連載は続く~SF掌編『古代、列島各地ではどうことばを営んでいたの?』編


 ヒトの頻繁な移動・交流ほか、たとえば商業活動の活発度合とかが絡んで、たとえ列島といえどもそれなりに使用ことばはこなれる圧に晒(さら)されやすくする。
 日系で各地に移り住んだとして、その土地での活動上、根っからの心身化できている方言の類を後生大事に、というよりは、生活活動上要る、と意識できたことばを多用して交流して、伝承の系に載せてしまう方で想像しやすい。
 古代の列島環境ではどういったことば生活だったのか?
 勘違いの典型が、古代公的文献に載った日本語こそが日本語と錯覚するタイプだ、と素人ゆえ多少決めつけた表現で強調したくさせる。
 不比等氏が関わっているならば、もうそこには素人が諸知見を参考にしたところからは百済系人脈である藤原氏脈が集団の営み"内"で通用させてきたことばたちの範囲に相当収まる語彙が詰まっているはずだ。百済系のと言ってしまう辺りには諸知見の厖大な考える材料からして、ちょっと抵抗があるな、と素人発信であってもちょっと・・と押さえられてしまうかもしれないけれど、藤原氏脈という方で押さえてもらえるならそれでも通じる。
 当時、なぜか渡来系と察知されることも敬遠されて名前を変えるとかする。九州王朝出身とかの話がトンでも話にされかねないくらい、(当時の人々にあっては)九州出であることはまったく隠される方で努力されているようだ。なぜそうなのか。新発明の天皇であることをあからさまにして九州で集団の営みに長けているし、新知見の仏教に相当に通じるような変身を棘て尊崇の対照ともなりえた人物脈にそのポジションを委ねた、と大っぴらな中央集権化を図ってもよさそうなものを・・、と軽々しく素人が一方で想像するけれど、その一方で、充分に自律力を蓄えている各地の諸(集団)活動にいきなり中央集権化できることのメリットを感じ取らせるだけでなく、従わせるタイプの事柄も説得しつくすことは相当に難題に成りえたろうなとも思える次第。
 そこでローカルな勢力出であることを文字を使った資料によって勘違いさせて、まとめる長期の構想を練ったとも充分に考えうると素人には想像させる。
 ただそういうことの成された当時の列島でのことばの生きた舞台は単調ではないはずだ、とも素人からは想像される。
 更に面倒なことは、世代が異なる集団的渡来が幾度かの波として繰り返されて列島各地で定着していること。少し説明すると、渡来して、外とのことば上、知見上、ある程度落ちついた環境下でことば運用が始まるとそれは熟成の過程だ。
 その過程の途中に刺激のように新来の渡来集団がやってくる。熟成段階に入っていれば、折角のこなれたことば環境を大切にしたい方で応じやすくする。ことばの経済だ。
 棲み分け策によって余計な争いを避け、自ら馴染んだことばの営みを温存し合うということも各地に混在していた可能性も想像しやすい。
 技芸の巧みを伴うような各種工作物のやり取りはいつでも活発だったとして、そういう場ではそれなりの約束をほごにされない確かさがついてくるようなことばを開拓し合っていたはずで、公式部門とも交わるような動きが目立つような場合なら、漢文使用とか生な中国語からの借用ということが、それを普段使いしていない各地の人々に利便を提供したとも想像できる。記紀、万葉に同じ日本語を読めるならば(というような言い方になってしまうくらいそれらへの知見不足を否めない素人ゆえ)それは人脈的範囲を読めるはずだ、とこれも素人指摘したくさせる(森氏が指摘してくれたところのその先を追及可能な辺り)。
 その後の列島でのことばのこなれ方は、ヒトの動きの性質とともに、中央集権化後の文書扱いの性質とともに或るまとまりへと誘われる面と方言的に各種性を帯びさせる面を一応指摘できる。しかもまとまり圧からのはみ出し分岐の面と各地由来ゆえの分岐の性質とか、分岐の素もそれぞれと素人からは想起される。
 今、様々な事情、しがらみから、危ない発信も含めて、差別とも映る性質のことばも用いられることがネットでは時に話題になるけれど、100%以上と言っていいくらい、列島生活の人々は渡来系だ。ただ出自が様々でしかも混血しまくってきた。
