連載は続く~ SF 掌編『桜の開花を置いてけぼりにした気温変化の日、女子サッカー』編

 その後の列島史での展開を考慮できるなら、ということで、古代列島状況ということを素人老人的に押さえる場合、一つ、媒介役をこなししかも導き手の性格も有したと想定できる旧楽浪郡帯方郡由来の漢文使いに達者だった伊都国人脈の脈々を決して忘れない関係性において平安期や鎌倉期終焉くらいまではたどりたくさせること。
 そこに仏教脈がどう関わっての厚みを持った展開であったのかも、奈良から京都へと遷移した事態を踏まえられるような中味を素人老人は想像になりがちにするけれど、事情通、学問系な諸氏においては資料を踏まえた考察など期待したくさせる。
 日本国出発時点以後のシステムを支える上でのことば上の諸発明の数々がいかに定着し、育ち、それゆえヒトのなすことゆえに変質すらしてしまって今日に至るのかさえ、大雑把過ぎる表現ではあるけれど解きほぐしに期待できそうだ。
 古代列島は申氏仮説に依然基づいてしまうけれど、加耶系集団移住のきっかけから、各地性をより濃くした性質を相当に強く持ち育てて以後を展開させることになる。
 だから各地性からして漢文脈が支える権威筋のその根拠性を示す脈絡なりすらが各地性ゆえにかき消される性質を帯びている辺りを想起させながら、列島を纏め上げる660年以後の展開、事態をより密着的に追いやすくさせると、素人老人的には空想してしまう。
 それゆえ、文書行政をしっかり持続的に支えるタイプの官僚系っぽい人々はごく稀なまま以後数百年程度は推移してしまう。その代役を仏系教養の人々が支えた可能性すら素人老人は妄想したくもなる。
 技術や生産・流通などの実務的な力量は、その豊かさから持ちえた文化ともども既存権威筋よりも華やかだったろうけれど(ここらは九州系発想の諸知見諸氏の中味の逆転のあたりを示せる)、それだからこそ、各地性の自立的性格も多分説明可能になりそうだ。
 だから前方後円墳の規模云々でまとめてしまいたい欲望を少しだけ我慢してもらって、そこから一気に統一されていたとかの話にすることも少々慎んでもらえれば、よりリアルな古代の列島での歴史展開をドラマとしても描き易くするし、多分、人々が為したことゆえの相当に面白いドラマを様々な場面を区切って(あたかも江戸期のそれぞれの舞台を切り取って色々に描けるように、古代当時の列島を描き易くする、と素人老人は少しずつ古代列島に親近感を覚えるようになりつつあるけれど、これは他人諸氏からすれば素人の妄想に近いかもしれないのだけど)日常の中に落とし込めるようにもする。


 さて本題は3月30日。昨日の夕方近くから急にポカポカ以上の気温の状態になってその延長での30日になっていた。
 急な変化に薄着して、しかも陽射しを浴びつつ暑さまで感じるくらいになってしまった。
 多分、桜の花の方は、仰天して、(気温に反応しての)瞬間咲きすらできなくなってしまったのではないか。
 試合前、まったく久しぶりに楽器や声による生演奏で(極く個人的ではあるけれど)気分を盛り上げてもらってその勢いから試合を見させてもらえた。たまにはこういうこともあるものだ。
 ①前半と後半でのゲーム展開は対照的だった。
 ②藤野選手が我慢しきれないくらい激しい圧を仙台チームは行使した。
 ③各チームにいくつか指摘できることをふれたい。
 それでは順を追って、
 【①について】
 どういうことから対照的と見たのか。
 前半、日テレベレーザチームはオーソドクスに対応した。
 勢い良く機敏に相手のボールを奪いに行くことはせず、相手チームの仕掛けに応じる形での展開を見せた。
 当方は初め、仙台チームがパス回しなり動きなりからベレーザチームのボール奪取の動きを封じられているのかと思おうとしたのだけど、そうではなく、お互いの隙ありでそこを攻めるタイプの攻防、と言う感じだ。
 意外にそういう対応関係の場合、仙台チームはかなりベレーザチームを圧(お)していた。
 後期に入ってベレーザチームの守備の手法は多分、改善されたということばが適切なくらい、体力を消耗しがちにもさせず、だからと言って色々な場面にも瞬時対応できる形を持ち込めている。仮にパスミスや危ない位置関係での相手チームによるボール奪取と言う場面に遭遇しても、かつてのような失点し易さの条件を相手チームに与えるようなことにはなっていない。DF、MF選手諸氏が状況に合わせて複数、攻めの相手チーム選手の好き勝手が出来ない程度に走力、位置取りを状況に応じさせて機動させている。
 ロングのピンポイントパスやパス連携からの攻め入りなどを相手チームが駆使してくるなら、それなりに、より工夫が求められるが、その余裕を持つためには各チームがパス連携の精度がより付くように育て合っていかないと、プレーしながらの余裕確保ということは難しい。だから、ということで指摘してみたいことは③のところで。
 仙台チームにとっては貴重な前半のシチュエーションだったのだけど、そこで点を得られず、木下選手の動きとボール出しの精度によって、一点を取られてしまう。
 【②について】
 体力を消耗させない工夫込みの術を身につけて、現状のベレーザチームのパス連携やゴール前技を発揮できるような試合展開となると、今時のWE各チームで五分に圧を分かち合えるチームは皆無と素人老人観測はことばにしたくさせる。
 ヒトの身体は20代半ばくらいになると大人の目から見て大人のガッチリ感、対象無理を強いても体力面では踏ん張ってもらえそうな体つきになっていたりする。
 ベレーザチームの若手選手はそれ以前のガッチリ化に向けた育ち盛りの段階の諸氏だ。
 つまりサッカーのゲーム中に審判次第で怪我の多くを制御できる余地をより多くさせる、という辺り。
 体が伸びた状態の背後から勢い良く体の圧が入るような場合、下手すると鞭打ち症状を誘うような打撃を蒙る。だからその種の選手間での暴走を審判諸氏は制御できる。
 この試合でも、ベレーザチーム各選手への圧の加え方はいつもどおりの強度が見られた。
 山本選手が抱きかかえられながらそれを解きほぐしながらドリブルやパス機会を見出そうとするシーンを観客諸氏にはお馴染みと察するが、同様のことが、今ではベレーザチーム各選手に起こりがちにしている。そこを厳しく取りすぎると、ベレーザチームの動きは活性して・・・だから、審判諸氏がそこを見過ごしているはずは、ないけれど、得点機会をめぐるきわどいシーンではつい手が出てのようなイエローかものタイプの審判による静止が入るけれど、それがより他の進行中の場面でスルーされ続ける場面としてくり返されるようだと、ちょっとゲーム進行としては素人老人観点からはゲームの面白みをそがせないかとか心配になる。
 代表チームでの活躍以来更に激しく圧が加えられ易くなっていた藤野選手は、この日の試合の一場面で、複数選手による抱きかかえが、鍛えられた足腰ゆえに抱きかかえられながらも自走してその窮地を脱する勢いを失わなかったために審判氏が錯覚してしまったものか、それがずっとスルー状態で、藤野選手の方が根負けして、グランドのへたり込んだ。
 素人老人観点からは審判諸氏に期待を投げかけるとともに、藤野選手だけに限らないのだけど、注目選手で力を他チームの選手に自覚的に示せている選手諸氏は、これからも普通じゃない圧を工夫されるとまず断言できる。逆にその圧こそが、海外の猛烈な圧を加えてくる試合でも耐性となる素質を養える機会にできる。だから、その圧を審判がどう判定してくれるかはとても貴重で、怪我とかゲーム展開をつまらないものにするくらいの過剰な妨害となっているあたりを見逃さずに反則で取ってもらいたい。
 圧をこうむる選手へは、審判を理想化しすぎず、だけど信頼はして、その限りで、ボールをめぐってのプレーの場合、ボール保持には我慢が要るあたりをより意識して持続的な気持ちの方で反応できる慣れ、場数の積み重ねを工夫してもらいたいほうで期待してしまう。NHKのBSが過去の名プレーを含む試合のいくつかを再放送するらしいから、今時の忙しなすぎる試合以前の世界の名プレーを見て、耐性の辺りも学び取れるのではないか。
 一つ、耐性そのもののシーンではないけれど、圧をかわすということでは、参考になりそうな名プレーを事前の紹介番組で見ることができた。
 マラドーナ選手が5人抜きした一連のシーン。ほかFW系選手がドリブルで持ち込むシーンによく見られた。
 早く走れる選手はスペースを使って遠くへ蹴って一揆に加速しながらゴールをめざす。
 でもそれが単調ならば即ボールを奪われる。
 相手選手に接近することになるけれど、フェイントのために敢えて事前に避けず、近づいて、フェイントしながらしかもボールにもフェイント方向づけを与えて、長く蹴りだして、体の方のフェイントが効いて前の選手をかわし、ボールも安全に別のスペースを転がっていて、勢いの惰性を使えているので、止まって待つ相手選手は、動きのタイミングをつかみにくい状態のままだったりする。そこで簡単なフェイントと長めの蹴りだしで更にかわしで、残すはキーパーだけ、というシチュエーションすら生じさせられる。
 走りが早くて(女子代表では宮澤選手とか藤野選手とかが目立つ)ドリブルもこなすタイプの選手にとっては過去ビデオは貴重と察する。
 切羽詰った感からドリブル+疾走の場合、視野を狭めてしまうかもしれないが、ドリブルでの何人抜きかを面白がってこなせている状態(マラドーナ選手の場合は弟さんと過去のいきさつを持っていて、面白がれるエピソードをいつも記憶の引き出しから持ち出せる状態にしていた感じだ)から空きスペースを瞬時見渡せて選択できるようにしておくことも欠かせそうにない。
 【③について】
 前回の試合で得点している20番廣澤選手(2018年U-20世代)と17番佐々木選手に注目して見ていた。
 前半、廣澤選手はからだの使い方を巧みにしてボール保持を試みられている。ベレーザチームのボール奪取圧が本格化する前の状態を前提に、だけど、その動作をフォローできる数人(ベレーザチームがここらを100%こなすようになると隙なしチームと化す)が寄せてパスコースを示せるようにゲーム展開を組みたれられるようにすると、それなりにごちゃごちゃシーン抜きの見ごたえある得点場面を(仙台チームとして)持ち込めそうだ。
 ペレーザチームの若手選手お一人お一人が凄い足技とゲーム勘の持ち主たちと素人老人は察するのだけど、この日、久しぶりに途中出場した13番木村選手の動きが活発だった。
 今時のサッカーではたとえドリブルでも持ちすぎは禁物だ。
 この日の木村選手に持ちすぎてしまう状況を誘った程度にフォロー技を必要な場面に提供し損ねたことはそれとして、むしろフォローが加わって、パス連携を狭いスペースでこなし別のスペースへと誘って空間を作って、ゴール前の攻防へと誘う発想の共有の辺りを素人老人は感じさせてもらえた。ここらが若い選手に多くを任せているにもかかわらずそれなりに勝ち負けでも実績を残せている要因かもなど余計な事まで想像してしまう。
 大阪チームも若手主体なのだけど、詰めの連携に共有の形式の使い分けが支えとなっているのかどうか。もしもそこらをいつでも引き出しから持ち寄りあえるようなら、得点機会で相手チームにいつも圧を加えられる。余計な心配が錯綜して、シュートコースのための余地を生じさせやすくする。
 ということで、9番神谷選手、32番鈴木選手が時間の問題だけど、日テレベレーザチームのゲームのりに慣れて動きの同期に身を任せられるようになってくれれば、その突っ込み勘がより輝くようになりそうだ。
 AFCU-20出場直前ころの試合でいい突っ込みシーンを見せてくれていたヘアスタイル変身の土方選手が代表出場で凄い得点を成した代わりにか、本日の試合ではゴール前への突っ込み感(タイミングをつかむ巧みさ。ボール保持力はいうまでもないし)がイマイチだったように感じたのだけど、黒子役を買って出られる山本、藤野両選手(自らがシュート力を発揮できる両選手だけど)だけを取り上げても、こりゃ後期の試合が楽しみだと素人老人は勝手に思っていたりして、神谷、鈴木両選手にとっては2018年U-20世代が2022年U-20世代を参照して、自らの技量に修正を図れるいい機会にできそうだ。
(パス相手をいつも探すことが出来ていて、もちろん相手チームの選手の動きを合わせての画面になっているはずだが、場面が違って、相手チームがボールを回しあっているならできるだけ早くこちらの中でのボール回しになる工夫を即イメージできていないとダメなくらいの身も心も躍(おど)るようなゲーム展開がシュートをもって一区切るになる映画が試合中に幾シーン(長回しで)も演出され続ける)

