連載は続く~ SF 掌編『サッカーは現場が形・定義を提供してくれる』編


 男たち、ないし男性の発想がそうさせたと思われる近現代の(機械仕掛けとか装置系も含めて)仕組みの数々を作るに当たって仕切らせ、その発想が使用に形を与えがちなことを問題にされ始めて相当の年月を経てきている。
 たとえば運送業が今時、かなり話題になりやすい。
 その運送業を運ぶほうで担う(年齢を問わず)女子諸氏において、その経験が発する発想から女子にとってもそうであればより担いやすいとか安全だとかその上で効率も図れるとかを構想を持ち出しやすくする。そうであれば、の中味の一要素として、運転席のことを想起してみたときに、今なら、かなり工夫されているとは思うけれど、体の尺に応じての運転席変更が安全、確実、しかも簡易というやり方が標準形となっているかどうかは、時代相と関連させる。
 荷の移動についても話題になっているから、かなりの工夫が持ち込まれつつあり、の状況とは察するけれど、事態を放置すれば、旧発想が幅を利かせがちにして改良どころではなくなる。そこを性別仕分けを外して様々な職業を両性が担う時代相ともなれば、女子がそこを担う場合にどうすることでどう使いやすくするか、働き易くするかでの斬新なアイデアが出てきやすくなる。
 すると男子たちも、こりゃええわ、とか歓迎するようなアイデアが充ちるようにもなる。

 スポーツ、中でも集団のチームが競うタイプのスポーツの場合も男子発想が似たように通じ易かったと素人の老人でも推測し易い。
 その場合、男子構成チームの方が野球で言う一軍っぽいプレーを演出しやすくしてしまう。女子にとっては(興行的要素も含むタイプでの試合ともなると尚更)どうしたって不利に働くことになってしまう。
 かなりゲーム進行上に様々な形式を規定しているタイプの場合、性別(素人老人は筋肉の付き方における性別特徴を持ち出してみたい。そこらは行動上に色々制約を課してくると想像できる。たとえば、ロードバイクタイプでの急坂一気上りを想像してもらう。育ち盛りの男子たちは、慣れた連中ならば、最後の最後までペダルを回転させて一気を試みて上りきって、ふーっと息をつける。慣れない似た年齢の男子たちだと、最後の最後辺りで、ペダル回転がきつくなって戻し戻しで前進を試みている可能性大。しかも育ち盛りだから、次には、力配分に慣れていて一気を達成してそうだ。女子はそういう突発的過激な一気とはいえ持続的に最大限の力入れでの急坂上りで力量を見せるよりは、工夫して上りきって、上りきったところでの心拍数の比較とかで、想定的に平静とかを見せびらかしてくれるかもしれない。ここらはあくまでも素人で老人の空想だから、証拠とかの話しではないが)がより物を言って、他方の性のゲームが2軍的に見なされがちにしてしまう。
 ところが、サッカーゲームの場合、サッカーもそれなりに厳しくルールとか規約は整っているのに、いざサッカーって?を言う場合、過去の様々な選手達、チームが成して来た凄い試合の数々からイメージできる場合にはより説明しやすくなるし、そうでなくても、自分達がどういう中味を動きの中で演じて、結果、サッカーって、こうだよな、と一応説明できるくらいに、監督の采配も物を言うのだけど、それ以上に生々しく、参加した選手達が動いてボールを扱って、その動いた形跡とか得点する経過の残像とかをあてにしながら、サッカーはね・・ととくとくと語られたりする。
 だからとここは相変わらず素人の端折りになるけれど、男子発想が主立って試合を重ねてこれぞサッカーという姿を語られやすくもする一方で、女子たちが、自らの身体について素直に応答しながら工夫してサッカーの一試合を演じあう中で、これぞサッカーという姿をあぶりだしてしまうこともたっぷり起こりうる、と素人老人は考える。

