連載は続く~ SF掌編『前置きはともかく、サッカー夢話のひとつなど』編


 賃金と物価との上昇をめぐる好循環という寓話について、先日ちょっとふれたように、順路としては物価高騰、追って賃金の上昇の条件次第の格差を伴う追いかけ、程度がありがちにして、好循環、というのは、期待したり、やりたくてできることではなさそう、というニュアンスを込めた。
 だいたい、各現場の事情を反映しない、一本やりの各場面における賃金上昇は広くとらえるならば、余剰のお金が何かをしだすきっかけ、という状況を示せそうだ。
 諸物価高騰だよ、ということで、それを指標に賃金を上げる、という場合の個別条件の組み込みも結果的に格差問題を生じさせやすいけれど、画一的対応も、夢のような全般的にかなりの賃金上昇をもたらした場合、余剰がどう振る舞い始めるか、関係者においては相当に心配の種となりうることは、多分、多くの経済とかの教科の初歩を学ぶ機会を持った諸氏にとっては馴染の事態でもありそうだ。
 だから、と、素人老人をいいことに大幅に端折らせてもらうが、‟当局‟が操作意図から行使できるのは、物価安定策くらい、だろうな、というかそこらも多分、基礎になるのではないか。
 世の中の経済の営みの趨勢は、やはり参加者諸氏が形作ってしまう。
 どういう気運に諸氏がいて活躍の場を得ているだろうか、の辺り。
 かつて列島では、人々の趨勢として、貧乏人諸氏においては少しでもゆとりのある生活基盤を得たいものだとかで、親たちは相当に頑張っていた(生活習慣病の一因ともなりえたことは安保知見がよりわかりやすく指摘してくれている)。巨額を動かせる立場の諸氏においてさえ、私服を肥やす意識よりも先行して、我が風土を豊かにするにはで、お金の使い方を工夫し合っていた。だから1964年のオリンピック前と後の姿のびっくりするほどの変化を誘えた。似たようなことが、2000年代に入って数年間の頃から数年に渡って同じ列島で起きている。
 部屋のデザインがある程度画一的とは思うが、台所とか、食堂とかについては特に顕著にガラッと変わってしまっている。また列島各地から都会近辺に通学のための仮住まいを女性たち自身、そして親たちが安心して借りやすくなる程度の仕様の住宅が立ち並ぶようにもなったし、街区の作りもそれなりにスッキリし出した。
 テレビ画面がハイヴィジョンの画質にも変化していた。
 パトカーやタクシーの車種のデザインも一新していた。
 個々が個々どうしの対話をひっきりなしにできる手持ちツールが普及してしまった。
 そこらを演出したのは、かつてのだれかのために懸命にの心身諸氏ではなかった。
 有り余るお金を操作できるだれかたちが、そういう方へとお金を注いだ。
 ここらは、かつての意欲が2000年代の変化を生む、お金の使い方も可能にするのかどうか、学問的整理もしてくれるとありがたい。
 わざと銀行とか、企業利害とかと直接関連していない余剰の支払い手段を浮遊させて、それらをどう使うかを事後的に集める機会を得ただれかたちに委ねるタイプだ。
 そうしないと、2000年以後のようなことを誘えないのかどうか。
 だだし素人老人的な観点からすると2000年代の変化はメンテナンスの観点からして、問題発生時の到来を見ないことにした忙(せわ)しないタイプの試行錯誤と(現時点では)見なしたくさせている。
 極端には戦争とか自然災害とか、経済の視点からすると万が一の不可抗力も働くことは基礎の中でもしっかり登場する。或いは外部ということもついでに習う。そういう既知のいくつかを込みで、経済の営みは難しくも、事情通でもある専門家諸氏とかが、大局については操作部門を担ってきている。
 そこに必須の経済の営みのリアルな各地での参加者こそが、リアルを更新しつづけているわけだ。

 

