けれておくなら、端々ではそれらを本気にして、暴走するやつはどうしたって出てきてしまう。映画やドラマの劇的効果の効力を観客の反応に見れば即気づける。
 大方はそうでなくても、世の中のいつもの姿における様々な格差が有力層という形とかそのほかの理屈から暴走容認で動けば、ごく一時的であっても大変な混乱は生じてしまう。
 そこらを年月を経て、経験は物を言うで、ヒトは色々不可抗力的攪乱を避けながら、よりダイナミックに元気に活動し合える場を用意しようとしてきたのだから、パーティ発想の含みのところに気づいて、世の中せいぜいがお互い様でいくしかないのだから、と、公務系の仕切りのところを統制発想が一人歩きしないで済むこれまで培った知恵をシステムの形として活かして、安全・安定・張り合いとかが好循環を生んで生活習慣病すらが世界的な規模で激減してヒトそれぞれの天寿をまっとうできる世の中っぽく動いている様もえがけないこともなさそうな気がする。

 と安心してしまうのは早すぎるようで、AI育成のためにじつは下働きの膨大な人々が被る劣悪な雇用状態がひたひたと知れ渡ってきたというNHKBSのドキュメンタリー番組を見ることができた。
 データセットを準備することに膨大な人手が関わっていた。
 ならばとそこすらAIにこなさせるようになると、AIにおける自己内循環がもたらすデータセットに依存するヒトの世の中をヒト自らが誘い込む形となって、そのレジームはどの程度の年月持続可能なのか、新たな(捜査部門も含む)実務系専門分野が必要になってきた。
 ちなみに、デジタル部門のジャーナリスト氏だったかが、今時のAI系はPCに連想ゲームをさせて、その結果に関心しているPC愛好家たちのような描写をされている。

 

 やっと本題にたどりついた。

 昨夜から早朝にかけてU23年代AFCのサッカーをカタールから中継していた。
 ここは現代だからこそ可能になっているので、人口の膨大量はこういうことも可能にする一面と見なしてみたくなる。
 脇道が長くなってはいけない。早速本題へ。
 (素人であり相当に老人の)当方からみても、代表試合(でしか見ていないが)ではかなり評判を呼んでそうなことばをアナや解説者諸氏から当てられる細谷選手が、代々の代表FW同様のプレーしかできてないじゃん、とか受け止めたくさせるシーンが目立つ。
 が、今時の若い世代はとにかく(一応メンタル面を棚上げして)体的に業師たちだ。
 パスをこなそうと集中できた時にはワンタッチで数段をやってのけて攻めあがらせてしまう。ただ時間稼ぎと言うことではないタイプ。
 ということはトラップの繊細さは言うまでもなくパス精度も良好ということが結果から判明する。
 中には蹴鞠式発想で浮き上がったボールの落ち着かせ緊急要請を感じられないままヘディング返しを続けてしまう選手もちらほら見るけれど、多くが即(ボールを)落ち着かせて自ボールを確保しにかかるくらいの反応を見せてくれる。
 FWポジションの細谷選手も荒木選手も来るボールが自分の力を加えやすい位置関係になるタイミングを待って蹴る姿を目立ちがちにしている。
 FWポジションの選手はMF、DFポジションの選手と違って、蹴るタイミングは素早いとされている。たとえば女子サッカーで現状怪我休養中の浦和の安藤選手がベレーザの藤野選手は蹴るタイミングが早くてDFの邪魔するタイミングを取りずらいようなことを指摘されている。諸氏においては印象の濃いワールドカップでの右サイドからゴールライン沿いに攻めてその狭いスペースのままGKの背後に蹴りこんでの一点シーンを覚えておられると察するが、助走している段階かと判断したGKにとっては突然その瞬間に蹴られてしまうタイプだ。
 ここらはベントスの大島選手がMFだったりFWだったりで出場するのだけど、FWっぽく蹴るタイミングも持ち方は他の選手がタイミング合わせする時間をとても惜しむくらいに、素早く蹴りこむことが普通だったりする。見ればだれでもすぐに気づける。
 素人流にその動作を翻訳すると、普通は自分の都合(力を加えやすい位置とか)にボールのバウンドが成るを待って蹴るのに対し、FWタイプ発想では、まず蹴りたいときがそのタイミングで、ということからボールの状態に合わせて自らの体を瞬間技として調整して力の伝わりやすい状態を得て瞬間蹴る。
 突然性のからくりはそこらと(素人老人は)見る。
 細谷、荒木両選手は相当な若手ならではの要素とプラスFW的動作をこなす逸材と見なされているようだけど、ベレーザの藤野選手が自らのその(タイミングの早さ等)素質を自覚的でないから、放っておくと、ボールを待って蹴りやすい状態にしてシュートのシーンの方が目立って、どうしても強く蹴ってなんとか得点したいという方になりがちから悔しがりがちにしてそうなのだが、安藤選手がヒント発信してくれたことに意識的になって場面に応じて、自覚的に早いタイミングでの蹴りを使い分けできるようになれば実質いかにもFWっぽいゴールシーンを量産してくれるようになりそうだけど、同様、細谷、荒木選手にも同じことが言えて、蹴りやすい状態を待ってそのタイミングで蹴るのではなく、体をボールの瞬間の状態に合わせて蹴る方に発想を切り替えられれば、得点になるシュートの量が見違えるようなことになりそうだ。MFの山田選手は気質的にはFWっぽくない感じだけど蹴りタイミングの使いこなしはFWっぽいので、参照してもらいたい。

 U23だから、未だ若者たちだ。だからか、ボールを自ら買って出てもらいに行く風が若干弱い。そのちょっとした受け身感の効果は絶大で、トラップや状況判断にミスを誘いやすくしてしまう。
 自ら買って出る気持ちの方向性は、体が反応して周囲の状況を確実に押さえたくさせる。欲望としてそういう方向性を取らせる。
 またそれと連続的な要素として、必須のボールを相手チームに奪われない巧み感覚・動作を体が煩く求めてくる。
 だからトラップも見事に止めてみせるし、次の動作に応じた置き方を勝手に体が選んでいるし、次の動作のための向き相応しいボールへのタッチ感と置き所を得ている。
 周囲感知の直前版を記憶ボックスに、瞬間今の像との比較から出し手を察知できて、瞬間直前の判断通りに出すか、ちょっと修正で他へ出すかとかどういった出し方がいいかなども瞬間技で判断可能になっている。
 そこを受け身発想で動いていた場合は、瞬間遅れが積み重なりがちにして、どうしても微妙か、取り返しのつかないミスを犯しがちにさせてしまう。
 現代表チームのU23世代選手諸氏が、そこらをこの窮地、自分のよこしなさい!!なんとかしてやるから・・とだれもが思ってボールを待ち受けつつ動いてパスコースを開拓しているならば、そのパス連携は即得点に通じるような突破動作もそこかしこに誘発させやすくする。相手チームの陣形は保ちきれなくなるし、短いパスのおとりが、ミドル系のパスや浮き球系でのゴール前混戦の場を生んで更に得点機会をもたらす。
 上背とか体力で格差を意識させられる場面でも、そういった積極発想を基盤に、動く舞われる元気状態を保てれば、格差を逆に応用してしまうことはいくらでも可能。
 特にペナルティアリア内での攻防となれば、そこらのニュアンスは選手諸氏ほど熟知されてそうだ。わざと転ぶ必要はない。積極策での動きが嫌でもそうせざるをえない相手チームの弱点を呼び込ませる。

 FW選手の蹴るタイミング。
 各選手はボールを自ら買って出てもらって状況展開に関わって代表のゲームを楽しむ。