連載は続く~ SF 掌編『蘇我氏を振り返る』編


 鉄を通じた交流の半島~列島版において、古く弥生時代後期までについては、季刊考古学162号('23.2 雄山閣)掲載李・武末共著"古墳時代前期鉄輸入ルートの多元化と弾琴台型鉄鋌"の中(p36 左項下)で「(以下引用)嶺南地域と主に北部九州という伝統的ルートに限定されて(以上引用)」と紹介されている。
 何度も引用している申氏の時期特定に用いられた出土品特定については岩波書店刊の『前方後円墳』('19.5)での指摘だ。(とりわけ p235、p237)
 李・武末論文では更に、鉄素材が半島~列島(近畿圏)に流通したことを指摘されている。
 両方の著作で椿井大塚古墳からの出土品のことがふれられているが、李、武末両氏は椿井大塚古墳出土の板状鉄斧の鉄材料特定と関わらせて「(以下引用)弾琴台型鉄鋌はこうした背景で成立した中原地域の独特な型式であり、その上限年代はおおむね3世紀代と推定できる(以上引用)」と指摘している。
 申氏の著作では、その後の列島近畿圏での鉄をめぐる交流の濃密さが紹介されている(p237-)。
 285年の事件は、弁韓が伝統的ルートの半島域を勢力として占めていたところへ、勢力としての主脈が扶余系に入れ替わるような出来事として申氏が指摘してくれていた。入れ替わって扶余系の加耶ないし加羅として占める。
 その加耶勢と列島近畿圏とが交流できている。
 或いは広く扶余系の脈々を想定して、半島中原域の鉄を営む勢力も含めて列島近畿圏は沢山の需要を満たすことを試みていた、と見たほうが、現時点では相応しいと素人老人は受け止めた。
 そうしておいて、いきなり蘇我氏出現と主脈が問題を起こして衰退してしまう辺りの謎っぽい辺りを"かする"感じでふれておきたい。
 日本書紀の記述を素人読みで判った風に引用するには、余ほどの手続きを経る必要有りが判りきった今時ということで、ちょっと古いけれど吉村武彦編『継体・欽明朝と仏教伝来』('99 吉川弘文館)中、熊谷公男著の"五 蘇我氏の登場"を参照した。
 日本書紀が発するニュアンスから表現が可能となる"王権の中枢"に蘇我稲目氏が突如登場する。時期は536年。大臣に任ぜられたという記事。(p100-101参照)
以下吉川弘文館刊日本史年表(中高の副読本タイプ)を参照して
 500年代は意外に騒乱の時期だったりする、と素人老人には印象される。
 527年筑紫国造磐井の反乱。
 532年には列島との関係も濃そうな金官国新羅と争って降参している。
 554年、仏教伝来の一方の説と関わる百済聖王が新羅との戦(いくさ)で戦死。
 562年は加耶新羅との戦を経て滅亡している。
 587年、聖徳太子も関係者の一人のはずだが、年表では蘇我氏物部氏を滅ぼしたとしている。
 592年の事件を経て593年、聖徳太子が摂政となる。
 594年には仏教興隆の詔(みことのり)。
 600年、隋へ使いを出す。
 二百年ほど遡った404年、倭軍、帯方郡の故地に出兵、高句麗軍と戦う。
と年表には載っている。
 ここらを素人老人の思いつきから勝手に推理すると、帯方郡の出張所(邪馬台国との関連)を置いていたことの重みなどまず想像したくさせる。そして313年に高句麗楽浪郡帯方郡を滅ぼしていたことを踏まえるなら、出張所人脈と倭国の人脈が100年近く経た時点においても記憶を生々しくしていた可能性すら想起させる。
 しかも、そういう争いの一方で、交流も混じるしで、ニューギニアでの秩序系をめぐる伝統としての生々しい争いごと行事と日常とが並立しうる伝統的社会における(今時の人々からすれば、ないし素人老人だからかもしれないが)不思議さの辺りは押さえておく必要がありそうだ。
 列島の人々とことば交流上不都合は生じていないようだ。
 突如の中枢との密接な関係構築は普通ありえないから、近過去以来の辺りは素人だって探りたくさせる。
 百済高句麗は文字文化もかなり熟成継承させていた。
 その両国人脈が仏教伝来では濃密に関わっている。
 蘇我氏は500年代に仏を尊重していた。
 初期藤原氏とそっくりだ。
 物部氏を血脈と押さえてしまうと勘違いを素人老人はしやすくしてしまう。
 物部の役職性格を押さえておけると、その広がりがただ血脈とかではない事態として一応素人の少なすぎる知識であっても、広がりの無茶さではないところで落ち着かせられる。
 事件の数々の真相がどうかを棚上げにしても、少なからず、蘇我氏の系脈を刑事ドラマの如く探れる気になれたかどうか。
 素人老人は、ぼちぼちとだけど追っている。

 

   川柳もどき

    まとまり感を共有できさえすれば、しかもそれが継承発展し続けられると
     相当な将来までの
      気持ちを繋げる気になれて
    すると、多分、各地性をある程度の異なり感を我慢し合えて、或いは
     判ったとか寛容さとかを処世の方で用いることもできたりして
    試行錯誤の密度をより可能にし易くしそうだし、
     油断大敵と、別の密度を思惑させもするだろうし
    いつもと、そう変わらないかもしれないが、
    とにかく、まとまり感だけは一応、共有することができてそうだな