連載は続く~ SF掌編『ワールドカップ女子サッカートーナメント観戦中その4』編


 なでしこチームとスウェーデンチームの試合の前、スペインチームとオランダチームの試合があった。
 1点先行のスペインチームがこのまま・・という時、延長時間12分の初めの方でオランダチームが素晴らしいシュートを決める。残り時間は刻々と迫る中、オランダチームも押し続ける。がFIFA+ビデオの帯時刻表示で2時間44分30秒あたり、スペインチーム10番Hermoso選手が後ろからのパスを受けて前を走る18番(去年のU-20出場の選手)Palalluelo選手のやや前方へ絶妙なパス(ここらは今回のなでしこチームの試合を見ている諸氏には似たシーンをいくつか思い出せそうだ)が出て、少々フェイントを使いつつ、瞬間、シュートコースを読んで強めのキック。
 右ゴールポスト下段に当たり、見事ネットの方へ弾かれてゴール!。
 スペインチームは準決勝へ進んでいた。


 途中下車、前置きになるような話。
 身体能力というのはそれぞれだ。
 ただそこへ形を与えて、たとえばスポーツとしてまとめられたりしている。
 その内部にさまざまな工夫が入り込んでいて、たまたまサッカーだったりしている。
 持ち前の身体能力がそのサッカーが含ませる形式に馴染んで、その表現型を獲得していく。典型の形はありそうだけど、いつだって改良の隙だらけだ。
 持ち前の身体能力がたまたまローカルの小さな集団内でポツンと目立つしかないだれかとなってしまう場合も起こりうる。マスメディアやネットが展開していて、身体能力をサッカーに応じさせて行けるきっかけはいくらでも探せるから、子供たちの中には、その身体能力が応じて、トンでもなサッカー身体にまで育ってしまっただれかも出てくる。
 同じローカルな環境の中にたまたま似たようにトンでもサッカー身体を達成している二人が居て、良きライバルというよりは、どちらが上手いかを競える指標を子供なりに探してしまってそれで競い合っていたりする。すると一方にとってもう一方は、ライバルには違いないけれど、階層構造の位置関係のどちらかめいた見方に陥りがちに仕向ける。
 そこらは周りの見方も圧として機能してそうだ。どっちが上手いと思うとかの噂が絶えないとか。
 あるいは、ポツンと一人だけトンでもサッカー身体にまで育ってしまっただれかがいるかもしれない。サッカーは試合が成り立ってこそその身体能力を応用できるようにする。口に出して下手なだれかたちとの試合では自分の身体能力を応用しきれない、とか言ったりはしないけれど、不満を募らせている可能性も考えられそうだ。
 が、素人老人丸出しに、その身体能力の抜群度が凄すぎて、ヒトの可能性を切り開いてくれた功労賞タイプの人生支援のなんらかをヒト集団の側から提供したくさせるそういう秀で方といえば、近年のこととして、意外にも思い浮かぶ諸氏が大勢いらっしゃると予想させる。それは、100mを9秒58で、200mを19秒19で走ってしまったボルト氏だ。
 水泳も、時々すごい記録を残す選手が現れるが、意外にこちらは、その凄さを希薄にさせるように記録更新を繰り返している。
 上達し過ぎて仲間がいないかもと錯覚に陥りかねないだれかたちは、今時だと、世界競技会タイプの催しが定期的にしょっちゅう開かれているから、五分五分の身体能力にまで育ってしまったわが身体にもてあそばれることなく、自分だけが特別だったわけではないことに気づかされて多少は謙虚な気持ちを持つ機会を得られた感じだ。
 それでも少しだけ目立ちたいから、競って見せる。そのための身体能力への働きかけは受け入れる。
 そうやってたとえばワールドな‟なんとかかんとか‟のスポーツイベントは盛んだ。
 とりわけチームスポーツの場合はもろお互いの触発を誘えたりが起こるから、人生経験上としてもこれぞ若者たち、次世代に伝えてみたいな、とか身体能力のトンでも段階を得た選手たちは思ったりする。
 だから新たなだれかとしてメジャーな、ワールドな舞台からローカルの場へ帰還したときには、自らの突出性が特別なものではなくなっている。
 ローカルな場で新たにそういうトンでもな段階にまで育つだれかには、不安無用を伝授できるし、そうではない誰かたちに向けても、何になりたいか次第に応じて、身体能力面に限ってもアドバイスできるように、育てることができるようになっている。
 こういった一面エピソードも可能と素人老人は察する。


