連載は続く~ SF掌編『(女子サッカー噺)老人の繰り言、読み流し』編


 女子サッカーにおける新旧タイプについては、何度も指摘してきたので、どう区分けしているかの辺りは読まれる諸氏において察しがついていると思いつつ、もう少しだけ説明しておきたい。
 実際に試合を見てみることが一番なのだし、年寄り諸氏には、サッカー全般がそうということで、動きのめまぐるしさが、上手なチーム間での試合だと、それなりに秩序だっていたりもするので、頭の体操が同時並行してしまう楽しさを味わえたりする、と言う辺りは余談ですけど、実際、日テレ・ベレーザチームが新世代ほとんどというチーム構成で実際の試合にものぞんでくれたりするので、実例を生で見ることができるけれど、円滑にチームプレーが動いているような時に見える事態として、自チーム内でのボール回しをとことん追及されつつの展開が共有されているようにまず伺える。
 旧タイプ発想からのゲーム展開ではありがちなキーパーが無頓着に相手チームボールになるのもいとわずロングの起点キックを出したりが、ベレーザチームでも時に出たりするけれど、確実に自チームのだれかに渡すキックや投げの方が多分目立つ。
 得点となる場面が、相手チームの裏をとった位置関係、という知見が一人歩きして、裏を取れを合言葉に錯覚がさせがちにしている辺りは、サッカーをめぐる発言のいくつかをネットで探るうちに気づけたりしている。
 結果的に得点を取るチームプレーとしての工夫の数々の積み上げが(裏を取る位置関係)そうさせるけれど、とにかくプロセス抜きに結果は登場する余地はない。
 ヨーロッパ巨体チームの凄さは、列島で見る男子チームの激しい試合よりも精度の良いロングないしミドルのパスを繰り出して、そこまで激しくないボールのやりとりで、得点を狙いに行っている。入る入らないは、また防御する相手チームの力量との関係的作用が関わってくる。ただし、たった2,3度のパス交換でミドル距離からの強烈なシュートも多々こなしてくるので、その精度次第では、軽々と得点したりも起こる。
 つまり、ミドルやロングのパスを駆使したことが得点へとつながるには、パス精度抜きには不可能といったあたりへの気づきは大事そうだな、という辺り。
 生なゲームの中で、徐々に精度を高めていく段取りだ、とか空想のようなことをことばでは言えてしまうかもしれないけれど、パス精度は、一朝一夕というわけにはいかない。鍛錬して身についていれば逆にいつでも繰り出せるようにしてしまうヒトの身体だけど、不正確な出し手選手にとっては、いつでも難しい状況が続きがちになる。
 でも、身につけるのは、気づきに近いので、意外に簡単だし、その再現性のための練習の積み重ねというかからだへの覚えこませが不可欠と言えそうだ。
 一度の失敗とかくやしさを無駄にしない。すると、次は同じ失敗をしないにも関わらず、似た失敗をしたとかの経験をする。だから、更に失敗しない絞り込みを可能にしていく。正確に狙ったところへキックできればいいだけだ。でもそれが生々しい状況下では難しい事ばかりになる。体はしかし覚えこませた反応でそれなりに正確な反応をしてくれる。
 だから熟練はとてつもない精度の作品を作り続ける。
 サッカーも同じ人の技だから、その気づき方を体に伝え再現して、イメージ上でも繰り返し可能にしてしまえる。
 体勢が再現性の元になる場合もあれば、より足の部分でのボールタッチの位置関係こそがものをいってくれる場合もありそうだ。
 その細部を感覚的にも幾何的にも体感的にも、失敗しない触れの瞬間を体得できて、それを再現できる状態に持って行ければ、相当に追い込まれた状況でも精度の再現を可能にしてしまえそうだ。

