連載は続く~ SF掌編『(徹夜して)サッカー中継を見てしまったのでその感想など』編


 サッカー中継を見てしまい、ことばにしたくなったことなどを少々。
 パスの出し手を点と見て、パス回しの多角形という一瞬を想像していただきたい。
 今時のサッカーではその多角形は動き変化しでボールも各点を動き回る。
 素人老人観点からの最近の指摘はそれに加えて、正確に素早くパス回しをこなす、といった辺り。
 そこらを列島チームの女子選手といってもU-20世代の海外チームとの試合を見た限りでは、海外のずば抜けたチーム相手に、上回るようにしてゴール前へボールを寄せるようなことを何度も見せてくれていた。残るはシュートの精度次第っぽいことをその頃ことばにしてみた。そして海外"凄(い)足(技)"チームのボール奪い圧にかなり苦戦していたこともふれた。
 今回見た試合は、ぐっとサッカー経験を豊富に持つ選手が主な構成メンバーとなって、ポルトガルチーム、デンマークチームと技を競っていた。
 強化試合とのことだけど、一応、親善の含みを持っていそうで、各チームが持てる力のなんらかを試すような技の使い方で試合していた、と見た方が良いような試合内容と素人的には感じた。
 ベテランが多いチーム構成の試合を見ながら、以前の同じベテラン構成が多いチームが海外チームと試合するのを見て、パスの奪われやすさとかがなぜなのだろうと、ぶつぶつ、というわけではないけれど、密かにというよりは、時々派手目に想起してみたりしてきたわけだけど、今回、そこらにことばを選べそうだと思えて、書き込むことにした次第。
 一つには、個々の技量と関わることで、旧態のプレーをついイメージしながら試合に望んでしまうほとんどのベテラン・中堅年代の選手諸氏だと、ボロは出にくいことになるのだけど、点がとれないとか、余程の偶然が重なって点が取れてしまうとかのような形になってしまうとかが見慣れた試合後の印象にしやすかったりして、実際に実況中のパス回しは精度の悪さがもろ試合運びの苦労と直結してしまう。
 解説諸氏(アナウンサー諸氏は宣伝発想も相当に発揮してしまうみたいで装飾用のことばを乱発して、それに引きずられる格好でその後の言葉発信を制約してしまう悪循環に陥りやすそうな感想を素人的には得ている)は、ベテラン、中堅選手諸氏の目指す方向などかつてを共有できているから、プレーくせがそうなりがちになることを理解できるし、一方で若い世代の海外チームも含めた今時のプレースタイルにも精通されていると見えて、ちらっ、ちらっと要求の高い辺りを匂わせつつ、それが先走って空回りした解説言葉発信にならないよう工夫しているのか、ぐっと旧態プレースタイル評価のことばもそれなりに使いこなされている感じだ。
 だから公式に飛び出してくることばからは、今時のプレーが大変化してしまってそうな辺りを試合を見て素直にことばにしてしまうタイプ諸氏ならともかく、流行りとしてのことばを受け入れて通用させ合いたい諸氏のタイプだと、言葉使用において、自ら制約を持ち込んでわかることもわかりにくくしてそうかな、など老人的には想像したくさせる。
 回りくどくなりすぎているけれど、その一つはボールタッチだ。
 圧をかわすのに心身上の自信と直結するのは足腰を筋力的に準備できている辺りは、恐らく、若手も含めて、プロフェッショナルなトレーナー諸氏の最新知見がフォローされていると察する。だから、ボールタッチを、素人のちょっとさわり、のような触り方とついしてしまう旧態プレースタイルだと、ちょん、ポーンとボールを走らせてしまう。
 ボールコントロールの精度が必須になっているということからすれば、曲芸するわけではないにもかかわらず、触れ方は瞬間技としてソフトが求められてしまう。
 U-20の選手たちのパス回しはそのソフトタッチを身に着けていないとできない技を普通に使いこなして為していたと素人老人は振り返ることができそうに思えている。
 ベテラン、中堅諸氏もサッカーを大好きになって始めた初心にかえって、ボールさばきを一からおさらいしてみることで、ボール扱いにガラッと変化を持ち込めそうに素人は推察してしまう。そうなれば、いくらか現チーム構成でも、変化後の海外スゴアシチームとの試合でも五分の試合で観客を湧かせてくれそうに思える。
 そしてもう一つは、そのソフトタッチとも関わるけれど、U-20選手たちにはいわずもがなな話になってしまうけれど、多角形は変化しながら動いて、そこを正確にボールが回る、という実際を想像してもらえれば気づけるのだけど、動かずに待たないと折角出してくれたパスを確実にか、ぎりぎりにかで受け取ることができないようなパスの場合、今時の海外チームのスゴアシ選手諸氏は、一人か二人か、時には三人かで、囲んで読んで簡単に、ワールドカップのようなお膳立て完備の試合では、さっさと奪ってしまい、自らのチームの攻めとか余裕の機会とかにしてしまう。
 おわかりになったと思うけれど、パスを出す選手は、パスの受けてが囲んでくる選手のすべてを見ることができない状態で受ける制約に加えて、どういう圧が加わってくるかわかりにくい状況でじっとパスが届くのを待つというタイプのパスが出されるたびに余計なストレスと、試合運び上の攻めの機会を失うとかつまらない試合運びの要素も含めて、呼び込んでしまう。
 お互いが動いて、その動きの先で得られるし、その動き方のくせも、相手からの圧をかわす動き込みの微妙な駆け引きを伴わせているというまとまりとして、日頃の練習によってお互いの動きのくせを心身において分かり合っている関係が育っているかどうかもかなり関わってしまいそうだ。
 そこらをU-20の選手たちは普通にやってのけていたからこそ、素人老人はサッカーの試合としてワクワクして見ていられたと思い出せる。
 ただ圧とかで、そこで取られるかぁ・・とか、技の競い合いとは違う所で、そこは工夫して試合に望んでくれないとという観客身勝手フル回転の感想もついでに持ってしまったわけだ。
 スルーパスとかその類のことばを今時のサッカーと旧態のサッカーで同じ質として使えるはずがないけれど、同じように使ってしまえることで、ベテラン、中堅選手諸氏の目標を更に高く持って、試合を楽しませてやるぅ!の意気込みへの刺激を削ぎかねないとか、アナ諸氏や解説諸氏の今時感覚を問うようなこともついでに余計なお世話とは思うけれど、老人ゆえ、蛇足的に付け加えてしまう。

