連載は続く~ SF掌編『列島昔噺』編


 ネットを利用して世界の乳幼児死亡の状況、平均寿命の状況などざっと見てみた。
 すると2020年のデータは整理できているようで、けっこうな諸国が80歳台を示している。
 そういう所では乳幼児死亡の率も低い。
 ということで、大雑把すぎるけれど、素人的には、生まれただれかたちがそれらの国々に限っては人生80歳代を経て天寿を全(まっと)うする感じになってそうだ。
 年金生活の基本形が列島の場合、65歳からということになっているけれど、ある程度の元気を保てて退職できた場合、とりあえずその後のかなりの年月を老後の計画に合わせてなんとか試行できそうだ。
 その後、不可逆的な老いを迎えて、志はあっても思うようにいかない年齢とか心身状態を招くことになるから、その時はその時ということになる。
 女性の場合は更にざっと10歳プラスで構想が必要になる。
 80という数字も80まで生きるほどの元気な連中ということからはそれプラス10ないし20くらいを考えておいて間違いなさそうだ。
 それくらいの長生きな世の中を迎えてしまった土地柄が方々に生じている。
 90代でも健筆を振るう諸氏がメディアに登場する世の中なことは諸氏において承知のはずで、ということは、自分事としてもそれくらいの寿命を得てそうな想像もしておいてその時になって慌てないで済むというくらいの指摘も素人老人がしておいてそう無茶なことではないように察する。
 日々、散歩くらいは欠かさないようにして、血流を元気にしておくとかはきっと心身に響かせる。
 残るは、現役年代諸氏の働き方へのきめ細かい抑制の効いた、ヒト身体と関わる応用地検の具体化を持続的にこなせるようにすることだ。なあなあが一番危ないので、他人どうしがある種の安全安心をめぐってちょっとした緊張感を伴わせて、達成の手順を明確にして、現場でも逐次その具体化を検証しあえる密度が必須だ。そうであれば、お互いが退職後の元気をその後に活かせるようにする。


 談合のことは多くを地道に語られ続けている。
 最近のニュース報道から食い合いを抑止して健全な仕事の分担を目指した談合がルール違反ということで罰せられることになった、ということを知った。
 意図はそうであってもその意図からする談合を放置すればなれ合いの関係を持てた限られた関係集団が利益を分け合うタイプの危ない現象が常態の方で落ち着かせかねない、という前提のルール設定のように素人は見たのだけど、ある市場を詳しくいつでも知諾できている公務部門が、その市場の性質からして、どういう利益の分かち合い方は利益をめぐる活発な活動を参入とかの観点からして異常なり具合が悪いだろうとかの観点を働かせることができるか観測し続けていて、制御もできているようなら、そして各会社の実力の度合いに応じた仕事の分担の仕方からして、仕事の質を落とすことなく、最適な仕事が可能だろうと予想くらいはできるとかの判断もできて、更に、他の土地柄での同じ仕事に関する工夫と比較して、怠慢のあるなしを見定めて、研究開発の努力も怠っていないかなども検証できて、その上で既存の実力に応じた仕事の分かち合いで無駄な競争を避けさせる談合は合法とする法治のあり方というオルタナティヴも十分にありうると素人なので、簡単に持ち出したくなる。
 ただここらはそのほかもろもろとの経済諸活動要素間の整合を法治の観点から細部にわたって可能、不可能のあたりを測ることも要るので、部分的には可能でもいざ広範な現象でその種の談合を認めていけるかどうか、という辺りまで考えての指摘ではない。

 分権の様々なありかたとともに中央集権のうまみをも取り込んでの集団の営みの試行錯誤という観点を得た場合、談合ということの応用ということも、ヒトのやることだから放置はできない、という心配面ばかりではなくて、可能性観点も忘れない方が、といった辺り。


 それで、列島古代、660年のきっかけ以後の試行錯誤について。
 まったくの中心勢力をとっかえひっかえしなければならなくなるような仕組みだと、志向のところを欠きがちにして、それなりに不安定というか、分裂趨勢のまんま、ということにさせかねない、と素人老人的には想起してしまう。
 それ以前を古事記、現代以降を日本書記で、という山口氏の説におんぶにだっこ的な素人話ではあるけれど、権威筋をその位置でのパフォーマンスに慣れまた現役としてそれなりに集団を率いていた人脈を新発明の位置に据(す)え、実務の権威脈もそれなりに混乱しないように工夫し続けるために、先の権威筋のための先例話の準備の一方で。こちらの権威由来の脈絡もしっかり準備することを文字資料として数年かけて作った。
 ほとんど列島中では文字資料を用いた行政なるものとは無縁な集団の営みだったから、文字資料が証拠を残せるという性質を発揮させられるようにするだけで、どれほどの中央集権化に当たっての頼りになるなにかしらにできるかを十分に期待できた。