 

連載は続く~ SF掌編『女子サッカー若者チームの活躍を見てきた感想』編


 広島チームの5番市瀬選手とサイドライン沿いを走る15番の藤生選手や11番の中嶋選手らの間にはそれなりの呼吸慣れを感じさせるタイミング合わせなどから感じられるシンクロ機会の積み重ねなど想像したけれど、折角の好機のはずが、パスで蹴り出されたボールはサイドラインを割る方向に走り続けるタイプのものだったりしている。
 サッカーに馴染んだ諸氏には直ぐに気づかれると素人老人は思ってしまうが、パス出しのボールにバウンドしながら減速していくタイプの回転を加えるだけででも、いくら早く走れる選手でも逃げるボールは追いきれないのに対して、減速系の丁度良いところで得られたパスは次のプレーへ入りやすくもさせる。追う相手チームの選手と競うのは走力だったりすれば、そこをほんのちょっとクリアできただけでも位置関係として背後を取った状態のままゴールに駆け込めて、もしも自チームのだれかたちが気をきかせてゴール前に押し寄せていたならば、それなりのゲーム進行に関わる圧を提供もするし、得点すら望めてしまう。
 回転系へのコントロールは100%確実にするのはちょっとぉ・・・、の場合でもややヨコ回転系にしてサイドライン側ではなく、ゴール側に逸れていくパスならば、走力で抜けて、即シュートの場面も作りやすい。市瀬選手がそこらを90%以上の確率でこなしてロングのパスを出すようになると、中央の上野選手とかの自由度に響いて、より得点機会を得られやすく出来る(つまり上野、中嶋両選手の追いつかれて圧をモロに受ける状態での脆さをちょっとしたスペースか時間的スペース提供によって状況的に克服可能になる)。
 またベレーザチームのボール奪取圧を交わすことはその勢いがついたモードの時には相当に困難とは思えるけれど、それでも、ベレーザチーム同様に、動いてパスコースを作ってもらうタイプのパス連携をこなしたシーンを後半、何度か魅せてもらえた限りで、それなりに自チーム内でのボール保持を可能にしていた。
 その先、保持したボールの状態で、つまり作戦を生々しく状況読みとともに練りながらの時間を得つつ、ゴール近くへとボールを運べる圧だけでも、ベレーザチームの一方的ボール保持圧へのオルタナティブな展開を持ち込めるようにする。
 そしてそこにロングの精度もそこそこいいのが届いてしまうことが何度か目の前で起これば、位置関係の自由度への制御をベレーザチームに与えることができそうだ。
 逆にベレーザチームはそこまで圧を感じさせる相手チームであっても、冷静にパス回しして自ボールを確保し続けて、動きが相手の陣形を自ずから崩してくれるタイプのプレースタイルを駆使しながら、最近特に目立つ、サイドライン沿いを使っての俊足の上がりとかなりの精度からのゴール前への蹴り込みによるヘディングや蹴りによるゴール狙いは、より有効に機能しそうだ。
 得点されるかも程度の精度のシュートが続けば、攻撃モード圧は、相手チームの冷静なボール回しのゆとりを削(そ)げる。ボールを奪われて速攻での変幻自在連係プレイと対峙させられかねない、という心にも動作連携にも響く影響を相手チームは蒙ることになる。
 バラエティに富んだ足技を基礎に、パス連係プレイの巧みもこなすチームならではの、通常の展開が可能になる。
 ただし、いつでもお互いの動きの癖を知り合える関係動作が要るし、シグナルを発信しあえて、時に各位置から声掛けをエコーさせて、相手チームにとっては数々の声の発信源にどの位置の選手が受けてなの?!と戸惑わせることすら手法にできてしまうが、そうやって相手チームが試合中の慣れからボールをあやつる選手への圧の加え方を上手にこなすようになって追い詰められがちな状態でも、そのシグナル発信によってか、素早く動き回る活発さ、持久力などが相乗している限りで、いつでもギリギリパスコースを提供しあえて、ベレーザチームのパス連携技=ボール保持状態が継続可能になる。
 ここらは率直に、止まってパスを待つタイプのパス回しは観客を飽(あ)きさせるけれど、ベレーザタイプの動いてその幾何の変幻自在さは見ていて飽きさせないというか面白くて引き込まれるタイプだ。
 どの数度にもう一回か二回ボールがつながる過程がシュートチャンスをうかがう積極性の下での動態であれば、うおぉーっっ!!タイプの驚きと感動系の情動を観客に生じさせる。
 この日の試合の引き出しパタンは素人老人のあくまでも憶測だけど、藤野選手への配球後の見せ場を期待するタイプだったように受け取れた。
 得点には宮川選手負傷の後を受けて途中出場した岩崎選手の巧みなつなぎパスが適切なその後の各選手の反応を誘ったのだけれど、そのきっかけとなるパスも藤野選手だった。
 見せ場としては、この時もそうだったけれど、ボール保持のための相手チーム選手との体接触を解した巧み、工夫だった。フェイントも観客をわかせていたけれど、足腰がかなりしっかりしてきていて、簡単には渡さないよの動作からする意思表示のようなのを感じさせた。
 ただし持ちすぎは禁物なことは今時のプロサッカーだから言うまでもない。取られるようなシーンを演じるような時には、相手チームにとっては設計された得点のためのプロセス始動となって、非常に自チームにとっては危ないし、急いで対処しないとまずいしの大変なことにしがちにする。
 全体の状況を見るプレーヤーの中で自チームの他の選手たちの技を引き出して連携の巧みへと誘う発想の持ち主タイプの場合、自身が最もやりたいことをとりあえず棚上げして他の選手たちの熟知した動作くせ他を引き出すボールだしとか動作をして、いつのまにか連携の相乗状態となってシュート、ゴール!!のようなことが精度よく起こってしまう。
 そういう他への配慮が行き届くプレースタイルをこの日の藤野選手は披露していた感じだ。もちろん、自身が出番となるシチュエーションだったら即シュートしていたと思える。
 つまり木下選手もそれほど目だって正確なパス出しのようなシーンをつくる様なことは無かったし、山本選手がパス連携に絡むワンタッチタイプでの受け渡しからゴール攻めというシーンも演出されなかったし、池上選手のお馴染みの典型的シーンも無かったし、一種(セットプレー上の)単発的なヘディングシュートのシーンが散発的に生じていた。
 一方で、相手チーム広島チームの上野選手、中嶋選手らと似て氏にとってのスペースさえあれば巧みな感知機能を働かせて精度よくシュートを放つ北村選手へそういう位置関係を察知した藤野選手がすかさずパスを出して得点となっている。
 二点目の鈴木選手の突込みまでイメージしていたとは思えないが、少なくとも岩崎選手のペナルティエリア近辺での巧みを期待してのパス出しは見事に得点として返ってきている。
 試合毎にフィーチャーされる選手が違ってくるのかなんなのか、そこらも期待しつつ、チームとしてのパス連携の巧みの変化とか熟成のあたりを追ってみたい。
 WEリーグの試合ということでは、少なくともベレーザチームのボール奪取圧をかわせるようになると(今時の各国の強いチームは最低でもそう来るから。つまり試合での勝ち負けをはるかに越えた値打ち有り、だ)、残るは相手チームに怪我をさせかねない荒業をも辞さないワイルド(ワールドカップではUSチーム選手を本気で怒らせた)なヨーロッパのクラブ系チームで育った女子サッカー選手たちで構成される代表チームとの客席が埋まって立見席も必要くらいの興行試合で、怪我しないでその圧をかわす工夫(合気道や柔道の受身や寝技(乱闘動作にならない締め技へ持ち込む瞬間技)を習得しておくとか)を育てられれば各国の観客をわかせられるチームとの興行効果も含む面白い試合を各地でこなすか世界のすご技選手が集ってくるWEリーグ各チームに近づく。