 男子ワールドカップでの感想を女子サッカーとからめてふれておきたい。
 監督が、構成を本番で使い分けしていた。
 だからベストの構成は?と疑問を持ったままにされた気がしたものだ。
 パス回しの今時版が実際にこなされるためには、そう生々しい瞬間瞬間の事態経過を共有、共感できた構成選手たちが、それを心身技として答えとしてパス回しで応じてしまえるわけだ。だから、チーム構成として、陣形の部分部分で区切って、各位置構成でのよりよい構成の組み合わせ、というチームつくりでは無駄というかぎくしゃく前提と素人には口にしたくさせる。
 お互いがそのパスを出せる技量とか目配りができていなければ、動きながらのパス回しの精度など期待できない。
 次のプレー次のプレーと順を追うごとに相手チーム選手の凄さの圧がより加わりやすい状況に落ち込ませやすくしてしまう。
 そうならない精度と速さの連携をこなして、いいところまでボールを運んでいたのが、U-20チームだった。
 旧態の凄いプレーをするとその瞬間の隙をついて相手チームの今時のスゴアシがボールを簡単に奪ってしまう。その片鱗くらいはポルトガルチーム、デンマークチームの各選手諸氏がちらっと見せてくれていたように素人老人は受け止めている。
 解説諸氏は、多分、そこら、というか、素人の想起できているよりは遥かに凄いことを観察できているし整理もできているけれど、現状をことばにして解説できないといけないわけだから、というあたりは、素人"老人の走りすぎ"は体にも良くないので、ふれておきたい。

 

  川柳もどき

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