連載は続く~ SF 掌編『たまにの時事ネタっぽくと女子サッカー噺』編


 どうとらえ、どう付き合おうとするかはその時期と遭遇して、しかも事情を熟知し易い立場の人々次第のところもありそうだ、といった辺りをことばにしておいて、投機の方で事態は推移しやすいとか株式市場のリアルな一面が株式発行主にとっての株式市場であるよりは既存株式を売り買いして相場を結果的に随時動かしまくる関係者によって莫大な資金が動き回る"世界"として具体性を帯びさせている辺りとしての把握が物を言いそうな辺りで押さえられるように、かつて戦前と言い慣れた20世紀前半期に"ウォール街"を介して"軍資金"が得られやすいことを知った人々が、後々の関与の際に、頭を使えるタイプ諸氏であるにもかかわらず、激情のまま、倍返しどころか何倍にも変えしたがらせる欲情の方でパフォーマンスさせて、勝ち誇れるかのような、圧倒的強さを誇示できるかのような錯覚を、相手の特殊性ゆえ、感じさせてしまったりも重なってか、大小の国において、それが未だに行使されやすい人脈を温存させているにもかかわらず、本国である大国においては、そういった少数の割り切った連中脈以外の、良識層がより多数を構成するようにもなっているし、傍目で事態を追う事のできる地表面各地の人々が、その極端な偏った変態志向を実際に人前で行使してしまう権力加担に、法治の具現としては異常さを感じ取っている辺りも、垣間見えるようになった今時の事態をも、押さえることが可能になりつつあるようで、その超の付く大国である本国由来のプロパガンダ(英→米発で研究実施されてきたと見られている)の研究成果がどういうわけか、諜報利害ということを浸み込ませ易くした19、20世紀タイプの超大国支配ゆえに、マスメディアや広範に影響を及ぼす規模でのメディア利用においては、つい使われがちにしてきた辺りについても、物価高と賃金上昇の好循環とかどこかのコマーシャルの文句ともいぶからせかねない安易な用語の氾濫を目論まれている時期には、指摘しておけそうに、素人老人からは察せられる今日この頃だ。
 巷利害とか思惑の浸透性からして、暗黙の世界に属するだろうけれど、各現場が、一方でのメディアにおける汎用性からの欲動刺激策がつい用いられがちにしていることは、散々、思い出すように指摘され続けてはきているけれど、当面という事態においては忘れ去られがちにしているにしろ、普段の仕事を担う人々の多くがそれがバイト、パートの立場であろうとも、日々の営業上の利益がどれほど、といったところを巡って心を穏やかにしづらくしてそうだ。
 だからコロナ以前から諸々の物価は上昇機運だったけれど、コロナ騒動をいいことに、介護現場では日々の亡くなる方々の数の推移が介護の質を問えるはずのところをこれ幸いに見過ごされるムードができて、日々を流せた介護現場も相当にあったに違いないと想像し易いのだけど、売り上げの方で心配性にさせられがちな諸氏においては、物価上昇、計算上の数字上昇傾向によって、救われた気分にさせられている辺りも同様に想像し易い。
 コロナ騒動を経てしまった今時においては、介護の各現場において、コロナに責任を負わせることが出来なくなった状況下、その間に工夫・アイデアに注力できたかできなかったかも含めて、大変な施設といよいよアイデアを応用できる機会到来と喜んでいるところとの格差"問題"も生じているかもしれないとか想像したくさせる。
 営業成績が第一にものを言ってしまうムードを醸成させたのも、多分、投機での資金巡りを肥大させるほうで活躍した脈と察せられるけれど、それに乗せられた世の中を採用してきた土地柄では、一方で自然とか生活の質とかにも気づかせる機運作りが盛んだ。
 発熱が必要な世の中、社会、巷の生活のしくみを勤勉に構築し続けてきた各土地柄においては、それこそが原因なのか、温室効果こそが原因なのか、地表面各地での平年比較からして低温になっている諸地域のデータが明確に公開されているにもかかわらず、わが土地での高温の方でつい判断しがちにしてしまう。啓蒙系メディア手法に忠実なヨーロッパの土地柄では、そこらの相対的な地元の温暖化について、もう少し比較的観点を持ち込んだニュース作りが工夫され続けている。
 つまり沸騰しているところと、やけに平年と比べて低く出ているところが、地表面ではいつもの普通だ。その時に、サイエンスの水準から、均して、地表面ひっくるめての趨勢を探れる手続きは、相当な工夫が要りそうなことくらいは素人でも、とりあえず、空想くらいはできる。
 だからネット発信を活発にする知識系な諸氏においては、表現を実にたくみにされていると察する。温暖化という事態把握へのことば使いが工夫されていることに読者諸氏が気づいていれば、ニュース報道でのニュースソースの作り手諸氏の思惑に惑わされることなく、適度に事態と距離を保って、生活の多忙の方で活躍できそうだ。
 分野専門局も含めて、ブロードキャスト系メディアは、超大国プロパガンダ研究から搾り出したある知見を頼ることを覚えたままを模倣か採用するようにしてきた。