 

連載は続く~ SF掌編『3月20日Nadk5での女子サッカー試合感想』編


 簡潔に要点を押さえての説明ができない程度の掌握度なので、ただ言ってしまうだけになるけれど、現主流が(外圧下ということもあってだとは思うけれど)インフレ効果でのありがちな経済の営み試行に向かおうとしている辺りへ、素人老人にとっての旧来の発想のまま同じ試行なら徳政令方式の内のなんらか(付加価値税の発明のように実務的に無理を持ち込まない整合性をできるだけ図っての手続きを経て登場させるタイプ)で、と指摘しておきたい(インフレ方式は途中経過中に借金の量に耐えられる巨富系以外、それなりにいつも摩擦的なんとかで苦心を求められがちにする)。


 今年の春の風は、ビュービューと関東平野をかなりの勢いで吹き抜けるタイプが頻繁に起きがちのようだ。ここらの地表面気象条件のどういった関係からの辺りも様々に情報発信することにサービスたっぷりな気象発信系諸氏には当面期待したくなる。
 (温帯性?低気圧が900台のヘクトパスカルまで発達して列島南岸を何度も通過しやすくしている条件等)

 そんな風も寒気も押し寄せそうな20日の日中、Nack5にて大宮のベントスチームと日テレベレーザチームの女子サッカー試合があり早速、ちょっと遅刻してしまったが見てきた。
 パス連携から中盤、ペナルティエリア周縁くらいまでは動いて誘って動き続けるものの、ペナルティアリア内では意外に動作において淡泊にしがちだったり、ペナルティアリア外からのゴール前蹴りこみ発想に傾いてしまったりのベレーザチームの癖を他チームは熟知しているので、ベントスチームもそこらは心得て、かなり防御している。
 でも、と素人老人は言ってしまうが、その淡泊傾向のくせを克服するようになると、耐性は崩れてしまう。
 すでに中盤のころからこの試合でベテラン選手諸氏が手本を見せてくれていたように、多分2011モード発揮状態だったのではと勝手に素人空想してしまったが、さ鮫島選手がベレーザチームにとっての右サイドのゴールに向かう少し前の段階で執拗に体を寄せて、ボールの動きに集中できて余程のフェイント技がでない限り、そのマークを外しにくいタイプの防御技を披露して、一応、制御してしまっている。
 ベレーザチームにとってのゴール近くの左サイドでもちょっとばかりクリア処理がうまくいかずにベントスゴール寄りでボールがもたつきそうになった時に、他の場面でも読んでボールを奪うなどベテラン健在の辺りを披露はしていた(有吉選手)のだが、そのもたついた状態をクリアするキックを披露してくれて、当面の追い詰められそうな状況をなんとか処理してしまっている。
 同じ場所で、ベレーザチームの若手選手が追うボールを脇の方から激走して詰めてきた乗松選手が制御してしまったシーンも見ることができた(ボールが外に出てベントスチームのボールになる)。
 パス連携については流石(さすが)の日テレベレーザチームということで、相手の動きについての感受アンテナの張り方もかなりだから、ベントスチームの船木選手、仲田選手など攻撃モードをハッキリ動きにだせるタイプの選手諸氏も、パス連携までボールを保持できない状況で、キープしきれない展開にしがちだった。
 途中から登場の若手杉澤選手は果敢に圧となる動作をこなすものの、やはり連携技を分断されていて、ボールキープという状況を保つのは難しそうだった。
 かつての名選手揃いのベントスチームはとにかくプレー正統派といったタイプ諸氏として特徴づけられるプレースタイルゆえ、ボールを動かすことを心地よくしてしまうプレースタイルのベレーザチーム相手ということでは、実は・・・かつて得た杵柄を応用すればの辺りを自ら披露していたしつこいし読みも正確にこなす現ベテランの名選手諸氏のプレースタイルならば、とりあえず攻撃の芽を摘むくらいの初期段階対応はいくらでも可能な辺りを参考にゲーム展開に望むことも可能か、と素人老人の余計なおせっかい発言くらいは勝手に許してもらって、ぼそっと指摘してしまう。
 点のためには攻撃だから、中堅年代の船木選手が90分間動き回れる持久力を今のうちに体内に育てておくとかしてボールさばきと動き回りで何度かに一度シュート機会を持てるようにすれば、攻撃モードでゴール前に迫れる仲田選手(井上選手も突っ込み機会を見失わない動きをみせてくれるなど多分、後半に入る前にかなりの準備を各選手がしてきている感じだ)とか2018年U-20世代の林選手ほかの若い方の中堅選手諸氏がそれなりに動いて絡んで、たとえ日テレベレーザチーム相手であっても自チーム内でのボール回しの時間をより多く持てる状態で作戦時間を蓄えて、いざの緩急自在を発揮できるようにもする。
 そうなるとベテラン主体のチームと新進気鋭のチームとの相当に面白い仕掛けが交錯する試合を90分間楽しめることになりそうだ。