 少し場面を変えて、プロ野球でのピッチャーとキャッチャーとのボールをめぐる事態を想像したい。
 トンでもな高速球がピッチャーの手を離れる瞬間からキャッチャーめがけて飛んでくる。
 キャッチャーはゴールキーパーペナルティキックを受ける時のような動きをみせるだろうか?!
 キャッチャーは堂々を構え、イレギュラーにも瞬間の動きで体ごとボールを受けるようにしてしっかり受け止めてくれる。
 それより少しかかなり遅いキックのボールを、蹴った瞬間のボールにより集中して視力を働かせて、同時に体も反応させて、ボールの軌跡を追う鍛錬が成されるなら、精度よくゴール隅を狙うキック以外は、キャッチャーのようにからだごとで捕えてしまうか、強烈なパンチングで弾いてしまう場面を想像できそうだ。
 女子サッカーで素人老人がつい気になってしまうのが、キーパーのパンチングが弾いたボールが近場に浮いた状態から落下させるようなことにしがちな辺りだ。
 それだと急場に更に大変な事態を招きかねなくする。
 もっと大きく弾かないと、と、素人老人の繰り言っぽくなるけれど、女子だって弾く力量を発揮しているほかのスポーツが沢山あり参考にできるから、大いに参照してもらいたい気がする。

 新世代たちは、ボールをめぐって、相手チームにボールがあるときは、いつでも奪えるような工夫を共通させている。
 奪った後のことの一つは上で指摘した。
 他に、パスコースをオフト氏のレクチャーを受講したかのように、自らの動きで作り合って、ボールを持っただれかが窮地に陥りずらくし続ける。
 ボールがどちらのものともつかずの位置に放り出されたときにも、位置的によりボールを奪えるように動き回るか、先読みして陣取りし続けている。
 それゆえこなれないうちは、フォーメーションの崩れゆえの、がら空き状態を狙われて簡単に得点されたりが、素人の目からも目立っていたように感じた。
 そこらは、場数をこなしていくらでも補正できるようにするし、そうなると相手チームにとって弱点を見つけにくくするのだから、相手チームとしてはやっかいなことになる。
 そこらの強さは、国際試合では、逆に必要不可欠な条件となるくらい、新世代タイプの試合運びを技術的に身につけた選手が各チームを構成する今時だ(スペイン若者チームはそこクリアしているし、多分、巨体系各チームの若手もそこらを身につけ始めているはずだ)。
 男子チームの試合でもハイライトを見るだけだと、錯覚させられてしまうのだけど、多くが精度いまいちのミドルかロングのパスの蹴りこみで、試合を弛緩させるか、ごちゃごちゃしたボールの奪い合い場面を作らせがちにする。ここらは観客的には素人じゃないだれかたちのプレーを見に来ているはずなのに・・・の心配をよぎらせる効果となりそうだ。
 だからってミドルやロングのパスをするなの話にしない方が試合展開の面白味を減じない。
 精度にこだわって、そこら状況の読み次第で使ってもらいたいという話にとどめておきたい。
 一方、昔から列島でのサッカーでは実はパス回しが志向されてきたらしい。
 旧タイプのパス回しは、それぞれが定位置でパスが来るのを待つタイプで、今時のサッカーだとすぐにボールを奪いに来る相手チームに翻弄されやすくする。
 精度良いミドル、ロングのパスを多用するヨーロッパの巨体チームのそれは、予定通りの、ないし練習で積み重ねてきた定型でのやりとりの実戦での再演という風(ventus)に受け取れる。
 旧タイプの選手諸氏は、体の寄せ方とかゲーム展開の生々しさでの反則しない体を使っての駆け引き上手が多い。ベテランでも現役で活躍されている選手諸氏はそれプラス、それゆえの一瞬の余裕を得てのパス出しを可能にしている(その際のパススピードの使い分けとかボール質、精度が新世代とつい比べたくさせるの話が素人老人流ということになる)。迫られる状況で、逃げのパス出しして簡単に相手チームに取られるというようなことを回避させている。
 けれども、今時のボールを奪いに来る勢いは並みではないので、そういう変化を伴いにくい技ではどうしても窮地のままにしがちにする。
 昔からパス回しが志向されてきた、という辺りに焦点を絞れれば(ミドル、ロングのパス出しも状況次第で可は言うまでもない)、ボールが足に馴染んでいるというのか、新旧ともにプロの女子サッカー選手諸氏は、トラップ、ワンタッチパス返しなど、かなりの精度でこなす様を試合前の練習風景でもしっかり見せてくれている。
 ならば、それを試合中に使わない手はないだろう?と素人老人はつい繰り言のりで指摘したくなるのだけど、なぜか(結果的)裏取りを先取りする位置関係でのイチかバチかでの蹴りこみキックをしがちなのがついこの間までの事態と見なしたくさせる。
 そこを、各チームが、新世代ならば、より動き回ってボールをやりとりするし、それもワンタッチ系を多用できるタイプで、なのだが、旧世代にとっては、ついていける諸氏とそうでもない諸氏とが混じり合ってそうで、生な状況での自チーム内でのパス回しを繰り返す中でのシュート機会を伺う展開に、軋みを持ち込んで、相手チームにボールを奪われやすくしてしまいそうだったりの想像も可能のように思える。
 とはいえ、旧世代諸氏も同様にリフティングや定位置でのパス回しを上手にこなす選手諸氏なので、感覚的、反応的にまず動いてパスコースを提示し合うことに心身を慣らしてしまうなら、動作的には、新世代が主力のチーム、日テレ・ベレーザも相手にとって不足なしくらいのゲーム展開可能な全世代型チームに変身させてそうだ。
 国際的なクラブチーム対抗の試合にも参加する気があるようならば、ミドル、ロングのパス精度をそれにプラスすれば済む状態と想像する。
 そうなると、列島女子サッカーチームの何チームかが、強豪となって、世界の強豪女子チームと参加資格をめぐって競い合う関係もできるし、それくらいの強豪どうしならば、正規の国際試合の大試合以外の機会を持ち合って、親善とか、その類で、二チームなり三チームなりが集まっての興行試合も可能にするし、実際凄いゲーム展開を期待できる。

