連載は続く~ SF 掌編『ヒトははるか昔も相当に賢い』編

 邪馬台国の話題に関しては酒井氏の著作を参照しがちにしている素人老人なことを何度もふれてきた。
 そこらを言い訳というよりも問いかけなり説得なりのノリから以下の書物を持ち出す。
 『古代史講義【海外交流編】』佐藤信編(ちくま新書 '23刊)
 その"第1講「魏志倭人伝」と邪馬台国"は著名な仁藤敦史氏が担当されている。
 p16-17にその昔の中国史書の扱いに関わる制約を羅列され、いかに解釈することが難しいかの辺りが指摘される。
 とことばの上で受け止める内容なのだが、魏志倭人伝と呼称を持つ原典の現代語訳の中で、帯方郡を出発してから対馬への出発点ともなる到達点狗邪韓国までの距離が7000余里と明解だ。
 更に対馬までが1000余里、対馬(對海国)から壱岐(一支国/一大国)までが1000余里、ここから末盧国までが1000余里、以下でも余里の誤差表現で数量を指定される。
 そして総計では表現上"自郡至女王國 萬二千餘里"と、12000余里の誤差表現で指摘されている。
 現代の人々ならば即世界地図を持ち出してその大体の距離を測ることが可能。
 それに、余里の幅を押さえるなら、帯方郡の現在想定される一箇所(智頭里土城)辺りから半島南端部までを7000余里で、7000里と見なしてみた場合、酒井氏は、上述距離を直線での距離のはずだと仮定されている。なぜなら、汎用性が必要な歴史記述の場合、直線距離での位置関係を押さえられることが使い勝手と直結するなど素人老人的にもすんなりくるのだが、酒井氏はそこらを通説で採用されがちなたまたまだれかが採用した工程での実測のようなのとは違うと指摘されている(p56-)。
 方角感知に関しては船を操る人々のことを想定して、かなりの精度の持ち主であることは当然と見なす。
 半島の北から南までの地点想定もできた上での智頭里土城から馬山までとした時に、7000余里の単位換算は昔の短里を採用するほうが適切との判断をもたらす。
 酒井氏は1里=77mとする(p60-)。
 末盧国まで来て、陸伝い東南方向に500里行くと伊都国だ。
 そんなこんなして総計1万2000余里を経ると女王のいる国にたどり着くのだから、
 大雑把に
     12000-(7000+1000x3+500)=1500余里
 伊都国から女王のいる国までは1500余里行けばいいだけだ。
 ただ仁藤氏は制約面を強調して不確かとしたため、7000余里のヒントすら応用しようとされない。
 歴史家諸氏が大変な博識なことは歴史俳句ネット発信のページを読むだけでも気づける。
 だから仁藤氏は知っていることを不確かなケースを選択したことで、用いようとされていないと、素人老人は見る。
 判断それ自体は歴史家諸氏にとってのことで、素人老人がとやかく言えることではないのだが、酒井氏の挑戦とか意欲とかを汲みたい素人老人は、すでにかの超有名な秦国が周を含む諸国を滅ぼす形で統一した更に後の時代の魏の時代の邪馬台国話ということを踏まえて、その周の時代に可能となった測量術が載る(紙以前の著作)『周髀算経』を持つ中国で国の史書にその応用があって不思議がることは無い程度の強度で酒井氏は当時だって距離すら測量できていたとしている。
 歴史学者諸氏には当たり前くらいの既知であっても慎重になってしまうのかなんなのか。
 制約として羅列してしまったことが災いしていないかとか素人老人的な杞憂くらいは仁藤氏に持ち出せる気がする。
 とんでも遠くまで女王がいる国は遠ざかることは無い。
 伊都国からは1500余里(77m前提に約115km)圏内を探る必要くらいはだれもが共有できそうだ。
 伊都国だって九州のどこか圏内だ。(壱岐島から1000(末盧国)+500(伊都国)余里の圏内)
最長の直線圏内としてせいぜい山口県なら宇部とまりだし、九州域だと中津、日田、熊本、長崎辺り以内となる。
 酒井氏が紹介する余里をまるめた距離からすると、伊都国から女王の国まで900余里だ。
 すると伊都国から69km程圏内と想定可能だ。素人老人の大雑把計算の半分の距離まで絞り込める。
 酒井氏のヒント発信から、末盧国をどの方角に探すか苦心しかねない辺りへ、その先の伊都国へは東南方向が必須とできて500里先に伊都国濃厚な地が予めわかっているなら、自ずから末盧国の位置が見出されるという具合。

 


   川柳もどき

    放送大学でも色が学問になることを明らかにした
    なぜそう色してくれてるのリアルが色々過ぎて
    だからって本を読め、だと面倒すぎるし
     色ならではの、ヒトの観念系への伝達路もありそうな
     そういやヒトは
      わかっていないから考える方をすんなり選んで人生を
       全うするようにしてきた
       基本、わかってないからこそ・・・だから、どこまでいっても
       全的にわかることができない
       ヒトはわからない、から、考える、のだから
        それを不可知の迷いとして押さえる短兵急も慎(つつし)みたいし
       ヒトはわからない、から、考える、のだから
        ということでお互い様の底を持ち合えてこそ、
         暫定的な実際の場での応用の効くなにがし
          さえも慌てず急がず騒ぎもせず
           実際的な有効な時間内で工夫しあえそうな気もする
        不安な人々は時々問題を自ら作って他人に回答を求めて
         擬似的ななぐさめを求め勝ちにしてそうだが
        事前に答えがあるならば考えることも無いのだ
         から
        考えて答えを見出して、その答えが問いに転じてしまうことは通常のこと
         っぽいことも頷(うなず)けたりする
     本能っぽいほうに向きたいか、自由とか思い込めるし・・で考える観念系を楽しみつつ、強いる癖のシステム作りに邁進しない一歩手前を心得ていられるか
     ヒトはわからない、から、考える、のだから
      考えることを楽しみつつ、でも自他のところで
       、ことばが共有のあやうさを生々しくするわりに
      考えたい自分は自分を貫こうとしてそうっぽい
     そこらは忙しい実生活が解決してくれるさと言い放った途端
     その面では堂々巡りを(苦渋のかもしれないけれど)楽しむことになりそうだ