 日本は、倭の斉明・中大兄が一方で遣唐使を送り、一方で新羅関係で唐に反逆して戦争をしかけるなどトンでもな立場を自ら招き入れてしまったので、近江や斉明の宮の地を無いことにしたり、倭とは縁を切ったことにして新たな旅立ちを始めた風を装える日本を対中国外交の必要から用いるようにした、というような素人考えをずっと用いている。
 新発明の天皇は中央集権下の国内事情とも関わっている。九州の一勢力のニュアンスを引きずるようでは全国の自力のある集団の営みへの温和な糾合を誘いにくい。なんだよ、九州って田舎じゃないか、こっちだって田舎だけど同じ田舎じゃないか。そこのリーダーが全部を仕切るってのかい?嫌だね、になるに決まっている。騒乱の種をまくだけになりかねない。
 だから実務担当の藤原氏は、したくはないけれど、一本化のために陰謀も相当に使いこなしてしまったはずだ。同じ藤原氏であっても、一本化に向けた奥義を理解しない誰かに対しては有能であっても本人の応じ方に応じた対処法が用いられてしまったはずだ。

 プロジェクトの由来はどうなっていたのだろう、と素人も考えたくなる。
 遣隋使というのも大きなきっかけと考えたくさせる。
 しかし、山口氏のヒント発信を受けるなら、古事記の推古期まではあくまでも前史扱いだ。
 それに万葉集1-53までの時期をひとくくりにできる説も応用するなら、雄略(1)・舒明(2-)・皇極(7)・斉明(8-,中大兄)・天智(16-)・天武(22-)・持統(28-)と選択の跡を素人でも見たくさせる。
 対外的なアピール要素の一つとしての芸能面で歌集を押さえるなら、外交と関わって中国の公式筋には通じるはずのビッグネームたちが並んでいるとも見ることができるけれど、先のような見方からすれば外交のなんらかとして用いた万葉集にしてはまずい名称が並んでしまっていると素人は見る。
 むしろ桓武以後の中大兄復権後のなんらかと見なせるならば、合点がいきやすくする。 そして外交上の関係者が並んでそうな辺りを山川出版の歴史年表など参照しながら素人式には押さえたくさせる。

