連載は続く~ SF掌編『妄想の後は空想だ。サッカー話続編』編


 からだが大きく育ちすぎるか、その可能性大ということからその子をどうこれからの進路を経させようとするのか親たちが悩んでしまいそうな辺りへ、相撲や野球が一つの答えを提供し続けてきた。
 ただし、かなりの人数制限を伴わせる。
 その昔、現埼玉県西部地区育ちの福信氏は都に出て大成功した上、長寿の人生を全(まっと)うした。
 相撲でその力量を披露出来てそれゆえの目に止まる機会を得ている。
 今時の相撲の上位に上がる諸氏においては、意外に短命な諸氏の名を持ち出せる。
 すべてそうだとかの話ではないのと、そこらの統計については調べていない怠慢があるため、少々一方的な押さえ方になってしまう。
 その短命さと福信氏の長寿を比べて、現相撲界の体の使い方(お付き合いでの飲み過ぎがたたって・・とかならばご贔屓(ひいき)飲み会改革が要る)についてそれなりの改良の必要性を素人の勝手な思い込みからは発信できる。
 とにかくその昔の体丈夫氏は行政組織の中でも一定の栄達すら遂げて長寿を達成した。
 肉食好きな諸氏はスポーツ系には大勢いらっしゃりそうだけど、大抵それは動物の筋肉だ。
 美味そう!とかつい舌なめずりを心の中でやってしまいかねないどなたかたちが大勢いらっしゃりそうだ。
 それくらい筋肉には魅力を発散する力がありそうだ。
 気持ちの方でつい弱音の方になびきやすい諸氏が、気まぐれからちょこっと自らの筋肉を育てるようなトレーニングに励んで、なんらかの動作の際の軽さに少々の満足感を味わせるようなことを起こすのは、筋肉らしい働きに伺える。
 サッカーのプロに就きながら、学業もこなして、たまたま素人はテレビで経歴を紹介された場面を見て知っただけなのだが、浦和レッズレディースチームの安藤梢選手などは、それなりに専門的な分野をお持ちのようだ。氏一人だけということはなくて、結構、そういう機会を利用しようと思えばできる境遇のような感じだ。感じだ、というのはこれも未だ調べて書き込んでいるわけではないから。
 介護施設ではリハビリとかマッサージの類を専門的にこなしてくれる要員も貴重だし常駐で雇われる部門だ。
 だからサッカー人生の中で、サッカーそのものをずっと担うタイプもいらっしゃれば、サッカー技と並行して学んだなにがしを合わせて応用して人生の糧にするという方を選ばれている諸氏も大勢いらっしゃると想像されるが、介護の世界で、リハビリとか体を使ってお年寄りの健康長寿に加担する職業選択も充分に選択しにしてもらいたい気がする。
 もっと欲張って、映画では何本も公開されてきたけれど、音楽家とか特定の職種の人々がその稼いだお金を老後用に持ち寄って、老人ホームのようなのを運営するようなことも起こりうる。サッカー興行業界がそれを試行できた場合、介護部門の現場や経営部門すらサッカープロ経験者で固められる。中の入居者はもちろん、その昔大活躍した選手たちで、老後もサッカーノリを理解し合えるだれかたちと生活を共にしている。距離感とか、そこらを探るのはサッカーゲームの生を熟知しているお年寄り同士ということで、大概については対して摩擦は生じない。
 しかもリハビリとかその類をサッカー技経由のリハ熟練技でもって接してくれる。
 こうなったら、ここで最晩年、ターミナルケアも頼んじゃおうかなぁ・・・と入居のほとんどが考えていたりして。
 素人考えでは、(もちろん体全体のバランス的動きを伴わせてのことだけど)足技の器用さが、サッカープロ経験者のみの施設なら尚更、足を障害使って日常のなにかしらをこなしてしまう体性という辺りで、長寿になにげに響きそうに想像したくさせる。だから応用で、足技の巧みが少なくとも列島のお年寄りに伝授されて、お年寄り諸氏が器用に足技を使ってなにかしらをこなしている日々の有様を想像できることは、なんとなく、元気を失わないで済んでいる施設生活を空想させる。
 年寄もだから、体そのものが晩年モードに入ってしまったのか、気持ちのふさぎの類がそうさせているだけかの明確な判断を可能にしたときに、前者であるならば別だけど、後者ならば、筋肉に理論の裏付けを得、実際の経験からも100%確かめられた場合、筋肉にも働くサッカープロ生活で覚え、その後の体知見の学習と重ねたその時点での熟練から、老人向けの日々の体の使い方を生活パタンに組み込んで健康長寿の足しにできそうだ。
 先日、平等の方の理念と並行して、性差の方からリアルを正確に見定める知見も進行形としてある辺りをふれた。
 知見としては古く、しかも、それが新たな気づきからリアルへと大いに働きかけうる知見として登場した辺りについて、柏書房刊『寿命は遺伝子で決まる 長寿は女性の特権だった』(シャロン モアレム著 '23.11)を長年お世話になっている新刊情報ページにて知ったところだ。