 少し廻り道になるけれど、先日、天皇杯の試合紹介番組にて、熊本チームがパスサッカーにより力を入れてプレーされていた。
 ただ、動くパスサッカーをU-20 2022版(とりわけ日本チームとスペインチームとの試合)で見慣れてしまった素人老人からすると、止まって待つ状態でパスが来るのを待つ連係プレーにしがちにしていたことが気になってしまった。
 だから似たように止まってパスが来るのを待つタイプ同士ではあってもパス精度のはるかに良いスウェーデンチームがなでしこチームを一定時間翻弄し続けてしまったわけだ。
 新世代の既に控えている各国のU-20、U-18世代の選手達は、動きながらパスの連携を当たり前のように通してゲーム展開してくれる楽しく、頼もしい選手達がひしめいてそうだ。
 ここらは、ウィキペディアの毀誉褒貶が大変なヨハン・クライフ選手の項の思想の項目中、最初の枠(わく)の中での説明が素人のわかりにくさに代わってすんなり伝えてくれそうに思う。
 クライフ氏は、20年サイクルでのチーム育成を語っていた。しかし、そのつなぎが上手くいかなければ空白の何年間とか、弱体化したチームの成果を問われて、その先の展望を継続的に関わることが出来なくなったりで大変だ。だから素人は、素人ゆえに、ことばにしてみたいけれど、そういう場合に我慢できることも大事だけれど、そういう先例があるのだから、たえず、後進育成にすばらしいコーチを当て続けて、しかもやる気と持てる可能性を引き出して、個々の最良の状態へと誘って、その上で、どうしたって選抜は避けられないから、そこらを、励まし合って、尊重し合っての仲間関係の持続と、技術的に優れた要所への尊敬的なまなざしを謙虚にお互いが発信し合えることで、サッカー女子たちが女子サッカーを応戦し続ける関係を膨らませるほうで作用し合えていけそうに老人的には想像する。
 クライフ氏については、サッカー好き少年が、サッカーの遊びを少し覚えて、楽しくなっていて、そんな頃に既に知っているその名をことばにしてくれたのに、名のみ覚えていて、なぜサッカー好き少年達がクライフ氏の名を知っていたのかについてはまったくわからないままだったのだが、今になってみれば、サッカーとかを好きになる少女、少年の頃の勢いというのは凄いことだと思わざるを得ない。
 それと老人的感想だけど、クライフ氏のみ持ち上げる意図でその名を持ち出しているわけではないことを断っておきたい。
 現、列島版、2022-3 U-20やU-18(U-19の試合は見ていないため)世代の技量を持った女子選手たちを育てた列島人材の凄さに感動するとともに、その可能性を引き出すチーム作りが欠かせないと素人は余計なお世話の方から考える次第。
 そこらは動きながら、パスの出して、パスの受けてが相互的に読みあう関係は、恐らく練習の積み重ねだから、他チーム移籍とかプロの世界では色々が関わって、ベストな構成を持ちにくいとは思うけれど、興行の主の側がそこらを配慮して、一定期間はそのベストな構成でのゲーム展開を各地のファンが楽しめるような選手移動を考えていただきたいものだ。
 動かないで待つパス交換タイプでやってきた旧世代選手諸氏へは、それだと、パス精度の段違いな旧だけどそれなりに精度練習を経たヨーロッパ系ほかの女子チームに途中でさんざんな目に合うことになることは試合で証明済みと素人老人ゆえ、そうしておきたい。
 新世代選手諸氏はその技量と身体との対話・会話から、どういった女子サッカーを作ってしまうかが期待されてそうだ、とか大雑把な話になってしまうけれど、素人の老人は指摘してみたい。
 男子サッカーもパス精度イマイチの状態で、止まってパスを待つ(熊本チームに限ったことではない)パス交換にしがちで、ついロング、ミドルでの時々正確に伝わるパスとかでその先もパス精度に似たボール扱いからのプレーとさせたり、海外からの助っ人のボール精度に頼るプレーにさせがちにしたり、ボールを巡る争いごとでもつれたりにしがちで、その汗の量には関心するけれど、並にだれもが一定以上のパス精度の持ち主になって男子チームも構成されることが、万が一の大怪我も少なくするし、とにかく勝ったか負けたかでいらいらしてゲームを見守るタイプの、粗い観衆環境をも子連れで楽しめるサッカー客席環境へと誘えるし、そうなれば、食ったり、飲んだりも落ち着いて90分間以上となるから、もう一食、もう一杯とか、働いて稼いだ人々が、ちょっと楽しく、スカッと試合を見て、次の週の働き甲斐へとつなげられるきっかにもできそうだ。
 子供達は、必ず、注目選手を記憶してしまうから、ヒント発信次第では、その技量を見て学んで、しかも良いコーチと出会えたら、更に、プロになってみたいかもなど、親泣かせなことへと事態を動かしかねないが、そこらは、親次第だけど、嬉しいこともあるのじゃないか。
 女子たちも、サッカープロになりたい!とか言い出す。昔のドラマだと、願ってもできなかった女子でもある母が支えとなって夫を説得する。仕方なく夫は折れて大体ハッピーエンドとなる。今時はどうか、そこらはドラマとかの作者次第だな。
 余談だけど、乱暴、荒っぽい関与は審判は厳しくが女子サッカーのセオリーと見るけれど、もう一つ、ネットのライブを見ていて、腕で抱きかかえて身動きできないようにしてしまうのも即反則を取った方が、ゲーム展開上でも女子サッカーを応援できるのではと、ここらは老人ゆえ心配しながら指摘してみたくなった。