 プロジェクトの性質から、新発明のポジションである天皇位はかなりの重責で、天皇の側から偉そうにするというよりは、演出の積み重ねによって世の中の人々からつい尊敬されてしまう立場に近そうだけれど、当初というか六国史が編纂され続けていた期間は、それよりは全国の集団の営みのリーダー層から一目置かれるだれかで或る必要を求められ続けたのではないか。
 とりあえずそこが重し役を持続的にこなしてくれるなら、律令にもとづく法治の集団の営みの仕組み的形成の実務を仕切るのは藤原氏が担うし、イデオロギーの注ぎ役も実務の上で反映される必要ありということから藤原氏が担う。その際、天皇位のだれかがそのイデオロギーをしっかり身に着けていないと困るので、相当に優秀な女性たちができるだけ近くを囲むようにした。
 出自からして奥義を注いでやらないと、九州のどこかのリーダー発想が出てきかねない天皇位の担い手脈の人々だから、勘違いして、九州のことは既に忘れてしまった世代においては、天皇が実務の上でも偉く振る舞わなければとか思って、仕切ろうとして、人事にまで口出しするようなことが生じれば、トップ中のトップも入れ替えるタイプの政治をそれ自体にもちこませかねないわけだから、奥義継承の主脈である藤原氏にとっては一大事となってしまう。中央集権化のための整然とした権威筋を尊重しあえている機運を損なうわけにはいかないので、天皇位のだれかをぞんざいに扱えるはずもなく、意外な事態発生となるとその収拾にてんてこまいとなって史実を残すことになりそうだ。
 道真氏は藤原氏も励ましてかなりの仕事を残した人物なのだが、天皇位のだれかが人事に勘違いして妙なことをしてしまったために、九州をも思い出させかねない仕事もこなしていたということで九州左遷を採用されてしまったようだ。
 後の後醍醐とか勘違い脈は時々出てしまうなど、奥義を継承していくことの難しさとして素人老人観点からは指摘してみたくなる。
 ここらは共和発想からする特権階層問題として素人が見ていない辺りを下地にしている。
 つまり、日本と対外的な呼称を変えて、中央集権化プロジェクトを始めたことの貴重さの方で、素人老人は押さえている。
 各地性の放置で、列島の狭さゆえ、追々中央集権の巧みも使いこなしたさ、と言い張れる諸氏はまったくいないと素人は推測する。
 実は、中央集権の様々はありえてもそれの円滑・円満な試行は実際問題として難しいと列島の試行錯誤からも推しはかれる。
 その出だし以後として列島古代とその後を見るならば、同情的になれない事例の盛沢山の方から一方的に判断してしまうか、更に細部にまで分け入って、事態推移の多くについて改めて別の観点を可能にできるかなど、未然の列島の歴史という素人指摘は可能と察する。
 世界においても、嵐を起こして、一見制覇した勘違いをも多々かもしれない欧米の人々が目覚めて、改めて、わざと分断支配策を用いてしまった広大な中東域とか中国からする広大な西域の先達性については、宮崎氏の知見をまんま受け取る必要なないにしても参考位にはして、もっと中東や西域での多様包摂を可能にした実質のところを、自分たちの歴史が調べ切れていないことをを知る観点から調べなおして、知ってからでも判断を下すのに遅くはない辺りは、大国の一つ中国の知見諸氏も同意できるのではかなろうか。
 時々の超大国を権威付けて、一応の秩序を模索することは必要悪とまで言ってしまうと失礼になるけれど、必要な要素は指摘して置けそうだし、現に今も、そうやてUS主導の民主主義の会議と称してネオナチが参加しているウクライナ政府をヨイショするような奇怪(きっかい)な、素人からすれば珍妙な出来事に各国が追従しているところだ。
 そこらは素人的にも、かつての本物のナチへの加担の勢力が歴史的に記録された現代史において、超大国の頭脳はそこらを共犯関係に誘って、将来的な展望において、大口をたたく小勢力の制御に出ているとも想像したくさせる。お前ら、ネオナチ政権を民主主義とかの大儀で加勢してたじゃないか。それともそんなことはしなかった、というのかい?! けれども若者諸氏には勘違いしないように指摘しておきたいのだけど、生な政治ということでは、超大国に任せた秩序維持のためには、時に、譲ることもある。ということだ。 苦渋の選択だ。
 USの映画を見ていれば気づけるけれど、ないし列島の地味目な発信でもそうだけど、敵の敵は味方という理屈を一応普及させておいて、その上で乱暴な事態に乱暴ものを使う。そして、それらが内輪を暴露しないように最終的には始末する手法を20世紀型超大国は使いこなしてきた。だから、ネオナチを放置しっぱなしにすることはないはずのUSの言うことに一々反論はしないでおこうという作戦も時には生じる。でも、素人的には、そのおかげで世界の経済は物価高で悩まされていたり、内輪ネタで済まされなことになっている。
 初期の段階で、使ったネオナチ勢力をUSが自ら収拾させるべきだったことは言うまでもない。
 危ない勢力の新規参入を制御するための社会工学パスカルの原理応用以外はありえない。というかそこまで余裕もないと思える。
 弁証法役割分担の相では、構成要素が一塊として仲間内と見なせる。利害とか気持ちの上で自分たちは仲間じゃない、と見なしたくても、役割分担構成をになってしまえば、それは仲間内の効果要素でしかありえなくなる。それほど強烈なヒト集団の営みが成す性質を言い表した概念と思える。
 現代のニュースはそういう観点で聞き流したりちらっと見たりができる。
 しかもその構成要素の集団それぞれの中身にはたくさんの要素が含まれるから、奥義の伝達度合い次第では不可抗力を生じさせやすい。それが大事とならない制御力が現代必須の力量の一つとも気づける。そこらが機能していれば、これまでのヒトの歴史のような乱暴は相当に避けられて、人々の元気な活動とともに、別の巷の不可抗力がひどい事態に誘われない制御を巷の知恵や公務系も含めこなしながらだから、ある種の良い緊張、ストレスと円満さゆえの温和な体調管理も可能にして、生活習慣病が誘う膨大な医療費負担による集団の営み停滞現象も抑えて、世代をつないでいけそうだ。

 先日参照してここで引用した新書では紀元前から活発な船運での交易活動を知ることができる。
 危険要素はぬぐえないけれど、海の地理に詳しいなら座礁は避けられる、となれば、更に安全の度合いは上昇する。それくらい、遣唐使船について危険危険と指摘され過ぎなことを、素人は感じる。材料が素人老人にはないので、それを具体的は指摘できないけれど、列島古代でも列島発はともかく各地がたまたまにしろ、列島のどこかしらに度々寄るくらいの航海術は持っていたと思える。
 だから列島でも技術を持っただれかたちなら真似事からでもそれなりの船便を応用できてしまっておかしくない。
 列島古代の海外交流の頻度か密度とか、質量などもっと事情通諸氏、専門家諸氏は検証してもらいたい。
 船便での外交ということで、上記万葉集の事例を眺め返す。
 雄略は載っている。舒明も載っている。なのに、推古なり聖徳太子は載っていない。
 日本霊異記の序文で聖徳太子天皇あつかいだ。
 対中国との外交関係上、どういう連続性を読めるのだろう。
 そこらから雄略に当たる万葉集の人物の年代特定も可能になる。と素人は空想してみるけれど、既知なことを素人が知らないだけか。