 視聴者をより多く、が合言葉の世界だ。それは視聴率獲得動機に誘い込まれた時点から始まった。
 だからその時点から、プロパガンダ研究が詰めえたメカニズムの一つを便利と思えてしまう。各分野への関心に依存するよりも、だれもが反応し易い、ということで、ヒトが観念の方で工夫してきた数々のヒトならではの分野をできるだけ避けて、ヒトとか生き物とかが共通させている生理の辺りにストレートに響く刺激に頼る手法に傾かせてしまった。
 視聴に"食いつかせる"。飽きたら、また、同じ原理だから、見た目の違う、同性質を応用しまくるだけだ。
 そうやって、メディアに登場する使い捨て素材諸氏は時期、時期に次から次へと入れ替わるようなことが繰り返される。
 各土地、土地での持続的営為を目論む事業であって、客を寄せることが肝心だから、マスメディアに頼ることも、一面必要、と感じる。そして利用する。が、今時のマスメディア、メディア環境は、かつて超大国が煮詰めて再現可能を検証済みの手法が蔓延しやすい視聴率依存へと誘われている状態だから、飽きられることを前提に、そこらに巻き込まれない使い方で利用する工夫抜きには、かえって一時のブーム、そして衰退の憂き目の繰り返しの一コマ(で、この場合、自己責任とか言わなくても、利用する側の油断の方が濃いと素人老人からは察せられる)で過ぎ去るだけだったりする。客席が多勢の現プロ野球中継を見てしまうと錯覚しそうだけど、既にプロ野球は、20世紀の娯楽として巷へのキャッチボールの浸透度合いと並行した規模になっていた。それ以後は、ないし今は、特殊な時期だ。
 多くのスポーツがバブル景気をつい夢見がちにしているムードが流行っているかもしれないが、ゲームをする子供達の数、というよりはボールのリフティングで遊べる子供達が目立てば目立つほど、サッカーファンの数と並行させる。リフティングのこつをまったくの初心者にシンプルに伝えられる熟練諸氏が巷で活躍できるようなら、サッカーの将来は明るいままだ。列島環境は20世紀型超大国との付き合いが長いから、巷のキャッチボールがやりにくくなっても(危険だ。そして数は極端に減ってしまっているのが現状のはずだ、にもかかわらず)、野球場は各地に膨大に生かされている(ひょっとしたら女子ソフトボールの達人技が育つ場へと変わっているのかも・・)。
 女子の筋肉知見については、ヒトを知るための研究として必須となり、性差とか性スペクトラムの観点からも今において相当な研究対象となりえているとのことだ(諸橋憲一郎氏(九大)からみでのネットニュース)。
 突然だが、話題は女子サッカーになっている。
 女子サッカーというよりも、素人老人にとっては、貴重にもフジのBSが放送してくれた2022年U-20の試合とその後ネットでハイライトでしか見ていないけれど2023年のU-18の試合から、サッカーは女子のために過去のだれかたちが将来、未来のために用意してくれていたのではないか、くらいに刑事ドラマじゃないが、推理しているところだ。
 大雑把に、急激筋運動を白筋、ほんのちょっと緩いが素早く動けもする持続に向く赤筋と分けてみて、(性スペクトラム観点を導入した場合の表現として)典型的女子は後者がより発達し、白筋は典型的男子に発達し易い。しかも、総量として、同じ重さの(典型的)女子と男子の場合、女子は脂分で、男子は筋肉で差を生じさせやすい。ネットで読めた資料からだと、男子の7、8割が女子の筋肉量とのことだ。
 まったく素人の集めた雑な材料からの推測になってしまうが、以上のような典型的女子タイプ像から、サッカーのゲーム展開は、いかにもサッカーのゲームのような具現が成りやすいように素人老人は想像した。
 今時の女子サッカー審判員諸氏において、女子サッカーこそがサッカーだし、それを育ててみようじゃないか、という機運がより盛り上がるようならば、サッカーは格闘技ではないが、芸術系スポーツの要素も含む、激しいスポーツの一種だと見なせられるなら、怪我を誘うタイプの乱暴なプレーは即反則として裁いて一定の女子サッカープレー交換場面における常識を作るようにして、うっかり見過ごされそうだけど、キーパーチャージの類も厳しく取るようにすることで逆にキーパー諸氏がより積極的にプレーに加担しやすくするし、自らのボール外でのタックルとか乱暴なプレーの必要性も抑制できるようにする。
 ここらは、パスサッカー、精度が可能にするシュート技の数々とか、ボール支配こそがゲーム進行の軸になってしまうサッカーのゲームタイプにとっては、ボールを奪い合う場面での激しさが怪我を誘うことのないプレーで可能になることの技術面での達成へと誘う審判諸氏からの加担と指摘できる。
 恐らく、旧タイプの熟練選手達がいつものこととして受け入れてきた、相手チームにボールを渡すことになる安易なミドルでの裏を取るとかの大儀も併せ持つ放り込みパスのつまらないタイプのプレーは、出る幕が無くなって、より観客が楽しめるゲーム展開の方に誘ってくれそうだ。
