連載は続く~ SF 掌編『3世紀頃から8世紀頃までの列島古代を一瞥する』編


 カシミールを使っていただいて、ざっと大阪の現大和川以南、横にずらして奈良盆地のその延長辺りを眺められる程度の(多分)今時のレベル15ないし14の国土地理院地図を表示してみる。その際、凸凹拡大を40倍とかにして、陰影調整のバー中央くらいにする。立体視すればトンでもな画像が出てきそうだけど、ここは2D画像での誇張ということで錯覚か凸凹の状態を意識し易くしてくれる。
 前回もふれたように関東圏をめぐる古代物流と水流の関係については学術文庫の現代語訳版『(続)日本後記』で超有名な森田氏が著作(『武蔵の古代史』)やネット発信にてその広がりと手段等を読者がヒントにして色々考えられるようにしてくれていた。だからカシミール応用は即、のことだったのが素人老人だ。
 鉄ならば重い。川はどう通って、古代流通ネットワークを構成させられるか・・などカシミール使いの楽しみを得られる。その際に2D表示でも凹凸を錯覚できる表示を工夫するわけだ。
 で、こちらも何度も引用させてもらっているけれど、長野正孝著『古代の技術を知れば、「日本書紀」の謎が解ける』(PHP新書 '17)の"第八章 解けた巨大古墳群の謎-百舌鳥・古市古墳群考察(p219-237)"が指摘の権力を誇示するための墳墓であるよりは、治水・灌漑・交易を考えた実利的で合理的な構造物とする観点を、またもや引用するように持ち出したい。
 この章でも鉄輸送の話題にふれられている。
 カシミールの描像が顕著にするように、南部の山地から丘陵状に平地(ひらち)が展開する地形だ。谷筋もありそこに川も流れる。有名な狭山池が目立つ。
 カシミールの断面図表示を試す。マウス右クリックのメニュー中央、かCtrl+Shift+Dで操作開始できる。
 起点から確定のラインについての断面で、断面図の左から右へと起点から確定点となるので、見やすいように起点を選ぶとよい。
 その描画像から最近ここで話題にしている高麗郡の台地上というか丘陵上というか、旧川越線高萩駅北域の辺りを思わせる土地の感じで、流れる小河川の谷はやや深い(大人の身長より高い)。それが海岸線ぎりぎりくらいまでせり出ている。
 そういう土地のギリギリの手前に百舌鳥古墳群を見ることができる。
 だから長野氏の指摘する灌漑要件にはピンと来そうだ。
 そして沢山の溜池を見るなら、長野氏の指摘にもう一回ピンと来ておかしくない。
 列島の人々は実際的な生活感覚を芯のところにしてきた、と素人老人は想像している。
 そういう人々を掌握する時に露骨に権力誇示シンボルを見せ付けるなんていうやり方を採った途端、面従腹背の底流を生じさせてしまう。秩序を保ちつつ、巷の元気を温存なり育て続けられる環境からは時代とともに遠ざからせるようなことをそういうことの熟知しているはずのリーダー層が手を付けるだろうか、と素人老人ゆえ勝手に推理してしまう。
 だから長野氏の論は的を得てそうに思える。

 ところで、鉄の方。
 扶餘勢の南下が、古代の当時における重要な鉄の産地だった弁韓域の勢力図を変えて、加耶勢が仕切ることになった。
 その余波は列島に及び奈良盆地南部の箸墓古墳を登場させる動きとなっている、と前々回あたりに老人記憶では、ふれた気がする。
 考古知見においても、と中公文庫版の『日本の古代』シリーズ(原著は1986年頃刊)の森浩一編の第4、5巻の必要箇所にざっと目を通しているのだけど、農機具に使われる鉄について、単発的には少し速いけれど、鋳造したのを使って台地とか丘陵を農地開発するようになったのは早いところで5世紀に入ってとの紹介がある(vol.4 p383)。
 鉄素材としての流通の状態をさらっと調べた限りでは、わかりにくいままで、ここでは、半島南部からの鉄流通依存説をそのまま採用して、その後の展開も想像してみる。
 そこで、ざっと年表風に羅列メモなど。