 ぐっと下って、中国地方出の柳田国男氏がかつて文章に漢語を使い過ぎるな的指摘をされていたことを思い出した。
 ここらは今でならハングル発想に近いような素人感受を指摘したくなる。
 列島の人々における渡来系要素がそう言わせたとしてもちっとも不思議ではない。
 以前、近藤氏の新書からハングルの単語由来と日本語の単語由来は相当の起源を異にしているとの指摘を参照してみたけれど、渡来系の波状の在住が脈々と続いた列島のことを想起すれば、もともとの三国系諸言語の使い諸氏がその時期時期の使用に慣れた語と既に列島で慣用になっている語とのすり合わせとかことばの運動からくる影響を経て、各地の日本語を育ててしまったわけだし、列島古代からして官僚層は各地へ出向かないタイプもいたけれど出向くこともあったし、武装部門などは、独立して各地へと散って住み着いて地元民とも混血して根付いていったりが繰り返されたのだから、言葉上も近藤氏の指摘よりはむしろ半島系との混じり方は濃い方で想像しやすくするがいかがだろうか。
 原文一致ぽい表現には、日本語的だと漢字も結構使いやすい。意味と発音を合わせて用いることに慣れている。
 でもいかにも漢文、となると恐らく当の中国であっても、言文一致表現ということでは使いづらくなるのではないか。半島の人々しかり。
 それでも海外での伝達ツールとなると漢文の簡略伝達性質はピカッと閃光を放ちそうだ。
 その漢文は仏とともに入ってきたのか、その他の巻物とともに入ってきたのか。
 そして遣隋使人脈を省いて、遣唐使。だけど雄略にあたる人物はどう対中国として連続性を読めるのか。


 素人がことばの上っ面をとらえての話にすぎないけれど、
 万葉集28は‟はるすぎてなつきたるらし‟ではじまる。
 その前のところで藤原京御宇とある。
 家康と東照宮。そして神扱いのこと。
 持統期っぽくないか。
 死後のことで、そこが大きく異なる。家康氏になにかしら思惑を無理やりよみたくさせないか、というか、素人だからできることで事情通諸氏からすれば、なにをおっしゃるで、おしまい程度のことか。

 文字のことで戻れば、巻物文献として継承できていただれかたち、或いは、文字扱いについて列島独自の発想においてであっても継承していただれかたちとは、しかもそのだれかたちに限っては対中国意識も継承できていた。
 それ以前の文字資料は失った、という事実はあまりに極端だ。過ぎる。
 文字の有無についての断絶が極端だ。
 そこらからも、文字に関する継承脈の線、対中国外交意欲脈の継承という観点から、地域的な近畿のみ発想を採用しなくても済むように素人は考えたくなる。
 生々しい現代史上の中大兄や天武、持統の後の出来事であっても記紀の内容を検証できるだれかたちが居た頃ということを前提にできるなら、そして原典に極く近い伝本が今に残っているのならば、と誘っておいて、いきなり山口博氏の指摘をまたもや持ち出す。
 山上憶良氏の万葉での歌も中国渡航中での見聞からの借用に近いという指摘だ。
 とにかく体裁を急ぎ準備しなければならなかった。そのために中央集権化事業に向けて関係者は皆が奮闘努力していたのだ。熱気に溢れていた。
 かつての教科書紹介記事だと読み手本人の性質に寄せ過ぎてしまっていた。
 実はそうではないのだ、という指摘になる。
 当時の中国を超えた各土地柄に向けて公式での営みの質を披露する事情を読み込まないと、記紀を含む作品の実際に近づけさせない辺り。


 だからか、源氏物語でさえ、今の研究的読み手諸氏はプロジェクトとして押さえるようになっている、ということをNHKのラジオ放送番組から知った。

 

  川柳もどき

   コロナが明けて、本当に久しぶりに身近なだれかを目にすると
   まぶしい。
   ヒトの近さというのは、その程度の時が良い、な。
   ずっと近ければ、ことばの行き違い他色々出会うことになって、
   いいこともストレスのたまることも生じがちにする
   それぞれ性が芽を吹きだし
   それぞれの花を咲かせたくもなる
   ヒトの観念は育つほどに一筋縄ではいきにくくさせてしまう
   そういうものだ、という風にお互いが、具体に近づかせすぎることなく
   納得しあえていることも、その先での行き違いがもたらす圧を回避させやすくしそうだ
   多分、そんな感じで、ヒトは上手を身に着けて付き合いのヒトっぽさを育ててきたんだろう