 知ってか知らずか、ヨーロッパの巨体チームは、ミドルやロングの相当に精度の良いパスを技術的に獲得してゲームを展開できるようにした。ここらは男子の激しさ売りの展開よりも見せる形だった(パスサッカーの面白味の100分の1くらいは面白そうだ)。精度がかなり落ちる日本のなでしこのナショナルチームはまったく歯が立たなかった。相手チームが疲れた時点で、挽回を図れそうで、パス精度の落差が物をいって、まったく負けるに任せる状態に陥っていた。
 2022年U-20世代以降の世代たちは、そこらをクリアしている。しかも動的にパス回しするセンスを当たり前のこととしている。理屈で指摘しても、普段そう感じてできているから・・とかで応じられるはずだ。
 前日の実に静的な展開となってしまったなでしこチームの国際試合(ウルグアイチームとの試合)においてさえ、2018年U-20世代の選手達には、静的対応がくせとする選手が多そうなことは何度か指摘してきたけれど、動的対応も実はできるしぃ・・・という諸選手もいるらしいことをちらっ、ちらっと魅せてもらった気になっているところ。
 対して前前々日の放送ではなんと浦和レッズ5人衆がその試合を運んでいた。
 DFのお二人はここでは置いて、前のポジションのお二人について、もう一人は、なんと黒子役をこなしておられた。
 この試合の後半過ぎ、かなりいい精度のパスを前のポジションへ送られるようになっていて、いいところへ届いてもそれを受けたお二人の浦和レッズ所属の選手が上手にさばき損ねて、得点になる、ならないに関わらず、いいキックを蹴れていない。
 熟達した選手諸氏に素人老人が何を言うかの類なんだけど、ここは素人の蛮勇ということで、言ってしまうが、ここらもイメージとして浸み込ませられるだけで、現場の生々しい様々に対応可能な動きを身につけられるし、ボール扱い慣れ、熟達した選手諸氏だからこそ、よりそれを受けての応じる蹴りがすばらしいボールの航跡を生むと指摘してみたい。
 元々ボール扱い慣れしているにも関わらず、その生な瞬間にいい蹴りで返せないのは、実にもったいないことだ。
 色々地肌の状態からイレギュラーもする。でも、野球の硬式ボールのイレギュラーが顔に当たるかもの心配性とは違ってサッカーボールの場合、もうちょっと瞬間対応できるなら、扱いやすいと察せられる。
 そして、バウンドの癖のいくつか程度を現場のトレーニングで繰り返し体験してイメージとして生理的に肉感的に取り込めた辺りを実感できているか確かめる。
 イメージ上での再現もできるようなら、多少のバウンドの差異など問題なく、体がそのバウンドに応じてくれるようになっているものだ。そしてどういう力加減とか角度での足の持っていき方とかも、体がそうしてくれるようになる。
 その体の用い方ならば、ボールはどちらへどういう具合に飛んでいくかまでかなりの精度でイメージできるし、ほぼ正確にそう飛ぶようになる。
 そういう準備のための時間を惜(お)しまなければ、引き出しを次から次へと自らの成長、熟練として用意し続けられる。
 で、いいパスが来た。当然、切羽詰るシチュエーション下だ。そういう時にこそ、瞬間判断が要る。パスコースを瞬間前の生な状況として視野に入れているか、相手の攻め方のその次を読めているか、そこらを瞬時判断して、フェイントをボールを受けた後か、受ける前かにかけることで応じるか、パスするための動作を入れるか、パスで即返すか、などをバウンド対応の自信とともに"計算"づくで可能にしている清家選手、楢本選手がいらっしゃるわけだ。切羽詰った状況だとしても、ゴール周りの人像に惑わされることなく、空きのところを正確にコース取り優先から蹴っている。男子の瞬間力技での強引蹴りは不要だ。もちろん、状況次第で、スピードの強弱使い分けは必須だけど。ここらの感覚が身についていると、ペナルティエリア近辺での強引な蹴りについ誘われて相手チームの選手に向けての蹴りになってしまうちょっともったいないタイプの擬似シュートっぽいのを相当に避けさせるどころか、一瞬の時間を用意させて、その隙の間につぎの場面におけるより適切なボール扱いを自信を持ってこなせるようにもしてしまう。
 旧タイプのプレー質の選手諸氏にも、だから可能性は一杯ありそうだ。
 もちろん、新世代たちは、パス回しで相手の陣形を崩せるし、相手がちょっとの間を作ってしまうだけで動的なパスコースを演出して、転がるほうでのシュートも可能だし、頭越しの正確なシュートもこなしてくれる。状況を自分達のボール回しで開拓する力量を持っている。でも、ヨーロッパの巨体チームも、そこらを、動きが追随する範囲で真似てくるはずだから、池田監督の言う意味からの引き出しの準備は直ぐ出せるということを前提に、共感しながら沢山用意できているほうが、よりゲーム展開の面白さも提供してくれるだろうし、試合に勝てるゲーム展開にも誘えそうだ。