 一方、日テレベレーザチームは概観、上述の通りなのだけど、DF若手の若手選手諸氏が試合ごとに逞しく挑戦的にゲームに加担するようになっていて、優等生タイプ選手諸氏の挑戦的な向きを引き出したいスタッフ諸氏にとってはうれしい進展の状態と素人老人は感想を持つのだけど、多分、その若手の若手選手諸氏のゲームでの活発な様を見て刺激となって若手の中の中堅のDF選手諸氏も、ベテラン村松選手ほどでなくても、上手に思い切りのよいタイプのDFプレーに馴染んできそうな気配だ。
 だからついこの間までの複数失点のケースはぐっと少なくなる(ポジションの取り方もかなり意識し合えてそうだ)。
 ミドルかややミドルのパス精度が一段と良くなってそうな木下選手のいくつかのシーンを前回の試合では見ることができたけれど、この日の試合では、途中出場の岩崎選手の絡み方が興味深かった。シーンとしては2度登場した。
 自らに来たパスを観察眼が押さえた幾人かのうちのだれかに即パス返しして、自らが連携にからむ(おとりとしてよりも、パス連携のその先を担う動きとして)形で動いて誘う。そこにある種のテンポが生じる。
 2018年U—20世代の菅野選手なのだけど、ゴール前に読んで突っ込んでボールを支配することに関われたりの動作をこなせたり、カップ戦の頃と比べて2022年U-20世代の動きを彷彿とさせる感じに最近は素人老人的には受け取りたくさせる。
 と持ちだした固有名詞は実は少なすぎるくらい日テレベレーザチームの人員は様々な場面に対応した技に関してすごい人々だらけで(技においては五分かそれ以上の選手たちもいておかしくないけれど対圧ということでは代表経験からしっかり学んだ藤野選手がその身のこなしの巧みについていいサンプルの辺りを試合ごとに披露してくれている。それ以上(の工夫)をワールドなゲームの場では求められる)、各チームにおいて同様に若手が育っているとすると、なでしこ代表チームを数チーム作れてしまえる可能性を素人が空想したくなるくらいだから、日テレベレーザチームも沢山のわざ師をどう試合に出ることで実際的な力を磨いてもらえるかスタッフ諸氏を相当に悩ませてそうに素人故勝手に想像してしまうわけだ。
 本日の試合ではDFの池上選手は前回ほど攻撃モードでのゴール前動作をこなしていない。ベントスチームはそこらは注意が要る。なぜなら、前回の場合、池上選手のゴールに向けた攻撃モードの際、サイドをドリブルで上がり、ゴール前に浮き球か走るタイプの球かは状況次第になるけれど、早いボールで蹴りだす(女子サッカーで蹴り損ねているわけではないのに、弱く蹴ってパスし損ねるシーンを多く見るけれど日テレベレーザチームの選手の蹴りは一応強く蹴りだして、確実に届くし、転がるミドルの正確なのが地面を走る)。
 その前回の試合では一回目、他選手のだれもが対応し損ねている。
 ところが二度目、複数の選手がゴール前に駆け込んで、得点に結びつける即対応力を密かに披露してくれている。
 ダルビッシュ投手が職人揃いのプロ野球の世界で37歳まで第一戦で活躍できているのは投球のくせを相手にパタン化して対応されない工夫力にあるとのこと。
 日テレベレーザチームの各選手の技からして、なでしこ代表監督氏のいう引き出しの品数をヒトの一般的な記憶量をちょっと超えるくらい用意してしまえば、一シーズンの間、その組み合わせ技によって得点を重ねられそうだ。
 持ち技についてはこれから、という各チームにとっては贅沢な話になるにしろ、各チームだってこれからどんどん育ってくる選手たちがそれをこなすようになるから、そうなると見ている方にとってはより贅沢に楽しめる試合観戦に近づくことになりそう、と素人老人流に空想してしまう(多分、ベテラン、中堅諸氏が、それら若手の技発揮に刺激された30代(ないし40代!)?!ふけてなんかいられないね!!で更に技に磨きをかけて・・観客を大いに盛り上げてくれそうだ)。

 

連載は続く~ SF 掌編『ヒトははるか昔も相当に賢い』編

 邪馬台国の話題に関しては酒井氏の著作を参照しがちにしている素人老人なことを何度もふれてきた。
 そこらを言い訳というよりも問いかけなり説得なりのノリから以下の書物を持ち出す。
 『古代史講義【海外交流編】』佐藤信編(ちくま新書 '23刊)
 その"第1講「魏志倭人伝」と邪馬台国"は著名な仁藤敦史氏が担当されている。
 p16-17にその昔の中国史書の扱いに関わる制約を羅列され、いかに解釈することが難しいかの辺りが指摘される。
 とことばの上で受け止める内容なのだが、魏志倭人伝と呼称を持つ原典の現代語訳の中で、帯方郡を出発してから対馬への出発点ともなる到達点狗邪韓国までの距離が7000余里と明解だ。
 更に対馬までが1000余里、対馬(對海国)から壱岐(一支国/一大国)までが1000余里、ここから末盧国までが1000余里、以下でも余里の誤差表現で数量を指定される。
 そして総計では表現上"自郡至女王國 萬二千餘里"と、12000余里の誤差表現で指摘されている。
 現代の人々ならば即世界地図を持ち出してその大体の距離を測ることが可能。
 それに、余里の幅を押さえるなら、帯方郡の現在想定される一箇所(智頭里土城)辺りから半島南端部までを7000余里で、7000里と見なしてみた場合、酒井氏は、上述距離を直線での距離のはずだと仮定されている。なぜなら、汎用性が必要な歴史記述の場合、直線距離での位置関係を押さえられることが使い勝手と直結するなど素人老人的にもすんなりくるのだが、酒井氏はそこらを通説で採用されがちなたまたまだれかが採用した工程での実測のようなのとは違うと指摘されている(p56-)。
 方角感知に関しては船を操る人々のことを想定して、かなりの精度の持ち主であることは当然と見なす。
 半島の北から南までの地点想定もできた上での智頭里土城から馬山までとした時に、7000余里の単位換算は昔の短里を採用するほうが適切との判断をもたらす。
 酒井氏は1里=77mとする(p60-)。
 末盧国まで来て、陸伝い東南方向に500里行くと伊都国だ。
 そんなこんなして総計1万2000余里を経ると女王のいる国にたどり着くのだから、
 大雑把に
     12000-(7000+1000x3+500)=1500余里
 伊都国から女王のいる国までは1500余里行けばいいだけだ。
 ただ仁藤氏は制約面を強調して不確かとしたため、7000余里のヒントすら応用しようとされない。
 歴史家諸氏が大変な博識なことは歴史俳句ネット発信のページを読むだけでも気づける。
 だから仁藤氏は知っていることを不確かなケースを選択したことで、用いようとされていないと、素人老人は見る。
 判断それ自体は歴史家諸氏にとってのことで、素人老人がとやかく言えることではないのだが、酒井氏の挑戦とか意欲とかを汲みたい素人老人は、すでにかの超有名な秦国が周を含む諸国を滅ぼす形で統一した更に後の時代の魏の時代の邪馬台国話ということを踏まえて、その周の時代に可能となった測量術が載る(紙以前の著作)『周髀算経』を持つ中国で国の史書にその応用があって不思議がることは無い程度の強度で酒井氏は当時だって距離すら測量できていたとしている。
 歴史学者諸氏には当たり前くらいの既知であっても慎重になってしまうのかなんなのか。
 制約として羅列してしまったことが災いしていないかとか素人老人的な杞憂くらいは仁藤氏に持ち出せる気がする。
 とんでも遠くまで女王がいる国は遠ざかることは無い。
 伊都国からは1500余里(77m前提に約115km)圏内を探る必要くらいはだれもが共有できそうだ。
 伊都国だって九州のどこか圏内だ。(壱岐島から1000(末盧国)+500(伊都国)余里の圏内)
最長の直線圏内としてせいぜい山口県なら宇部とまりだし、九州域だと中津、日田、熊本、長崎辺り以内となる。
 酒井氏が紹介する余里をまるめた距離からすると、伊都国から女王の国まで900余里だ。
 すると伊都国から69km程圏内と想定可能だ。素人老人の大雑把計算の半分の距離まで絞り込める。
 酒井氏のヒント発信から、末盧国をどの方角に探すか苦心しかねない辺りへ、その先の伊都国へは東南方向が必須とできて500里先に伊都国濃厚な地が予めわかっているなら、自ずから末盧国の位置が見出されるという具合。

 


