連載は続く~ SF掌編『記紀以来の編集の内実やいかに?』編


 気象庁がネット上にオープンにしている図表表示データなど、忙しい日々をお過ごしの諸氏においても、チラ見で2,3日直観体得しておけるようなのが、見つかる。
 たとえばデータ処理の期間(週、月、年間等)など選択して気温に関する状態を見たいなら以下
 https://www.data.jma.go.jp/gmd/cpd/monitor/climfig/?tm=weekly&el=temp
  各種データ・資料 から入って
  地球環境・気候 → 世界の天候 → 世界の天候図表 → 世界の天候図表

 北米の北緯30から40度太平洋岸やヨーロッパ地中海域もものすごい

 今夏の暑さに地表面分布は?とつい素人っぽさを発揮して、ネット検索したところ、早速便利そうなのが見つかった次第。

 

 ところで列島古代探索の素人老人版は継続中、ということで、大げさには‟推理‟の一つなど
 大和王権とかを安直に頻用され過ぎのようについ受け止めがちにしている素人老人がじゃ、どう受け止めているかの辺り。
 そこらは岩波版『前方後円墳』中、申氏の論文がその他に半島の研究者諸氏の論文がある中で、素人老人には未だに刺激となってくれている。
 まず箸墓域の出現についてのヒントになってくれている、と素人老人の押さえ方の脈絡では受け止める。
 しかも、少し北で奈良盆地をちょっとだけ外れた北部の古墳のことが取り上げられていた。(現京都と奈良域との通行とも関わる領域)
 このきっかけの時期(285年の出来事以降)の後、400年の契機以来、前方後円墳の大流行となる。
 この大流行の端緒は、既存としての半島南部での集団的営みが特徴づいていて、その形態をそのまま持ち込む形での集団的移動であったこと。
 そこには、歴史記述でふれられたりふれられなかったり、鉄と関わることゆえ関心のある歴史家諸氏なら欠かさず、そうでない場合は、ふれられないままのようにして、一般にとっては混乱のもとになりかねないのだけど、今時においては、一般が読める著作においてそれなりに古代鉄の営みの重要さが指摘されるようになっていて、一応、素人老人もそこらを押さえながら、だからこその半島、大陸、列島間の活発なネットワークと通用が実際的なことばの営みを前提にせざるを得ない辺りなど感じ取りつつ、推理というか想像してみたくさせる。
 ということだから、漢の字を伴う時期以来の列島での権威筋の規模が相当に小さい、ということが判明したところで、それが権威筋であることにかわりわないのだから、列島域への開拓移住だとしても、一応挨拶を交わして、権威筋との折り合いの後、列島の東方面へと歩みを進める。またネットワーク上、既存の定着したより鉄取引、鉄知見において似た過去として共有し合える箸墓、奈良盆地北部で活動している勢力との連絡もたっぷり可能にして、百舌鳥、古市域へと拠点構築を図る。
 つまり、特に大和王権を意識した集団の営みであったはずはない。
 既存の秩序系を有した集団の営みが、その後、鉄系ということで先進的ななにがしを持って列島各地へとその知見の流行の中心となってしまったとしてもちっともおかしくない。人々の根幹は、確実に過去から未来へとつないでいけるなにがしを頼りにする。
 実際的でもあり、確実な何かが目の前で再演されるなら、それを信じてくれる。
 失敗すれば、信用失墜に即通じる。
 鉄取引をめぐる多様な人々との付き合いからそんな程度のことは熟知されている。
 集団的渡来の人々においては一応のシステムが機能していた。それを大和王権と名乗らせるという手続きを踏むなら、歴史用語として、そう呼ぶことも可能と察するが、その集団の中枢にとってはいかがだったか。
 魏志倭人伝とか倭の五王とか現代の読み手からすれば、記紀との不整合については、シンプルに混乱のもととなってきたと素人老人であってもそう察せられる。やっかいなことをしてくれたものだ・・といった感じか。