 この本の柏書房のページには、XXとXYの染色体組み合わせの違いがもたらす生命現象への影響を簡略にふれられている。更に詳しく知りたければ本をどうぞ、といったところ。 知見の一つとして、このXXというのがミソのようだ。Xが遺伝子の集まりとしてなんらかタンパク質合成に関与するとして、XYの持ち主(典型的男性)の場合、Xをもたらした親の形質なりが応用の元になる。
 XXの場合、お気づきになられたと推測されるが、二つのどちらかを応用できる可能態としてありえている。著者はそこらに注目されているようだ。
 片方のXがどうも対応不能らしい、ということでもう一つのXを使う。
 そしてXXは女性として人々が認識し合えている形質へと形化させていくから、一般にとっての女性がその担い手と押さえておいて差し支えない。
 遺伝子上のXXの持ち主という限定にしてより一般的な押さえ方も可能だ。
 その人々の一特徴としては長寿が見込める。多分福信氏の70代よりもずっと上まで生き続ける。
 介護の現場では、以前はふとってたの・・とおっしゃる女子を結構めにすることになるはずだが、糖尿病なりで痩せてきて、心配になった関係者が進めて介護施設の生活に入るということがけっこう起こる。
 更に、女性が多かったりする。
 男性が一人生活上手で、施設生活を選ばない、というわけではない。
 実際に同年齢のお年寄りの場合、女子が多くなってしまう。
 男子の場合、介護認定の重い方を得て入居となるような時、けっこう体がボロボロということもめずらしくない。かなり傷んでいるけれども、本人の頑張りの身につけがそうみせないだけで、様態が重くなりかけると一気に衰えて、のようなこともありがちにする。
 そこらを受け手、素人老人的考えから、女性たちが、その嗜好の多様さを前提にしたときに、様々にその後の人生の送り方が可能になるには、夫婦の老後が始まる以前からか、始まってごく初期から女性の方が、一人になって以後をイメージできた人生のすごし方を空想でもいいから準備しておくことがボケ症状発火をずっとずっと先延ばしにできるかも、とかそこかしこでふれてきていた。

 総合芸術系スポーツである女子サッカーが平等発想も性差発想もこみでその知見からどう可能性を描けるかも一応は描けておけた方が、より大げさにとることもない意味で挑戦しやすくさせそうに素人老人からは思える。
 女子サッカーの本体、各選手ご自身が自らの心身と対話できて、そこらからの知見を持ち寄れての女子サッカーの可能性を現場でトレーニングや体つくりやに応用してしまう実践的表示のあり方も充分に起こりうる。

 昨日の日テレ・ベレーザチームと浦和レッズレディースチームとの試合では、後半、シンプルに清家選手のセンタリングから得点が生まれている。
 中には、清家選手のセンタリング精度、そこまで確率高かったっけとか振り返った諸氏もおられるかもしれないし、当方はそう受け止めそうだったが、アジアの試合を見た後なので、意外でもなんでもなかった。
 菅澤選手の大きな身体に丁度良く届いて、ありがちな得点になっている。
 その菅澤選手はずっと後輩でDF担当の石川選手に守備とかパス出しについてのヒントを提供していたようなことをインタビュー記事で読める。
 大ベテランの菅澤選手の得点力は多分、そういったゲーム勘を養うことを怠らなかったことから可能になったと素人老人は見なしたくなる。一方で、菅澤選手の攻撃手法はある種のパタンに陥りやすいので、そこを見抜いた相手チームには通じないという弱点といつも一緒のところを指摘できるし、そこらをご本人のゲーム勘からして気づかれてもいる。 日テレ・ベレーザチームの各選手にとっては、そのデータベースのどこかにインプットされたところのはず。今時のデータベースソフトは引き出すのも俊足だから、ゲームの生々しい時間経過を邪魔しないタイミングで今度は制御する方に作用させてしまいそうだ。 確率的にも、コース狙いがもっとも効率的に点を得やすくする、の辺り。
 激しくシュートするよりは、ゆっくりでもコース狙い。
 前後半と日テレ・ベレーザチームのゴール前の寄せの際、ボールの持ち主はそのたびにシュートを狙える位置に入っている。にも関わらず、列島サッカーテレビ中継でよくみかける脇にそれてゴールに寄せつつパスのタイプを演じようとしがちにしている。
 好機!にすかさずはFW気質に必須の要件と察する素人老人からすると、惜しい機会と見るよりも、ちょっと積極性に欠けてない?と今時流行らないことばかけのタイプで応じたくさせる。
 若者たちこそチャレンジに気持ちの上での障害は少ないと老人からは思えるのだが。

 素人老人は、チーム編成については、アイスホッケーとかバスケットボールとか、アメリカンフットボールとかと多少似せた発想を持っている。
 先発メンバーには、宣伝用に使われてもそれがもたらすストレスに耐えられるとかかまわないよ、と言える選手諸氏をできるだけ選んでおく。
 その先発メンバー案を監督諸氏が勝ち負け利害で苦労しっぱなしの実情を無視して暴論的に持ち出して、まさに素人談義にしたい。