 素人老人考えに過ぎないけれど、女子サッカー(に限らず)はプロレスとカーレースの間のプロスポーツと見なしたい。
 プロレスは舞台芸術により近い。カーレースは、かつては選手はほぼ使い捨てのようにしてきたけれど、インディ500で明確なように非常に今は興行を支え合う仲間として選手も興行主諸氏も観客も含めて盛り上げようしている。F1のレギュレーションの考え方もその線で工夫し続けるようになっている。
 女子サッカーは選手を使い捨てなどかつても思惑されたことはないだろうけれど、怪我でごく若い時期に引退せざるをえなくなっている各チームページでのニュースも目立つので、素人老人からするとまたもや繰り言のりになってしまうが、女子サッカーならではの技術の発揮とかが支えとなるゲーム展開こそが観客を楽しませ、ワクワクさせ、次の日の仕事のはかどりがなぜか良くなるとか、なぜかアイデアがわきだしやすくなるんだよね、とか気持ちの微妙なところに効果をもたらしたりが、たとえば観戦の子供たちの適度な好いのりの応援が聞こえたりして、そこらから素人老人的感想がただよい始める。

 年収500万円で100人を雇う中小企業規模の興行会社だと、人件費だけで5億円以上が要る。
 そんな大雑把な前提からでも1万人の観客がついほしくなりそうにしてしまう。
 でも、だ、卓越した技能選手諸氏に一部は自前で稼いで(入場料収入ほか)もらって、足りない分というか初めから合算するつもりで、協力を得られる企業群なりからの収入も、ということで、成り立たせ続けるようなやり方だってありではないか。
 素人の老人の都合からすると、隣の席があいているくらいが観客として落ちついて見ていられる(映画の場合)。満席の半分という計算だから、今時のスポーツ興行からすると、しょぼい発想タイプと見なされかねない。
 強いての話だけど、介護現場感覚から防災発想してみた場合、1000人規模でも、それが一か所に集まっているとするとちょっと心配の方が先走る。
 今時だと、10000人程度の興行がざらだから、世間離れした話になってそうなことは一応押さえたいけれど、1000人規模も相当なもんだぜ、くらいの放言は素人老人ゆえゆるしていただきたい。
 ただ営業利害というのは無視できないから、10000人とか言わず5000人弱程度(2から3000人程度でいい)での興行がなりたつスポーツ興行界というのも試行できたらと、素人老人は勝手に想像する。