 さて素人老人だからこそゆるされるかもとか期待して、夢っぽい話の続きだ。
 女子サッカーこそがサッカーかもしれない、とか大げさにしている最中だけど、そのついでだぁっ!!ということで、いきなりだけど、2011で超有名な割に、ネットで調べても近況がいまいちわかりにくい宮間氏や、同じく代表チームのかつての一員として有名過ぎる小野選手も近況はまったくわかりにくい、という具合にお名前を出してまでして夢物語を持ち出したい。
 ご両人に共通するのは精度が良くて、状況に応じた質のボール状態でパスを出せることだ。
 かつてベースボールが列島中を沸かせていたころ、子供たちは時に女子もだけど、キャッチ―ボールを楽しんだ。ただし硬球ではなくて、手に握れる大きさのソフトボールか軟球だ。多くは軟球だ(大きさ、重さ、手触り)。
 キャッチボールだけで十分に子供青少年期の時間を費やせる。だからゲームもたまにする。そういう身近性質からテレビ画面越しにプロ野球を楽しめた。
 テレビ画面経由の集客よりも画面に登場しにくい各チームの集客力がベースボールの実質的ファン数に近いと察せられる。
 だからって極端に少なかったわけではないし、遊びの(ないし時間つぶしの)キャッチボールが支えていたのだから、その数はしぶとかったと想像しやすい。
 しかし、余剰資金があふれ出して逆に世の中はせちがらくなって、野っ原はぐっと減りだす。道端でキャッチボールできるごく一時期は素早く通過して、路上は往来が密となってキャッチボールは非常に危険な行いの部類となってしまう。
 だから、余剰資金が客寄せしない限り、その減った分の残余がベースボールの実質のファン層と、恐らく素人推理からは言い切れそうだ。
 サッカーはたまたま余剰資金が唸りだして、動き出した時期とも重なるので、事態把握には勘違いを持ち込みやすくしているかもしれない。
 ゲームする前に、リフティングをちょっとした時間つぶしにしてしまえる身につくきっかけが大事だ。
 幸い、列島のサッカー愛好者諸氏はやたらとリフティングは上手になっている。
 そこで、手に持つボールを子供たちがわざ落として、ふわっと足の甲辺りで受け止めて、落ち着かせるくらいの感じを感じ取って、リフティングをとにかく自転車が乗れるときのように実は巷のだれもが理屈的にも理解できているけれどことばを省いて、体の動作と自転車の動きバランスとの兼ね合いのタイミングとかを図って、いつのまにか瞬間的くらいに乗れるようになってしまう仕掛けを、年長が年少たちに向けて巧みに使いこなしてきたように、リフティングもちょっとした感じ取りで簡単にできるようになる辺りを各地で伝授しまくれることは、サッカーを面白がれるだれもがいる列島には必要不可欠と察する。
 その役は多くのサッカー愛好家諸氏が担える。でも、教え方が自転車でもそうだけど下手なタイプも当然いらっしゃるので、そこらは上手たちを大事に育てあえることが欠かせないが、そうしておいて、普段から時々気晴らしにゲームもこなす青少年たちという環境下、メインゲストしかもスペシャルゲストがやって来ている、といことで、宮間氏なり小野氏なりが、JFAサッカー普及特別プロジェクト筆頭専門員という立場から、サッカー好きのおねえさん、サッカー好きのおにいさん、としてなにくわぬ顔をしてそこへ出てくる。
 テレビ画面で見たことがあるかもしれないし、名前も知られているかもしれないけれど、本人が生で登場して、へぇーっ、こんな体つき、顔をしてんだぁ・・・程度の受け止めが今時ならば普通だろうから、進行役がここまでやってきた個別練習、ミニゲームを更に応用するよとか言い始める。
 ゲーム中でのパス出しの幾パターンから、参加の20数人を二つに分けてか、重複もありで、人数分試すことにする。パスを受けてシュートとか狙いのパスとかパタンを決めて、その役を担っただれか以外は、その動きと関わりつつボールにはふれない役柄を指示される。そして相手チーム役と自チーム役にその振る舞いをやってもらうことで、疑似ゲーム状態を作り出せるから、そこへ宮間氏なり小野氏なりが、それぞれの場面に応じたリアルな声かけとかシグナルとかを行使してもらってパスを出してもらう。
 だからお二人には、参加各青少年たちのサッカーくせを会得してもらうよう、練習初期から観察し続けてもらっている。
 両氏は、パスの精度だけではなく、ゲーム状況に応じた展開上のより適切なパスを受け止めるだれかをめがけて、その動きとか受け手の走り方やボール扱いの個性を踏まえたボール質でのパス出しが可能だから、ゲーム中の圧を疑似的に使ってのこの練習場面でも、気持ちさえしっかりしていれば、こんなに楽にパスを返せるんだ、とか、シュートにつなげられるんだとかを生身で経験できる機会を得られる。
 ここらは、ヒトの観念に働いて、自らがパスを出す際の、ボール質への連想へとつながらせる。どのように蹴るとか体勢とかを思い返すとかしつつ、わからなければ、その場で宮間氏、小野氏から直接、ことばとか実演で確かめられる。
 それも、動きの中でのなにかとして再度経験できるようにする。
 しかも人数分のケースをその時点でとりあえず印象付けられる。
 質問することに面白くなり過ぎただれかが、2011年決勝ゲームの際、1-1にしたときのゴール前でのボールが足から離れる瞬間までボールをコントロールできて、狙いどころを絞れたのは、意識的だったのか、偶然かとか嫌な、いじわるな質問さえしてしまう。答えは宮間氏に聞いてみるしかない。
 パスのボール質については、つい相手に優しいパスとか誤解を生じさせやすいことばを安易に用いられがちにしているけれど、その場により適切なボール質だから、たとえば、女子ワールドカップの時なら宮澤選手が藤野選手のパスならば、と信じて(と淡々と語っていた)、だから一気に走りこめて、シュートタイミングも失うことなくすかさずでゴールインしたし、アジア競技大会での中嶋選手もさりげなく、山本選手のパスに、ボール質を踏まえることができたので、ただ蹴るだけだった(とか語っている)、というタイミングを見逃さずに、そして狙い通りのことをやってのけている。
 今やっているパリ五輪アジア二次予選では、にわかで集まる選手たちという制約事情からより現場でのタイミング合わせの積み上げのようなことも必要らしい辺りをコメントで読めた。
 ならば、動いてボールをよこせシグナルへ、それはおとりとか見なさないでタイミング合わせの機会ととらえて、出してもらってまた出してみたいなテストの積み上げの一つにも使ってよさそうに思える。とにかく2分間もあるとパスサッカーの場合、何度もボールを往来せることができて、しかもシュートを狙える場面作りさえこなしてしまえる。
 だから試す機会は時間的にはいくらでもある。でもなかなかそういう使い方を男子ブラジルチーム以外はできないのか、やらないことにしているのか。徐々に狙いのタイミングがあい始めるのを見る相手チームにとっての圧迫感はゲーム展開にも響かせる。
 そんなことも、宮間氏、小野氏のパス芸術を経験的に学べた今時の凄足な連中にとっては、応用事例の一つにしてしまいそうに素人老人には想像できたりする。
 超有名なお二人をそういう役柄で何年間も拘束できること自体が、そもそも無理・・という話かもしれないけれど、単発のショー的なやり方では、逆効果なので、やるなら本格的にが要るし、で、素人老人の場合、どうしても空想止まりかな、といった感じだ。