 対スウェーデンチームの試合の後半も後半のシーン。
 浜野選手が入って少し過ぎたころ。(後半の延長10分のうち5分30秒頃)
 なでしこチームにとっての左サイド、コーナーポストが画面に入るか入らないかくらいの位置。
 浜野選手が右手の遠藤選手にパスを出す。すぐに遠藤選手は対面の長谷川選手にパスを出す。
 長谷川選手は、ヒールキックを使っての後方パスで即時浜野選手を意図して返してきた。
 長谷川選手の脇を通過したばかりの浜野選手が視野に入る位置関係での、浜野選手にとっては予定外のパスの返し方だったからだと素人老人は想像するが、その返しのパスを受け取れない。(ずっと先のスウェーデン選手二人のところに届く)
 が、すぐして(同5分45秒頃、失敗) 、また浜野選手がパスを出す機会となるパスを得て、それを返す時に先の長谷川選手が出したヒールキックパスを使って、パス相手の進路を視野におきながら、出した。そういうシーンをもう一度繰り返しているところまでは確認できている(同6分30秒頃、こちらは成功)。
 ここらをセンスの差と言ってしまうと少しだけベテランの長谷川選手に失礼にあたる。
 でも、素人老人の率直な意見として、U-20世代の2022年のゲーム運びを踏まえることができるなら、対スウェーデンチームとの試合で、相手の事情を無視して出した長谷川選手のパスだったけれど、浜野選手たちU-20発想を発火させて、たちまち、なでしこのワールドカップチームでもそれって使って良いんだと認識させたと、素人老人は察知した。
 ここらは大事なところで、背のネーム(藤野)あおば選手やバックスの石川選手も浜野選手同様2022年のU-20世代だ。
 その試合では、スペインU-20世代チームの厳しい圧に果敢なパス回しで交わして、ボールをゴール前に運び、そこにはアレンジ役もこなしていた山本選手がたいていはいて、よりシュート機会を得やすかったのが浜野選手だった。その割に点にしていなかったのは問題だ、ということでシュート狙いの際の実はヒトが犯しがちな勘違いでの焦点絞りしそこねる辺りをここでふれた。
 ネットで簡単に検索できるのでU-20構成メンバー諸氏が沢山いらっしゃるくらいは想起しておきたい。
 それら選手は、自分たちのその状況判断から、奇抜な足使いを含めて、目まぐるしくバス回し出来て、それゆえ、相手の凄すぎ観察眼の群れをなんとかかわすことができるようにしている。
 そういう相互作用をこなせる身体能力たちであることを押さえておきたい。
 だからそれ、できるの?できる!ならば、即応用できてしまう。
 しかもパスが成立する形で応用を淡々とこなせる。(でないと連携の妙技は生じない)
 アイコンタクトなりが成立していて、パスのやり取りが成って、だけどどちらかが失敗するというケースは起こりうる。でも、アイコンタクトなりが成立していなくて、一方による片思い過多の状態で出された一見パスめいたボールを相手が受け損ねる場合は、出す側におけるパスミスと断言できる。
 パス出しがそれなりに熟達すれば、ヒトの行動のくせを記憶庫に膨大量格納していて、そいつの向かう先と走り方からこの直後の変化くらいは読んで、その相手が受け取れる範囲内にパスとしてだしたボールを落とせるものだ。そういうことも充分にありうる。
 だから判断上の境目は一応成立していると素人老人は押さえたい。
 気づけて修正はいくらでもできる五分五分の身体能力集団が、これからどう変化させていくのかの辺り。
 同じU-20でも2018年の選手たちを池田太監督は多く採用していたようだ。
 五分五分の身体能力の使い方として、会場を沸かせたはずの藤野パス→宮沢シュート(機会)からして、U-20の2022世代と既に共振の仕方を得てそうな選手諸氏もちらほらいらっしゃると素人老人は見ている。素人がいちいちお名前をあげてどうなるものでもないので、ただもう何人かいらっしゃりそうだ、とだけ指摘しておきたい。
 それにしても、U-20の2022年の試合に監督だったのが、今のワールドカップチーム担当とはまったく知らないままにしていた。
 となると、2018年と2022年に活躍していた選手たちを合わせてだと定員オーバーになるから、選抜は相当に難しそうだ。
 サッカーらしいサッカー技を普通に使いこなせる若手選手たちが列島版のサッカーの試合でその活躍ぶりを見ている女子たちということでは、多分、相当な身体能力に育てられている後進のだれかたちがそこら中に居ていておかしくないと素人老人は想像する。
 資金力次第だけど、北欧系の旧世代チームタイプでいいので、その圧への慣れと対応力養成も含め、試合としてはスウェーデンチームの動きから気づけるように飽きさせない通して動き回ってくれる試合ができそうで、裕福なスポンサーもついてくれるのではないのかとか素人老人なものでそこらは勝手に想像だけしているが、リーグがない時期など選んで年に10試合くらいはこなせるようにすると、(若手選手諸氏の)体ができてきそうだ。
 それと並行して技系、連携系へと編成を移行し始めているヨーロッパ系、各国の熟達チームとの試合も興行と実力試しとして、逐次放送する試合にしてもらいたいものだ。
 男子サッカーチームが、パズルのように選手構成を何度も変えるやり方でいくのか、連係プレーに沿ったチーム構成を育てていくのかわかりにくいまま大きな試合を放送で見ることになっていたりが多いので、女子サッカーがこれから魅せてくれる試合の方につい関心が生きがちな素人老人サッカーファンの猛暑の日々なわけです。