 中には、脈を保ちつつ、そのインサイダー的な関係性の中での混血を目指すような事態も含まれてそうだけど、渡来系、ということで押さえれば、似たり寄ったり以上ではなさそうだ。
 そういうことに普通の重さで自信を持ち合いたい。
 そして今日的な観点からだけど、バラバラ性でやってきたよりは一応中央集権のしくみをなんとか成り立たせてやり繰りの経験を重ねさせてくれた初期の諸担い手諸氏の努力のところは認めたくさせる。
 ところが神社系の中央集権化のようのき真面目過ぎて度を越したために折角の列島の財宝のような諸文化的営みが途中でその形成の根を断ってしまっている。由来の各個別性はその各個が営みに失敗しない限り、可能な範囲で伝承・継承の内実を育てていく。そういう発展形が充分にありえた。けれども、系統をまとめる人為造作を成したために相当に詰まらないいみで似たり寄ったり神の営み世界に仕向けたはずだ、と素人は想像する。
 今日の観点からだと、諸集団の営みをそれなりに自律的に放置しても、政治行政的な仕組みでのまとまりを法治として押さえくふうしておければ、協力し合える保険的な巧みは応用可能と分かれるはずとも素人ゆえ大雑把に理解したくさせる。
 イデオロギーの類としては仏だ。列島的なこなれ方での仏の採用。
 そして恐らく主なる中央集権の事業への注ぎ込みの担い手は藤原氏脈だった。
 象徴的ポジションで各地の思惑がばらけないようにまとめ役を買って出てくれて天皇を担ったのが元々は命がけで耐自然現象の責任負うことを厭わなかった九州王朝直系だ(ただしその考え方を徹底し過ぎるような暴走があれば後継者不足は直ぐ現れるタイプのしくみに近い)。
 中央集権化の事業は、まとめ役とイデオロギー・行政実務部門だけではおさまらない。
 もう少し現業的で重要な部門にも人材が要る。桓武系からまとめ役の肩書を外して、出ていく。そういう工夫もした。各地に住み着く(ここらは結果的にもことばの営み上相当に関係したはずだ)。
 仏もしっかりそこらは考えて、各地に展開する(公的にも着々と各地に拠点をこしらえた)。
 善悪、敵味方の論に寄せすぎないように注意してもらいたいけれど、その後の中国からの影響以外に、やがて南蛮((旧教+イエズス会)と遠隔地商業活動が合わさったイデオロギー)の絶大な影響を被り、旧教+イエズス会人脈とは一風変わった(シーボルト氏を想起するならば)オランダとかドイツとかの影響圏のイデオロギーなりの風が吹いた。そして、その途中のどこかで(19,20世紀ならではの圧と直面する(表面上はロシア圧とかを危険視するとかいかにも諜報脈の混乱作戦が派手な情報戦で頭を一杯にさせられることになるのだけど)。つまり当時は争わせて両方から稼ぐ作戦で、遠隔地貿易系発想というよりは19,20世紀を民主化運動とともに仕切ろうとした広瀬本の指摘する"ロスチャ脈"の思惑が世の中を突き動かす)。
 列島では地名を大幅に変更することをごく近年も行っているように、隠す方をどうしても工夫してしまいがちだ。でも諜報利害からの混乱作戦も駆使してしまう一方で、確実さ提供術として、サイエンスの手続きを工夫してきたし、軸にしているとも察せられる欧米諸脈の試行錯誤からは隠しても交渉の場では、イエズス会並みのヒトの懐へ近づく術を巧みとする人々がごっそり材料(様々な情報)を入手して、人付き合いの深度が達成できる信頼感醸成よりも、その場交渉に賭けて一夜漬け作戦で若い担当をどんどん使う方法を育て続けてきているような時代の間は、隠してどうなるというものでもない、という以上に、内輪でこそ隠さず、歴史の真実ということは相当に調べられること自体が難しいだろうけれど、調べ尽くした現状の現段階については率直な方法で知見を整理できていることが必須と素人で老人の当方は考える。
 そんな辺りから、古代列島のことば環境を暫定的にも押さえられることがどれほど貴重かということを、素人の大雑把さで指摘してみた。

 経済の現営みについて、惰性のバブル再発させたいね論がやかましいようだけど、老人の見てきた近過去からして、別の論をざっと指摘してみたい辺りは次回にて。