連載は続く~ SF 掌編『岸辺にエドヒガン』編


 日本霊異記について論じた『『日本霊異記』上巻冒頭説話の存在意義と役割について』(東海林克也著)から、その上巻の"雷を捉ふる縁第一"が研究上では非仏教説話とされていることを紹介している。
 素人老人的には、そこを専門家の思い込みの方で受け止めたくさせた。
 その昔の列島では、文字の使い手諸氏ということでは、半島で使い慣れただれかたちが列島へやってきて、その生々しさの湯気がたっているような時期ならば、それなりに文字を使いこなすけれど、列島での生活が長くなって世代を重ねたときに文字の使い手としての継承までこなしていたのかどうか、という素人老人からする疑問が湧く。
 各地に残るその昔に成った彫った文字遺跡から、素人が勝手に想像しているだけだから、ここらは大いに検証が要る。
 文書行政タイプが中央集権化事業とともに各地へと広まって以後は、各地も中央も同様に文字を継承しあう動機が成立したと素人でも見なしたくなる。
 そしてその中央集権化事業において神社系としての中央集権化も試みられたと見るのが素人老人流なことはこれまで時々ふれてきた。
 そこらを説明する材料に出来るかどうか、素人老人的にはできるかも、ないしとっかかりにできるかもと想像しているところだけれど、なにか、というと、"宮"絡みだ。
 先日、家康氏との関係で東照の"宮"を持ち出してみた。持統の藤原"宮"の頃と重ねてみた。
 つい先ほど見ていたテレビ番組では家康氏と京都の関係エピソードを色々紹介してくれていて、そこからちょっと借用したくなった。
 たとえば東本願寺には東照宮があり、そこに秀次氏以来、慶喜氏までの徳川家将軍経験者の位牌が納められていたそうだ。
 そしてその東照宮が火災に遭った後、現在地に移されて保管されてきたということだ。
 家康氏のアイデアはあくまでも現役の将軍が"宮"を営むのではなくて、死後に納まるタイプだ。
 そして意味深と思えたのが、位牌を東照宮に納めている、という辺り。
 少なくとも家康氏とそのブレーン諸氏の発想において、宮は神社扱いではない。
 神"宮"も、なんらか脈絡を解読できるならば、営む"宮"のことのはずだ、と素人老人は勝手ながら見なしたくなった。
 中央集権化を試行しはじめた主流人脈諸氏の発想には、神・社の方でまとめたくさせた脈絡を読み解く必要を指摘できるのでは、と素人はその読解のところは避けてしまうけれど、元々は、各地の大切な営みについての各地、各人なりの呼称がありえたはずで、神とか社とかの文字以外が膨大に生き生きとしていたとしてもちっとも不思議ではないように素人老人は想像してしまう。
 でも、文字資料としての固定化を試行させたアイデアは、ほとんどの研究者諸氏において、神社とか神が大昔からメジャーなことばだ、との大前提で物事を押さえてしまっているように素人老人は察する。否、オルタナティヴな信仰系の研究が実は活発に継続してきたのだという指摘があるなら、それは素人の力不足を知れるし、むしろ興味を大いに誘う。
 雄略ということば、名称も、実は中央集権化事業との関わりが濃い辺りは、先日持ち出した万葉集1~53歌までの編集から、なんとなく程度であっても察していただけそうだ。
 そして生なましい持統の時期に、(ドラマ的・劇的に)大げさ表現が得意な柿本人麻呂氏が神ことばを形容に多用していたわけだ。
 各地の様々を伝えることばの群れから一つのことばに糾合させる意図。
 ただ現代において神ことばは固定的に先入観に充ちて使われがちにしているので、現代人の方がむしろ柿本人麻呂氏ほか中央集権化意図を操作した諸氏の思惑を汲んで神ことばを使って、なにごとかを解釈してくれそうな感じだ。
 書紀から100年ほどの頃にそれなりの年齢だった景戒氏にとっては、書紀編纂の時期の前後を現役だっただれかたちとの間にことばのやり取りがありえたとしてもおかしくない。或いは、景戒氏の(10歳、20歳とか)先輩諸氏ならば、もう少し生々しく当時のことを知りうるし、それらエピソードを景戒氏とのことばのやり取りの中で、話題にできた可能性だってありうる。
 そして神ことばはそんな風だ、ととりあえず、ここまでの触れ方から想像していただいて、むしろ縁にふれる辺りこそが要点と見なすことができるなら、それほど非仏教説話のような扱いにしたくならなくてもいいように素人的には思えたりしている。
 家康氏でなくても良かったけれど、家康氏が情勢と立場を得て、そこへブレーン(のほか女流の脈々)諸氏が関与して、倭から日本への移行を支えた仏教発想脈が当然のように関わり、江戸の奇跡、包摂力(ナチのように排除趨勢を内包する思想の営み(宗派とか)は排除するほうで対処した)を可能にした模様だ。
 現中東域における混乱を見る目でかつての中東を見なさない発想から、その包摂の実力の内実を冷静に検証できることも、実は局所的包摂に猛烈に努力されているけれど無理を相当にひきずって、追々の困難が予想されている欧米の営みへも、それなりのヒント提供に通じるのでは、と素人老人ゆえ、空想してしまう。
 アヴィセンナ(ابن سینا, پور سینا、イブン・スィーナー)流医療から近代の医療へと転換できて、しかもその限界が意識される中で、外科はそれなりに欧米流でも役立ちそうだと見なされつつ、その実相はグッドドクターに登場する、ないしドラマERでもお馴染みの外科的処置の工学的過ぎる辺りを冷静に観察できれば、それすら制約だらけだったのだな、と素人老人だってほんのり程度は気づかされる。
 でも、実は、そんな外科の状態に満足してはいられない医療従事者・研究者諸氏が持続的に研鑽を積んで、今は侵襲をより少なくして身心負荷がぐっと少なくて済むし、薬剤使用についても、他の膨大細胞群に影響して副作用で身心を参らせてしまうような使い方ではない使い方への試行錯誤が継続していて、ということで、それなりにオルタナティヴ形成と言って差し支えないような事態が生じている辺りは、落ち目とも紹介され賀地なマスメディアの中のブロードキャスト系テレビ番組が最近でも紹介してくれている。
 でも発想の大転換タイプでは未だ未だない。

 ところで、親子だから似ているとか、その割に似ていいないとかの話はついしてしまう話題のタイプかもしれないが、多分、昔から言われてきたことだと思うけれど、孫と二人いるおばあさんや二人いるおじいさんとが似てしまうことの方が不思議のように語られてきた。
 孫の代に意外に似たのが登場してくる。そこら祖母父と孫たちの類似から親子を改めて眺めさせたりがありうる。

 

  川柳もどき

   街の小川はよどみがち
   散った花びら水面を覆う
   夜の光線なら美しく、は使い古された表現
   ところで
   ソウギョたちは、
    桜の花びらの匂いをかぎ分けるのかどうか
    ひたすらそれを口に吸い込んで
    いつ、たらふくになるのかならないのか
    ずっとあきずにぷかぷかと
    食いつづけている
   匂いがそうさせるのなら
   と
    そのうち桜の若葉でも投げ入れてみるか