   川柳もどき

    放送大学でも色が学問になることを明らかにした
    なぜそう色してくれてるのリアルが色々過ぎて
    だからって本を読め、だと面倒すぎるし
     色ならではの、ヒトの観念系への伝達路もありそうな
     そういやヒトは
      わかっていないから考える方をすんなり選んで人生を
       全うするようにしてきた
       基本、わかってないからこそ・・・だから、どこまでいっても
       全的にわかることができない
       ヒトはわからない、から、考える、のだから
        それを不可知の迷いとして押さえる短兵急も慎(つつし)みたいし
       ヒトはわからない、から、考える、のだから
        ということでお互い様の底を持ち合えてこそ、
         暫定的な実際の場での応用の効くなにがし
          さえも慌てず急がず騒ぎもせず
           実際的な有効な時間内で工夫しあえそうな気もする
        不安な人々は時々問題を自ら作って他人に回答を求めて
         擬似的ななぐさめを求め勝ちにしてそうだが
        事前に答えがあるならば考えることも無いのだ
         から
        考えて答えを見出して、その答えが問いに転じてしまうことは通常のこと
         っぽいことも頷(うなず)けたりする
     本能っぽいほうに向きたいか、自由とか思い込めるし・・で考える観念系を楽しみつつ、強いる癖のシステム作りに邁進しない一歩手前を心得ていられるか
     ヒトはわからない、から、考える、のだから
      考えることを楽しみつつ、でも自他のところで
       、ことばが共有のあやうさを生々しくするわりに
      考えたい自分は自分を貫こうとしてそうっぽい
     そこらは忙しい実生活が解決してくれるさと言い放った途端
     その面では堂々巡りを(苦渋のかもしれないけれど)楽しむことになりそうだ

連載は続く~ SF掌編『環境に応じた形化を成せばなすほどの辺りとハプニング』編


 とりあえず物価高のことをインフレと呼んでおこう、らしさを感じる素人老人的受け止めから、とりわけ欧米諸国でのインフレ趨勢をぼんやりイメージするに、上がった物価が下がりにくくなっている辺りについては、人のすることだからの観点から充分に、当面の趨勢を考察可能と見るし、一方に原材料ほか諸経費が物の生産、流通に付加的に作用しての物価高という辺りも今時、ニュースでお馴染みになっていて、基礎的条件が違ってしまっている支払い手段である貨幣の出回り易さをいじってどうこうする局面というよりは戦争がまずは問題だろうくらいのことはニュース報道が盛んな(地表面規模である程度にぎやかになっている)おかげでだれもが程度に知れ渡っていたりもする。

 シンの方もそうだったように今時のゴジラは絶滅しないというよりむしろ地球と共にくらいの寿命を保持しているかのごとく描かれている。
 またもやそう思えたアカデミー賞受賞にニュースに踊らされた素人老人は早速ごく近くの映画館を訪れて、そんな印象を改めて感じていた。
 とにかく音が凄い音量でもって出ていて、それに心が知らず知らず揺さぶられていた。
 肝心のVFX体験としては、とにかく水CG表現は、特許物を各作品が使いまわすようになっているのかどうなのか、水っぽいので、すんなり見入っていた。テレビ画面サイズ感ではなく、映画の大画面の水がいかにも水っぽいのだから、すんなりが正直なところ。
 ただし、ここらはより水っぽい描写を可能にしてのようなことも避けられないから、追々、かつての水はちっとも水っぽくなかったね、のような昔語りも登場しやすい表現の時代性の辺りには注意が要る。

 とはいえ、ヒトっぽいだれかたちがきっと宇宙のどこかに・・・を期待しての本格的研究調査やそこらを踏まえたマスメディア作品など賑やかそうな一方で、ヒト自体がたったの氷河期系の集団性生き物に近い辺りに気づけてもいるのだから、その取り上げ方自体が誇大と受け止めて時に冷静さを気取るくらいは必要かも、など老人くせがつい出てしまう。
 地球史において相当な年月(数千万年間)続いた恐竜たちはなんとあっけなく失せたことか。というよりも、膨大に試行錯誤させる種誕生物語の中で、べらぼうな数の種が滅んで、それでも未だ膨大量が試行錯誤しつついる感じだ。
 そして太陽系の寿命とともにか、それ以前のなんらかでどうしたって地球上生命の現象は途絶えることになる。
 素粒子の運動性なりエネルギー状態のなんらかと生命現象とを結び付けられるなら、とにかく生々流転で条件に応じて形とも成しては消えてまた・・・と繰り返し続けることになっていそうだ。
 ヒトとか地表面生物系のイメージでの生き物を想像して、宇宙のどこかに?と期待する向きには、ハビタブルな地表面でさえ種は雑多を試行錯誤させつつ年限がくれば滅びるようなことを展開し続けているのと似て、宇宙でも同様と見なせれば、同じっぽいのを見つけること事態が奇跡近そうだくらいの推理もしたくさせる。軌跡を見つけられるかもしれないから、多少は追跡調査も無駄にならないかもしれないけれど、つぎ込みすぎもそれなりに危なっかしそうだ。

 そうはいってもヒト自体にとっての数年間すらが実感たっぷりの事態なことはだれもが認めてくれそうだ。
 たった一日の出会いがとんでもな触発を誘うということだってヒトの場合に限らず、それっぽく動物達のいくつかでは起こってそうだけど、それでいてヒトは生まれる前年のことを遠い過去のような実感の無さをどうしても伴わせがちにする。
 そこらが世代論の背景をなしていそうだ。
 ただ、昨夜、ネットにてそのハイライトを見ただけなのだが、2022年U-20女子サッカーのパス連携技に感動した目を疑うようなAFC2024年U-20の前半から後半途中までのハイライトシーンを見ることになる。
 動きつつゴール前への攻めのモードで長短の素早いパス回しで相手の追従を困惑させてシュート機会を伺いつつのプレイタイプは、日テレベレーザチームのFW土方選手が得点したシーン辺りからそのハイライトの中でも得点とからむ形で選手の配置、動きから観察できた気がしている。大雑把には全体の経過時間として80分前後からその先でやっとゴール前での、2022年U-20タイプのパス連携モードが旧タイプ(とも指摘できる、当てずっぽうでの蹴り込みにゴール前の各選手がとにかく混戦しつつ応じて得点を狙うプレイタイプを披露していた。(この準決勝の試合以前のハイライトもこちらのプレイタイプに近い印象を持つ))のノリから変化して位置取り他も機動して、ボールが選手間で動きやすくできる感を観客に示せていたように受け取れた。
 選手間の位置の取り方パスを巡って動いてもらいに行ける動作をこなせるか否かなど、ちょっとした身のこなしを面倒くさがらずに出来る面子(めんつ)ということが関わっているのか、ただ、スタッフの仕掛け方指示がそうさせているのか、そこらは端からはまったく想像できないくらい素人老人なのだけど、パス回ししてゴールに何度もFWが上手なら何点とったか知れないくらいの配球をこなすパスプレーをやってのけたチームを育ててしまった実績を持つJFAのスタッフのはずだから、今回のAFCでの試合展開の対照的な有様についてはできれば以後に生かしてもらえると、見る方の都合としては相当にありがたい。
 2022年以降の世代ならば・・・とついこの間まで括ってしまっていた素人老人としては、動いてパスをもらいに行ける総合的技量を随所に求めるサッカープレイを期待し続けているということで、Jリーグやその司会進行役所氏の宣伝文句に誘われすぎないくらいの視聴を試みてもらって、やる方も見る側も面白いサッカーへ誘ったもらえるとありがたい。


 燕国から楽浪文化、帯方郡加耶諸国の経験と特定の地域的広がりを背景に持つ列島の雑多性についての具体性の辺りは、少しだけ押さえたくする素人老人だ。
 古墳時代を出現させた可能性大の加耶諸国の趨勢と列島での出来事の辺りについては、ひょっとしてということで、松本建速著『つくられたエミシ』からまたもや引用。
 p85あたりを参照願いたい。
 2世紀から5世紀前半:東北北部ではほとんど集落跡が見つからない(p87)
 その期に見つかっている遺跡は八戸市田向冷水遺跡(5世紀後葉から6世紀初頭)だけ(p87)。
 その後6世紀終わりまで集落遺跡どころか土器片すらない(p87)。
 田向冷水遺跡は土器も住居もすべて古墳文化社会のものだ(p87)。
 弥生時代中期以前と後期以降の間に、たとえば竪穴住居跡が見つからなくなるなどの変化が生じる(p87-88)。
 6世紀後葉:現八戸市域に住居跡出現(p88)
 7世紀:東北北部東側広域に集落形成(立地特性として台地上)(p88)
 8世紀後半:東北北部西側に集落形成はじまる(p88)
 9世紀:東北北部西側に(東部と比較して)大規模な集落形成(立地特性として台地縁辺)(p89)
 7世紀以降の人々は農耕や馬を飼い、カマド付き竪穴住居に住み、鉄器を持ち、幾種類もの土師器を使っていた。(5世紀前半までの東北北部住民の続縄文文化と石器使用の生活(弥生中期以前と違って竪穴住居跡を残さない居住形態)と比較できる(p89))

 広域を統制する法治なりが機能しての指揮命令系由来からする集団移住の類ではなさそうな辺り。
 古墳期での集住と移動のリアル感が漂っていないか。
 考古資料の年代特定術をより細やかに出来た時、ぐっと歴史を描き易くしそうだ。

 

 

   川柳もどき


    フクジュソウ

    クロッカス

    沈丁花

    香り漂うのはどれ?