266年から以後147年間、対中国外交では空白期間とされる。
285年 扶餘勢の南下が起こる出来事
   鉄の取引相手が変わった。
   このころ箸墓古墳、そして椿井大塚古墳。
   鉄に詳しい人脈のいくばくかが列島と濃厚に関わった?(素人の空想)
400年 一派は大伽耶形成へ。もう一派は列島の百舌鳥・古市古墳群を形成する勢力として加耶勢が大挙移動した出来事。
413年 中国・晋へ倭国朝貢する。(147年間の空白終了)
*   書紀にあって中国史書にない史実ということは文字を使って記録必須の事項につ
   いてあってはならないことは今も昔も変わりはない。
    ということは少なくとも2系統の独自の主流のあったことを想像させる。
    あくまでも対中国関係を記憶伝承できていた人脈諸氏。
    後に記紀に載る出来事を成したけれど、対中国外交においては埒外の人脈諸氏。
    これが遣隋使の初発の頃までは続いていたとしたら、今時だとわけのわかりにく
   い歴史の論を誘い易い、明確な問題について考察しやすくしそうだ。
    この少なくとも二系統をまとめて新たな日本として出発することにした人脈諸氏。
5世紀は鉄製の道具が事態を動かす。農具であり土木工事の用具であり。
 ここでもう一つ松本建速著『つくられたエミシ』(同成社 '18)(と、原口耕一郎著『隼人と日本書紀』(同成社 '18))を様々に努力されている記紀読みの基礎作業を経た成果の一つ一つとして持ち出したおきたい。(引用)"5世紀後半から6世紀の100年以上の間、その土地にはほとんど誰も住んでいませんでした。"(引用ここまで p164)
 "その土地"とは、(引用)"北海道と東北南部を結ぶ、南北200km、東西150kmほどの空間"(引用ここまで p164)。東北北部域をさす。
 同地域について更に(引用)"7世紀以降は本州島の大部分地域と同じになりました。"(引用ここまで p169中段)
 著者の読みはメインストリーム部分での律令発想とは違って、実際には私的な交易とか開拓とかが盛んだった、というもの。(p172下段参照)
 蘇我氏物部氏、推古、聖徳太子の名が登場する頃までの東北の事情について一応ヒントにしておけそうだ。
 400年以後は鉄の担当は新羅勢だ。
 だから万が一のことでもない限り、鉄担当とは懇ろな付き合いが継続していたはずだ。
 しかも列島には鉄扱いに通じた人々が集団の営みとセットで大量に来られている。
 列島事情としては絶好の機会を得た格好だ。
 もちろん、そういうブーム到来すら空想できる状況だと、利権を巡っての見苦しい争いを、たとえ実際的な人々の方が優勢な土地柄だとはいっても、そこかしこで起こらないとも限らないくらいは想像しやすい。
 400年代は対中国外交がかなり活発化している。
 分断して統治することを信条に悪巧みすら徹底して使いこなすほどの勢力が、思惑を膨らませすぎて外来勢力としてやってこない限りで、内輪もめの範囲での処方が機能する。
 儀礼的戦闘で、構成員の気持ちは一新の機会を得たりを使いこなすことができた。
 騒いでとか逆に静まり厳粛な芸能の類を使い分けて人々が動機を更新して日々の単調な繰り返しを気持ち的に乗り越えるような工夫も怠らずにこなしてきた。
 高麗郡とか列島各地で山すそに広がる開拓すればそれなりに農地転換できる事業を鉄器開発とともに土木建築技術も応用力をつけて、人口増、生産力アップをこなしてきた。
 そして理念が素直に浸透というわけにはいかず、知的な財を肥やしてその欲が欲を生みで、争いごとが、ただではすまない規模にまで発展し易くして、武力を必要とすることが目立つなら、ということで、列島でも武装部門に事態解決を任せる出来事があふれ出す。
 そこを武士の時代とかで言い切ってしまうと、歴史的には理念喪失というか、その次の落ち着きを目指した経過的処置の要点を見失わせる歴史用語乱用ということを素人で老人ゆえ指摘してみたい。
 実際的な発想がいつもの諸氏においてもその諸氏がどうしても武士部門にしか就職できないような時代状況を得ていたとして、その仕事で満足できるとはとても思えない、ということがその理解へのヒントにできそうだ。
 またその思惑なくして、次の時代状況を望む事態に近い過程を得つつ誘うことはできない。
 史実からしても、半島にも列島にも加耶(旧扶餘勢の一脈(大陸的には北方系な諸氏))もずっといらっしゃる。
 前方後円墳のその後の扱われ方からしても、墓部分には現地に居た場合かなり抵抗はあったかもしれないが、実用の観点から、より相応しい土地の使われ方の次第によって、その改良にむしろ付き合ってこられたのがその人脈諸氏だったのではないか、と素人老人は考える。
 対中国外交の担い手として主流を形成しつつ、その継承にも衷心してきた人脈諸氏が思うとおりの筋道をたどれてこなかったとしても、そこらは中央集権が元気でいられるには巷の各地が同様に活気付いていない限り無理ということで、相乗効果をいつも用意できる工夫が欠かせないという難しい問題を切り離せないからだ。だからこそ、未だに現生人類としての集団の営みの試行錯誤が右往左往しているところだ。

 余談になるけれど、特に前方後円墳については、加耶系の人々の古代列島での活動の様を記録しておくためにもできるだけ早く学術のしっかりした基準を設けて調査しておいたほうがいいのでは、と素人老人は推測する(権力誇示目的以外の目的の観点を思い込み復元趨勢からして失わせかねないし。恐らくその土地の生活領域全体(当然物流も)が文化遺産対象になる)。


   川柳もどき

    雨上がり、小雨ぱらぱらなら特に
    6月末から7月のごく初めの頃
     と老人の記憶部門を刺激しつつ
      覚えこませた
       のは
    カエルたちが成長して跳びはねだして
    老いぼれもニッコリ