 日テレ・ベレーザチームの場合、各ポジションについては、監督に任せたいけれど、カップやリーグ戦を通じて、頻繁に抜擢される選手ということで、しかも素人考えから、その弱点を見ていて、それがゲーム展開上現れにくい試合プランの中での位置づけとして持ち出してみたい。
 8人は2022年U-20が先発メンバーの要件。
 GKは体調とかトレーニングの状態から2018年U-20世代か2022年の世代かで先発を選べる。どのGK選手にもモチベーションを本番に合わせておいてもらう。
 DFの一人は、パスのボール質もコントロールして出せるベテラン域の村松選手がパス回し攻撃サッカーには欠かせない。
 もう一人を2018年U-20世代以上から選ぶ。
 こちらもネットインタビューで知ったことを下敷きにすると短気らしい藤野選手のメンタルを支えうる北村選手が候補なりそうに思えた。
 シュートセンスはスタジアム、テレビ画面で諸氏がご覧になっている通り巧みの部類だ。
 ここらは以前所属してた植木選手っぽい。
 しかも、ボール扱いも北村選手はこなす。ある程度のスペースを得たときに、相手チームの圧が1人、2人程度なら抜きされる。
 けれども、ドリブルが続いてスペースを意識出来なくなるともろさが出やすいタイプだ。
 パスを得て、パスを返すというタイミングや相手方向への精度付けも圧がかかるほどもろさがでてきやすいタイプで、ここらは2018年U-20世代諸氏全般に指摘できそうだ、と素人老人の見てきた限りでの映像からはそう指摘したくさせる。
 つまりそのシュートセンスを使いこなせれば、日テレ・ベレーザチームにとってはいつでも貴重な得点源になってくれる。でもスペースの確保が欠かせない。
 そこを相手チームがデータベース化して、その妨害を対処にしてくるようになっても、シュートセンスを使いこなしてもらうゲーム進行中での北村選手の担当部門設定が動きの絞り込みを可能にする。そこにパスを合わせるだけだからゲーム進行の生々しさにおいてもシンプルに使いこなしやすくする。
 日テレ・ベレーザチームがそうであるように、相手のボールの持ち主へ向けての攻め、圧行使は、ある程度、グランドのどこかしらにスペースを残し勝ちにする犠牲をともなわせる。
 しかも激しく動いている状態がその瞬間の切り取りに近い。
 たとえば昨日の浦和レッズレディースチームが後半激しく圧を行使したようなことが起きたとき、逆にスペースがつくられやすいと見なせる。
 そこらを逆利用する選手諸氏の巧み技としての動きは日テレ・ベレーザチーム各選手がより得意とするところだ。
 だから、かつての植木選手よろしく、そこへ走りこんでもらって、しかもボール扱いも期待できる選手だから、多少の圧が加わるようなことがあっても、かわして、シュートまで持って行ってもらえれば、その間のできた、日テレ・ベレーザチームにとっては不利に働くスペースが生じていそうな問題も、シュートで、得点なら良し。
 GKが取っても、多少の時間は生じるし、弾いたりで外したなら、その分、時間ができるので、修正はその短時間でこなせばいいことになる。
 相手チームにボールが渡った瞬間から、体力消耗にはつながるけれど、仕方ないのだから、その数分間は、なんとかボールを奪う動作の連携を使って、時間を稼ぐ。自ボールになれば、時間稼ぎのパス回しはお手の物だ。
 個人技としての精度が向上することで、相手チームがボールの持ち主へ圧をかけようと集まってくる動作そのものを時間ロスに使えるように、パスを出すことを日テレ・ベレーザチームの各選手はやってのける。惰性の向きを修正する(方向転換とか)時間はごく短いとしても(ゲーム展開にとっては)バカにならない。また抜きパスされた選手諸氏がここらを実感されていそうだ。
 あるいは、待って、相手選手がボールを奪いに近づいてくるのと、いい加減のところで、パスを出して、やはり惰性の急停止→体の向き調整と追っかけモード再度onということで、ごく短時間だけどロスが生じている。
 更に精度を身につけないと、何回かに一辺くらいは失敗している感じだから、これをこなしきる実力がついた日テレ・ベレーザチームをどのチームもが想像したくないと察する。
 ヨーロッパや南米の攻撃的パスサッカーを緩急技も込みで身につけさせてきたチームは高性能の状態でチームを活性させている時代に突入済なことは、BSフジのU-17ワールドカップ放送からも知れ渡っている。
 多分、クラブチームそのものが、けがを多発させないけれど、ファンを沸かせられるサッカーゲームの醍醐味に向けて改良に改良を重ねてきているのではないか、とここらは素人老人の勝手な空想に過ぎない。
 女子サッカーは‟赤身肉‟とちょっと余分の脂肪分を体にまといがちな女子身体特性が発揮しる総合芸術系スポーツの一つの体現だ。
 男子は白身肉経由のトンでも瞬発力を見せびらかすけれど、ファン層がトンでも状態で集まりやすくなっている現状は、営業利害圧が関わっていそうで、改良の余地なしかもしれないが、女子サッカーはひょっとしたら新しいサッカー興行のタイプを編み出してしまうかもしれない可能性に充ちているところ、と素人老人のさらにの空想が頭を過ぎる。