    春先、色に感じて

 

連載は続く~ SF掌編『BSの報道番組を見過ぎ状態の素人老人』編


 素人でありかなりの年寄り、ということで先走って指摘してみたい。
 伊都国に住した漢文を優れてこなし、時々の中国の政権と(の関係性次第で)つないでしまう力量も示す人脈諸氏とは・・・に、燕国由来の、ということで周とも浅からぬ縁を持つ人脈を想定できる場合、途中端折って、唐の時代の高宗氏とともにの武則天氏(唐の流れの途中で周を起こした)にまつわる業績の数々から、690年から705年という時期的偶然を並行性ということでは偶然としないで済む考察も可能になるのでは・・の辺りをまず指摘してできそうだ。
 この漢文に通じる人脈諸氏は遡(さかのぼ)ること数百年間、中国では前漢以前からの脈々とも見なせる。そして半島の政治にも、列島の政治にもその範囲を限定できるならばそこでかなり濃く関わりうる。とりわけ秦以後の時期を想定するなら、法治のための官僚制以後として、それなりの組織論を身につけ続けてきた人々ともとれそうだ。
 武則天氏と『周礼』との結びつきは歴史知見だ。その『周礼』と藤原京設計図とを並べて想像できる。
 その少しだけ南は蘇我氏で有名だ。奥まったところに談山神社。濃厚に三者(蘇我、中大兄、鎌足)の名が結びつく。
 しかも、『周礼』のデザインは短時間のうちに修正を求められてしまう。
 それが710年に実際の事態となる。
 プランが秘めた国分寺案はその後も実施への道を歩み続ける。
 数百年来の付き合いを持つ権威筋を官僚頭脳、発想の漢文を優れて操る人脈諸氏が多分、ぞんざいに扱うはずがない。
 一方で恐らく情勢にもアンテナを張って詳しい状態であり続けたその人脈にとっては、半島情勢での鉄と関わる人脈については、それなりの密度を保ち続けた可能性を空想くらいはしたい。
 すると、扶余系、加耶系の権威状態を官僚系発想から認知しつつ、列島の権威筋との整合もなんらか工夫してのけ、ただし、政治家・武闘系ではないから、加耶諸国的実際にとまどいつつの、時代の趨勢との整合を試行していたことも可能性として考えておきたい。
 だから中国発の情勢・情報を踏まえた660年契機も十分に受容可能であり、国つくり指令っぽく受け止めて、列島各地に住み分けていた加耶系に半島情勢ゆえの移住組、百済系、新羅系をも無理なく各地に住み分けられるようにしつつも、国としてのまとまりへと試行を始める。
 で、時点、として、記紀が成る時期を想起して、その編集手法からその時点での人脈構成とか主力なりをあぶりだせそうにも思える。
 こう素人の老人が指摘できるということは、ここまで整理してくれた古代史専門家、事情通諸氏においては、学説として出す以前の作業を地道のこなしている最中と考えられるから、素人が先走ったところで、もうじき実際に、この時期に至る多くを語り始めてくれそうに思える。


 ところで、農業の営みと関わる話題をあいかわらずBSのテレビ報道番組から頂戴し続けている。
 地元の消防団要員に先細り傾向がうかがわれるようになっているらしい。
 外側からのしかも素人老人の観察だからあてにはならないけれど、会社勤めとか勤め人タイプの諸氏にとっては、時間使いは実に融通を利かせにくい、と(素人老人は)想像する。
 生活を時間のやりくりとして見たときの自律性が弱い。
 専業で農家をしている諸氏ならば、その生業(なりわい)と関わる限りでの縛りは強烈と察するが、その関係性への配慮を欠かない限りで、時間の使い方に自律性を持ち込みやすい。植物相手だからそうは言ってられないはずだ、という一面を踏まえて、消防団の不規則な時間使いについては、勤め人とは全く異なる融通を使いこなせそうに思える。とりあえ
 その自律性こそが、子だくさんをも可能にしてきたのであって、生産性を向上させて儲かる農業にしなければ農業は続けられないという発想に凝り固まってしまうのとは少し違う発想が要ると推測する。
 当然、支払い手段の多い少ないで農業を営む営み方が大きく揺すぶられる時代の趨勢だから、そこは稼ぎも無視できない要素、ということで、そこをフォローし合えることは必要だけど、時間割作業として濃密に作業を設計してしまうなら、時間使いに関しての自律性を手放す格好になってしまうと、心配を持ち出せる。
 ただ、産業誘致話題でも指摘されていたのと似て、動態としての影響関係を知りうる要素間での整合など指標にして事前に問題群の捌き方を準備しておくことは重要だ。
 余剰ということで農を離れて職を探しに出ないといけなくなる家族のだれかたちが結局膨大にふくらんでいく。


 産業誘致のことでは、USなど飲むのにも精密な作業に要するとかにも欠かせない水は多分、日用との間で取り合いになってしまいそうだ。その点、列島ではある程度までなら、分かち合えそうだ。ただし、べらぼうに使うなんらかを誘致してしまうと多分大変なことを招きかねない。
 そこらを現代の半導体産業誘致の現場では話題にしているようだ。
 農業を犠牲にしてまで産業を誘致することになるのか、水の長期間での使い分けは可能なのか。
 当面の課題として、人手を取り合う場面も想定されているらしい。
 ニセコなどでは介護人材が集まらなくなっている。
 そこには問題がもうひとからみしている。
 実は欧米は実際に過度な趨勢としてのインフレの中にある。
 ファストフードのハンバーガーが千円単位で当たり前になっている。その分、支払う方もそれなりの額の収入を得ているから、まさにコストがお互いを持ち上げ合って、それが継続中のようだ。
 その点、賢いと素人老人は言ってしまうが、物価安定策を堅持してきた列島の民間・政府系諸氏の発想と実践において、給料も安いけれど、物価もそれなりに安定させてきていたし、100円ショップのように廉価商品を工夫する発想での補(おぎな)いもありえた。 けれども、木田氏が言うには根雪作戦とのことで、その含みをどう解釈するかで相当の隔たりをその先で生みそうなのだが、素人老人の推理の方に寄せてみる場合、とりあえず一度中小大全般に上げ底作戦に誘い、その後は無理してまでそういうことはしない。そうであれば、これまでよりは少し給料をもらえるようになるし、既存の高物価に、それがそれ以上上がり続けることを上手にバランスさせるようにしておければ、生活苦の状態は少しだけ改善させられうる。生々しい情勢変化に不利な状況を囲った諸氏へのフォローは欠かせないから、腕白発信(強いところを見せようとしてつい相手を攻める言論パフォーマンスに走ってしまう軽はずみで、結局聞き入れてもらえる度合いを減じてしまう)風を装うことなく、取材力ゆえの貴重な現場の声を、事態を、国会の議論の場なりに、持ち出して、こういう現実を見てみない振りしないで、しっかり政府としても対応してね、で、積極的な意思表示を得られれば、それは後には引けない首脳の立場の発言としてとことん思い発言だから、それを一応信じて、事態のこれからの推移を期待して研究者並の観察眼を用いて追い続ける。手を抜いたことがわかれば修正の機会くらいは提供して、それでも怠けくせが判明したならば、選挙の際、そこを全面的に公開して、自分たちなら同じ条件でもやってのけらると、とりあえず、相手がどう制約をかこっていたかのところはわからなくても約束くらいはできるから、それもまた他のだれかから観察されて判定されることになる。
 電力食いでもあるようだ。
 配電の都合上、時々、停電もするようになって・・ということはないだろうけれど、それなりの膨大な準備は要る。
 だから呼ぶ方の利害の一方で、他所(よそ)では条件によってはやっかいものという性格も有(ゆう)してそうだ。
 空飛ぶドローンタイプの自動車構想は、当面、実用に向きそうにないということで、気前よく数千万円規模の投資をした各組織にとっては相当な痛手となっているらしい。
 だいたい、かつてsublogic社が出していた飛行輸送シミュレーションとか今ならPSバージョン10辺りかもしれないが、横間隔、上下間隔、前後間隔とか定期便でさえ相当な工夫を盛り込むのがシステムとしての空輸なことがわかりやすい。
 それを踏まえられるなら、身軽に動けるドローンの類が、好き勝手できないシステムにどうやってはめ込まれるのか、実際に相当な工夫を要しそうなことは素人老人ですら、ちょっと想像してしまう。
 集団的曲芸までこなして、光のショーでも大いに稼げているプログラム仕込みのドローンなのだが、ヒトを乗せて充分に安全に安定的に運航させるのには一工夫が要るということのようで、素人老人以上に先走りしてしまったようだ。
 誘致にしろ莫大な投資については、事前の緻密な‟勘定‟程度は必要らしい。
 根雪発想のもう一方はそれが積もりに積もって氷河期突入ということだから、そちらの発想ではないことは、明確と見た(一回だけ頑張ってみようの類)。
 内部留保が、コロナ騒動の混乱を潜り抜けさせた。
 過度なインフレ状態を通常にしてきた欧米経済の営み方は、だれに損な役を引き受けてもらうか戦々恐々としているかもの推測を持ち込んでしまうなら、同じ営み方という過ちをせずに変わり者で居ることも三方良しの感受性を失わない範囲で、容認される範囲内と素人老人は行き過ぎた、過度なインフレ運営をしている諸国の諸氏にとっては後悔先に立たずかもしれないが、居直ったりもしないタイプと見ておきたい気がする。