 国民国家的なまとまり感共有策が欧米思想的特殊なのか、といえば、列島の場合では、列島こそと言いたくなる古代史研究者が、異論を唱えてくれそうだ。
 でしゃばって他国の領域を支配して、配下に置いてなどの発想っぽいのは、地表面での古代各地での戦争もの歴史記述として馴染まれていそうだ。
 それと似ているようでそうではない、と素人老人は思うのだけど、一応まとまり感の共有に向けて中央集権を目指すにしても、だれがトップの立場を担うのだとか、土地の区分けよりは、現状を認めて、税の方での回収の制度的精錬に向かうとか、それまでの惰性とは異なる趨勢が働きだすのだからそれなりの軋みを生じさせる。
 そんな生々しい状況に民意とか持ち出すほど軋み感覚を希薄にしたようなやつはそういるものではない。
 色々な意見が出て、人がそれらをどう理解できているかでも、賛意の動向は散る。
 賛同多数になる意見に従おう、は今式だけど、束ねるために努力が要る時期に、それをやったら、折角なびきかけた勢力すらが離反して戻ってこなくなる可能性も読めないわけではない。その時はその時で多数の勢いを借りて、その連中を力づくで引き込めばよい、とかは古代を知らない安易な考えだ。それが通っていたなら列島のどこかの島は、まったく別の体系の下、秩序を形成していたとしてもおかしくない。それは、双方にとって不都合なことだと今においてなら、指摘可能になる。まとまっておいて良かったね。だけど改良し続ける意欲は失わない方がいいよね、くらいは必要と素人老人だって気づける。
 仲がいいからとか親族だからだとかで、口出しを強引にとか我こそが仕切るべきとかで圧しの強さを誇示するようなだれか、やだれかたちが現れれば、そこは、構成諸集団への説得力を保持するためにも、その異論というより権力掌握を勝手に仕掛けてきた内輪たちへ、多少か、いつもよりも目立つように制裁が加えられてしまう、ということも起こりうるし、それくらいだから、通常は、それら内輪こそが、中央集権を担う諸構成要素として、内輪の支え合いはきめこまかく行使され続けたはずだ、と素人老人は空想できる。
 ある程度中央集権化が年月を重ねて、落ち着きを見せるようになってきても、内輪大事をやり過ぎてしまうようだと、中央集権を壊すのとはまったく無関係な挙動であっても、内輪外の人々の膨大量が内輪を意識できる人々よりもずっと多数で、中央集権という塊の内輪ということではご一緒という形が意識し合えるような時期になれば、もう、かつての内輪大事の貴重さを表立って出し過ぎることは慎まられる趨勢を生んで多分当然の事態と素人老人は察する。
 つまり強引な他国侵入支配的思惑が渦巻くような巷とかリーダー層が動き回り過ぎた土地柄ではなくても、中央集権化事業には困難がつきまといがち、と見ておいたほうが、実際のあり方を想像しやすくしそうだという素人老人の推理を持ち出しておきたい。
 で、前方後円墳を大流行させて勢力は、たまたまその当時においては、男が秩序の仕切り役を担いやすかったらしい。
 たまたまを既存のこととする以上に、伝来のとかで、女の役割を限定的に見る発想にしてしまうことは実際的にもったいないことで、実際的な発想を持っているその集団ならば、それ自体には気づかれているはずで、だから多分、惰性の辺りへ、たまには変化を持ち込んでみようで、簡単に、女たちの活躍の場は拡大可能と素人は見る。ただし、いつでもそうだけど、男と女、ということで、分業の巧みを集団の営みの中に組み込んできたその巧みの細部を忘れて、形式的に、女は虐(しいた)げられてきたのだから、女が男の位置と入れ替わるだけで物事の問題処理は可能、という全体を保たせる仕組み観察欠如策は必ず関係性が成してきた膨大量からのしっぺ返しを受けてしまう。
 それと、性別抜きに、それまで明確にも暗黙にも分業化してきたことを為すにあたっての工夫も事前に用意しておくことに越したことはない。
 そして、そうはいっても、たとえば同じボクシングのクラスの女と男が競泳プール脇のそれぞれとしてそこに居てくれたならすぐに気づけるように、筋肉の付き方が、大勢・体勢として大きく異なることに気づかされるから(同じように肩幅が発達したとしても)、そこらの条件を細やかに観察して、準備に役立てる必要くらいも素人老人程度でも心配して置ける。