 

   川柳もどき

    歴史家諸氏は実に慎重だけど
     素人は実に軽く
      仮説にもならない筋書きを
       先走って持ち出して
      どうだい、これほど知ってる専門家はいやしないぜ
      とたかをくくっている
      はずは断じてない!!!
     なんとか専門書の数々によって
      この時点での解明を成してもらいたい
      と切なる希望がはちきれそう
       なのがもっぱら素人の老いぼれ

 

連載は続く~ SF掌編『たまに女子サッカーがテレビ中継される』編


 ヒトは毎日の更新を経(へ)続ける。(食うこと(空腹に耐えられるとしても)、水分を摂取すること(こちらはより切実に数日で致命傷へと誘う)、並行して排泄すること(こちらも排尿が短時間に生命維持と関わってしまう)、(たとえ短時間でも)熟睡できること(睡眠を管理して洗脳に使ったりできるくらいの要素))
 ということで、日々の繰り返しとして区切りにも使えるストレス解消の機会を持つことの大切な辺りにも気づかせる。
 介護職諸氏においては特質として生々しい現場感覚として引き受けざるを得ないタイプのストレスをそのまま引きずることなく日々、整理なり処理なりで区切りをつけていくことが欠かせなかったりする。生々しい現場での瞬時の判断に誤りを誘わないことと密接な辺り。
 市場にゆだねる品々の価格の変動ということでも、ヒト対象の場合、そうはいきそうにない、ということの切実さをこの程度の指摘でも気づける諸氏がより多ければ、そして権威筋に当然なくらい人数がいてくれることで世の中の営み方に大きく影響してくる。
 品々でも日用の品々については、変動幅が極端な場合、それはどういう原因かで、変動幅に規制をかけるかかけないかの判断に使えそうだ。
 作り過ぎて処理しきれず、安売りでもやむなし、という場合であっても、作り過ぎの主が市場を支配していて、その作り過ぎが失点であって、そこへその他の参加組が安売りしなくても、日頃の努力が実って挽回の機会にできるかもしれない、という場合もありうる。そこをべらぼうな安売り(原価を大きく下回るタイプ)で市場占有の状態を失わせないという策の行使であれば、行司役はそれなりの熟慮も必要だけど、かなりの判断力を求められるケースと、これでも未だ単調な説明にはなっているけれど、素人老人なりに指摘可能だ。
 受給調整に市場価格のメカニズムはそれなりに有効という経済の学からの指摘であっても、汎用としてなんでも、いつでも有効というわけにはいかない。


 さて昨夜は女子サッカーを落ちついてみることができた。
 若手世代女子サッカーに注目の素人老人にとっては、なでしこチームの対戦相手、北の朝鮮チームの若手世代構成にも注目することになる。
 AFCの去年の試合をご覧になった諸氏は大勢と察するが、なでしこチームの構成はまったく異なる年代構成だ(つまり動きの基本的構成も異なってしまう)。
 北の朝鮮チームの動きについては、若手ならではの要所はうかがえたけれど、1-2-3くらいのパスつなぎを各場面で使いこなすようなゲーム展開発想は未だ希薄なチームのように感じた。そういうタイプでワクワクのりを身につけてくると、見る方としてもより面白いゲーム展開を期待できそうだ。
 とりあえずなでしこチームのゲーム展開を追う視点でいくつか指摘してみたい。
 その前に、どの代表チームも、ということになるけれど、代表として選ばれて散々な観客とかマスメディアとかその他からの圧を被る立場になってしまうわけで、そこらを配慮できた場合、人選で選ばれたということから他にも選ばれていたかもしれない選手諸氏とか全体を見渡せるならば、代表であるという立場と他が選ばれて自らは選ばれないということを経た現事態であることへの確認ができることで、代替的観点からの言及も当然ありうるし、一方で、選ばれた代表ゆえに主役は自分しかいないという立場からの取り組み方へと誘う言及も並行して生まれてしまう辺りには、注意をうながせそうだ。
 選ばれた以上は各ご本人にとっては最善を尽くすしかない辺りへの細やかな配慮は欠かせない。
 ということは人選の主諸氏こそに責任論とあえて絞り出せば、そう指摘できそうだ。
 選んで、集まって、その構成でサッカーのチームを動かすほかないわけだ。
 そこらをとことん踏まえたうえで、素人老人サッカー談義の超小型版。
 【前半の(試合経過時刻・・以下同様)9分50秒頃】
 相手チームのインターセプトがあって返されたボールを更になでしこがインターセプト
  10→11→10→8→11

 の場面
 10の素直なトラップから11へパス。11も軽くワンタッチパス返しで10へ。
 10はそれを素早く8へパス。
 8も素早く11へ。
 11はゴール方向へ素早く動いて・・・この時には強引にシュートを狙ってキック。
 (素人感想)8が準備していたのを11が使う手も十分にあった。
 ここらはNHKアナ氏は上野選手のシュートの正確さと表現していたけれど、解説のお一人(もうお一人は矢野氏)岩渕氏はシュートが上手いというニュアンスで正確に表現なさっていた。
 AFCでの得点の仕方もそうだしWEリーグでのもそうだけど(大宮アルディージャとの試合)、ちょっと圧を受けにくい位置でのゴールの狙い方がシチュエーションとして巧みなタイプなわけだ。体の使い方、狙い方向選び、蹴るボール質などなど。
 そして指摘済だけど、圧がかかる状態では旧世代全般同様に、揺らぎを誘われやすい。
 この場面では、ごちゃとしていながらボールを出せば受けて抜け出してか一瞬決めのシュートが可能なシチュエーションだから8は11のパスを得られれば、傍目には軽々とシュートを決めていた可能性もありだ。
 余計なことを素人老人ということで許してもらって指摘してしまうが、(年齢差と言うことに限らない)先輩後輩タイプの発想が物をいう世代が未だ残っているチーム構成では、なかなかパス系の攻撃型魅せるサッカーはやりにくそうだ。