 記紀魏志倭人伝エピソードや倭の五王エピソードを載せなかったことと、倭と日本の連続性にこだわれたことと、交易の盛んなことをひた隠しして、外部のだれかたちを争ったエピソードを多用したことと、実は、着実に戦乱を経ながらも三方良しの意欲を継承してきた脈々、それを感応できる脈々が列島中に育ち、継承され、また地表面を見ても、欧米脈においては、主流中の多数派のその次くらいの位置づけかもしれないが、地表面各地においては戦争とか諜報で混乱させられない限りで、通常の発想っぽいことを海外発信ニュース、レポートからは知れるわけで、ヒトは今でも、そういう具合に実は争いを好まない、できれば集団の営みを雑な個々性を認め合いながら、雑にこなしていきたいし、個々において精密な探索がこなされることを、心配しながらでも世の中に役立ててねで、受け入れてくれる。
 だから投資しやすさ偏重が、極端を成しやすい一面と見なせるなら、投資機会を膨大にさせやすいバブル系に持っていきずらい経済の営み手法の方を尊重してきたきらいがありそうだ、とここらも素人老人の推量にすぎない。

 三方良しの円満好きな400年以来の発想に女性参加がどうってことない感を即付加していただいて、できれば権威筋の女性リーダー当たり前感にも馴染んでもらって、逆に権威筋が昔を思い出してもらって、巷に出て呪術では今時説得力を欠くけれど、ぞのざっくばらんなとけこみを発揮してもらって、共和思想でなくても、巷は人々入り乱れて平穏、ということが可能になる史実を提供してもらいたいものだ。

 * 今年夏の空想ということでなら、源氏物語ほかの文芸の基礎は400年以来の加耶系中枢での‟営み‟がそれなりにエピソード化されていたのを、紀貫之氏以来の気運の下、文字におこされた、と見ることもできそうに素人老人は押さえてみた。
   権威筋はもう少し実際的だし、堅物系のようにも受け取りたくさせる。

 *パソコン使いにとっては、CPUの発熱こそが温暖化の主原因なのでは?とつい言い出したくなるくらい、とにかく熱い。
  世間の推測の通り、急カーブの時期からして、自動車が極端に多くなり過ぎたこと(ただしここには数十億の人々と、その時期を仕切る数としてはそれなりに大規模な諸氏とがなんとか平穏にを目指して採用した”食い扶持”と見ることもできるので、一方的決めつけも素人老人としては控えたいが、それと膨大なCPU群の作動とが関わってそうだ。
  そこにエネルギー源の原発の発熱が加わって海は超温暖になりやすくなってそうだ。
  ただ気象庁海水面温度データによると、今年だけ、特別、温度分布の高温部が列島海岸線に近づいてしまっている。(今年の特殊事情。それだけで日々の気温体感が決まるわけではないことにも注意は要る)

  たとえば自動車レース。スパでのF1のことを持ち出してみても、その昔の自動車販売規模でそのレースは可能だった。ただし、棺桶と呼ばれるくらいF1ボディは危険なしろものだった。
  自動車が膨大に売れてその余剰が現代の安全性を伴わせているのか、そうでないのかは検証が要る。
  でも、箱庭っぽくなってしまったロード・街路レースタイプの旧コースを懐かしむ老人的観点からして、車とかレースの安全性の現代版と、かつてのレース形式が両立するならば、現自動車販売数を減らして、別の領域が育ってくれても、レースは大いに楽しめるぞとつい空想したくなる。

 

 

   川柳もどき

    カエルも居場所を決めると
    ずっと生涯、そこでエサになる虫を待ち続けている
    ようだ
     ちょっと小さいのが、ツワブキの葉のくぼみに隠れて
     それが少しして少しだけ大きくなっていて
     更に、後日、もうちょっとだけ大きくなっていて
     しかし、そこに見かけない時間帯の方が多い
     ライバルかもしれないカナヘビの若者はとぐろを巻くやわらかいホースの重なりに
     滑りそうになっているのだから
    ライバルとはいえ
    カエルの多分安心材料だ