 後半
 【16分03秒】
 相手7のインターセプトを更に奪った15の場面
 15→8
 2018年U-20、2022年U-20世代以降の選手諸氏は陣形としてもパスの緩急使い分けとしても常時その備えを発想に持っていると想定しやすいので、いつでもどこでもその種の連係プレーが可能になりやすい。
 8は旧世代だけど、シュート場面では任せられるタイプ。
 走りこむ8。パスを出す15.
 裏を・・が単調な強迫観念を生んでいるためか、相手を抜いて、その背後に入ったところでのパスつなぎイメージでしか動きを誘えていないなでしこ、WEリーグの試合、と素人老人は指摘する。
 この場面では、15は相手の壁手前で、また8もそれを先読みして、手前で早いパスボールを受けて、できれば即座のシュート。相手の動き次第ではちょっとフェイントを使ってか、頭越えのソフトタッチシュートでも良かった(奥の手(足)としてはヒールキックのワンタッチでの頭越えシュートだって可能)。つまり15,8両選手に裏をとれの形についてワンパタン発想を植え込んでしまっている発想の単調さを誘うスタッフ諸氏の問題を指摘できる(ヒトが裏を取るかわりにボールが裏をとる(それが転がってゴールイン)形だっていいわけなのに)。
 【15分36秒】
 1→15→11→15→17(↑ゴール前右2・11・13左)
 1の正確なパスを軽くストンとトラップした15が11へパス。
 11は即15へパスして前方へ。
 15は先の方に位置取りしていた17へパス。
 助走から一気にダッシュできた17は相手選手を追い抜く勢いからフェイントを使って相手選手をかわす。そしてこの場合、シュート。
 場面としてはゴール前に右から2,11,13が駆け込んでいる。13は特に早い段階でボールほこせ発信している。
 浦和レッズレディースの試合では中堅ベテラン世代から、自らシュート機会を逃すことなく、だけどチーム仲間を使う術も何度もこなせる清家選手が、同じくらいの世代が大勢のなでしこ現状においては、そういう黒子発想よりはの方が前面に出た格好だ。
 点を取れることと試合展開と両方が‟魅せる‟ことに影響するという観点からは、素人老人のゲーム展開に向けた欲の方も少しくらいは参考になるのでは。
 とにかく今回のチーム構成では、状況を読んだ選手たちがゴール前に遠慮なく押しかけるし、それが守備に不都合を生じさせていない辺りは、好条件と素人的には押さえたくした。
 【30分00秒】
 相手3のボールを15がインターセプトしての場面
 [3]→15→10→2→15(17)
 15からのパスを10は2へ正確なロング(ないしミドル)のパス。
 2はラインぎりぎりまで走りこんでゴール前へのボール流し込み式は取らず、相手選手をフェイントを使ってかわしてゴール前に見事な中空を舞うパス。
 キーパーは横の動きを匂わす17に視線を奪われた格好で右手側に微妙に体重移動
 そこをタテにゴールへ向かって15はヘディングでのシュート。
 キーバー視線からだと横動きがより注意を誘い、タテ方向にやや後ろに控えた15の動きを読み損ねた格好。
 17の位置取りとか動きとかが好作用している。
 【34分55秒】
 相手14のボールをインターセプトしたところからの場面
 この試合でも目立ったのが中盤の攻撃を仕組むパスを出す位置の選手が相手の圧への対応としてバックパスを多用してしまう場面。
 それがくせとなってしまうと、この場面のようなことも起こる。
 ちょっとだけキープしてか、周囲をいつも観察してパスの出し先を確かめられていればMFの位置だからこそできるパスの形がありうる(代表チームのヨーロッパタイプがいつも圧してくる場面に出くわしてキープとかボール扱いに自信をなくしつつあるのかもしれないが)。
 またDFポジションならば、出す相手かまわずにパスというか返しのボールを蹴れると錯覚しているとしたらそれも問題だ。そういう場面も多すぎる試合だった。蹴り損ねたりもしているし。(この日の試合に関してはDFはちょっとぉ・・・なのだ)
 DF→MF→インターセプトで・・・(ゴールに近いところでのボールの往来というアンラッキーさも一応指摘しておきたい)
 【49分20秒】
 DFヘディングによるクリアボールを相手3が拾い・・の場面
 そのボールを相手3が拾ったが15も追っている。
 なでしこDF全般に指摘できることだけどMF、FW陣並みに周囲をいつも見渡しているのかどうか。クリアするなら大きく蹴り出すとかがたいていの場合不可欠。
 そしてどの辺にかも、大きく関わる。
 この場面でも同じヘディングするならちょっとゴール寄りの角度でがほしいところ。
 とはいえ、この場面では難しかったともとれる。
 一方、相手3に対して15は習慣からか、距離を取って動きつつ身構えた。
 だから以前触れたように川添選手タイプにとっては隙だらけということで、ゴール前に際どくパスを蹴りこめている。
 ここらは以前の事例でも今回のでも若手選手の応じ方の問題。
 ということは、かなりの応用技が可能な技量を持っていても場面での発想次第が、不都合を生じさせる、ということと推測させる。
 パスを出させてはまずい場面。ならば、むしろ体を預ける方で邪魔するタイプの防御が要る。ないし、時間を稼がせないで、相手に急がせる、心理的に急がないとという圧を即座にかける守り方発想での動作が必須だった。
 そこらは発想の切り替えだけのことだからWEリーグにも即応用してもらえそうだ。
 2018年U-20世代の場合でも、ボールの落下地点に相手チームから一人、こちらからも一人が迫っていて、どちらがとるか微妙な位置関係の場合、怪我をお互いさけることは最重要なことだけど、上手な選手たちどうしのケースなら、至近距離でのかわし方、すり抜け方、ボールの動きの観察とその集中力をお互い様にしているなら、ほんの足先タッチでの可能性の直前までは接近し合える。お互いが走る状態での衝突なら直前で、ふれそうにない側が避けることも審判判断を含めて不可欠だ。
 相手がギリギリ間に合うかもでスライディングしてきたなら、むしろ(相手は体のどこかを使っての邪魔ができない単調な姿勢になっているから)ラッキーで、蹴られない工夫を瞬間技にしながら、足先とかを使ってボールをちゃっかりいただくくらいの芸当はこなせる。そこらの積極的瞬発力(怪我防御も含めて)を使いこなすことも、その次のシーンでの点を取られやすくするか、ボールを保持し続けられるかに関わって、ひいては魅せるゲーム展開と直結させてしまう。

 日テレベレーザチームのようなパス回しを常時使いこなすことはなかなかな2018年U-20世代であっても、2022年U-20世代とともに、しっかりしたトラップがすぐ次のプレーの多彩の源泉となってくれるし、それをこなして、ワンタッチ系のしかも正確なパス回しが可能になる視野の常置装備すらこなして、1→2→3(→・・)と3回も動きつつを連携できれば、今時の強豪チームだってそうは追従しきれなくなる。
 それがシュートをいつでも蹴れるとかの可能性をあらかじめ表現できている選手をまじえた中で演じられていれば、守りの陣形は、嫌でも壊れつつ動かされるような事に誘える。
 パス連携に関われる技量のFW。シュート技も相手チームからは警戒されるMF。そして手堅いけれど、キープ力もパスの精度もしっかりもののDF(突如の上がりでシュートの技術も)。もちろん、今回の試合での山下選手並にまったくあきらめてくれない守備を貫徹するタイプのキーバーが、早めに育ってくれると、なでしこの未来は、好試合続きとなりそうだ。(WEリーグ(育つ環境として)が重要そうだ。素人老人の我儘発言だけど海外サッカーチーム移籍組に頼り過ぎは禁物に近いと言ってしまいたい(上記のようにWEリーグに戻ってきて活躍してもらいたい選手諸氏は何人かいらっしゃる))

 余談
 ボールの落下地点を即座に感じ取れる勘を養うのには野球とかソフトボールとかでの打撃練習以外の練習の一部を応用できる。キャッチボールの遠投だっていい。
 怪我とか体の寄せとか、体技用に、合気道、柔道の一部の技に慣れる。
 たとえば、柔道なら寝技にもっていく素早い連続動作を習得してしまう。
 投げられた後の受け身の術に慣れておく。
 相手の力業に力でよりも相手の力を払う感じで応じられる合気道の流れに慣れる。
 重心を意識できることで可能になる力の伝え方の効率性の辺りへの気づきを一度意識的に体験しておけば、あとは体が勝手に動いてくれるようになるとか。野球ならホームランバッター、それから(ドリブルやパスの連動とかで)バスケやバレーボールの選手たちは、そこらの感覚を相当に養えている。(卓球の場合、中国チーム以外、結構そこらを意識できていない可能性大)
 NHKのカルチャー系を聞いている限りで筋肉知見もそれなりに具体的にわかってきたことがあるようだ。確かに若い時の一時期を好きなスポーツで人生を‟燃焼‟できるということで人生の一時を楽しめてそうだけど、ここらの知見を応用して、怪我に苦労しないで・・の可能性も探れそうだ。女筋肉、男筋肉も典型との距離ということはあるにしろ、違いは違いとしてその可能性の探求にも応用できそうだ。
 そこで(ダッシュと持久力と)走力をもうちょっとだけ年齢に応じたやり方で伸ばせないか、といった辺りへのチャレンジを求めたい。